【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
16 / 247
帝都の大学

朋友

しおりを挟む
 グラスを置き、そこで目に留まったのは花瓶に活けられた花__鈴蘭。

「__そういえば、大学の敷地内の群生地、かなり咲き揃ったな」

 リュディガーがキルシェの見つめる物に気づいたのだろう、見れば彼は頬に拳をあてるように頬杖をついて眺めていて、それはとても穏やかな視線だった。

「群生地のこと、ご存知なんですか?」

 あまり知られていない群生地は、大学の北側に広がる落葉樹が主な森に抱かれて存在していて、知らぬまま卒業する者もいるような知名度だ。

「ああ。先日、大雨に暴風がひどかっただろう? その後、倒木を確認しに行ったときに。__たしか、最初に知ったのも、大雨が降った後の見回りだったか。その時は先生に言われて行ったのだったか……」

「リュディガーがそんなことしてるなんて、知りませんでした」

「ああ。男連中でも、力がありそうで動きそうな輩に白羽の矢が立つ伝統だ、と先生は言っていたが__そうか、キルシェは、やはり知っているんだな。群生地のこと」

「やはり?」

「たまに、そっちへ歩いていく姿を見かけていた。指南を受ける前から、度々」

「あれが、噂の学生か__と盗み見ていたんですね」

 揶揄するように言えば、リュディガーが両手を軽く上げて苦笑しながら降参の意を示す。

「変な誤解をしないでもらいたいが……まあたしかに、それは幾らかでもあったことは否めない。ただ、ついでに弁解させてもらえば、私の部屋から、森へ出入りする人がよく見えるんだ」

「そうだったんですね。__私、散策が好きなので」

 そうか、とリュディガーは柔らかく笑んだ。

 そうしていると、店員がやってきて手際よくカトラリーと手拭き、何も載っていない皿が、それぞれの席の前に並び配される。

 店員は一旦下がると、次に大皿に盛ったクレソンを主とした葉物野菜のサラダと、キャベツを発酵させた漬物がこんもりと盛られた皿と、チーズが数種類とハムが並ぶ皿を運ぶ。

 そして、取り分けるための大きなスプーンとフォークを添えるようにテーブルへ置き、リュディガーとキルシェが礼を述べれば、柔らかい笑みを浮かべて会釈して去っていく。

 リュディガーがそれらを取り分けるのを待つ間、キルシェは手持ち無沙汰に、改めて店内を見渡した。この時になって気づいたが、意外に女性客もいる。連れは男性か、あるいは女性同士。家族連れも見受けられる。

