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8.放火事件
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三日後。
その日の仕事を終えた俺は、執務室に籠もって今後のことについて思案していた。
「仮に、エルシーがあの人形を置いた犯人だったとして……どうやって、説得すればいいんだろうな」
呟くと、俺は心を落ち着かせるためにティーカップを口へと運ぶ。
というのも、あの人形を置いた犯人がエルシーかもしれないということが分かって以来、かなり動揺しているのだ。
「ギルフォード様、少しお時間よろしいでしょうか?」
「ん? ああ、どうした?」
ノック音と同時に聞き慣れた声が聞こえてきたため、俺は返事をする。
部屋に入ってきたのは、どこか狼狽えた様子のアルノーだった。
一体、どうしたのだろうか。
「実は、エルシー様の件でまた新しい情報が手に入ったんです」
「話してくれ」
「ええ。それが、その……先日、クロリス夫人にエルシー様の過去についてお話を伺った際、夫人は『娘は暫く家出をしていた』と仰っていたのですが……今朝、再び詳しいお話を伺うために邸を訪ねたところ、『実はあれは嘘だった』と泣きながら謝られてしまいまして」
「なんだそれは? どういうことだ?」
戸惑っている俺に向かって、アルノーはさらに話を続ける。
「なんでも、罪悪感に耐えられなくなったそうです。それで、『甥に本当のことを伝えてほしい』と、ギルフォード様への伝言を頼まれたんです」
「詳しく話してくれ」
「クロリス夫人曰く、四年前、本当はエルシー様はリーズデイル家への忠誠心を示すために王都に働きに出ていたそうなんです」
「……?」
意味がよくわからず、小首をかしげてしまう。
忠誠心を試すのだったら、一時的にリーズデイル家のメイドか何かとして雇って働かせればいい話だ。
それなのに、何故わざわざ王都に……?
「意味がよくわからない。もっと、具体的に言ってくれないか?」
「え、ええ。そうですね。これから話すことは、ギルフォード様にとって大変ショッキングなものになると思います。……それでも、お聞きになられますか?」
「もちろんだ。何故、そんなに躊躇しているんだ?」
「かしこまりました。……ギルフォード様は、王都にあるという噂の『秘密クラブ』の存在はご存知でしょうか?」
「秘密クラブ? なんだ、それは?」
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げる。
「なんでも、その秘密クラブはとある酒場の地下に存在するらしいです。しかも、医者や研究者などのいわゆるエリートしか会員になれない閉鎖的なクラブなのだと伺いました」
「ふむ。……で、そのクラブがエルシーと何の関係があるんだ?」
「ええ、それが……そのクラブ、表向きはエリートたちの交流の場らしいのですが、裏ではかなり非人道的な『遊び』を繰り返していたらしくて。エルシー様は、そのクラブで暫く働いていたらしいんです」
「……!」
何となく、嫌な予感がした。ごくりと固唾を呑みつつも、俺はアルノーの話に耳を傾ける。
「会員たちは、十代の少年少女たちを集めて夜な夜な自分たちが開発した新薬を投与する実験をしていたんです。というのも、年齢が若いほうが薬の効果が出やすいからだそうで……」
「その新薬には、一体どんな効果があるんだ?」
「薬を投与された人間は、一時的に『仮死状態』になるらしいんです」
「は……?」
口をぽかんと開けたまま、唖然としてしまう。
一体、どういうことなのだろうか。
「……禁じられた遊びですよ。クラブに在籍している会員たちは、表向きは人を助ける仕事をしてはいるものの、人の『死』に飢えたサイコパスばかりだった。つまり、人間が死ぬ瞬間を見たいがためにその職に就いたと言っても過言ではないんです。だから、彼らは実験台になった少年少女にその薬を投与して、『葬式ごっこ』なる遊びを繰り返していたんです。期間限定で仮死状態になるだけなら、殺人罪には問われませんからね」
