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帝都の大学
救いようのない Ⅱ
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キルシェが戻ってきた__あれは、あまりにも鮮明で現実味を帯びていた、ただの夢だった。
リュディガーは組んだ片方の腕を支えに、肘をついて頭を抱える。
都合良すぎる内容。
決意の固かった彼女が、どうして戻ってくるのだ。可笑しいだろう。
__それに、抱いてくれなどと言うわけがない。
馬鹿だ。
浅はかだ。
愚かしい。
組み敷いた彼女の、柔らかく艶かしい裸体。ふくよかな胸、くびれた腰、柔らかくも締まった臀部__妄想の産物だろうが、鮮明に脳裏に焼き付いている。
しかも、人肌が感じられた生々しい夢だったから、尚更腹が立つ__自分に。
彼女のこと__喧嘩別れのような形で、見送りもできなかった彼女の身を案じていたのは事実だ。
今はどのあたりにいるのだろう。
元気でいるのだろうか。
いつか再び、会えるだろうか。
例えば、自分が龍騎士に復帰したら社交の場で__そんなことをふとした瞬間、毎日考えていた。まさかそれが弊害となって、あんな夢を見るとは思いもしなかった。
__……あんな虚無な目覚めはないぞ。
願望だったのだろうか__。
確かに、自分は一般的な健康な成人男性で、それなりに欲はある。
好意を寄せた異性には、もっと深い仲になりたい、触れてみたい、と思うのは自然といえば自然。
キルシェにだって、彼女への想いを自覚してからは、四六時中ではないが、そうした事を思った事はある。一層、魅力的に映っていたし、想いが通じ合って__これは一方的だったとは思いたくないが__からは、より近く、手の届くところに彼女はあったのだから。
だが、幻滅されたくはないし、いつぞやの下半身で物事を考える輩とは一緒にされたくはない。大事だからこそ、お首にも出さず、一歩ずつ誠実に接してきた。
__下心は……完全には、否定できないから、本当にタチが悪い……。
引いては寄せる波のように、自己嫌悪が起きる。
居心地悪く、姿勢を変えたりため息を零したり幾度も繰り返しながら、やがて大学の最寄りに到着した。
馬車を降りて、独り石畳を進む。
石畳には一切の水たまりはない。__あれが、正夢にはなりえない、と突きつけている景色にリュディガーの目には映ていた。
喧騒から逃げるように、足早にリュディガーは歩く。その間も、周囲を見張った。居るはずのない姿を、求めてしまう自分がほとほと嫌になった。
どこか焦燥感に駆り立てられるように戻ってきた大学。
戻ったことを報告するため、教官らと女子寮である西側の棟の玄関へと、足を向ける。
階段を上がり、ビルネンベルクの部屋へ。
扉の前で、ひとつ呼吸を整えた。
エトムントならまだしも、様子がおかしいことをビルネンベルクに悟られるわけにはいかない。
今現在、キルシェとの間にあった一連の出来事は、伏せることに成功しているのだから。
悶々とも鬱々ともしている今、ビルネンベルクの玩具にされるのは勘弁願いたいところである。
__さて……。
意を決してノックをするが、返事はない。
この時間は必ず居るはず__怪訝にしていれば、階段を上がってきた人影があった。ビルネンベルクである。
リュディガーは一礼をとる。
数瞬佇んだ後ビルネンベルクは足を進め、リュディガーを部屋へと招き入れた。
「矢馳せ馬の鍛錬から戻ってまいりました」
「ご苦労様だった。順調そうだね、君は」
「はい」
どこか動きに覇気がない。労いの言葉からも、疲れたような色が伺い知れる。ビルネンベルクには珍しいことで、リュディガーは怪訝にしてしまった。
「どうなさいました?」
「……今しがた、中央から戻ってきたところだったんだ」
言いながら、彼は戸棚から酒瓶とグラスを2つ取り出す。それに、リュディガーは眉を潜めた。
