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第11章
第186話 またの非常事態
しおりを挟む船に乗り、3日が過ぎた。海の航海は順調で、嵐にも鉢合わせることもない。実に緩やかな波の中を進んでいき、天候にも恵まれ、気持ちの良い追い風が吹いている。クレアが魔法で風を送る必要すら無いほどに。
船客もそれに気を良くして船旅を楽しんでいる。船の上だと本来はやることが無くなってしまうので暇を持て余すところだが、この船には暇を潰すためのトレーニング部屋や賭け事ができる部屋などがあり、各々好きなように訪れて楽しむことができる。
常に揺れている船なので、船酔いを起こして体調不良を訴える者も中には出てきているが、それ以外は特に事件などは起きていない。異常者も乗っていないので、船の中での殺人事件等もなく、実に平和そのものだった。
やることが無いのもまた考えようだなと、オリヴィアは思いながらここ3日は必ず訪れている部屋に向かう。見つかると立ち入り禁止だの何だの言われるので船員に見つからないように忍びながら、ツァカルの居る道具部屋へと向かっていった。慣れた感じでリュウデリアが内側の鍵を魔力操作で開け、さっさと中に入る。
中では荷物などが沢山置かれていて、その荷物と荷物の人1人が入れるくらいの隙間にツァカルは居る。恐る恐る顔を出してこちらを覗き込み、来たのがオリヴィア達だと分かるとパッと顔を輝かせて出てきた。まだ体は痩せ細っているが、しっかりと歩けるし立つ座るの動作も問題ない。飯を食っただけでこれなのだから、実に高い生命力だ。
「待っていたっ!来てくれてありがとうっ!」
「契約内容だからな」
「それでもだともっ!」
やって来て早々、別の空間から食料を出してツァカルに差し出した。1日3回の食事が今では至上の喜びであり、早く来ないか尻尾を振って待っていた。他にやることは無いので、食事を取れることを活かして部屋の中で適度な運動をして筋肉を元に戻そうという試みもしている。
受け取ったパンにチーズとハムを挟んで食べる。カビの生えたパンを食べていたので、味が合って他の食材と一緒に食べるのはとても犯罪的美味さを感じられた。無心になって食べながら、しっかりと味わっている。無くなってしまうと悲しくなり、頭頂部の獣の耳が垂れ下がるが、次の楽しみまで待とうと考えていれば何とか持ち堪えられる。
コップの中に水を注いでもらい、それを飲み干せばぷはぁ……と満足そうに息を吐いた。ちゃんとしたものを食べられるというのは、何故こうも幸せなのだろうと恍惚とし、この3日習慣化している食後のお礼をオリヴィアにした。頭を下げ、ありがとうと言うのだ。聞き飽きたからやらなくて良いと言ってもやるので、もう好きにさせている彼女だった。
食べ物のありがたみを常に感じていたツァカルは、言いにくそうにオリヴィアに少しだけ話し相手になって欲しいと頼んだ。筋トレをするのも良いが、やはり誰かとお喋りをしたいのだ。港町だと追い掛けられて指名手配までされてしまい、話せるものは居なかった。なのですぐに居なくならないでくれと頼んだのだ。
別にツァカルが居る、この道具部屋を出てもやらなくてはいけないこと等無いので、別に構わないと答えた。ツァカルはパッと顔を明るくさせ、襤褸の中で尻尾を振って喜びの感情を表した。
「何の話をしようか!?」
「予め決めておけそのくらい。お前から願ったというのに……」
「す、すまないっ!えーっと、あっそうだ。西の大陸へはどのくらいの航海なんだろうか?」
「ふむ、順調に船が進めば2週間程度だと聞いたが」
「おお……っ!ということはあと10日くらいということかっ!やっと……故郷に帰れる……」
「順調に行けばだ。途中で何かが起きたら対応に追われ、時間も掛かることだろう」
「そうか……このまま何事も無ければいいが……」