「なっ……」
「それだけなら、単なる悪趣味な遊びで済むかもしれません。もちろん、実験台にされた方はたまったものではありませんけれどね。でも、その薬は効果が出る直前にとてつもない苦痛を味わうらしいんです。喉は焼けるように痛み、呼吸ができなくなり、声もろくに出せず──薬を投与された者は、その苦しみに耐えながらただ体が動かなくなるのをじっと待つしかなかったんですよ」
「それは、つまり……」
言いかけて、思わず口を噤む。
信じたくなかった。けれど、真実を受け入れなければ何時まで経っても事件の解決には至らない。
覚悟を決めた俺は、自分と同じように顔をしかめているアルノーに尋ねる。
「エルシーも、実験台の一人にされていたということか?」
「ええ、残念ながら。クロリス夫人曰く、エルシー様も何度となくその薬を投与されたそうです」
「ははっ……ははは……。そうか。叔母さんたちにとっては、自分の娘が変態たちが集うクラブで非人道的な扱いを受けることよりも、自分たちの名誉を守ることのほうが大事だったんだな」
怒りを通り越して、最早笑えてくる。
しかも、叔母たちは自分たちの保身のために親戚であるセントクレア家の人間に対してまで嘘をついていたのだ。
父さんがこの事実を知らないまま死んだのは、せめてもの救いかもしれない。
「ギルフォード様……」
「叔母さんたちは、確かに悪いよ。到底、許されるべきではない。だが、元凶はあいつだ。……レナード・リーズデイルだ」
呟きながら、俺は唇を噛みしめる。
一瞬でも、あいつに親近感を抱いた自分が馬鹿だった。
さて、どうやってあのクズ野郎を断罪してやろうか。
法が許すなら、自分がエルシーに代わってあの男をボコボコにしてやりたいくらいだ。
「後日、レナードを問い詰めにリーズデイル邸に向かう」
「はっ、かしこまりました。……それで、あの、ギルフォード様。実は、もう一つ気になる情報を入手したのですが、そちらもお聞きになりますか? ああ、でもこれは今回の事件と直接関係あるかどうかわからないのですけれども……」
言って、アルノーは何やら口ごもる。
「今度は何だ……?」
「いえ、やっぱりお話ししておきましょう。先日、訪ねた人形店のことなんですが……」
「あの店がどうした?」
「実は、帰り際にギルフォード様が仰っていたことが気になって、あの店の主人の身辺調査をしてみたんです。と言っても、具体的には近所の住人に手当り次第、聞き込みを行っただけなんですが……。でも、その甲斐があって、あの店主が過去に客と揉めて傷害沙汰になっていたことがわかりましたよ」
「あの店主が!?」
「ええ、それが……一年ほど前、あの人形店をある客が訪れたらしいんです。どうやら、店主はその客と口論になったようでして……」
「一体、どんな会話をしていたんだ?」
何故だかわからないけれど、胸騒ぎがした。
あの店主がエルシーの失踪事件と直接関係があるとは思えないが、やけに気になる。
「なんでも、その客はあの店主の正体が『ジャック・クリストフ』ではないかと疑っていたようなんです」
「ジャック・クリストフ……」
名前を聞いた瞬間、俺の脳裏にある事件がよぎる。
その事件は、今から十年ほど前に起こった。
クリストフ家の邸が火事によって全焼し、当時十四歳だった次男・ジャックのみが生き残ったという惨憺たる事件だ。
当時の現場の状況からして、邸内にいた人間の不注意による出火ではなく放火の可能性が高いと言われていたが、結局犯人は未だに捕まっていない。
「そうだ、新聞だ!」
言って、机の引き出しから分厚いスクラップブックを引っ張り出した。
というのも、俺は職業柄、こうやって過去に起きた気になる事件の記事をスクラップブックにまとめているのだ。
俺は、その中から十年前に起きたクリストフ邸の全焼に関する記事の切り抜きを探し出す。
「やっぱり、そうだ。よく似ている……」
