【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
54 / 247
帝都の大学

矢馳せ馬

しおりを挟む
「__冗談はさておき、私としては修了でよいと思うが、君は不服かね?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

「達成感がないのでしょう、彼は」

 なるほど、とデリングはビルネンベルクの言葉に顎を擦る。

 思いも寄らない形で、こうもあっさり終わってしまったという事は、これまで一番時間を割いてきた彼には不本意で釈然としないことだろう。キルシェでさえ、これでいいのか、と微かにでも思っている節があるのだから。勿論、修了できたことは嬉しいことなのだが__。

 __そうは言っても、私が卒業までに終わらせられてよかったわ。

 これで心残りなく、卒業ができる。

 教官が言うように、あとは堅実にひとつひとつ学を修めていけばよい。彼のことだから、そちらについては何ら心配していない。

 少しでも遅れを取り戻したほうがいいだろう、と思いたち、彼が療養施設に留まることを余儀なくされていた一日二日だけだが、講書の真似事をしてみて、彼はとても飲み込みが早くものにしてしまうことがよくわかった。
 
 __彼の様な人が、政の要にあってくれればよりいいのだろうけれど。

 文官としてもやっていける能力はある、とキルシェは断言できる。

 為人も備わっている彼。自身の至らないところに気づき、それを補い、自分で補えなければ外に求め、生かす。

 私は、人望がない__何かの折に彼がそう言っていたが、それは当人がそう思い込んでいるだけで、今日に至るまで大学内や龍帝従騎士団で見かけた限りでは、人望がないということはない。

 __私以上に、人望がない人間もいないわよね……。

 キルシェはひっそり、と自嘲した。

「__まあ、できれば、今後も鍛錬は続けるべきではあるがね」

 無論です、とリュディガーは頷いた。

「__全て彼女がお膳立てしてくれたからこそ、と言えますから」

 リュディガーは言いながら、並んで会話を聞くに徹していたキルシェへと顔を向ける。

 その顔の穏やかなこと。キルシェが面食らうほどであった。

 __何……?

 彼が柔らかい表情をすることは、それなりにあるが、これほど柔らかい顔を見せたことは果たしてあっただろうか。

「ラウペン君」

「は、はい」

 少しばかり動揺していたところに名を呼ばれ、キルシェは身体を弾ませた。

「君も、ご苦労だったね。よく見放さないでいてくれた。私は、彼に与える助言がもうなかったし、学生ひとりにかかりきりにはなれなかったから、君の存在は大きい」

 弓射と馬術は必修。修了した者は手を掛けなくていいとはいえ、その規模たるやビルネンブルクを多いに凌ぐ。

 これらの必修は、教官を分けることも話されているが、それはなかなかいかない理由があった。

「私の見立ては悪くないだろう」

 まったくだ、とデリングとビルネンベルクは互いに笑う。

「__そこで、だ。ナハトリンデン君」

「はっ」

「冬至の矢馳やばうま、君に頼もうと思うのだが」

 リュディガーは、またも目を剥き固まる。

「ヘアマンが、今度の冬至の矢馳せ馬の人材ならもう居るはずだ、と言ってきてね。誰かと問えば、ナハトリンデンだ、と」

 __ヘアマン……?

 キルシェは小首をかしげるが、並ぶリュディガーは表情を強張らせた。

「ヘアマン……とは、まさか__」

「お察しの通り、ヘアマン・フォン・イャーヴィス元帥閣下だ」

 ビルネンベルクがさらり、と言い放つ言葉にさすがのキルシェも息を詰め、リュディガーと顔を見合わせる。

 イャーヴィス元帥__先日、リュディガーの覚醒度合いが浅い頃、様子をみに来たという御仁。白髪交じりの金の御髪、そして整えられた髭の上品な紳士。穏やかな雰囲気を纏っていたが同時に貫禄も備わっていて、一度しか接見していないキルシェでも、とても強く印象に残っている。

「__やってくれるかね?」

 矢馳せ馬は、夏至祭の催し。たしかに一般的にはそうなのだが、実のところ冬至にも行われている。

 冬至の矢馳せ馬は、一般の目につかないもの。それもそのはず、儀式めいた側面がより押し出される。夏至の矢馳せ馬の者とは別の者が選出されるのが慣わしで、これは技術継承のため、できる人材を多く確保しておきたいという狙いがあった。

