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帝都の大学
一握りの石
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去っていくラエティティエルの背を見ながら、リュディガーが大きく息を吐いた。
「祈らせるほど心配をかけてしまったようで……すまなかった」
「リュディガー……」
リュディガーは早速置かれたカップのお茶を手にとって、一口飲んだ。そして、景色のどこを見るともなく眺める。
「__勝算があったからな」
「勝算?」
リュディガーは無言で衣嚢に手を入れ、何かを取り出した。手の中にはふたつ。ひとつは、龍騎士の紋章の一部__一頭の鷲獅子のみが施された、光沢のあまりない銀鼠のメダリオン。
それは認識票。背面に認識番号と所属部隊、氏名等の個人情報が彫られていて、通常であれば龍騎士の制服の首元に提げられている。
彼は暇をもらっている大学生活でも、召集に備えて首から提げていた。しかしながら、服の下へと忍ばせていた上、襟のある服を着崩さず着ていることが多かったから、彼が襟元を寛げたりしない限り見られることはない。
キルシェもこれまで弓射の鍛錬後に数回、ちらり、と認識表をさげる為の鎖が見えた程度だった。
リュディガーはその認識票を衣嚢へ戻してしまうから、残るもうひとつの取り出したものが、彼の目的のもののようだ。
それは、一握りの石だった。
黒い石で、ごつごつとしたどこにでもあるような形状で、滑らかなところもあれば、凹んでいたりざらついていたりしている表面だ。
何の変哲もない石であるが、大きさ形からキルシェの記憶に引っかかる。
__たしか、これ……。
キルシェがじっと吟味していれば、リュディガーがふっ、と笑う。
「これを、レナーテル学長から餞別に頂いていたから」
__学長から、ということは……間違いない。
「それ……私が以前、学長のお使いで出向いたお店で、ゴミだと言われた中にあったものをもらってきたものよ」
リュディガーが、目を見開いて視線を向けてくる。
「何だって? 君が?」
「何か引っかかって……学長にお見せしたら、いい目をしている、と言われただけだったわ」
__あのときは、もっと白い部分があったように思ったのだけれど。
「これは、影身玉というものだ。我々のような魔穴へ入ることがある龍騎士等は、携行している石。瘴気から守るもので……身代わりに一時的になるというのか……そういった代物だ。よく見つけたな。結構な高価なものだ」
「そうなの」
こうして改めてみると、どうしてこれに目が留まって、わざわざもらってきたのかがわからないほど、どこにでもあるような黒い石だ。
「ここ。__ここによく見ると筋が走っているのがわかるだろう。この筋を目とか、筋目と呼ぶが、これをたどってみると八角形をしているのがわかるか?」
どれ、とキルシェはリュディガーが示す面を凝視する。
「……そう、かしら」
「撫でてみると、わかりやすいかもしれない」
リュディガーの指が撫でる様を真似して、優しく指先で撫でてみると、うっすら見えていた筋がわずかな質の違いで生じる摩擦が伝わってわかりやすかった。
それを、まさしく手探りで辿っていくと、ほぼ中心から放射状に八方向に筋が走っているのだと知れる。
そして、指を離して改めて表面を見れば、一度認識したからだろう、今度は筋目を目で追うことができた。よくよく注意してみないとただの傷にしか見えないが、傷ではない白い筋が断続的にある。
「これが、筋目ね。この白いところ。八角形というか八方向に伸びている」
「そう、それだ」
「そういえば、当時、この筋が白くもっと見えたのだったわ……。これ、色が薄れるものなの__」
と、問いかけながら顔を上げれば、石を凝視していたからかなり身を寄せていたらしく、思いの外リュディガーが__彼の顔が近くにあった。
「いや、変わらないはずだ。そういうことなら、審美眼があったのかもしれない」
彼の穏やかな蒼の目は、うっすら深い紫色を内包して澄み渡っている。苛烈な印象もあるが、病み上がりで雰囲気が丸くなったのか、柔らかい印象の目元だ。