皆さんはことわざにある『噂をすれば影がさす』というものを知っているだろうか。他人の噂をするとその人が現れ、影が掛かる。つまり、噂をするとすぐにその人の耳に入ってしまうので、他人の噂をする場合は注意した方がいい……というものだ。ある人の噂をしていたら、その当人が登場した状況を表わす慣用句とも言える。
『噂をすれば影』『噂をすれば』とよく略されている。何が言いたいかというと、その言葉そのものはフラグに成り得るということだ。代表的なもので、俺……帰ったら結婚するんだ……というものがある。これを言ったら高確率で出先で死ぬ。間違いない(偏見)。
フラグというのは回収されやすいもので、誰かが言った言葉もすぐにフラグになる。特に安寧を求めたりすると、その逆の回収作業がやってくる。ツァカルが今先程言った『何事も無ければいいが……』というのも、とても立派なフラグだ。となればだ、回収作業がやって来る訳だ。それも早々に。
「──────っ!?な、なんだ!?」
「おぉっと……ありがとうリュウデリア」
「うむ」
突如、船全体が大きく揺れた。何かにぶつかったような揺れ方ではない。大きな波が船の側面に当てられて大きく揺らされたという感じの揺れだった。その強さは、正座で座っていたツァカルが横に倒れるくらいのもの。同じくしてオリヴィアも倒れそうになったが、リュウデリアの魔力操作によって見えないクッションを当てられて体勢を戻せた。
大きく揺れた船に不安を抱いているようで、ツァカルは襤褸を抱き締めながら小さくなって目を泳がせている。船の上ということは、他は全部海だ。転覆でもした暁には延々と海の波に晒されることになる。食べ物で体力が戻ってきているとはいえ、まだまだ本調子ではないツァカルにとって、海への落下は死と同義だ。なので大きな不安を煽られている。
一方のオリヴィアは、一度目を瞑って集中状態に入った。まだ慣れていないので視覚情報を遮断した方がやりやすい。気配の感知領域を広げていく。目の前にツァカルの気配。廊下を走って外に出る船員と、指示があった時用に大きな魔水晶が置かれた下の部屋に向かう船員。
大きな揺れに驚いて慌てている船客と、念の為に部屋から出ないようにと言葉を掛けるのに奔走している船の係員。状況を己の目で確認するために甲板に出ている船長。そして……海から顔を出してこちらを見下ろす巨大な生物。船が揺れた原因は十中八九この巨大な生物の所為だろう。
「いつも通りそこに隠れていろ」
「お、オリヴィアさんはどこに行くんだ……?」
「揺れの原因の元に行ってくる。お前とのお喋りよりも面白いものが見れるやも知れん」
「じ、地味にヒドい……。けど、お気をつけて……っ!」
目を開けたオリヴィアは立ち上がった。両肩と腕の中に居るリュウデリア、バルガス、クレアは自力で気配を察せられるようになったオリヴィアに感心しつつ、外に居る生物について考えていた。ツァカルは非常事態でも部屋から出て人の目に映る訳にもいかないので待機しかない。
不安そうな目を向けて見上げるツァカルに、隠れておけとだけ言って部屋を後にしたオリヴィアは、廊下を走って甲板を目指した。途中で慌ただしく船の中を走る船員と会いそうになったが、気配を読んで寸前のところを隠れてやり過ごす。
そうやって身を隠しながら廊下を駆け抜けていき、階段を上がって甲板に出た。船員や船長が同じ方向の斜め上を見上げている。太陽の光と重なって眩しいが、手で庇を作りながら見上げると、気配を感知した時と全く同じシルエットの巨大な生物が、やはりこちらを見下ろしていた。
「あれは……」
「『ライホーン』だな」
「ライホーン……?」
「あぁ。海に生息する生物で、体は長さだけで言うならば本来の俺達よりも大きい。体の大部分が超電圧を作り出す特別な器官になっていて、雷を纏って獲物を電気によって失神もしくは感電死させて捕食する。船がよく狙われるとも本に書いてあった」
「例の如く狙われている訳だな」
「そうだ」
「大丈夫だって、オレ達が居る時点で船が沈むこたァねーよ」