 龍帝一門、神官の長の教皇、文官の長の大賢者、武官の長の元帥、そして各九州侯等という面々が揃い執り行われる宮中の祭りで、魂振儀たまふりのぎと呼ぶ。

 日輪は帝の象徴__帝国においては龍帝の象徴とされている。

 その日輪の力が最も弱まり陰る冬至に、再び息吹を取り戻すように、という祈りの儀式の一環で矢馳せ馬は奉納される。

「お待ちを。私はようやっと、このような温情の大盤振る舞いで修了と見なされたような腕です。それがどうして矢馳せ馬に選ばれるのか……」

 キルシェはリュディガーの言葉に眉をひそめた。

 __本当に、自覚がないのだわ……。

 たまたま遭遇し、会話を交わした件のイャーヴィス元帥は、彼の弓__それも限定的だが__は評価していた。

「謙遜を」

「いえ、謙遜などではなく__」

「……あの、リュディガー」

 恐る恐る、キルシェが口を開けば、一同の視線を一気に受ける。それに一瞬怯みながらも、リュディガーに顔を向けて言葉を続けた。

「__リュディガー、貴方なら、矢馳せ馬できるはずよ」

「いや、だから、やっと弓射を通過できたような実力だぞ、私は。君まで何を言い出すんだ。一番私の実力を知っているはずだろう」

「イャーヴィス元帥閣下が、そう評価していらしたの、私この耳で聞いたの。ほら、元帥閣下からご助言を頂いたって言ったでしょう? その時に」

 何、とリュディガーが眉をひそめる。

「先日の魔穴でのこと。龍に跨って、矢馳せ馬のような状態で、連続五射のうち四矢は当てていた、と。それも、これまでもそうした話があった、と……ほぼ一瞬なめるようにして見て射掛ければ、かなりの高確率で当たっていた__そう仰っていたわ」

「馬鹿な。そんなことは」

「実感がないかい?」

 あるわけございません、とはっきりと答えたリュディガーに、ビルネンベルクは肩をすくめて笑む。

「__そう言うと思って、ちょっと証言を取ってきたんだ。仲間内では、リュディガー、君が弓が苦手という認識はないらしい」

 信じられない、と言わんばかりの顔で、リュディガーはキルシェに顔を向けるものの、キルシェは苦笑を浮かべて頷くしかできない。

「キルシェの言う通り、先日の魔穴のときもそうだったらしい」

「確かに矢は使いましたが、あれこそもう牽制になれば御の字、という程度の認識で__」

 リュディガーの言葉を、デリングは手を翳して制する。

「弓射があまりにも上達しないようなら、矢馳せ馬をさせてみて、その結果いかんで修了としようか、とも考えていたほどなのだよ。ハウマンが話を盛って言うはずがないのだから、試してみるか、と」

 デリングが弓射と馬術の教官をふたつともこなしているのは、その中で矢馳せ馬の見込みのある学生を見出すためである。

 故に、別の教官に分けてしまっては具合が悪く、教官2人の意見を擦り合わせての見込みを見出すほうが効率が悪くなるから、分けるに分けられないのだ。

「というわけで、やりたまえ。ナハトリンデン君。弓射で合格できてしまえば、もはや不安な部分は私にはない。しかも学生で一番の注目株なんだから、これ以上の人材はいないときた。__やらせるしかあるまい?」

「デリング先生……」

 珍しく困り果てた声を上げるリュディガーに、デリングは笑みを浮かべて腕を組む。

「いいじゃないか。一頭龍小綬章を下賜されたのなら、矢馳せ馬を奉納する名誉までも掠め取れば。ついでだよ、ついで」

 くつくつ、とビルネンベルクに笑われ、リュディガーは呻いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる

仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。 清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。 でも、違う見方をすれば合理的で革新的。 彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。 「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。 「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」 「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」 仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。

傷物令嬢は騎士に夢をみるのを諦めました

みん
恋愛
伯爵家の長女シルフィーは、5歳の時に魔力暴走を起こし、その時の記憶を失ってしまっていた。そして、そのせいで魔力も殆ど無くなってしまい、その時についてしまった傷痕が体に残ってしまった。その為、領地に済む祖父母と叔母と一緒に療養を兼ねてそのまま領地で過ごす事にしたのだが…。 ゆるっと設定なので、温かい気持ちで読んでもらえると幸いです。

【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?

雨宮羽那
恋愛
 元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。 ◇◇◇◇  名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。  自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。    運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!  なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!? ◇◇◇◇ お気に入り登録、エールありがとうございます♡ ※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。 ※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係

ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________

【完結】契約結婚。醜いと婚約破棄された私と仕事中毒上司の幸せな結婚生活。

千紫万紅
恋愛
魔塔で働く平民のブランシェは、婚約者である男爵家嫡男のエクトルに。 「醜くボロボロになってしまった君を、私はもう愛せない。だからブランシェ、さよならだ」 そう告げられて婚約破棄された。 親が決めた相手だったけれど、ブランシェはエクトルが好きだった。 エクトルもブランシェを好きだと言っていた。 でもブランシェの父親が事業に失敗し、持参金の用意すら出来なくなって。 別れまいと必死になって働くブランシェと、婚約を破棄したエクトル。 そしてエクトルには新しい貴族令嬢の婚約者が出来て。 ブランシェにも父親が新しい結婚相手を見つけてきた。 だけどそれはブランシェにとって到底納得のいかないもの。 そんなブランシェに契約結婚しないかと、職場の上司アレクセイが持ちかけてきて……

処理中です...