その目元に影を作る、いつもなら整えられているはずの前髪、少し痩けた頬、無精髭、薄く笑む口元__。
これほど懐近くで見たことがないから、どきり、としてしまったキルシェは、動揺を押し殺そうと手を握り、平静を装って、ゆっくりと身体を戻す。
「これは中の石の筋目が出ているんだ。これが影身玉の原石の見分け方のひとつ」
「えぇっと……中のというと?」
そして、気づかれないよう深呼吸をしつつ自身をおちつける。
「中の石が本命。これは別の石__母岩に覆われているということだ」
「そうなの。割れば出てくる?」
「いや、割るのはおすすめしない。不純物のまじり具合などで、筋目で割れてしまって、効果が落ちてしまうこともあるから、研磨をして剥き出しにする」
「これは、しないの?」
「研磨するのは他の石と見分けをつけるためで、人為的に生み出すときには剥き身の影身玉を使ったほうが魔素を入れ込みやすいからと聞く。これは天然物でもかなりの質が良いものだ。そもそも影身玉はこのままでも十分に効果を発揮するから、こだわりがないのであればしないことが多い」
そこまでいうと、リュディガーは口角に力を込めて、ぐっ、と笑む。
「だから、これがただの石じゃないと見抜けたのなら、かなりの審美眼の持ち主だ」
「そ、そう……」
リュディガーが、幾分か高揚したように称賛を浴びせるので、あまりにも自覚がないキルシェはたじろぐ。その様子に、くつり、と笑った彼は、手の中の石へ視線を落とした。
「……これがなかったら、私は今ここにいなかったかもしれない」
「え……」
リュディガーは自嘲気味にいうのだが、その言葉はキルシェの心臓を縮み上がらせるものだった。
__これがなければ、彼は賭けになんてでなかった……ということ……?
ただ気になって学長へ見せただけだ。そして、学長に託した。学長なら有用に使うことに間違いないからだ。
__でも、それはこんなことでは……こんな……。
巡り巡って彼の手に渡り、そうして彼は危険な淵に佇んでいた。
ひやり、とした、寒々しい心地がしてならない。
「__なんというものを見つけてしまったの……私は」
「……キルシェ?」
怪訝にする声に、キルシェは我に返る。
その言葉はつぶやくつもりはなく、口から漏れ出てしまっていた苦しい想いだった。
「祈らせるほど心配をかけてしまったようで……すまなかった」
「リュディガー……」
リュディガーは早速置かれたカップのお茶を手にとって、一口飲んだ。そして、景色のどこを見るともなく眺める。
「__勝算があったからな」
「勝算?」
リュディガーは無言で衣嚢に手を入れ、何かを取り出した。手の中にはふたつ。ひとつは、龍騎士の紋章の一部__一頭の鷲獅子のみが施された、光沢のあまりない銀鼠のメダリオン。
それは認識票。背面に認識番号と所属部隊、氏名等の個人情報が彫られていて、通常であれば龍騎士の制服の首元に提げられている。
彼は暇をもらっている大学生活でも、召集に備えて首から提げていた。しかしながら、服の下へと忍ばせていた上、襟のある服を着崩さず着ていることが多かったから、彼が襟元を寛げたりしない限り見られることはない。
キルシェもこれまで弓射の鍛錬後に数回、ちらり、と認識表をさげる為の鎖が見えた程度だった。
リュディガーはその認識票を衣嚢へ戻してしまうから、残るもうひとつの取り出したものが、彼の目的のもののようだ。
それは、一握りの石だった。
黒い石で、ごつごつとしたどこにでもあるような形状で、滑らかなところもあれば、凹んでいたりざらついていたりしている表面だ。
何の変哲もない石であるが、大きさ形からキルシェの記憶に引っかかる。
__たしか、これ……。
キルシェがじっと吟味していれば、リュディガーがふっ、と笑う。
「これを、レナーテル学長から餞別に頂いていたから」
__学長から、ということは……間違いない。
「それ……私が以前、学長のお使いで出向いたお店で、ゴミだと言われた中にあったものをもらってきたものよ」
リュディガーが、目を見開いて視線を向けてくる。
「何だって? 君が?」
「何か引っかかって……学長にお見せしたら、いい目をしている、と言われただけだったわ」