「超電圧と……言っても……大したものでは……ない。人間ならば……即死だが……私達には……静電気にも……ならない」
「龍に対しては大体そうだと思うが……」
海から顔を出す巨大な生物とは、ライホーンと呼ばれる魔物だった。デンキウナギのような体躯に先端が尖るように伸びた頭。口は鮫のような鋭い牙を備えている。襲い掛かってこないでジッとこちらを見下ろすのは何故だろうか。ただ観察しているのか、狙いすましているのかは解らないが、戦闘に備えた方が良いだろう。
体は細く長い体付きをしていて手脚は無い。なので長さだけを見ると、本来の大きさになったリュウデリア達よりも大きいのだ。全長80メートルくらいだろうか。そんな大きな体をしてそれ相応の質量を持った魔物が船に襲い掛かれば、船は粉々になるだろう。
非常事態と言って差し支えない。いや、緊急事態だろうか。どちらにせよ船がどうなるかは数秒か数十秒かの未来で確定すること。船長は既に取る行動を船員に伝えている。船の下層に設置された大きな魔水晶を起動させて膨大な魔力が船内に溜められた。それを察知したのかライホーンが鋭い牙を覗かせる口を開けて、上から大被さるように襲い掛かってきた。
「──────対魔物用防御結界……起動」
「対魔物用防御結界、起動しますッ!!」
「────────────ッ!!!!」
船長の言葉を、船の下層に居る船員に伝えるために手乗りサイズの、声を受信送信ができる魔水晶に向かって叫んだ。すると、ライホーンの牙が船に届くよりも先に、全範囲型であるドーム状況の防御結界を展開した。薄く白い膜が包み込むように展開され、それに対して牙を立てるライホーン。
強靱な咬筋力で結界ごと噛み砕こうとしたのも束の間、結界は衝撃を受けた瞬間に、外側に向けて衝撃波を放った。噛み付いた際に結界に突き立てた牙が折れる。体が大きいが故に的も大きく、余すことなく強力な衝撃波を顔から受け止めてしまったライホーンは、絶叫を上げながら後ろへ倒れ込んだ。
水飛沫が上がる。船が揺らされるほどの大きな衝撃と共に波を発生させ、水柱が立ち上った。海の中に沈んで姿が見えないが、相当なダメージを負っているはず。体だけで受け止めるならば、超電圧を生成する器官にダメージを負うだけだが、顔に衝撃波を受けたのだ。脳を揺らすほどのものは受けていると思いたい。
甲板に居る船員が拳を掲げて喜びを露わにする。見上げるほど大きな魔物を退けられたというのは気持ちの良いものだろう。リュウデリアの所為ではあるが、巨大な大津波に続いて危機を脱した喜びは大きいものだ。しかし、その喜びの声の中で船長だけは海を見つめていた。喜びもせず、黙してライホーンが居た方向を見ているだけ。何かがあるというのだろうか。
「あの程度では追い払えんな」
「衝撃波が直撃したように思えるが?」
「威力が足りん。あの大きさに対して、発した衝撃波では少しのダメージを負わせることができても追い払えるだけのダメージは与えられていない。むしろ、激怒させた」
「ちょっと驚いただけで、戦闘態勢を整えてるとこだな。器官は無事だろーから、次は雷撃だな」
「前回の……防御から見て……これ以上の……防御魔法は……無いだろう。魔水晶の……魔力も……無限では……ない。魔力が……尽きるか……雷で……防御魔法を……貫通されるかで……終わりだろう」
「ということは、この船ではあのライホーンに勝てないということか?」
「もう少し弱い個体ならばアレで終わったのだろうが、運が悪かったな」
小声でリュウデリア達から今起きている詳細を聞いたオリヴィアは、自分達が乗っていなかったら今回のことで船が沈んでいたということか……と理解した。ナイリィヌが乗っているので、自分達も乗って良かったなと頷く。
海からライホーンが姿を現さない。てっきり倒したのだと勘違いした船員に、船長は渇を入れた。大声で準備に取り掛かるよう叫ぶと同時に、船の目の前に水の柱が立った。ライホーンである。下から勢い良く体を出してきたのだ。そして、長い体を活かして防御結界を展開している船にゆっくりと巻き付いたのだ。
