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翌日。
イヴィは、予定通りパーティー会場にノアを連れていった。
他の生徒たちの冷たい視線が一気に自身に注がれるのを感じたが、彼らはそれ以上のことをしてこなかった。
ノアの言う通りだった。流石にこの歳になれば皆、わざわざ絡んでくることはないようだ。イヴィは一先ずほっと胸をなで下ろす。
パーティーは何事もなく開始し、順調に進んでいった。
そして、いよいよイヴィとリチャードの結婚が発表される時間になった。イヴィは緊張しつつも、身構える。
周囲からは変わり者だと思われているが、せめて未来の王妃として恥ずかしくない振る舞いをしなければ。
そのために、イヴィは厳しい王妃教育を受けてきたのだ。
痺れを切らしたイヴィは、リチャードのほうを一瞥する。けれど、いくら待っても自分たちの結婚が発表される気配はなかった。
その代わりに、リチャードの口から紡がれたのは──
「イヴィ・カーソン! 本日をもって、貴様との婚約を破棄する!」
「え……?」
イヴィは思わず耳を疑った。
リチャードが言い放った言葉に唖然としたのか、つい先ほどまで「パーティーって楽しいね」などと楽しげに話していたノアも絶句している。
「あの……殿下。せめて、理由を教えていただけないでしょうか?」
ノアを抱く手に力を込めたイヴィは、なんとか平常心を保ちながら尋ねる。
「貴様が罪のない同級生に──ミナに執拗に嫌がらせを繰り返したからだ! イヴィ。お前のような心の醜い女は、俺の婚約者に相応しくない!」
「そ、そんな……私は、嫌がらせなどしておりません! 信じてください、殿下!」
イヴィは必死に身の潔白を証明しようとした。
けれど、自身に注がれたのは軽蔑したような冷ややかな眼差しだけであった。
それもそのはず。この学園で、イヴィは腫れ物扱いを受けている。
同級生に友人が一人もいないのだから、当然ながら味方なんているはずもない。
「リチャード様……私、イヴィ様に脅されていたんです。『殿下と仲良くするのをやめなさい。今後殿下に近づいたら、ただじゃおかない』って……」
「なんだって!? イヴィは脅迫までしていたのか! 全く……嫉妬のあまり何の落ち度もない同級生に嫌がらせをするなんて、侯爵令嬢としてあるまじき行為だ! ……さぞかし、辛かっただろう? ミナ」
そう言いながら、リチャードはミナの肩を抱く。
すると、他の生徒たちはミナに同情し口々にイヴィを罵り始めた。
「ミナ嬢、よく今まで耐えたわね……」
「やっぱり、俺の見立ては間違っていなかった。あの女、いつか何かやらかすと思っていたんだよ」
「まあ、元々『人形の声が聞こえる』なんて言っている、頭のおかしい女だったしな。まともなわけがないよ」
イヴィは言葉に詰まる。
恐らく、リチャードとミナが共謀して自分を罠にはめたのだろう。けれども。今、この場に自分の無実を証明してくれる味方は一人もいない。
「なんだ、その目は?」
イヴィがせめてもの抵抗とばかりにリチャードに強い眼差しを向けると、彼はそれが気に入らないのか尋ねてきた。
「……」
イヴィはこみ上げる怒りをぐっと堪えた。
そして、ノアを小脇に抱えると、リチャードの腕に縋り付きながらも訴える。
「もし、私が何か失礼なことをしたのなら深くお詫び申し上げます。でも、これだけは信じてください。私は、ミナ様に嫌がらせなんて──」
言いかけた途端、リチャードはイヴィの腕を振り払った。
そして、鬼のような形相をすると、彼はイヴィの頬を平手打ちするつもりなのか満身の力で振りかぶった。
(叩かれる──!)
