【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
68 / 247
帝都の大学

境界ノもの

しおりを挟む
 川辺の道は、ひたすらに北上していく。

 いくつかの分岐を経ていくとどんどん川は細くなって、遂には川に沿う道は無くなった。それでもリュディガーは構わず進む。

 道はないように思われたが、踏み入ると、獣道のように少しばかり下草の生育が悪いところが続いているのがわかった。

 夜空はいつの間にか薄雲が広がり始めていて、月明かりは弱くなり、ある意味道なき道を行く今はリュディガーが持つカンテラの明かりが重宝した。

 少し離れた道にあった人の気配も、だんだんと身の丈を増して増えてきた草木に阻まれて遠のく。

 ヒトの領分から遠ざかる感覚とでもいうのか、キルシェは蛍が見られると弾んでいた心が緊張していくのを実感した。

 ひやり、とする風が川を滑ってきて、弦楽器を収めた袋を持つ手で胸元を押さえ、半歩前を行く案内人に少し身を寄せる。風の冷たさに驚いた、というよりも、その風が来る方へ向かっているということにおののいているのだ。

 夏至を過ぎた昨今、日は高くなり昼間は汗ばむ陽気。そして夜は、風が清涼で涼ませてくれる__が、この風は涼しいという度を越えて、寒いと言ってもいいほど。

 __どこまで行くのかしら……。

 やがて歩んできた道は、林の中へと至った。下草は伸び、リュディガーが踏んだ後を続かざるを得ない。

 せせらぎの音は小さく儚げになってきて、見れば川は沢という様相__下草に隠れてどの当たりを流れているのか、音で何となく分かるぐらいになってしまった。

 暗さを増した周囲。空を見れば、枝葉で覆われていて、頼りは本当にリュディガーの持つカンテラだけになった。

 暗さ、寒さ、そして静けさ__視界の端で何か見てはいけないものが現れそうで、気配を殺すように息を潜め、じっと足元へ集中するキルシェ。

 そうしていると、突然頭が前を行くリュディガーにぶつかった。

「ごめんなさい」

「いや、私こそ突然止まったのがいけなかった」

 そう言いながらも、リュディガーは視線を一切前から外さない。そして彼は腰に提げていた小ぶりの合切袋がっさいぶくろを外し、手探りで中から手のひらほどの小さい皿を取り出した。

 それはまったく飾り気のない、質素な素焼きの土器かわらけだった。

 彼は視線を前に向けたまま、静かにその場に屈むと、合切袋から小瓶を取り出して、土器に注ぐ。そして、それをやおら額より上に掲げた。

 風にのって、キルシェの鼻に新たな香りが届く。

 __お酒……?

 おそらく、リュディガーが注いだものだろう。

 そして彼は、それを下草をかき分けて脇に丁寧に置いた。それを見守るキルシェは、ふと視界の端__リュディガーが見つめている先に違和感を覚えて視線をゆっくりと向ける。

「__っ」

 そこには、ひとつの影があった。

 思わず息を詰めたキルシェに、リュディガーがそのままの姿勢で手をあげる。動くな、と言われているのだとわかり、身体を強張らせて留まる。

 動くな。口を開くな。静かに待て__と。

 影には2つの爛々と黄金色に輝く相貌があり、静かにこちらを__間違いなくまっすぐリュディガーを見据えていた。

 よくよく見ればそれは黒い狐で、風格と貫禄があるその狐は、ゆるく豊かな尾を振るう。

 今は夏にむけて毛が生え変わる時期のはずなのに、その狐は一切のみすぼらしさはない。

 __まるで冬毛のまま……。

 その異質さにキルシェは眉をひそめた。

 狐の、黄昏時の色を称えたような黄金色の相貌が、細められた。それはこちらを吟味しているようだった。

 こちらを吟味すること暫し。やがて、ふわりと尾を振るって立ち上がると身を翻して、林__否、森のほうへと消えていった。

 逃げる風でもなく、ただただ凛として、勇壮に。

 ふぅ、とリュディガーは息を吐いて挙げていた手を下げると、その場にゆらり、と立ち上がった。

「よく察してくれた、キルシェ」

 ありがとう、と言う彼はそこではじめてキルシェを振り返った。とても穏やかな笑みで、終わったのだと教えてくれる。

 __でも何が……?

「君にまさに説明しようとしたところに、あれが現れてしまって……すまなかった」

 首を振るのが精一杯だった。

「__あれは、ここら一帯の主だ。正確には、ここから先の境界を守るものだが」

 わからない、と首をかしげれば、リュディガーは少し身体をずらして、前を示した。

三苑みつのそのとの境目がこの先にある。そこに間違って踏み入れぬように見張っているんだ」

 三苑。禁域とはされていないものの、進入禁止とされているそこは、帝都で一番森が深い。

 禁域である一苑ひとのその二苑ふたのそのとの干渉地という役割もあり、手つかずのままの領域である。 

「じゃあ……蛍は__」

「三苑との境界だ。あそこは四苑との境界があやふやで、さっきのあれは奥へ踏み入れたくならぬように仕向けている。このあたりもその余波が__少しばかり怖気づいていただろう?」

「ええ……てっきり暗いからだと……」

 そう素直に言えば、リュディガーは視線で足元に置いた土器を示した。

「通ってよい、と。__龍騎士だったから、この程度で融通が利く」

「どういうこと……?」

「__機密事項だ」

 くつり、と笑い冗談めかして言うリュディガーは、先を促した。

 疑問はいくつもあるが、とりあえずは彼の促しに従うキルシェ。

 そして、狐が佇んでいたあたりに差し掛かったところで、おもむろにリュディガーが足元から明かりを遠ざけて歩みを止めた。

 直後、あたりが暗闇に呑まれる。__カンテラの灯りが消えたのだ。

 ひっ、と身体を弾ませたキルシェは、大きな背中の服を掴む。

 __今度は何?!

 すると、くつくつ、とその背中__身体が笑いに震えているので、彼がなにかしらしたのだろうと察せられ、首を背中の陰から出してみる。

 カンテラの扉を締める様が目に入り、彼が吹き消したのだとわかった。

「リュディ__」

 抗議しようと口を開くのだが、リュディガーに奥を指し示されてそちらへ注意を向けた途端、言葉を失った。

 彼の身体に遮られて気づけなかったが、とても寒い風が吹いてくる。その風に乗って、すぃっ、と点が流れるように__滑るようにこちらに飛んできていた。

 だがまっすぐ飛んでいたかと思えば、突然右へ行ったり左へ行ったり、と定まらない。ただ風に乗っているだけにしては不自然な動きの光は、黄色とも緑とも言えるもの。

 ひたすらにそれは朧げで、時折消えては再び姿を現す、まさに幽玄な光景だった。

「月明かりならまだしも、カンテラの明かりは強すぎて、蛍の目には毒なんだそうだ」

 __蛍……と言った?

 目が釘付けになるそれ。その一点の光。

 あれが、とキルシェは、胸が高揚した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

処理中です...