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帝都の大学
醜イ夢 Ⅰ
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気がつくと茶器が載ったトレイを手に、キルシェはとある扉の前に立っていた。
茶器は3人分。
とにかくこれを、目の前の部屋に届ける__そう考え、片手に持ち直してノックする。
返事はないが、それを気にせず扉を開けて踏み入る。
部屋はキルシェの寮の部屋ほどの広さで、そこには机が2つと、その正面の壁際に一人がけの椅子が小さい丸テーブルを挟んで2脚置かれていた。
そして、踏み入ったキルシェの正面にはもう一つの扉。
キルシェの目的はその扉の向こう。
改めてノックする。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、キルシェか。入ってくれ」
__この声は……。
許可をしたのはこの部屋の主のはず。
だが、その声。
聞き覚えがある声には違いないが、声の主がどうしてこの部屋の主なのか、キルシェは怪訝に思った。
思いながらも、扉を開ける__と更に明るい光に満ちた部屋。
そこは、通ってきた部屋よりもかなり広い。
幾つも等間隔である天井まで届く窓。その窓のひとつを背にして、扉から踏み入った者を出迎えるように設置されているのは、重厚な印象の机。
そこには部屋の主はいて、ペンを走らせていた手元を止めて顔を上げた。
__イャーヴィス元帥閣下……。
一瞬面食らってしまった。
__何故……。
「そちらへ。そろそろ来るはずだ」
「は、はい……」
疑問におもいつつも、指し示された方へと視線を向ける。
煌々と燃える暖炉の前に、これまた威厳に溢れた応接用のソファー一式が置かれている。その壁には、龍旗__国旗。
キルシェは指示通りそのテーブルへと茶器を並べる。
そうしていると、部屋の扉がノックされた。
「お客様です、閣下」
「時間通りか。__通してくれ」
イャーヴィスが言って、手元のものを軽く片付けていれば、扉が開いた。
一人目は扉の横に佇んで、後ろの人物を中へと促す。その促されて入室した人物に、キルシェは息を詰めて背筋を正した。
「息災か、ナハトリンデン」
「はっ」
執務机の椅子から立ったイャーヴィスの言葉に、踵を合わせて直立不動の姿勢をとるのは、紛れもなくリュディガーだった。
「楽に。一応は、客なのだから」
「はい」
少しばかり姿勢を楽にした彼は、龍帝従騎士団の深い紫の制服に身を包んでいる。
見上げるほどの立派な体躯も相まって、まさに威厳の体現者のようでよく似合う。
__制服を着ているけれど……お客様……?
案内し終えた一頭の龍の意匠が施された衣服を纏った文官は、一礼をとると扉を閉めて下がった。
キルシェもその姿に続こうと、イャーヴィスへ一礼をとる。
「それでは__」
「ん? いや、君もだが?」
「え……」
戸惑いの声を漏らせば、イャーヴィスは苦笑を浮かべながら応接の用のソファーへと移動する。
「だから、3人分のお茶を頼んだ」
着席して、長椅子側へリュディガーとキルシェに座るよう促した。
__何故……。
内心怪訝にしていると、応接用のソファーへ歩み寄ったリュディガーが、キルシェの横に佇んで、柔らかい表情で背に手を添えて座るように促す。
促されるままにキルシェは腰を下ろすと、リュディガーはその横に座った。
「ナハトリンデン、まずは卒業おめでとう」
「ありがとう存じます」
__卒業……大学?
「復帰は、2週間後だったな」
「はい」
カップを取り、イャーヴィスは口へ運ぶ。一度、香りを愉しんでから、ゆっくりと口に含んだ。
「__キルシェが祐筆になってから2年ということか」
はやいな、と笑うイャーヴィスに、キルシェは目を見開いて、脇によけたトレイを見る。
__2年……祐筆……?
何がどうなっている。
自分は今年卒業できないまま、故郷へ帰るはず。__否、帰っているはず。
そこではた、と気づいた。
自分は、一頭の鷲獅子の紋章が施された衣服を纏っているではないか。
いつぞや見た、ヌルグルらとは違い、文官というか侍女というか、優美な印象の形であるが、間違いなく所属を表す制服に違いない。
「それで、挙式の準備は順調かね?」
衣服に驚いているとまたも驚いた。
__挙式? 挙式と言った?
我が耳を疑い、キルシェは弾かれるように視線をイャーヴィス、そして隣のリュディガーへと向ける。
すると、リュディガーがキルシェへと顔を向けた。その表情のとても穏やかでいて、どこか照れたようなそれ。
「順調と言えば順調です」
__嘘でしょ? 何の冗談?
膝の上で握る手。その指のひとつに硬い物がある。
視線を落とすと、銀色の指輪が嵌めてあって、小さく息を呑んだ。
__左の薬指……。
それは、帝国では婚約を意味する。婚姻が結ばれると、右手の薬指に付け替えるのが習わし。
「予定は、確か……」
「初夏に。__今度、またラウペン氏にお会いして、話を詰める予定です」
ラウペン__嗚呼、これは。
__間違いない。夢だ。
ラウペンの父が、会うはずがない。
「それにしても、キルシェはよく待ったな。一般的に、婚約から入籍、挙式は長くても半年だろうに。卒業してから、というのが条件だったとは申せ……」
そんな簡単な条件を父が飲むはずがない。
内心、キルシェは乾いた笑みを浮かべてしまう。
「挙式には、私も参列させてもらうからな。私の自慢の祐筆の門出なのだから」
「恐縮です」
「ビルネンベルク殿もだろう?」
「はい。恩師ですし、彼女の帝都での身元引受人ですから」
「身元引受……?」
思わずその言葉を反芻して、イャーヴィスが少しばかり面食らう。
「君が祐筆になるにあたり、ラウペンのご令嬢を一人住まいさせるわけにはいかない。寮も駄目だと仰られて……ビルネンベルク殿が帝都の屋敷に住まわせてくれてる、ということで、ご尊父は納得してくださっただろう?」
