【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
88 / 247
帝都の大学

令嬢への礼節

しおりを挟む
 ビルネンベルクはにんまり、とした顔で口を開いた。

「さっき、君たちが席を離れているとき、リュディガーが明日の粘土板の運搬を手伝ってくれるということになったのだよ」

「左様でしたか」

「師匠想いの弟子を持って、本当に私は恵まれているなぁ」

 はは、と大げさに笑うビルネンベルクにリュディガーが渋い顔をする。

「まだ仰いますか……。コンブレンでの作業ということをあのとき添えてくださっていれば、手伝いにいっていました、と先程も申し上げたでしょう……」

 頭を抱えるリュディガーにキルシェはくすり、と笑う。

「すごく助かります。意外と嵩張って多いので……」

「すまない。コンブレンだと知っていたら、本当に手伝いには行っていたんだ」

 不本意だ、と言わんばかりに重ねて詫びるリュディガーに、キルシェは苦笑を禁じ得ない。

「分かっていますよ」

 __お墓参りもあって、そんなに心に余裕があったとは思えないのに……。

 彼らしいといえば、彼らしい。

「明日の活躍を期待しています」

 期待していてくれ、と笑って言い、姿勢を改めて正してキルシェへと向き直る。

「__では、これで」

「お気をつけて。__また明日、ですね」

「ああ」

 ぐっ、と片方の口角に力を込めるように上げて笑うリュディガーは、何かに気づいたように、そちらへ顔を向ける。

「__あの絵……」

 キルシェは彼の言葉に、そちらを向いた。

 広間の大きな暖炉。その上の大きな古い肖像画の横に、それよりは小振りな絵画があった。そこには、キルシェが纏う服と同じ物を身にまとった、貴婦人の肖像画が掲げられている。

