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失態の朝

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 リュディガーは、何度目かのため息を零した。

 憂鬱な気分とは裏腹に、窓の外はとてもまぶしい清々しいくらいの青空があって、それを憎い気持ちで奥歯を感で睨みつける。

「気にしなくて、いいですから……」

 側近く__それこそ真横に座る妻の気遣いに、余計に気が重くなって、ため息を吐き出すとともに額を抑えるように頭を抱えた。

「気を張って、お疲れだったんですよ」

「そうは言うがな……」
 
 __それは、確かになかったとは言い切れない……。

 リュディガーは内心思い、呻く。

 __挙式をして、初っ端にこれ……。

 そう。2人は昨日挙式を行い、晴れて夫婦となったのだ。

 エーデルドラクセニア帝国には、蓬莱からの流れを組む文化があり、様々な場所に八百万の神が宿ると信じられている。

 地方に行けば行くほど、土着の信仰や種族毎の風習は色濃いものの、首都となると帝国ができてから確立した神という存在が信仰を集める。その中でも、多くの信仰を集める神々は、神殿や聖堂が建てられている。

 余談だが、リュディガーの所属する龍帝従騎士団にとって、切っても切り離せない信仰の対象が戦神。現龍帝は戦神の生まれ変わりで、その身に戦神を宿していると謂われており、戦神は帝国では最も信仰されている。

 神殿、聖堂は各州都に神の一柱ごと必ず建てられている。呼び名はそれぞれ異なるものの、神殿は神を崇め奉る祭祀場で、同じことを行う聖堂との棲み分けが曖昧。見てくれの作りが異なって、それによって分けていると言って良い。強いて言えば、神殿には、神に選ばれた『神子』と呼ばれる司教が、寝泊まりできるようになっている違いがある。

 さらに、神殿の方が、建てられたのがかなり古いという傾向がある。

 それらより下の格で教会というものがあり、これは州都から離れた地にあるものをいう。大きさもその地方の、信奉者の財力や歴史によって異なる。これとはまた別に修道院と呼ばれるものもあり、こちらは神官になるための修行の場という面が強い。

 聖堂で挙式するには、そこを管轄する『神子』と呼ばれる司教の許可が必要で、『戦神の神子』は現龍帝のことを示すので、代行して管理している司祭__これは、神子の身の回りの世話をするために仕えている神官__の代表が許可を出せば出来る。

 少し前なら__数年前なら、まだ婚姻なんてものもぼんやりとしたもので掴みどころがない印象の頃に思い描いた挙式は、自分にはこだわりはないから、相手の意向を汲んでほぼそれになるだろう、とぼんやりと考えていた程度。

 教会にするのか聖堂にするのかは相手次第で、もし特に希望がないのであれば、立地などから適当に見繕って、自分には教会ぐらいがお似合いだから、戦神に関わる教会で__という具合で決めるものだと。

 だが明瞭に自分ごとと迫った今回は、光の速さでかけ離れていった。それこそ一瞬にして、と言ってもいい。相手が相手でそんな程度ではすまされなかった。本人にこだわりがあったわけではないが、そうできない理由があったのだ。

 月から溢れたような銀の御髪。冬の早朝を思わせる紫の双眸をもつマイャリス=キルシェ・コンバラリア__草の葉に隠れた古く由緒正しい血統だった彼女。

 本人は生まれてこの方そうした自覚はなく、出自を知った今でも自覚はない。だが、出自が判明したが故に、参列者が格段にあがってしまったのだ。

 相手は、身寄りはいない。交友関係も少なかったが、帝国では国家の重鎮と言わしめるビルネンベルク家の一人が後見人についている。後見人はリュディガーにとっても彼女にとっても恩師であるから、外せない。まずはこれが加わる。

 __その一家……一族も。

 彼女キルシェの数少ない友人は、とある州侯に据えられてしまって、これもまた加わる。

 リュディガーの友人はもちろん、同僚、直属の上司はもともと招待していた。だがこれに前元帥を始め、現元帥と、教皇ならびに大賢者の名代が何気なく参列する運びになってしまった。