__私は、居候をしているということ……。
夢にしても、面白い話だ。
よくできている夢。
茶器は3人分。
とにかくこれを、目の前の部屋に届ける__そう考え、片手に持ち直してノックする。
返事はないが、それを気にせず扉を開けて踏み入る。
部屋はキルシェの寮の部屋ほどの広さで、そこには机が2つと、その正面の壁際に一人がけの椅子が小さい丸テーブルを挟んで2脚置かれていた。
そして、踏み入ったキルシェの正面にはもう一つの扉。
キルシェの目的はその扉の向こう。
改めてノックする。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、キルシェか。入ってくれ」
__この声は……。
許可をしたのはこの部屋の主のはず。
だが、その声。
聞き覚えがある声には違いないが、声の主がどうしてこの部屋の主なのか、キルシェは怪訝に思った。
思いながらも、扉を開ける__と更に明るい光に満ちた部屋。
そこは、通ってきた部屋よりもかなり広い。
幾つも等間隔である天井まで届く窓。その窓のひとつを背にして、扉から踏み入った者を出迎えるように設置されているのは、重厚な印象の机。
そこには部屋の主はいて、ペンを走らせていた手元を止めて顔を上げた。
__イャーヴィス元帥閣下……。
一瞬面食らってしまった。
__何故……。
「そちらへ。そろそろ来るはずだ」
「は、はい……」
疑問におもいつつも、指し示された方へと視線を向ける。
煌々と燃える暖炉の前に、これまた威厳に溢れた応接用のソファー一式が置かれている。その壁には、龍旗__国旗。
キルシェは指示通りそのテーブルへと茶器を並べる。
そうしていると、部屋の扉がノックされた。
「お客様です、閣下」
「時間通りか。__通してくれ」
イャーヴィスが言って、手元のものを軽く片付けていれば、扉が開いた。
一人目は扉の横に佇んで、後ろの人物を中へと促す。その促されて入室した人物に、キルシェは息を詰めて背筋を正した。
「息災か、ナハトリンデン」
「はっ」
執務机の椅子から立ったイャーヴィスの言葉に、踵を合わせて直立不動の姿勢をとるのは、紛れもなくリュディガーだった。
「楽に。一応は、客なのだから」
「はい」
少しばかり姿勢を楽にした彼は、龍帝従騎士団の深い紫の制服に身を包んでいる。
見上げるほどの立派な体躯も相まって、まさに威厳の体現者のようでよく似合う。
__制服を着ているけれど……お客様……?
案内し終えた一頭の龍の意匠が施された衣服を纏った文官は、一礼をとると扉を閉めて下がった。
キルシェもその姿に続こうと、イャーヴィスへ一礼をとる。
「それでは__」
「ん? いや、君もだが?」
「え……」
戸惑いの声を漏らせば、イャーヴィスは苦笑を浮かべながら応接の用のソファーへと移動する。
「だから、3人分のお茶を頼んだ」
着席して、長椅子側へリュディガーとキルシェに座るよう促した。