「え……?」
俺がその切り抜きを凝視していると、アルノーが背後から覗き込んできた。
そして、記事内に掲載されているジャックの写真を指差して──
「あっ! なるほど、そういうことだったんですね。この少年……確かに、面影ありますよね」
「ああ、間違いない。あの店主の正体は、ジャック・クリストフだ」
俺が感じた既視感は、どうやら気のせいではなかったらしい。
「ん? ちょっと待てよ……確か……」
慌ててページをめくり、記憶を頼りに別の新聞の切り抜きを探し始める。
「ギルフォード様? どうなさったんですか?」
「えーっと……確か、この辺に……あった、これだ!」
目的の記事を見つけた俺は、早速それに目を通す。
内容は、リーズデイル家の先代当主──つまり、レナードの父親とクリストフ子爵が夜会の最中に取っ組み合いの喧嘩をしたというものだ。
このスキャンダルは、当時の社交界を大きくざわつかせた。
ゴシップ記事によると、共通の趣味を通じて知り合った二人は昔はそれなりに仲が良かったらしい。
だが、ある時を境に犬猿の仲になってしまった。というのも……どうやら、二人は過去に一人の女性を巡って争っていたらしいのだ。
その女性は、当時クリストフ子爵と相思相愛の関係だった彼の婚約者。
夜会で二人が喧嘩をした当時は、彼女は既に子爵と結婚し正式に妻となっていたようだ。
詰まるところ、リーズデイル公は長年夫人に横恋慕をしていたのだ。
その結果、諦めの悪いリーズデイル公が血迷って子爵の妻に乱暴を働こうとした……というのが事の顛末だ。
「当時、俺は子供だったからこの騒動のことは薄っすらとしか覚えていないんだけどな。確か、この騒動から数年後のことだったよ。あの放火事件が起こったのは……」
「それって、つまり……」
俺の言いたいことを察したのか、アルノーは「信じられない」といった様子で大きく目を見開く。
「段々、繋がってきたな」
「……ええ!」
俺の言葉に対して、アルノーは力強くうなずく。
自分の推理が正しければ──恐らく、クリストフ邸が放火された事件には先代リーズデイル公が一枚噛んでいる。
唯一の生き残りであるジャックのその後については、特に報道されていない。
わかるのは、事件直後に彼がショックで心身に不調をきたして記憶障害を発症したということだけだ。
そのため、暫くは入院していたらしいが、退院後に彼が一体どういう人生を歩んだのかについては全くもって不明である。
一時期は、事件のことを苦に自殺したとか現在は名前を変えて平民として暮らしているとか根も葉もない噂が流れたりしたが、信憑性はない。
だが、もしあの店主の正体がジャックだったとしたら……辻褄が合う。
──仮にジャックがリーズデイル家に復讐する目的で呪いをかけたのだとしたら、エルシーはジャックに誘拐されたのかもしれない。
でも、一体何のために?
リーズデイル家への復讐がしたかったのなら、わざわざ誘拐なんてせずに彼女も巻き込んで呪いをかければいい話だ。
いずれにせよ、近日中にリーズデイル邸に出向いてレナードを問い詰めなければ。
──ごめん、エルシー。一瞬でも、君のことを犯人だと疑ってしまったよ。
疑ってしまった従姉に対して、心の中で密かに謝罪をした。
エルシーが無事に戻ってきたら、改めてきちんと謝ろう。
「ああ、そうだ。アルノー。調査を終えたばかりのところで悪いんだが、もう一仕事頼まれてくれないか?」
「ええ。もちろん、構いませんよ。なんでしょうか?」
「リーズデイル家の邸内で最近起こった出来事について調べておいてほしい。内容は、どんな些細なことでも構わない。とにかく、何かわかったら俺に報告してくれ」
「かしこまりました。どんな些細なことでも構わない、と言いますと……例えば、『使用人が誤って食器を割ってしまった』とか、そういうことでも構わないということでしょうか?」
「そうだな。それくらい小さな出来事で全然構わない」
「なるほど、承知いたしました。でも、何故そんなことをお調べになりたいんですか……?」