__あのときは、もっと白い部分があったように思ったのだけれど。
「これは、影身玉というものだ。我々のような魔穴へ入ることがある龍騎士等は、携行している石。瘴気から守るもので……身代わりに一時的になるというのか……そういった代物だ。よく見つけたな。結構な高価なものだ」
「そうなの」
こうして改めてみると、どうしてこれに目が留まって、わざわざもらってきたのかがわからないほど、どこにでもあるような黒い石だ。
「ここ。__ここによく見ると筋が走っているのがわかるだろう。この筋を目とか、筋目と呼ぶが、これをたどってみると八角形をしているのがわかるか?」
どれ、とキルシェはリュディガーが示す面を凝視する。
「……そう、かしら」
「撫でてみると、わかりやすいかもしれない」
リュディガーの指が撫でる様を真似して、優しく指先で撫でてみると、うっすら見えていた筋がわずかな質の違いで生じる摩擦が伝わってわかりやすかった。
それを、まさしく手探りで辿っていくと、ほぼ中心から放射状に八方向に筋が走っているのだと知れる。
そして、指を離して改めて表面を見れば、一度認識したからだろう、今度は筋目を目で追うことができた。よくよく注意してみないとただの傷にしか見えないが、傷ではない白い筋が断続的にある。
「これが、筋目ね。この白いところ。八角形というか八方向に伸びている」
「そう、それだ」
「そういえば、当時、この筋が白くもっと見えたのだったわ……。これ、色が薄れるものなの__」
と、問いかけながら顔を上げれば、石を凝視していたからかなり身を寄せていたらしく、思いの外リュディガーが__彼の顔が近くにあった。
「いや、変わらないはずだ。そういうことなら、審美眼があったのかもしれない」
彼の穏やかな蒼の目は、うっすら深い紫色を内包して澄み渡っている。苛烈な印象もあるが、病み上がりで雰囲気が丸くなったのか、柔らかい印象の目元だ。
その目元に影を作る、いつもなら整えられているはずの前髪、少し痩けた頬、無精髭、薄く笑む口元__。
これほど懐近くで見たことがないから、どきり、としてしまったキルシェは、動揺を押し殺そうと手を握り、平静を装って、ゆっくりと身体を戻す。
「これは中の石の筋目が出ているんだ。これが影身玉の原石の見分け方のひとつ」
「えぇっと……中のというと?」
そして、気づかれないよう深呼吸をしつつ自身をおちつける。
「中の石が本命。これは別の石__母岩に覆われているということだ」
「そうなの。割れば出てくる?」
「いや、割るのはおすすめしない。不純物のまじり具合などで、筋目で割れてしまって、効果が落ちてしまうこともあるから、研磨をして剥き出しにする」
「これは、しないの?」
「研磨するのは他の石と見分けをつけるためで、人為的に生み出すときには剥き身の影身玉を使ったほうが魔素を入れ込みやすいからと聞く。これは天然物でもかなりの質が良いものだ。そもそも影身玉はこのままでも十分に効果を発揮するから、こだわりがないのであればしないことが多い」
そこまでいうと、リュディガーは口角に力を込めて、ぐっ、と笑む。
「だから、これがただの石じゃないと見抜けたのなら、かなりの審美眼の持ち主だ」
「そ、そう……」
リュディガーが、幾分か高揚したように称賛を浴びせるので、あまりにも自覚がないキルシェはたじろぐ。その様子に、くつり、と笑った彼は、手の中の石へ視線を落とした。
「……これがなかったら、私は今ここにいなかったかもしれない」
「え……」
リュディガーは自嘲気味にいうのだが、その言葉はキルシェの心臓を縮み上がらせるものだった。
__これがなければ、彼は賭けになんてでなかった……ということ……?
ただ気になって学長へ見せただけだ。そして、学長に託した。学長なら有用に使うことに間違いないからだ。
__でも、それはこんなことでは……こんな……。
巡り巡って彼の手に渡り、そうして彼は危険な淵に佇んでいた。
ひやり、とした、寒々しい心地がしてならない。
「__なんというものを見つけてしまったの……私は」
「……キルシェ?」
怪訝にする声に、キルシェは我に返る。
その言葉はつぶやくつもりはなく、口から漏れ出てしまっていた苦しい想いだった。
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