「あれは昔の私ね。20年は前かしら」

「さすが、お変わりない」

「あら、まぁ。お上手ですわね、さすがビルネンベルク侯。__ちょうどあの服……キルシェさんにお召いただいている服を誂えたときだったわね」

 ふふ、と笑う夫人の言葉に、リュディガーは僅かに目を見開いて、キルシェへと顔を向ける。

「それは、自前じゃないのか」

「ええ。こんな上等なもの、私持っておりません。ブリュール夫人からお借りしたの」

「お貸しするから、是非キルシェさんにも、と無理を言ったのよ」

 目をぱちくりさせるリュディガー。

「……では、本当に」

「何だ、私の話を信じていなかったのかい?」

「……と申しますか、先生とキルシェの登場に驚きすぎて、説明が頭に残っていなかったのです」

 なるほどそういうことか、と独りごちてその絵を見上げるリュディガー。

「__私の自慢の娘ですの」

 ブリュール夫人が上品に笑いを含ませた声で言いながら、キルシェの背後から両肩に手を置いてリュディガーに示す。

 ブリュール夫人の紹介に、面食らうリュディガー。しかし、恭しくキルシェが淑女の礼を取ってみせれば、人の悪い笑みを浮かべた。

「ブリュール伯爵家にご息女がいらっしゃるとは、存じ上げなかった」

「ええ。私の秘蔵っ子ですので。__ビルネンベルク侯もご存知でなかったはずですよ」

 一同の視線を受けたビルネンベルクは、両手をあげて肩をすくめる。

「ご挨拶が遅れました。__はじめまして、キルシェ・ブリュールです」

 キルシェは握手を求めて手を差し出す。

「はじめまして、キルシェ嬢。リュディガー・ナハトリンデンです」

 その手を取ったリュディガーは、しかし握手ではなく、その手を__手の甲を上へと向けさせると長身を屈め、口づけを落とす。

「__っ」

 想像の範囲外の行動をされ、キルシェは心臓が弾み、反射的に手を引こうとするのだが、その動きを察知したリュディガーがつぶさにしっかりと掴んで阻止をした。

 それはおそらく、二人の間でしかわからないこと。

 何を、と更に驚かされたキルシェは手からリュディガーの顔へと視線を移して、真意をさぐろうとした。

 __眼が……。

 彼の深い蒼い双眸。それがどうにも苛烈にキルシェには映って見える。苛烈と言えど、キルシェらのおふざけに立腹というわけでもなさそうなそれ。

 では何故、そんなことを__こんな眼をするのかがわからない。

 目は口ほどに物を言うと言う。それにのっとって、彼の眼から理由を探ろうと思うのだが、じっと見つめてくる圧力に、怯んでしまってままならない。

お母上夫人に似て、美しくてあらっしゃる」

 手をそのままに、リュディガーは身を起こした。

「は、母の服ですから……その所為です」

「この子、何を着たって似合うのよ」

 上品に笑う夫人。対して自分は強ばった笑顔だろう。

 心臓が早鐘を打って、それさえも見透かしそうな彼の視線。一刻も早くこの彼から逃れたくなった__が、それさえ彼が許さないように思われた。

 __現に、手を離してくれない。

 そうした様々な要因からくる動揺が顔に出ていたのか、それとも知ってか知らずか、唐突にリュディガーが小さく笑った。

「以後、お見知り置きを」

 リュディガーはいつもの穏やかな顔でそう言うと、やっとキルシェの手を離した。

 __何、動揺しているの……ただの挨拶でしょうに……。

 確かに予想外ではあるが、社交ではよくある挨拶ではないか。しかも少し前に、デッサウにもされていた。その時は、ただの挨拶として受け入れられていたではないか。

 __そうよ……、挨拶。ただの挨拶。

 ここへ来た時、彼は自分や先生の存在を初めて知って、挨拶もままならなかった__否、していなかった。よく知る仲だし、毎日のように会っている間柄だから、改まった場でも挨拶しなくても気にはならない。ならなかったのだ。

 __よく知る仲……。

 よく知る彼が、こんな行動を自分にするとは思っても見なかったことが、動揺を誘っているのだろう。

 __きっと、それだわ。

 リュディガーはとても誠実で、紳士な振る舞いが自然とできる為人なのは間違いない。その彼が、普段とは違う礼装姿で、淑女令嬢に対する礼節を以って、自分に接することがあろうなどと、想像さえしてこなかった。

 それ故に驚き、動揺したのだ。

 キルシェは彼に口付けられた手の甲を抑えるように、下腹部のあたりで握り込んだ。それは傍から見れば、よくある淑女の佇まい。キルシェも常にそうしている立ち方である。

 __でも、さっきのあの眼は……。

 改めて彼を見れば、彼の双眸には先程の苛烈さは見当たらなくて、キルシェは内心首をかしげる。

「__おいおい、私の一番の気に入りに気障きざなことをしてくれるなよ」

 ビルネンベルクがくつり、と笑いながら言う。

「ご令嬢への礼節でしょう。それに、私も気に入りの学生だ、とドレッセン夫妻にお話されておられたではありませんか」

「君の場合は、いじり甲斐がある気に入り、ということだよ。ラウペン女史の有能さとはまた違う」

 なぁ、とキルシェの肩に手を置いて同意を求めるビルネンベルクに、苦笑を浮かべて返す。

「__それでは、失礼します。夫人、ありがとうございました」

「いえ、いいのよ。私こそ、ご一緒できて嬉しかったですわ」

 リュディガーは夫人の手を取って口づけて、玄関の扉をくぐる。

 それに続くように、最後の客を送り出すため、皆も外へと出た。

 夜の風が、火照った頬に心地良い。

 静かに肺いっぱい吸っていれば、リュディガーが車へと乗り込んだ。そして、動き出した車の窓から会釈をする彼。

 その馬車のカンテラが、梢の彼方に見えなくなるまで見送る__終に見えなくなって、キルシェはため息を零す。

 どうやら知らぬ間に、緊張をしていたらしい。

 __動揺しすぎですし……まだまだだわ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

処理中です...