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帝都の大学
秘密の花園
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本棟の南西に伸びる廊下の先の建物が、目指す建物。一階と二階は教官らの私室等で、三階からが女子寮となる。
秘密の花園__女子寮のことを、下世話な妄想をする男の学生はそう呼んでいる。
大学は教官や世話人を含めてもおよそ九割が男という、男所帯。男の学生は、妻帯者もいるが独り身が圧倒的に多い。
大学では日帰り程度の外出ならば、自由だ。日帰りで行ける範囲といえば、遠くても帝都の隣の街ぐらい。帝都に自宅があるならまだしも、帰郷は1年に1、2回程度。大多数は帝都に自宅がない限り、ほぼしないと言っていい。それぞれの状況__判断による。
大学に籠もる生活故に異性との出会いなど、ほぼない環境。そしてこれまでも、異性との接点がなかったような者が多いのが実情。
別段、男女の交際を認めていないわけではないのだが、学業を疎かにできないということと、志があって大学に入学した者ばかりだから、そうなるのは必然。
だからこそ、女性寮というものは、そうした男連中にとって妄想の的である。
新しく女性寮を作るよりは、防犯の観点からも、それから間違いが起こらないようにという懸念からも、教官らと同じ建物内のほうが都合がよかったのだ。男女はどちらも許可がない限り、それぞれの寮へは立ち入りが禁じられている。
男連中の中では一般的な人並みに異性との交流はあり、年相応に場数は踏んできたリュディガーだから、そうした下世話な話題を歯牙にも掛けていなかった。
さして気にもならないだろう、と高をくくっていたが、いざ三階へあがる階段を前にすると、踏み出すのに逡巡してしまった。どこかやはり神域にも近い感覚を抱いてしまっているのだろう。
__何を全く……。
内心、自身に呆れていれば、先を行くビルネンベルクが振り返り、リュディガーの様から内心を見透かしたように、くつくつ、とあの人の悪い笑みを浮かべてくる。
はぁ、とため息をリュディガーはこぼしてから気を引き締めると、階段を昇った。
大理石の階段は滑らないよう真紅の絨毯が敷かれ、それは昇りきった廊下の先まで続いている。
こちらだ、と身振りで示すビルネンベルクにうなずき、人が2人並んで歩いても余裕がある廊下を進んだ。
廊下ですれ違う女学生は皆丁寧にビルネンベルクへ挨拶をし、彼もまたそれににこやかに応じる。ある者は、キルシェの様子にどうしたのですか、と尋ねる者もいる。
心配はいらない、と優しく言えば、全幅の信頼を置かれているのだろう、ビルネンベルクの言葉に納得し、それ以上は追求しない。そうした者は、あまりリュディガーに対して気にした風もなく、驚きこそすれ挨拶をするばかり。
「__ああ、君。すまないが、キルシェの分の食事を食堂までいって、受け取ってきてはくれないかい?」
「はい、すぐに」
「助かるよ」
ありがとう、と女学生に言って見送って、ビルネンベルクはさらに足を進めた。
そうした寛容な女学生もいる傍ら、リュディガーの姿に眉を顰める者もいる。好奇の目はまだいい。何事だろう、と怪訝にする視線も。
だが、まるで異物を見るようなそれは、どうにもたまらない。
異物に違いないが、そこまであからさまにせずともいいだろう__とは飲み込むしかない。ここは彼女たちの領分。分が悪いのはわかっているし、抗議するつもりはそもそもないが、微塵も非難される謂れのない立場だというのに、なんとも疲れる。
それでも、やましいことなどないのだから、と表情を変えず、堂々とビルネンベルクに続いて会釈をして歩みを進めた。
それから程なくしてたどり着いたキルシェの部屋は、角部屋だった。
「ご苦労様だった」
「さほど重くはないので」
「いやいや、虚脱した体は柔らかくて担ぎにくいだろう。流石だね。任せて正解だった」
「はぁ」
歯切れ悪い返事に小さく笑い、ビルネンベルクはノックをするとドアノブに二指で触れる。小さく口から言葉を漏らすと、小気味いい乾いた音がドアノブから響く。それは扉が解錠した音に違いなかった。
部屋は学生ひとりにつき、一部屋あてがわれており、学生は部屋を出るとき施錠する決まり。そして、教官らは必要があればまじないで解錠する権限を有するのだ。
躊躇せず扉を押し開けて先に入るビルネンベルクは、扉のそばに佇んで中を軽く観察すると、中へ、とリュディガーを促した。
リュディガーはひとつ、ビルネンベルクには気づかれぬ程度に呼吸を整えた。
意を決して踏み入ると、ふわり、と薄っすら心地いい香りが鼻先をかすめる。
__香、か……。
主張しすぎないそれは、嗜みとしてのものだろう。纏わりつくことなく、華やいでいながら落ち着きがあり、まさしく部屋の主キルシェらしいもの。
拒絶せず、迎え入れてくれているような気にさせ、構えていたリュディガーは人心地つけた。
その香が満たす部屋はリュディガーの部屋に比べ、いくらか広い。おそらく、廊下の扉の間隔から、これがここの標準の広さなのだろう。
暖炉と机、テーブル、チェスト、クローゼット、きっちりと本が並ぶ本棚、水差しが置かれた洗面用の卓、一人用の寝台__調度品は大差なかった。どれも見ていて清々しいほどの整い方だ。
てっきりいいところのお嬢さんだから、装飾品があちこちに飾られてあるのだろうと思っていたが、必要なものしか置かれていないように思う。壁に飾られている装飾品だと思ったものも、よくよく見れば、干した薬草の束が紐に括られていくつも吊るさっているに過ぎない。装飾と見間違えたのは、花をつけた物が多く吊るされているからだろう。
