【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

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帝都の大学

枯れゆく想い Ⅱ

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 ひやり、とした風が抜けていく。

 その中で、しっかりと彼に取られた手が、とても温かい。

「__私と結婚してほしい」

 リュディガーの口から放たれたのは、彼らしい真っ直ぐな飾り気のない求婚だった。

 ひゅっ、と細く息を吸い、胸が締め付けられるほど苦しさを覚えるキルシェ。

 __言わせてしまった……。

 自分が、言われてはならない言葉。

 彼には、言わせてはならない言葉。

 告げられて、苦しさの中にわずかでも嬉しさを覚えてしまった自分が、ほとほと嫌になる。

 手をひこうとするが、彼がやはり許さない。

 下唇を噛み締めて俯き、膝の上で残された手が白くなるまで握りしめた。

「貴方は、父の恐ろしさを知らないのよ……」

 やっとのことで絞り出した言葉。

 __私には、無縁でなければならないはずのものだったのに……。

 弓射の指南が終わったのであれば、そこで距離を取るべきだった。

 __私は、今まで何をしていたのだろう。

「__私は、休学する」

 キルシェは耳を疑って、顔をあげる。

「休、学?」

「ああ。龍騎士に戻る。その肩書があれば、君の養父君は納得してくれるのではないか? 社会的に認められた、上級職だ」

「なんで……」

「家を出てしまえば、君は養父君の思惑通りに動く必要はもう無くなる。大学をこのまま出て__」

「大学を出て、どうしろと?」

 ぴくり、とリュディガーの眉が動いた。

「今度は貴方の思惑に従えばいいの?」

「何故そうなる。そうじゃない。君は、大学は出るべきだ。そして、興味がある仕事に就くでも、就かなくても、私は君が好きに過ごしてくれればそれでいい。君は、君の人生を歩む権利がある」

 淀みなく言い放つ彼が怖くなって、キルシェはかなり手を引いた。すると、やっと彼が手を放してくれて、その手を握り込む。

「__私の思惑は……望みはただそれだけだ」

 どうしてそこまでするのか__その一言に対する答えが怖くて、キルシェは言葉を飲み込む。

 はっきりとそれを言われたら、耳にしたら、ただただ辛くなる。
 
 __軽薄だとは、思わないでくれ。

 あの遣らずの雨にあった日、彼が言い放った言葉が脳裏をよぎった。

 あの日、あの時、あのぬくもり__ぎりり、と奥歯を噛みしめる。

「……あのとき、叩くべきだった」

 __心を殺してでも。

「私は、愚かだわ……なんで……」

「キルシェ」

「高望みしたつもりはないのだけれど……身の丈に合わなかったことだったのよ」

 身の丈、と彼が怪訝な声を漏らした。

「私は、最低な女よ。嘘ばかりついてきた」

「嘘? 何の話だ?」

「……もうかなり前から、故郷へ戻ることは決めていたの。先生から頂いていた色々なお仕事のお話も、ずっと断ってきていたのよ。戻るから。吟味しているなんて嘘……__卒業前に、父から戻れ、という手紙をもらってしまって早まっただけ」

 __他にも、たくさん……色々……。

 そうしなければ、ここには居られなかった。

 ここに居るための条件であった。

「もう、いいの。そもそも故郷に戻ることを考えていたのだから、卒業なんて__」

「それこそ、嘘だろう」

 言う先を制するように、彼が強く言い放つ言葉に、キルシェは息を詰める。

 彼を見れば、かなり険しい顔になっていた。

「私が、婚姻の承諾を得に君の養父君にお会いして、話をつける。そうすれば__」

「やめて!」

 皆まで言わせず、ほぼ反射的にキルシェは声を張り上げていた。

 普段、これほど声を張ることがないから、初めて目の当たりにしたリュディガーは面食らったように息を詰めた。

「父には、関わらないで」

 喉の奥__胸の奥で、ぐるぐる、と何かが渦巻いている。競り上がって来そうなそれを鎮めようと、キルシェは深く深呼吸を一度してから口を開いた。

「父は容赦ないわ。貴方は、父の記憶にとどまるべきじゃない。自分の人生を大事にして」

「それは、君だって」

「私は、これで、いいの」

 今度は静かに、それでいて一語一語を強めて言う。

「貴方も、父と同じように自分の思惑通りにしようとしているとは思わないの? 私は……もう戻ると決めているのに。戻るのは、もともと決めていたことなのよ」

「だが__」

「__不幸だと、決めつけないで」

「__っ」

 キルシェはリュディガーの顔を見ていられなくなって、視線を断ち切りその場を立ち上がる。

「父にとって、龍騎士はよくて大隊長以上でなければ、自分にとっての利益とは思わないわ。そんな父にとって貴方は、名家であればいざしらず、叩き上げのただの龍騎士でしかない。__養子だと知れたら、尚更面白く思わないわ」

 __よくもまぁ……するするとこんなことを……。

 ぎりぎり、と胸の奥底が痛む。

 厭味ったらしく言い放つことが、これほど苦痛とは知らなかった。

 __ごめんなさい、リュディガー。

「……私と貴方は、これ以上一緒にならない運命だったのよ」

 __一緒になってはならないの……。

 今更ながら、わかっていたことなのに、どうして甘い夢を見たのか。

 __私は、愚かで嫌な女だわ。最低の。

 傷つけるとは、容易に想像できたのに、流された。

「__同じ大学に通った、同窓というだけの仲」

 顔を伏せて言いながら、彼の横を通り過ぎようと歩みだす__が、そこで手を掴まれた。

「キルシェ」

 名前を呼ぶ彼の声には、待ってくれ、と言う気持ちが滲み出ていたが、キルシェは顔を向けることをしなかった。

「……貴方は、私の何も知らない。知らないままのほうがいい」

「キルシェ?」

 名を呼ばれて、はっ、と我に返る。それは意図せず溢れていた言葉だった。

「……これ以上は、もうやめましょう」

 やや強く手を振りほどいて、キルシェはその場を離れる。

 一歩、二歩__とそこで一度歩みを止めた。

「色々と気にかけて下さって、ありがとう。でもこうしたことは、そう珍しいことでもないのよ」

 背中を向けたままそう言って、彼の言葉を待たずに再び歩み始める。

 一歩一歩が重いのは何故だ。

 目の奥が熱いのは何故だ。

 鼻が痛むのは何故だ。

 視界が滲んでしまうのは何故だ。

 胸が軋むように痛むのは何故だ。

 いっそ消えてしまえたら、と思ってしまうのは何故だ。

 __私がキルシェ・ラウペンだから……。
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