そう思い、イヴィが覚悟を決めた瞬間。
いつの間にか、小脇に抱えていたはずのノアが目の前にいた。
驚愕のあまり目を見張っていると、ノアの小さな体はリチャードの平手打ちをまともに受けた。
ノアはその衝撃で勢いよく吹っ飛び、そのまま床にぐしゃりと叩きつけられる。
「ノア!」
イヴィが駆け寄ると、あれだけ美しかったノアは変わり果てた姿へと変貌していた。
肢体はなくなり、手や足だったであろう欠片があちこちに散らばっている。
透き通るような硝子の青い目も、辛うじて右目だけは付いてはいるものの左目は取れており、どこに飛んで行ったのかすらわからない。
その惨憺たる光景に、イヴィは目を覆いたくなった。
(嫌……嫌よ。ノアが壊れてしまったなんて……そんなの、信じたくない……)
ここまで破損してしまったら、最早、修復不可能だ。
幼い頃から祖父の人形作りをずっと側で見てきたイヴィにとって、それは想像にかたくなかった。
不意に、頭の中に聞き慣れた声が響いてくる。
『……嫌な予感がしたんだ。やっぱり、ついて行って正解だったよ』
「ノア……?」
ノアが言っていることの意味がわからず、イヴィは指で涙を拭いつつも首を傾げる。
『ほら、昔から僕の勘はよく当たっただろう? 今回も、なんとなくね……君が危ない目に遭うような気がしたんだ。だから、何がなんでも君と一緒にパーティーに行きたかったんだよ』
「そんな……」
どうやら、ノアはイヴィが暴力を振るわれることを予知していたようだ。
恐らく、最初から庇うつもりでパーティーについてきたのだろう。
「なんでそんなことを……」
『……君のことが好きだからだよ。もちろん、一人の女の子としてね。好きな子を守りたいと思う気持ちは、人間も人形も変わらないよ』
「え……?」
イヴィは目を瞬かせる。
『僕は、人形だから──だから、ずっと人間である君を好きになったらいけないと思っていた。でもね、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけなかった』
ノアが言うには、イヴィと共に過ごすうちに段々と自分にも人間に近い感情が芽生えていったそうだ。
当初は困惑したものの、「僕は人形だ」と自分に言い聞かせることでどうにか平常心を保っていたらしい。
でも、どうしてもイヴィに対する気持ちだけは抑えることができなかった。そんな中、イヴィとリチャードの婚約が決まり──身を引く決心をした彼は、陰ながらイヴィの恋を応援することにしたのだという。
(知らなかった……)
イヴィは後悔する。ノアの健気な思いを知っていたら、もっと真摯に向き合っていたのに。
そこまで考えて、ふとイヴィの頭に疑問がよぎる。
(私は、本当にノアのことを『親友』としか思っていなかったの……?)
否、違う。本当は、イヴィ自身もとっくに悟っていたのだ。自分もノアと同じ気持ちだということを。
けれど、「人形を好きになるなんておかしい」という常識に囚われていたせいでずっと本心に気づかないふりをしていたのだ。
だからこそ、リチャードから婚約破棄を切り出されて必死に食い下がったのだろう。何故なら、彼と結婚すればノアへの想いを断ち切れると思ったから。
『本当は、ずっと内緒にしておくつもりだったけど……最期に、気持ちを伝えられて良かったよ』
最期、という言葉にイヴィは嫌な予感がした。
「え……? 最期って──」
『君と出会えて、本当によかった。……さよなら、イヴィ。絶対に幸せになるんだよ』
心なしか、無表情なはずのノアがにっこり微笑んだ気がした。
「待って! ノア!」
イヴィは夢中でノアを引き止めた。けれど、何度呼びかけても返事は返ってこない。