「確認を求められてね」
「確認、ですか」
それらを手に、どかり、と暖炉前のソファーに座るビルネンベルク。
「……私は、人間族よりも長く生きる獣人だ。これから多くの別れがある宿命だとも承知して生きている」
心底疲れ切った様子の彼は、葡萄酒ではなく、琥珀色の酒をグラスに注いだ。
グラスの一つを、向かいの席に配し、リュディガーに座るよう促した。困惑しながらも、リュディガーは意図を汲んでその席へ腰をおろす。
「いずれ君のような学生も、私を追い越していってしまうことも、承知している。覚悟している。__していたはずなんだが……」
ビルネンベルクは一口、酒を口に含んだ。遠い視線で、熾になってしまった暖炉を見やる。日が没してしまった薄暗い部屋は、その明かりだけ。
だが、彼は照明をつけることをしない。
「……州境で、魔物が出た。イェソドとの州境。あそこは深い谷があるだろう。そこで馬車が魔物に襲われ、谷へ」
州境__リュディガーは、グラスに伸ばそうとした手を思わず止めた。
__それは……先日の魔穴の出現で取りこぼした魔物ではないのか。
全部が全部、討伐しきれるわけではない。掃討作戦でもうち漏らしがある。それが今回猛威を奮った__可能性はある。
リュディガーはぎりり、と奥歯を噛み締めた。
「魔物出現の報せを受け、付近にいた龍騎士らが生存者の確認にあたったが、生存者はなし。……遺体はひどい状態で……それでも、身元がわかる品を確保できた。その龍騎士のなかに、遺品に心当たりがあった者がいたらしく……私は呼び出されたというわけだ」
「お知り合いの方だったのですか」
酒を一口、煽るビルネンベルク。その様は、どこか投げやりにも見えた。
「……耳飾り」
ぽつり、とつぶやかれた言葉。
「耳飾り?」
リュディガーの問いを受けるも、真紅の瞳は遠い眼差しで熾を見つめていた。
「__キルシェ・ラウペンの物だった」
刹那、全ての音が遠のいた。
「……は?」
この人は何を言っているのだろう。
「彼女、亡くなってしまったんだ」
言っている言葉の意味が、わからない。
リュディガーは組んだ片方の腕を支えに、肘をついて頭を抱える。
都合良すぎる内容。
決意の固かった彼女が、どうして戻ってくるのだ。可笑しいだろう。
__それに、抱いてくれなどと言うわけがない。
馬鹿だ。
浅はかだ。
愚かしい。
組み敷いた彼女の、柔らかく艶かしい裸体。ふくよかな胸、くびれた腰、柔らかくも締まった臀部__妄想の産物だろうが、鮮明に脳裏に焼き付いている。
しかも、人肌が感じられた生々しい夢だったから、尚更腹が立つ__自分に。
彼女のこと__喧嘩別れのような形で、見送りもできなかった彼女の身を案じていたのは事実だ。
今はどのあたりにいるのだろう。
元気でいるのだろうか。
いつか再び、会えるだろうか。
例えば、自分が龍騎士に復帰したら社交の場で__そんなことをふとした瞬間、毎日考えていた。まさかそれが弊害となって、あんな夢を見るとは思いもしなかった。
__……あんな虚無な目覚めはないぞ。
願望だったのだろうか__。
確かに、自分は一般的な健康な成人男性で、それなりに欲はある。
好意を寄せた異性には、もっと深い仲になりたい、触れてみたい、と思うのは自然といえば自然。
キルシェにだって、彼女への想いを自覚してからは、四六時中ではないが、そうした事を思った事はある。一層、魅力的に映っていたし、想いが通じ合って__これは一方的だったとは思いたくないが__からは、より近く、手の届くところに彼女はあったのだから。
だが、幻滅されたくはないし、いつぞやの下半身で物事を考える輩とは一緒にされたくはない。大事だからこそ、お首にも出さず、一歩ずつ誠実に接してきた。
__下心は……完全には、否定できないから、本当にタチが悪い……。
引いては寄せる波のように、自己嫌悪が起きる。
居心地悪く、姿勢を変えたりため息を零したり幾度も繰り返しながら、やがて大学の最寄りに到着した。