「__落ち着かないか?」

「いえ、そんなことはないです」

「さっきの繁華街は、飲み屋という感じのが多くて、男ばかりの客層だから、少し遠いが、一応、女性客も家族連れも多い店にした」

「__よく……来るのですか?」

「昔に何度か。もう何年ぶりかな……」

「昔」

「龍騎士の頃だ。最後に来たのは大学入るだいぶ前で、当時もそんなに来たことはないが、ここはハズレはなかったから、安心してくれ」

「はずれ……?」

 いまいち得心が行かずに言葉を繰り返すと、リュディガーが小さく笑う。

「料理の味のことだ」

「ああ、なるほど」

 程よく取り分けられた目の前の料理を見、キルシェは手を組んで項垂れる。

 いつものように、口の中で小さく、この帝国の国神である戦神と恵みを与えてくれる慈雨の女神、そしてキルシェにとって縁ある均衡の神へ感謝の祈りを捧げる。

 本来なら食事が運ばれてきてから祈りを捧げるものだが、今日は勝手がわからず逸してしまっていた。

 目を開け、手拭きを膝に置こうと手を伸ばすと、リュディガーと目があった。

 彼は、カトラリーを手にし、取り分けた酢漬けのキャベツにフォークを突き立てたところで固まっていた。

 食前の祈りをする者もいれば、いない者もいる。

「__すまない……」

 あまりにも罰が悪そうな顔に、キルシェは思わず笑ってしまった。

「いえ、大丈夫です。ごめんなさい。笑って……」

「いや、いいんだ。信心深さがいかほどか、知られただけだから」

 自嘲めいて言うリュディガーは、突き立てたそれを持ち上げて遠い視線で眺める。

「__龍騎士の頃はしていたんだが、大学に入ってからは適当にしてしまうようになって、すっかり忘れていた」

 リュディガーはそこまで言うと、突き立てていたカトラリーから食材を落とし、テーブルに手放した。

 そして、居住まいを正すと、テーブルの縁に軽く置いた両手の平を天へと向けて開くと、目をつむる。

「わざわざ合わせてくださらなくても、大丈夫ですよ。私、気にしないので」

「いや、冥利が悪い__のを思い出した」

 片目を開けてリュディガーが冗談めかして言うので、キルシェは小さく笑い、彼が祈りを捧げるのを待った。

 そうして祈り終えたリュディガーが目を開けると、手元の皿を遠い視線で見つめる。

「__今日は、すまなかった」

 唐突に彼が改まった謝罪をするので、キルシェはカトラリーに伸ばしかけていた手を止め、膝の手拭きの上に置く。

「偉そうに、話を強引に動かしてしまった」

「そんなこと……感謝しかないです。説得してくださって、ご面倒でしたでしょうに。__どうしても、訴え出るということが苦手で……」

「訴え出るのを躊躇ったのは、耐えてくれ、と言われると思っていたからか?」

 リュディガーの言葉に、キルシェは答えられなかった__否、答えたくなかった。

 その可能性だってなくはない__そうどこか思っていたのは事実。

 ビルネンベルクの性格からすれば、そんなことはほぼないだろうが、限りなくないだけで、可能性はある。

 __そう言われてしまうのが、確かに怖かった……。

 一縷の望みをかけて、すがって、見放されることの辛さは、身に沁みてよく知っている。

「__そんなことがあったら、私が矢面に立つ覚悟はあったが」

「矢面……?」

「手が出てしまったかもしれない」

 え、とキルシェは顔を引きつらせる。

「__とは冗談だ。あの方に限って、それはないだろう。ビルネンベルクという名門の出に自負をお持ちの方だから。いずれにせよ、関わったのだから動くつもりでいたが……」

「ビルネンベルク先生はどうなさるおつもりでしょうか……」

「悪いようにはしないはずだ」

 キルシェは膝に置いた手に視線を落とす。

 これほどまで、自分を中心に色々と心を砕いてくれる者がいるという事実に、戸惑ってしまう。

「なあ、キルシェ」

「何でしょう?」

 呼ばれて顔を上げるキルシェ。

「余計なお世話かもしれないが、こう……砕けて相談できる者とかは、いるか?」

 これはキルシェには痛い質問だった。

「__強いて言えば……ビルネンベルク先生が」

「私が説得しなければ、打ち明けなかったのに?」

「それは……そうですね……そうでした」

 それでも、気兼ねなくという点では一番だ。

 リュディガーも自分の交友関係が、あまりにも希薄だということは察しているはずだ。

 これほど話して、同じ卓を囲って、同じ料理を食べて、親身になって、それでいて必要以上に踏み込まず__。

「先生以外でなんて__あ」

 そこでふと、気がついた。

「ん?」

「います」

 ほう、とリュディガーが興味深そうな声を漏らす。

「リュディガーです」

 一瞬、言葉の意味するところが理解できなかったリュディガーは眉を顰めたが、直後、驚きに顔を歪めるので、キルシェは思わず笑ってしまう。

「いつの間にか、居ました」

 灯台下暗し、とはこのことだ。

「それは……よかった」

 ぎこちなく言うリュディガーに、キルシェは再び笑ってしまったそこへ店員が新たに料理を運んでくる。それは、豆とトマトのスープだった。それぞれの前に配して、籠に盛った二人分のパンをテーブルの中程に置いていった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

領地経営で忙しい私に、第三王子が自由すぎる理由を教えてください

ねむたん
恋愛
領地経営に奔走する伯爵令嬢エリナ。毎日忙しく過ごす彼女の元に、突然ふらりと現れたのは、自由気ままな第三王子アレクシス。どうやら領地に興味を持ったらしいけれど、それを口実に毎日のように居座る彼に、エリナは振り回されっぱなし! 領地を守りたい令嬢と、なんとなく興味本位で動く王子。全く噛み合わない二人のやりとりは、笑いあり、すれ違いあり、ちょっぴりときめきも──? くすっと気軽に読める貴族ラブコメディ!

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...