必死になって壊れた人形に呼びかけ続ける姿は、傍から見ればさぞかし滑稽に映ることだろう。
だが、イヴィはお構いなしにノアの名を呼び続けた。
──結局、それ以降イヴィはノアの声が一切聞こえなくなってしまったのだった。
イヴィは、予定通りパーティー会場にノアを連れていった。
他の生徒たちの冷たい視線が一気に自身に注がれるのを感じたが、彼らはそれ以上のことをしてこなかった。
ノアの言う通りだった。流石にこの歳になれば皆、わざわざ絡んでくることはないようだ。イヴィは一先ずほっと胸をなで下ろす。
パーティーは何事もなく開始し、順調に進んでいった。
そして、いよいよイヴィとリチャードの結婚が発表される時間になった。イヴィは緊張しつつも、身構える。
周囲からは変わり者だと思われているが、せめて未来の王妃として恥ずかしくない振る舞いをしなければ。
そのために、イヴィは厳しい王妃教育を受けてきたのだ。
痺れを切らしたイヴィは、リチャードのほうを一瞥する。けれど、いくら待っても自分たちの結婚が発表される気配はなかった。
その代わりに、リチャードの口から紡がれたのは──
「イヴィ・カーソン! 本日をもって、貴様との婚約を破棄する!」
「え……?」
イヴィは思わず耳を疑った。
リチャードが言い放った言葉に唖然としたのか、つい先ほどまで「パーティーって楽しいね」などと楽しげに話していたノアも絶句している。
「あの……殿下。せめて、理由を教えていただけないでしょうか?」
ノアを抱く手に力を込めたイヴィは、なんとか平常心を保ちながら尋ねる。
「貴様が罪のない同級生に──ミナに執拗に嫌がらせを繰り返したからだ! イヴィ。お前のような心の醜い女は、俺の婚約者に相応しくない!」
「そ、そんな……私は、嫌がらせなどしておりません! 信じてください、殿下!」
イヴィは必死に身の潔白を証明しようとした。
けれど、自身に注がれたのは軽蔑したような冷ややかな眼差しだけであった。
それもそのはず。この学園で、イヴィは腫れ物扱いを受けている。
同級生に友人が一人もいないのだから、当然ながら味方なんているはずもない。
「リチャード様……私、イヴィ様に脅されていたんです。『殿下と仲良くするのをやめなさい。今後殿下に近づいたら、ただじゃおかない』って……」
「なんだって!? イヴィは脅迫までしていたのか! 全く……嫉妬のあまり何の落ち度もない同級生に嫌がらせをするなんて、侯爵令嬢としてあるまじき行為だ! ……さぞかし、辛かっただろう? ミナ」
そう言いながら、リチャードはミナの肩を抱く。
すると、他の生徒たちはミナに同情し口々にイヴィを罵り始めた。
「ミナ嬢、よく今まで耐えたわね……」
「やっぱり、俺の見立ては間違っていなかった。あの女、いつか何かやらかすと思っていたんだよ」
「まあ、元々『人形の声が聞こえる』なんて言っている、頭のおかしい女だったしな。まともなわけがないよ」
イヴィは言葉に詰まる。
恐らく、リチャードとミナが共謀して自分を罠にはめたのだろう。けれども。今、この場に自分の無実を証明してくれる味方は一人もいない。
「なんだ、その目は?」
イヴィがせめてもの抵抗とばかりにリチャードに強い眼差しを向けると、彼はそれが気に入らないのか尋ねてきた。
「……」
イヴィはこみ上げる怒りをぐっと堪えた。
そして、ノアを小脇に抱えると、リチャードの腕に縋り付きながらも訴える。
「もし、私が何か失礼なことをしたのなら深くお詫び申し上げます。でも、これだけは信じてください。私は、ミナ様に嫌がらせなんて──」
言いかけた途端、リチャードはイヴィの腕を振り払った。
そして、鬼のような形相をすると、彼はイヴィの頬を平手打ちするつもりなのか満身の力で振りかぶった。
(叩かれる──!)