馬車を降りて、独り石畳を進む。
石畳には一切の水たまりはない。__あれが、正夢にはなりえない、と突きつけている景色にリュディガーの目には映ていた。
喧騒から逃げるように、足早にリュディガーは歩く。その間も、周囲を見張った。居るはずのない姿を、求めてしまう自分がほとほと嫌になった。
どこか焦燥感に駆り立てられるように戻ってきた大学。
戻ったことを報告するため、教官らと女子寮である西側の棟の玄関へと、足を向ける。
階段を上がり、ビルネンベルクの部屋へ。
扉の前で、ひとつ呼吸を整えた。
エトムントならまだしも、様子がおかしいことをビルネンベルクに悟られるわけにはいかない。
今現在、キルシェとの間にあった一連の出来事は、伏せることに成功しているのだから。
悶々とも鬱々ともしている今、ビルネンベルクの玩具にされるのは勘弁願いたいところである。
__さて……。
意を決してノックをするが、返事はない。
この時間は必ず居るはず__怪訝にしていれば、階段を上がってきた人影があった。ビルネンベルクである。
リュディガーは一礼をとる。
数瞬佇んだ後ビルネンベルクは足を進め、リュディガーを部屋へと招き入れた。
「矢馳せ馬の鍛錬から戻ってまいりました」
「ご苦労様だった。順調そうだね、君は」
「はい」
どこか動きに覇気がない。労いの言葉からも、疲れたような色が伺い知れる。ビルネンベルクには珍しいことで、リュディガーは怪訝にしてしまった。
「どうなさいました?」
「……今しがた、中央から戻ってきたところだったんだ」
言いながら、彼は戸棚から酒瓶とグラスを2つ取り出す。それに、リュディガーは眉を潜めた。
「確認を求められてね」
「確認、ですか」
それらを手に、どかり、と暖炉前のソファーに座るビルネンベルク。
「……私は、人間族よりも長く生きる獣人だ。これから多くの別れがある宿命だとも承知して生きている」
心底疲れ切った様子の彼は、葡萄酒ではなく、琥珀色の酒をグラスに注いだ。
グラスの一つを、向かいの席に配し、リュディガーに座るよう促した。困惑しながらも、リュディガーは意図を汲んでその席へ腰をおろす。
「いずれ君のような学生も、私を追い越していってしまうことも、承知している。覚悟している。__していたはずなんだが……」
ビルネンベルクは一口、酒を口に含んだ。遠い視線で、熾になってしまった暖炉を見やる。日が没してしまった薄暗い部屋は、その明かりだけ。
だが、彼は照明をつけることをしない。
「……州境で、魔物が出た。イェソドとの州境。あそこは深い谷があるだろう。そこで馬車が魔物に襲われ、谷へ」
州境__リュディガーは、グラスに伸ばそうとした手を思わず止めた。
__それは……先日の魔穴の出現で取りこぼした魔物ではないのか。
全部が全部、討伐しきれるわけではない。掃討作戦でもうち漏らしがある。それが今回猛威を奮った__可能性はある。
リュディガーはぎりり、と奥歯を噛み締めた。
「魔物出現の報せを受け、付近にいた龍騎士らが生存者の確認にあたったが、生存者はなし。……遺体はひどい状態で……それでも、身元がわかる品を確保できた。その龍騎士のなかに、遺品に心当たりがあった者がいたらしく……私は呼び出されたというわけだ」
「お知り合いの方だったのですか」
酒を一口、煽るビルネンベルク。その様は、どこか投げやりにも見えた。
「……耳飾り」
ぽつり、とつぶやかれた言葉。
「耳飾り?」
リュディガーの問いを受けるも、真紅の瞳は遠い眼差しで熾を見つめていた。
「__キルシェ・ラウペンの物だった」
刹那、全ての音が遠のいた。
「……は?」
この人は何を言っているのだろう。
「彼女、亡くなってしまったんだ」
言っている言葉の意味が、わからない。
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