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煌めきの都

間諜

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 リュディガーが州都シャダイエルに向かっている間、標高が高い地域であるハイムダル地方では、日に日に紅葉が深まっていった。

 マーガレットが言うに、この屋敷のあるウルメンという地域では、夏は駆け足で去っていき、州都にくらべれば一ヶ月は軽く早く冬が訪れるのだそう。

 屋敷から見えるカラマツの林が黄金色に染まり、それがいよいよ半分以上が葉を落として寂しい印象を抱かせるようになった日の夜、フルゴルが告げる。__明日の昼には、お戻りになられます、と。

 彼らが出かけてから、ちょうど2週間が経つ。通常であれば、往復だけで14日かかる。そして、勤めがあるのだから、数日はかかって半月__帰還はあと数日は先だろう、と心づもりをしていた屋敷の皆は驚いて、懐疑的になった。

 しかし、何かあればフルゴルに言え、と言い残していったこと、そのフルゴルはまじない師。何かしら、特殊な連絡網があるのだろう、とマイャリスは独り納得して、留守を預かるマイャリスを筆頭にフルゴルの言葉を受け止めて粛々と主を迎える準備を進めた。

 翌日、フルゴルの言う通り、リュディガーとアンブラが戻ってきた。

 明るい午後の日差しが差し込むサロンで、お茶を飲んでいたところ、にわかに慌ただしくなり、彼らの帰還の報せを受けた。

 出迎えをおろそかにするわけにはいかない。形骸化しているとは申せ、マイャリスはリュディガーの妻なのだから。

 急ぎ足でマーガレットを伴って広間へ出たものの、ちょうど玄関から入ってきたリュディガーが外套を執事のホルトハウスに手渡すところだった。

「おかえりなさい、リュディガー。アンブラも」

「……ああ」

 リュディガーの背後、アンブラは胸に手を当てて無言で頭を下げて礼を取る。

「出迎えがおろそかになってすみません」

「……いや、いい。__フルゴル、このまま部屋へ来てくれ」

 是、と応じるフルゴルに頷いてから、リュディガーはマイャリスに向き直る。

「……貴女は、息災そうでなによりだ」

「はい、お陰様で。フルゴルがよく話し相手にもなってくれましたし……屋敷の皆さんも」

「……左様か。お茶の時間だっただろう。そのまま寛いでいてくれ」

 そこまで言うとマイャリスの答えを待たずに、リュディガーは颯爽と広間の階段へと足を向ける。

 内心、マイャリスは苦笑を浮かべた。

 彼は、本当に関心がないのだろう。屋敷で、約束を守って居る限り。息災で、恙無つつがなく過ごしている限り。

 小さくため息をこぼしつつ、階段を上がっていく彼を見守っていれば、不意に彼が足を止めて見下ろしてきた。

「__また夕食の時に」

 相変わらず、抑揚のない声と、表情。しかし、その言葉は、マイャリスにとって思いもよらぬ言葉だった。

「は、はい」

 返事を逸しそうになるのを辛うじて答えると、彼は頷いて更に上を目指して登っていった。

 __気遣われてはいる……ということなのかしら。

 サロンに戻って、彼のことを思い返しながら、お茶を一口飲む。

 先程まで飲んでいたはずだが、驚いたことに、喉はカラカラに乾いていた。

 __同居人だもの、それはある程度、あたりまえのことよね。

 同居人という表現がふさわしい関係性なのは間違いない。

 妻という肩書を与えられた自分と、良人という肩書を与えられた彼とは、お互いに最低限の接点と干渉しかできていない__していない。

 かつて想いを通じ合わせたとは思えないほど、淡白。もっとも、これについては、自分に非があるのは間違いないから、多くは言うまい。

 はぁ、とため息をこぼして、お茶を口に運んだ。



 そうして、日が沈み、夕食の身支度を整える時間となり、身なりを整える。

 昨日と違って幾分緊張しているのは、リュディガーがいるから。

 マーガレットが昨夜以上に装いに力を入れてくれたおかげで、幾分か余裕ができる。

 そして、いざ食堂へ向かうと、その手前の談話室で正装姿のリュディガーが窓の外を眺めながら、食前酒の小さなグラスを傾けていた。

 その彼は、マイャリスの姿を認めると、食前酒を飲むか、と無言でグラスを示すので、首を緩く振って答え、暖炉近くの一人がけのソファーへと腰をおろして、食事の始まりを待った。