部屋の管理は、学生が自分自身で行う。故に、それぞれの部屋には個性が出る。
秘密の花園__女子寮のことを、下世話な妄想をする男の学生はそう呼んでいる。
大学は教官や世話人を含めてもおよそ九割が男という、男所帯。男の学生は、妻帯者もいるが独り身が圧倒的に多い。
大学では日帰り程度の外出ならば、自由だ。日帰りで行ける範囲といえば、遠くても帝都の隣の街ぐらい。帝都に自宅があるならまだしも、帰郷は1年に1、2回程度。大多数は帝都に自宅がない限り、ほぼしないと言っていい。それぞれの状況__判断による。
大学に籠もる生活故に異性との出会いなど、ほぼない環境。そしてこれまでも、異性との接点がなかったような者が多いのが実情。
別段、男女の交際を認めていないわけではないのだが、学業を疎かにできないということと、志があって大学に入学した者ばかりだから、そうなるのは必然。
だからこそ、女性寮というものは、そうした男連中にとって妄想の的である。
新しく女性寮を作るよりは、防犯の観点からも、それから間違いが起こらないようにという懸念からも、教官らと同じ建物内のほうが都合がよかったのだ。男女はどちらも許可がない限り、それぞれの寮へは立ち入りが禁じられている。
男連中の中では一般的な人並みに異性との交流はあり、年相応に場数は踏んできたリュディガーだから、そうした下世話な話題を歯牙にも掛けていなかった。
さして気にもならないだろう、と高をくくっていたが、いざ三階へあがる階段を前にすると、踏み出すのに逡巡してしまった。どこかやはり神域にも近い感覚を抱いてしまっているのだろう。
__何を全く……。
内心、自身に呆れていれば、先を行くビルネンベルクが振り返り、リュディガーの様から内心を見透かしたように、くつくつ、とあの人の悪い笑みを浮かべてくる。
はぁ、とため息をリュディガーはこぼしてから気を引き締めると、階段を昇った。
大理石の階段は滑らないよう真紅の絨毯が敷かれ、それは昇りきった廊下の先まで続いている。
こちらだ、と身振りで示すビルネンベルクにうなずき、人が2人並んで歩いても余裕がある廊下を進んだ。
廊下ですれ違う女学生は皆丁寧にビルネンベルクへ挨拶をし、彼もまたそれににこやかに応じる。ある者は、キルシェの様子にどうしたのですか、と尋ねる者もいる。
心配はいらない、と優しく言えば、全幅の信頼を置かれているのだろう、ビルネンベルクの言葉に納得し、それ以上は追求しない。そうした者は、あまりリュディガーに対して気にした風もなく、驚きこそすれ挨拶をするばかり。
「__ああ、君。すまないが、キルシェの分の食事を食堂までいって、受け取ってきてはくれないかい?」
「はい、すぐに」
「助かるよ」
ありがとう、と女学生に言って見送って、ビルネンベルクはさらに足を進めた。
そうした寛容な女学生もいる傍ら、リュディガーの姿に眉を顰める者もいる。好奇の目はまだいい。何事だろう、と怪訝にする視線も。
だが、まるで異物を見るようなそれは、どうにもたまらない。
異物に違いないが、そこまであからさまにせずともいいだろう__とは飲み込むしかない。ここは彼女たちの領分。分が悪いのはわかっているし、抗議するつもりはそもそもないが、微塵も非難される謂れのない立場だというのに、なんとも疲れる。
それでも、やましいことなどないのだから、と表情を変えず、堂々とビルネンベルクに続いて会釈をして歩みを進めた。
それから程なくしてたどり着いたキルシェの部屋は、角部屋だった。
「ご苦労様だった」
「さほど重くはないので」
「いやいや、虚脱した体は柔らかくて担ぎにくいだろう。流石だね。任せて正解だった」
「はぁ」
歯切れ悪い返事に小さく笑い、ビルネンベルクはノックをするとドアノブに二指で触れる。小さく口から言葉を漏らすと、小気味いい乾いた音がドアノブから響く。それは扉が解錠した音に違いなかった。
部屋は学生ひとりにつき、一部屋あてがわれており、学生は部屋を出るとき施錠する決まり。そして、教官らは必要があればまじないで解錠する権限を有するのだ。
躊躇せず扉を押し開けて先に入るビルネンベルクは、扉のそばに佇んで中を軽く観察すると、中へ、とリュディガーを促した。
リュディガーはひとつ、ビルネンベルクには気づかれぬ程度に呼吸を整えた。
意を決して踏み入ると、ふわり、と薄っすら心地いい香りが鼻先をかすめる。
__香、か……。
主張しすぎないそれは、嗜みとしてのものだろう。纏わりつくことなく、華やいでいながら落ち着きがあり、まさしく部屋の主キルシェらしいもの。
拒絶せず、迎え入れてくれているような気にさせ、構えていたリュディガーは人心地つけた。
その香が満たす部屋はリュディガーの部屋に比べ、いくらか広い。おそらく、廊下の扉の間隔から、これがここの標準の広さなのだろう。
暖炉と机、テーブル、チェスト、クローゼット、きっちりと本が並ぶ本棚、水差しが置かれた洗面用の卓、一人用の寝台__調度品は大差なかった。どれも見ていて清々しいほどの整い方だ。
てっきりいいところのお嬢さんだから、装飾品があちこちに飾られてあるのだろうと思っていたが、必要なものしか置かれていないように思う。壁に飾られている装飾品だと思ったものも、よくよく見れば、干した薬草の束が紐に括られていくつも吊るさっているに過ぎない。装飾と見間違えたのは、花をつけた物が多く吊るされているからだろう。
部屋の管理は、学生が自分自身で行う。故に、それぞれの部屋には個性が出る。
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