【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
163 / 247
煌めきの都

ご所望

しおりを挟む
 弦は三つ。笹の葉のような細長くてぽってりとした輪郭の胴。それを立てるようにして膝に乗せ、弦を弓で擦って奏でる。

 憂いを帯びた音色は、どこか女性的な声。昼よりも夜に弾くと、しんみりするのは、その声のような音色がまさしく自分の嘆きを乗せているから。

 ここ数日の日課で、弔いとして爪弾いていたもののだが、同時に自分の世界に没頭できて、何も考えなくていい境地になる手段として手っ取り早いからでもあった。

 穏やかに生きるとは、かくも難しい__ふと、そうした思いを掻き立てる。

 いつもであれば私室で弾いているのだが、今夜は談話室。しかも独りではなく、聴衆がいる。

 暖炉の炎の明かりと蝋燭の灯りの部屋で、静かに耳を傾けるのは、リュディガーとフルゴルである。

 私室で夕食をとり、一服していたところ、フルゴルが訪れた。

 __もし、今夜もカーチェを弾かれるのであれば、是非、談話室でご披露願いたく。

 そう言われ、もしや、と思いつつも彼女の言葉に従えば、談話室ではリュディガーがいた。

 彼がいることは想定内であったが、なるべく避けていた生活を送っていたから、やはり構えてしまった。

 無言で彼が示す椅子に、マイャリスは素直に従い腰を据え、弾き始める。

 リュディガーはといえば、窓辺へと下がるように距離を取り、座ることはせず、窓辺に寄りかかるように身を預け、腕を組んでしばらく見守っていた。

 気がつけば彼は視線を窓の外の闇へと投げていた。聞いてはいるのだろう。もしかしたら、窓の外を見る風を装いながら、窓辺に映り込んだ弾き手を観察しているのかもしれない。

 会話がないまま、一つ曲が終わった。

 区切りを察し、流石にリュディガーの視線が戻ってきたが、マイャリスは気づかないふりをして、いつものようにもう一曲。

 一曲を弾いている間に肝がすわってきて、彼に対して構えることはなくなっていた。もっとも、彼がなにか__歩み寄ったりしなければ、の話だが。

 二曲目では、どういう風の吹き回しだろう、とかそうしたことを考えず、ただひたすら思うまま爪弾いた。

 次いで三曲目。もはやこの場には、自分だけという感覚になるから不思議だ。

 毎晩、選曲はちがうものの三曲で弾くのを止める。この日も、三曲目を終えたところで、ふぅ、とひとつ深く息を吐いた。

 そこで、ぱちぱち、と上品な拍手があって、はっ、と我に返る。

「手慰みとは思えないほど。よい音色であらっしゃる」

 フルゴルが穏やかな笑みをたたえて、手を打っていた。それを見て、さらにリュディガーも居ることを思い出して彼へと視線を移せば、窓辺に寄りかかったままこちらを見つめている。

 彼に聞かれるのは、初めてではない。

 彼の養父ローベルトとの約束を果たした日、彼も同席していた。

 あのときは、もっと賑やかな音色の曲も弾いた。カーチェは何も、哀しい憂いた曲ばかりを弾くだけではないのだ。土着なお祭りでも弾かれることがあるから、それこそ幅が広い曲がある。

 ローベルトが聞きたがる曲を、ひとつひとつ弾いていって__とても楽しい一時だった。

 その時を思い出して、ぎゅっ、と胴から伸びる竿を弦ごと握った。

「__明日も聞かせてくれ」

「__っ」

 彼の言葉に、マイャリスは目を見開いて思わず息を詰めた。

 何故。

 どうして。

 何のために。

 距離を詰めようというのか。

 話の口実を作ろうとしているのか。
 
 __今度、夜会に連れて行くから、少しでも良好にしておこうというつもりなのかしら……。

 相変わらず、表情のない顔の彼。

 かつてカーチェを聞いた時の彼は、もっと表情が豊かだった。至極嬉しそうにする父を見守る彼の顔。あの温かい顔。

 目線が交わったとき、付き合わせてすまない、と困ったような、それでいて照れたような笑顔を見せた彼。

「……ご希望、でしたら」

 ひきつる喉を叱咤して、どうにかマイャリスはそう返して、逃げるようにして私室へと戻った。



 そして、翌日の夜。

 フルゴルに呼ばれて、彼女について行けば、マイャリスがこの屋敷にきてただの一度も踏み入れたことのない部屋へといざなわれた。案内されたのは談話室ではなく、リュディガーの私室だった。