 手持ち無沙汰に、暖炉にくべられた薪をみつめること暫し、食堂の扉が開き、食事の始まりを告げられた。

 リュディガーは、グラスを一気に空にしてテーブルへ静かに置くと、マイャリスの傍まで歩み寄って手を差し伸べる。

 その手をとって、マイャリスは立ち上がり、食堂へと2人寄り添う形で向かった。

 リュディガーがいない日々の食事は、執事と給仕のための従者が会話の相手をしてくれていた。その会話は、とても楽しく、リュディガーとの食事以上に和やかになるのだ。

 だが今夜はそれを望めない。

 話しかけることを卑しいとしているわけではないが、彼らはあくまで影の存在。屋敷の主人であるリュディガーを差し置いて、彼らとだけ和やかに会話をして過ごすことはよくないし、使用人という立場の彼らも居心地が悪いだろう。

「……不便はなかっただろうか?」

 粛々と進む食事が中程まできたところで、リュディガーが尋ねた。

「はい。みなさん、良くしてくれますので」

 そうか、とそこで会話は途切れる__終わる。

 リュディガーは口下手でも、寡黙というわけでもなかったはずだが、かつてのように会話を楽しむということをしない主義になったのかもしれない。

 必要最低限の当たり障りのない会話を、ぽつぽつ、と交わし、やがて終わる食事。

 談話室へ移動して、食事の優雅な余韻を楽しむ__そうしたこともせず、彼は私室へ下がるのだろう。

 そう思っていたのだが、この日は違った。

「……こちらは、やはりもう秋が深くなってきているな」

 談話室へ移ると彼は窓辺へと歩み寄った。窓の外は夜の帳がおち、真っ黒に塗り込められた闇の中。景色など見えるはずもないだろうに、その景色を見つめている。

「え、ええ。……州都では、まだでしたか」

「ここほどではないな」

 後ろ出に手を組んで、彼は相変わらず窓の外へ視線を向けている。

「……父は変わりなく?」

「無論」

「そうですか」

 よかったです、と続けた言葉は、彼の背中から視線を外して暖炉へと向けながら呟くように零す。

「他の皆さん……オーガスティンはお元気でしたか?」

 不意によぎった、憎めない笑みを浮かべるオーガスティン。

「__オーガスティンは、先日、お役目を解任した」

「えっ……」

 解任、という言葉に、マイャリスは眉をひそめて、再び大きな背中へ視線を向ける。

「あれは、間諜だった」

「間諜……?」

 自分の耳が拾った言葉が、にわかには信じられなかった。

「実のところ、泳がせていた。この一年」

 彼が、ゆっくりと振り返った。

 その視線。

 慈悲の一切を見せない、冷徹な紫の差した深い蒼。ともすれば、高潔ささえ孕んでいるように見える。

 マイャリスは、半歩下がって両手を組んで強く握る。

「か、彼は……」

「解任した、と申し上げた」

 言葉の意味するところを考えて言葉を逸している間も、目の前の男は視線を一切逸らすことなく、射抜くように見つめてくる。

 __違う。粛清したのだわ。

 この男は。

 __父の障害になりうる者だから……。

「私が遠方にいることによって、あれが動き出すのではと思った。事実そのとおりとなり、今回、戻って処理した」

 あれ、と物のようにいう目の前の男に、マイャリスは心臓が縮こまる。

「処理……。ですが、彼は、私がこちらに赴くにあたり、危険だと文で知らせたのではないのですか……?」

「それは事実」

「そんな彼が間諜だとは思えません。だって彼は……」

「大した役者ということだ。あれの役目は、州侯のことを探ること。貴女への襲撃は、黙殺できなかっただけ。表向き、忠実な筆頭十人隊長としての役目を果たしたに過ぎない」

 __表向きの役目……。

「間諜というのは、誰……どこの……」

「中央」

 相手は国家。国家も、ここイェソド州の内部がきな臭いことを承知で、証拠を集めていたということだろうか。

 マイャリスは、奥歯を噛みしめる。

 視界が滲んで、その場に留まることはできなかった。

「__気分が悪いので、部屋へ戻ります」

「……送ろう」

「要りません」

 リュディガーへ強く言い放ち、マイャリスは談話室を足早に後にした。
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