 場所もそうなれば、教会などでは済まされない。警備の関係があるからだ。

 __結局、選択肢などなかった。

 さすがに大聖堂はなかったが、それでも挙式を行ったのは、帝都にある戦神の聖堂。

 帝都の戦神の聖堂は大聖堂の次に大きいもので、格式もかなり高い聖堂だ。そう、少し前の自分が真っ先に、ない、と切り捨てただろう場所。

 参列者は砕けた連中よりも、かしこまった面々が上回ってしまい、まさしく荘厳の極みといった状況。何かの儀仗と思えるほどだった。

 その後は宴席になるが、宴席もまた粛々とした雰囲気になってしまった。

「リュディガーは、あの後もお付き合いもありましたし」

 そうした事態も想定していた同僚のひとりが、砕けた宴会を設けてくれたことはありがたかった。せっかく招待して、ただごとではない雰囲気に巻き込まれた者も居たと言えるのだから。だが、それまでの反動だろう。宴会の参加者は弾けた。

 新婦ももちろん誘われたが、儀式めいた挙式に疲れているのは明白で、ビルネンベルクの配慮のおかげで、リュディガーの迎えまで帝都の邸宅で休憩がてら待っていてもらうことになった。

 しかし、一方でそれは__リュディガーにとって悪手だった。

 彼女がいれば、あそこまで砕けた宴会にはならなかっただろうからだ。

 親友が気がついて逃がしてくれなければ朝まで__となっていただろう。

 リュディガーは、少し前、男爵位を与えられ、所領までも下賜された。所領には屋敷があるが、所領は数日かかる距離。だから、帝都に借家を借りたままにして、そこを家としている。

 そこは婚姻を結んでから住むことを考えて借りている部屋だから、一人住まいの規模ではない。だが、いわゆる庶民が住む家に他ならない。

 挙式をおこなったあとは、所領に向かうまではそこが拠点になる、と二人で思っていたが、これは後見人__それ以上に、後見人の母があり得ないと反対したので断念した。

 __前元帥を始め現元帥と、教皇、大賢者の名代が参列するような挙式をした人物を、その日のうちからあの借家へ? ありえないのではなくて?

 鮮明に思い起こされる恩師の母は、その矜持を示すかのように天を突く兎の耳を持つ南兎族の貴族出。

 これほどまでの貴婦人はいないだろう、という普段は淑女の鑑と称賛されている人物が口調きつく言い放った。中々にないことだ、と恩師は後に言う。

 見栄ではない、ということもわかっている。

 階級こそ得られたが、庶民という認識が、自分だけでなくキルシェもまた強いから、違和感を抱けなかっただけだ。

 その意見をつっぱねられたとしてもビルネンベルクの貴婦人は、気分を害さず、寧ろ心配をいっそうしてくれただろう。そういう気概の方だから。だが、一理ある、と思ったリュディガーはつっぱねることもせず、キルシェとともにそれに従った。

 宿は、安普請ではいられないのは当然。もとよりそうするつもりはなかった。

 帝都では五本の指に入る宿を手配しておいて、宴会から脱出したリュディガーは、キルシェをビルネンベルクの邸宅へ迎えに行き、その宿へ二人してたどりついたのだ。だが__

「__本当に、すまなかった……」

 そして、そのまま泥のように眠った。

 寝台にも寝ず、部屋の長椅子で礼装の上着を放りだした状態でである。

「先生との会話は覚えているのでしょう?」

「……なんとなく……」

「一服でも、というお誘いはお断りしていたのは?__根が張りそうですし、失態を犯しかねないのでこのまま失礼します、と」

「そんなことを言ったのか……私は……」

「すごくはっきりと会話をしていたの。表情だってしっかりしていて……」

「記憶にない……」

 迎えに行った記憶はある。何かしら会話を交わした記憶もあるが、内容までは思い出せない。

「とにかく、後までつつかれるような失態をビルネンベルク先生の前ではしてはならない、と……それだけは思い出せる……」

 まあ、と驚いた声を上げるキルシェは、くすくす、と笑った。

「__それなら、安心ですよ。そんなことなかったですから」

 リュディガーは怪訝に彼女を見た。

 穏やかに優しく笑む彼女が、朝日を受けてとても神々しくリュディガーの眼には映った。
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