そう思い、イヴィが覚悟を決めた瞬間。
いつの間にか、小脇に抱えていたはずのノアが目の前にいた。
驚愕のあまり目を見張っていると、ノアの小さな体はリチャードの平手打ちをまともに受けた。
ノアはその衝撃で勢いよく吹っ飛び、そのまま床にぐしゃりと叩きつけられる。
「ノア!」
イヴィが駆け寄ると、あれだけ美しかったノアは変わり果てた姿へと変貌していた。
肢体はなくなり、手や足だったであろう欠片があちこちに散らばっている。
透き通るような硝子の青い目も、辛うじて右目だけは付いてはいるものの左目は取れており、どこに飛んで行ったのかすらわからない。
その惨憺たる光景に、イヴィは目を覆いたくなった。
(嫌……嫌よ。ノアが壊れてしまったなんて……そんなの、信じたくない……)
ここまで破損してしまったら、最早、修復不可能だ。
幼い頃から祖父の人形作りをずっと側で見てきたイヴィにとって、それは想像にかたくなかった。
不意に、頭の中に聞き慣れた声が響いてくる。
『……嫌な予感がしたんだ。やっぱり、ついて行って正解だったよ』
「ノア……?」
ノアが言っていることの意味がわからず、イヴィは指で涙を拭いつつも首を傾げる。
『ほら、昔から僕の勘はよく当たっただろう? 今回も、なんとなくね……君が危ない目に遭うような気がしたんだ。だから、何がなんでも君と一緒にパーティーに行きたかったんだよ』
「そんな……」
どうやら、ノアはイヴィが暴力を振るわれることを予知していたようだ。
恐らく、最初から庇うつもりでパーティーについてきたのだろう。
「なんでそんなことを……」
『……君のことが好きだからだよ。もちろん、一人の女の子としてね。好きな子を守りたいと思う気持ちは、人間も人形も変わらないよ』
「え……?」
イヴィは目を瞬かせる。
『僕は、人形だから──だから、ずっと人間である君を好きになったらいけないと思っていた。でもね、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけなかった』
ノアが言うには、イヴィと共に過ごすうちに段々と自分にも人間に近い感情が芽生えていったそうだ。
当初は困惑したものの、「僕は人形だ」と自分に言い聞かせることでどうにか平常心を保っていたらしい。
でも、どうしてもイヴィに対する気持ちだけは抑えることができなかった。そんな中、イヴィとリチャードの婚約が決まり──身を引く決心をした彼は、陰ながらイヴィの恋を応援することにしたのだという。
(知らなかった……)
イヴィは後悔する。ノアの健気な思いを知っていたら、もっと真摯に向き合っていたのに。
そこまで考えて、ふとイヴィの頭に疑問がよぎる。
(私は、本当にノアのことを『親友』としか思っていなかったの……?)
否、違う。本当は、イヴィ自身もとっくに悟っていたのだ。自分もノアと同じ気持ちだということを。
けれど、「人形を好きになるなんておかしい」という常識に囚われていたせいでずっと本心に気づかないふりをしていたのだ。
だからこそ、リチャードから婚約破棄を切り出されて必死に食い下がったのだろう。何故なら、彼と結婚すればノアへの想いを断ち切れると思ったから。
『本当は、ずっと内緒にしておくつもりだったけど……最期に、気持ちを伝えられて良かったよ』
最期、という言葉にイヴィは嫌な予感がした。
「え……? 最期って──」
『君と出会えて、本当によかった。……さよなら、イヴィ。絶対に幸せになるんだよ』
心なしか、無表情なはずのノアがにっこり微笑んだ気がした。
「待って! ノア!」
イヴィは夢中でノアを引き止めた。けれど、何度呼びかけても返事は返ってこない。
必死になって壊れた人形に呼びかけ続ける姿は、傍から見ればさぞかし滑稽に映ることだろう。
だが、イヴィはお構いなしにノアの名を呼び続けた。
──結局、それ以降イヴィはノアの声が一切聞こえなくなってしまったのだった。
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