意図がよくわからない、といった様子でアルノーは首をかしげる。
「そのうち、わかるよ。まあ、楽しみにしていてくれ」
その日の仕事を終えた俺は、執務室に籠もって今後のことについて思案していた。
「仮に、エルシーがあの人形を置いた犯人だったとして……どうやって、説得すればいいんだろうな」
呟くと、俺は心を落ち着かせるためにティーカップを口へと運ぶ。
というのも、あの人形を置いた犯人がエルシーかもしれないということが分かって以来、かなり動揺しているのだ。
「ギルフォード様、少しお時間よろしいでしょうか?」
「ん? ああ、どうした?」
ノック音と同時に聞き慣れた声が聞こえてきたため、俺は返事をする。
部屋に入ってきたのは、どこか狼狽えた様子のアルノーだった。
一体、どうしたのだろうか。
「実は、エルシー様の件でまた新しい情報が手に入ったんです」
「話してくれ」
「ええ。それが、その……先日、クロリス夫人にエルシー様の過去についてお話を伺った際、夫人は『娘は暫く家出をしていた』と仰っていたのですが……今朝、再び詳しいお話を伺うために邸を訪ねたところ、『実はあれは嘘だった』と泣きながら謝られてしまいまして」
「なんだそれは? どういうことだ?」
戸惑っている俺に向かって、アルノーはさらに話を続ける。
「なんでも、罪悪感に耐えられなくなったそうです。それで、『甥に本当のことを伝えてほしい』と、ギルフォード様への伝言を頼まれたんです」
「詳しく話してくれ」
「クロリス夫人曰く、四年前、本当はエルシー様はリーズデイル家への忠誠心を示すために王都に働きに出ていたそうなんです」
「……?」
意味がよくわからず、小首をかしげてしまう。
忠誠心を試すのだったら、一時的にリーズデイル家のメイドか何かとして雇って働かせればいい話だ。
それなのに、何故わざわざ王都に……?
「意味がよくわからない。もっと、具体的に言ってくれないか?」
「え、ええ。そうですね。これから話すことは、ギルフォード様にとって大変ショッキングなものになると思います。……それでも、お聞きになられますか?」
「もちろんだ。何故、そんなに躊躇しているんだ?」
「かしこまりました。……ギルフォード様は、王都にあるという噂の『秘密クラブ』の存在はご存知でしょうか?」
「秘密クラブ? なんだ、それは?」
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げる。
「なんでも、その秘密クラブはとある酒場の地下に存在するらしいです。しかも、医者や研究者などのいわゆるエリートしか会員になれない閉鎖的なクラブなのだと伺いました」
「ふむ。……で、そのクラブがエルシーと何の関係があるんだ?」
「ええ、それが……そのクラブ、表向きはエリートたちの交流の場らしいのですが、裏ではかなり非人道的な『遊び』を繰り返していたらしくて。エルシー様は、そのクラブで暫く働いていたらしいんです」
「……!」
何となく、嫌な予感がした。ごくりと固唾を呑みつつも、俺はアルノーの話に耳を傾ける。
「会員たちは、十代の少年少女たちを集めて夜な夜な自分たちが開発した新薬を投与する実験をしていたんです。というのも、年齢が若いほうが薬の効果が出やすいからだそうで……」
「その新薬には、一体どんな効果があるんだ?」
「薬を投与された人間は、一時的に『仮死状態』になるらしいんです」
「は……?」
口をぽかんと開けたまま、唖然としてしまう。
一体、どういうことなのだろうか。
「……禁じられた遊びですよ。クラブに在籍している会員たちは、表向きは人を助ける仕事をしてはいるものの、人の『死』に飢えたサイコパスばかりだった。つまり、人間が死ぬ瞬間を見たいがためにその職に就いたと言っても過言ではないんです。だから、彼らは実験台になった少年少女にその薬を投与して、『葬式ごっこ』なる遊びを繰り返していたんです。期間限定で仮死状態になるだけなら、殺人罪には問われませんからね」