__何故……。
内心怪訝にしていると、応接用のソファーへ歩み寄ったリュディガーが、キルシェの横に佇んで、柔らかい表情で背に手を添えて座るように促す。
促されるままにキルシェは腰を下ろすと、リュディガーはその横に座った。
「ナハトリンデン、まずは卒業おめでとう」
「ありがとう存じます」
__卒業……大学?
「復帰は、2週間後だったな」
「はい」
カップを取り、イャーヴィスは口へ運ぶ。一度、香りを愉しんでから、ゆっくりと口に含んだ。
「__キルシェが祐筆になってから2年ということか」
はやいな、と笑うイャーヴィスに、キルシェは目を見開いて、脇によけたトレイを見る。
__2年……祐筆……?
何がどうなっている。
自分は今年卒業できないまま、故郷へ帰るはず。__否、帰っているはず。
そこではた、と気づいた。
自分は、一頭の鷲獅子の紋章が施された衣服を纏っているではないか。
いつぞや見た、ヌルグルらとは違い、文官というか侍女というか、優美な印象の形であるが、間違いなく所属を表す制服に違いない。
「それで、挙式の準備は順調かね?」
衣服に驚いているとまたも驚いた。
__挙式? 挙式と言った?
我が耳を疑い、キルシェは弾かれるように視線をイャーヴィス、そして隣のリュディガーへと向ける。
すると、リュディガーがキルシェへと顔を向けた。その表情のとても穏やかでいて、どこか照れたようなそれ。
「順調と言えば順調です」
__嘘でしょ? 何の冗談?
膝の上で握る手。その指のひとつに硬い物がある。
視線を落とすと、銀色の指輪が嵌めてあって、小さく息を呑んだ。
__左の薬指……。
それは、帝国では婚約を意味する。婚姻が結ばれると、右手の薬指に付け替えるのが習わし。
「予定は、確か……」
「初夏に。__今度、またラウペン氏にお会いして、話を詰める予定です」
ラウペン__嗚呼、これは。
__間違いない。夢だ。
ラウペンの父が、会うはずがない。
「それにしても、キルシェはよく待ったな。一般的に、婚約から入籍、挙式は長くても半年だろうに。卒業してから、というのが条件だったとは申せ……」
そんな簡単な条件を父が飲むはずがない。
内心、キルシェは乾いた笑みを浮かべてしまう。
「挙式には、私も参列させてもらうからな。私の自慢の祐筆の門出なのだから」
「恐縮です」
「ビルネンベルク殿もだろう?」
「はい。恩師ですし、彼女の帝都での身元引受人ですから」
「身元引受……?」
思わずその言葉を反芻して、イャーヴィスが少しばかり面食らう。
「君が祐筆になるにあたり、ラウペンのご令嬢を一人住まいさせるわけにはいかない。寮も駄目だと仰られて……ビルネンベルク殿が帝都の屋敷に住まわせてくれてる、ということで、ご尊父は納得してくださっただろう?」
__私は、居候をしているということ……。
夢にしても、面白い話だ。
よくできている夢。
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