 __まさか……カーチェだけを弾けばいいというわけではない。

 脳裏によぎる、ねやという言葉。

 彼の私室がどういう作りかは承知していないが、自分の部屋を思えば、ここにも寝台はあるだろう。

 扉の前ですくみ、思わず胸元を握りしめていると、くすり、とそばでフルゴルが小さく笑う。その笑い声にさえ、マイャリスは体を弾ませてしまった。

「ご安心を。とって食べたりいたしませんから」

「あ、ぁ……は、い……」

 内心を見透かされてしまったのだろうか、気恥ずかしくなって、顔が火照ってしまった。

 フルゴルは笑みを深め、扉をノックする。

「フルゴルでございます。お連れいたしました」

 ああ、と応じる声を受け、フルゴルは扉を開け、自ら先に踏み入って扉の脇により、マイャリスを促すように手を内へと向ける。

 ひとつ呼吸を整えて、意を決して踏み入る。

 独特な香りがした。

 香を炊いているのだろうか。どっしりとしていながらも、重すぎないとても落ち着いた香り。

 室内は、琥珀色を貴重とした空間で、重厚な調度品にあった真紅の毛足の長い絨毯が敷かれている。

 大きな机は、真紅のカーテンが垂れる窓辺に背をむける形で置かれ、来訪者を迎えるようにあったが、リュディガーはそこにはいなかった。

 部屋に入って右手、暖炉の近くに置かれたソファーのひとつに腰掛けていたらしい彼は、ぬらり、と立ち上がった。

 そして、こちらへ、と示すように手でソファーのひとつを示す。

 彼の傍には、影のようにアンブラがいて、視線が合うと胸に手を当てて頭を下げるので、マイャリスはそれに礼をとってから、示されたソファーへと足を向けた。

 背後で閉まる扉。

 フルゴルが後に続くのを肩越しに見ながら、ソファーへと歩み寄り、腰を据えた。

 そこで目に留まるのは、天蓋付きの寝台。

 緊張が高まった。

 __何を、考えているの……。

 たぶん、おそらく、そんなことは起きない__はずだ。

 ちらり、と見たリュディガーはもともと座っていた席__向かい合う席に腰をおろした。大柄な彼が座ってくれることで、威圧感がなくなり、少しばかり安堵する。

 __だ、大丈夫。

 フルゴルの言葉を信じよう。

 __弾いて、終わったら、さっさと戻る。それだけよ。

 引き止められたとしても、部屋へと逃げ帰ればいい。

 __夜会に夫婦として招かれたから、私が気にしすぎているだけよ。

 白い結婚の、形骸化した夫婦__それを払拭したいのかもしれないが、今のマイャリスには彼を受け入れることは到底できない。

 もっとも、彼が本気を出せば強引にことに及ぶことなど造作もないのだろうが__。

 __そこまで堕ちてはいない、と思いたいわ。

 マイャリスが思案する傍らで、影のように佇んでいたアンブラはリュディガーの背後に移動して佇むばかりで座ることはない。対してフルゴルは、マイャリスの背後に佇む。

「座らないのですか?」

 思わず彼らに問うが、それぞれ緩く首を振る。

「お気になさらず」

「き、気にはなるのですが」

 ふふ、とフルゴルは笑うばかり。アンブラはリュディガーに似て、表情を変えない。

 部屋の主であるリュディガーも、表情のない顔で見つめてくる。

 少しばかり__否、とてもやりにくい状況で、マイャリスは自身を鼓舞するように大きく深呼吸をして、手にしていたカーチェを構えた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

領地経営で忙しい私に、第三王子が自由すぎる理由を教えてください

ねむたん
恋愛
領地経営に奔走する伯爵令嬢エリナ。毎日忙しく過ごす彼女の元に、突然ふらりと現れたのは、自由気ままな第三王子アレクシス。どうやら領地に興味を持ったらしいけれど、それを口実に毎日のように居座る彼に、エリナは振り回されっぱなし! 領地を守りたい令嬢と、なんとなく興味本位で動く王子。全く噛み合わない二人のやりとりは、笑いあり、すれ違いあり、ちょっぴりときめきも──? くすっと気軽に読める貴族ラブコメディ!

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...