「なっ……」
「それだけなら、単なる悪趣味な遊びで済むかもしれません。もちろん、実験台にされた方はたまったものではありませんけれどね。でも、その薬は効果が出る直前にとてつもない苦痛を味わうらしいんです。喉は焼けるように痛み、呼吸ができなくなり、声もろくに出せず──薬を投与された者は、その苦しみに耐えながらただ体が動かなくなるのをじっと待つしかなかったんですよ」
「それは、つまり……」
言いかけて、思わず口を噤む。
信じたくなかった。けれど、真実を受け入れなければ何時まで経っても事件の解決には至らない。
覚悟を決めた俺は、自分と同じように顔をしかめているアルノーに尋ねる。
「エルシーも、実験台の一人にされていたということか?」
「ええ、残念ながら。クロリス夫人曰く、エルシー様も何度となくその薬を投与されたそうです」
「ははっ……ははは……。そうか。叔母さんたちにとっては、自分の娘が変態たちが集うクラブで非人道的な扱いを受けることよりも、自分たちの名誉を守ることのほうが大事だったんだな」
怒りを通り越して、最早笑えてくる。
しかも、叔母たちは自分たちの保身のために親戚であるセントクレア家の人間に対してまで嘘をついていたのだ。
父さんがこの事実を知らないまま死んだのは、せめてもの救いかもしれない。
「ギルフォード様……」
「叔母さんたちは、確かに悪いよ。到底、許されるべきではない。だが、元凶はあいつだ。……レナード・リーズデイルだ」
呟きながら、俺は唇を噛みしめる。
一瞬でも、あいつに親近感を抱いた自分が馬鹿だった。
さて、どうやってあのクズ野郎を断罪してやろうか。
法が許すなら、自分がエルシーに代わってあの男をボコボコにしてやりたいくらいだ。
「後日、レナードを問い詰めにリーズデイル邸に向かう」
「はっ、かしこまりました。……それで、あの、ギルフォード様。実は、もう一つ気になる情報を入手したのですが、そちらもお聞きになりますか? ああ、でもこれは今回の事件と直接関係あるかどうかわからないのですけれども……」
言って、アルノーは何やら口ごもる。
「今度は何だ……?」
「いえ、やっぱりお話ししておきましょう。先日、訪ねた人形店のことなんですが……」
「あの店がどうした?」
「実は、帰り際にギルフォード様が仰っていたことが気になって、あの店の主人の身辺調査をしてみたんです。と言っても、具体的には近所の住人に手当り次第、聞き込みを行っただけなんですが……。でも、その甲斐があって、あの店主が過去に客と揉めて傷害沙汰になっていたことがわかりましたよ」
「あの店主が!?」
「ええ、それが……一年ほど前、あの人形店をある客が訪れたらしいんです。どうやら、店主はその客と口論になったようでして……」
「一体、どんな会話をしていたんだ?」
何故だかわからないけれど、胸騒ぎがした。
あの店主がエルシーの失踪事件と直接関係があるとは思えないが、やけに気になる。
「なんでも、その客はあの店主の正体が『ジャック・クリストフ』ではないかと疑っていたようなんです」
「ジャック・クリストフ……」
名前を聞いた瞬間、俺の脳裏にある事件がよぎる。
その事件は、今から十年ほど前に起こった。
クリストフ家の邸が火事によって全焼し、当時十四歳だった次男・ジャックのみが生き残ったという惨憺たる事件だ。
当時の現場の状況からして、邸内にいた人間の不注意による出火ではなく放火の可能性が高いと言われていたが、結局犯人は未だに捕まっていない。
「そうだ、新聞だ!」
言って、机の引き出しから分厚いスクラップブックを引っ張り出した。
というのも、俺は職業柄、こうやって過去に起きた気になる事件の記事をスクラップブックにまとめているのだ。
俺は、その中から十年前に起きたクリストフ邸の全焼に関する記事の切り抜きを探し出す。
「やっぱり、そうだ。よく似ている……」
「え……?」
俺がその切り抜きを凝視していると、アルノーが背後から覗き込んできた。