巻き付いて視界を埋め尽くそうとするライホーンに、船長は目を細める。衝撃波で引き剥がしたいところだが、この防御結界は与えられた衝撃を使って更に増幅させ、全方位に放つというカラクリだ。ライホーンはゆっくりと巻き付いているため、大した衝撃を与えられず、弱々しい衝撃波しか遅れないのだ。
謂わば受け流しの結界を、偶然にもライホーンが穴を突く形で突破してしまった。そして、巻き付き終えたライホーンは締め付けて結界を力技で破壊しようとしている。ミシリと音を立てており、魔法の結界が軋んでいる。そこへ、追い打ちが如く全身から超電圧を放った。
「お、おい……これはマズくないか……っ!?」
「この魔法結界の他に防御魔法を展開するには、1度結界と解かないとダメなんだぞ!?」
「解いた瞬間に締め付けられて粉々だ……っ!」
「……………………。」
今展開している魔法結界は、受けた雷撃を受け流す。衝撃波に変えてライホーンを襲うが、巻き付いて離れず、ダメージ覚悟で締め付けていて離れない。やがて、衝撃波を乗り越えたライホーンはダメージを負いつつ、魔法結界にビシリと罅を入れた。綻びが1ヵ所でも生まれれば、連鎖的に罅が広がって割れやすくなる。
先程、ライホーンを退けられたと思って喜んでいた船員は、今のマズい状況に顔を青くしている。元々船を襲いやすいライホーンを警戒して、こういった船には防御手段が設けられる。しかし、この個体は大きく強すぎた。そして運も無かった。まさか巻き付いてくるという戦法を取られるとは思わなかったのだ。
船長は酷く罅の入った魔法結界を帽子の鍔を指で掴みながら見上げている。次の指示が出て来ない。船員が言っていたように、他の防御魔法を展開するには、今展開している魔法結界を解かなければ、魔水晶を使うことができないのだ。現状、詰みと言ってもいい。彼女達が居なければ。
破壊される寸前の魔法結界を内側から易々と貫通し、ライホーンの体を爆発で船の周りから強引に弾き飛ばす純黒。船長や船員は、掌を向けて純黒の球体を放つオリヴィアの姿を目にしたのだった。
──────────────────
海の魔物・ライホーン
デンキウナギのような体を持ち、頭の部分が鋭利に尖って伸びている。口は鮫のような鋭い牙を備えていて、相手の電磁波を読み取って獲物を狩るので目が退化している。殆ど見えていないくらい弱く、小さい。
体の大部分が超電圧を生み出す器官となっていて、自身より小さいものを基本的に狙って襲い掛かる。海に住んでいるので、船が狙われることが1番多い。冒険者ギルドで討伐依頼としてきたら、A~S相当の相手。
体の長さだけならば、本来のリュウデリア達よりも大きい。
ツァカル
3回の食事が最高に幸せ。同時に失った筋肉を戻そうと筋トレをしている。部屋に入ってきた船員にいざというときにバレないよう物陰に隠れながら、少しずつやっている。
龍ズ
気配で大きな生物が近づいていることを察知していた。だから、自分達の強大な気配で逃げないように気配を殺し、襲ってくるのを待っていた。
アドバイスも与えられず、気配を広範囲で察知できるようになっているオリヴィアに成長速度が早いと驚いているが、嬉しくもある。
ライホーンが強めの個体ということも、勿論知っていた。
オリヴィア
船長と船員ならば、今回もこの危機を脱するんだろうなと観客気分で眺めていたら、まさかのダメであれ?となった。リュウデリア達が無理だと言うのだからほぼ確実に沈むことを察する。
自分達が乗れなかったらナイリィヌが危ない目に遭っていただろうから、乗ったのは正解だなという思い。死んだら死んだで残念だなと思うだけで、別に悲しまない。
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