そして、記事内に掲載されているジャックの写真を指差して──
「あっ! なるほど、そういうことだったんですね。この少年……確かに、面影ありますよね」
「ああ、間違いない。あの店主の正体は、ジャック・クリストフだ」
俺が感じた既視感は、どうやら気のせいではなかったらしい。
「ん? ちょっと待てよ……確か……」
慌ててページをめくり、記憶を頼りに別の新聞の切り抜きを探し始める。
「ギルフォード様? どうなさったんですか?」
「えーっと……確か、この辺に……あった、これだ!」
目的の記事を見つけた俺は、早速それに目を通す。
内容は、リーズデイル家の先代当主──つまり、レナードの父親とクリストフ子爵が夜会の最中に取っ組み合いの喧嘩をしたというものだ。
このスキャンダルは、当時の社交界を大きくざわつかせた。
ゴシップ記事によると、共通の趣味を通じて知り合った二人は昔はそれなりに仲が良かったらしい。
だが、ある時を境に犬猿の仲になってしまった。というのも……どうやら、二人は過去に一人の女性を巡って争っていたらしいのだ。
その女性は、当時クリストフ子爵と相思相愛の関係だった彼の婚約者。
夜会で二人が喧嘩をした当時は、彼女は既に子爵と結婚し正式に妻となっていたようだ。
詰まるところ、リーズデイル公は長年夫人に横恋慕をしていたのだ。
その結果、諦めの悪いリーズデイル公が血迷って子爵の妻に乱暴を働こうとした……というのが事の顛末だ。
「当時、俺は子供だったからこの騒動のことは薄っすらとしか覚えていないんだけどな。確か、この騒動から数年後のことだったよ。あの放火事件が起こったのは……」
「それって、つまり……」
俺の言いたいことを察したのか、アルノーは「信じられない」といった様子で大きく目を見開く。
「段々、繋がってきたな」
「……ええ!」
俺の言葉に対して、アルノーは力強くうなずく。
自分の推理が正しければ──恐らく、クリストフ邸が放火された事件には先代リーズデイル公が一枚噛んでいる。
唯一の生き残りであるジャックのその後については、特に報道されていない。
わかるのは、事件直後に彼がショックで心身に不調をきたして記憶障害を発症したということだけだ。
そのため、暫くは入院していたらしいが、退院後に彼が一体どういう人生を歩んだのかについては全くもって不明である。
一時期は、事件のことを苦に自殺したとか現在は名前を変えて平民として暮らしているとか根も葉もない噂が流れたりしたが、信憑性はない。
だが、もしあの店主の正体がジャックだったとしたら……辻褄が合う。
──仮にジャックがリーズデイル家に復讐する目的で呪いをかけたのだとしたら、エルシーはジャックに誘拐されたのかもしれない。
でも、一体何のために?
リーズデイル家への復讐がしたかったのなら、わざわざ誘拐なんてせずに彼女も巻き込んで呪いをかければいい話だ。
いずれにせよ、近日中にリーズデイル邸に出向いてレナードを問い詰めなければ。
──ごめん、エルシー。一瞬でも、君のことを犯人だと疑ってしまったよ。
疑ってしまった従姉に対して、心の中で密かに謝罪をした。
エルシーが無事に戻ってきたら、改めてきちんと謝ろう。
「ああ、そうだ。アルノー。調査を終えたばかりのところで悪いんだが、もう一仕事頼まれてくれないか?」
「ええ。もちろん、構いませんよ。なんでしょうか?」
「リーズデイル家の邸内で最近起こった出来事について調べておいてほしい。内容は、どんな些細なことでも構わない。とにかく、何かわかったら俺に報告してくれ」
「かしこまりました。どんな些細なことでも構わない、と言いますと……例えば、『使用人が誤って食器を割ってしまった』とか、そういうことでも構わないということでしょうか?」
「そうだな。それくらい小さな出来事で全然構わない」
「なるほど、承知いたしました。でも、何故そんなことをお調べになりたいんですか……?」
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