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第9章
第156話 選定せし者
しおりを挟む神界を赤黒い雲が覆う。大地に張り巡らされた、人体で言う血管の役割をしている龍脈から力を吸収した獣は、己の肉体……存在を更なる高みへと押し上げた。
頭上に浮かぶ黒い輪。天使の輪にも思えるそれは、二重三重にと輪の数を増やしていき、輪が3つとなった時、真上の上空から赤黒い雲を生み出したのだ。範囲は爆発的な速度で広がり、不穏な空気を醸し出す。
神々は上を見上げた。あの血の色をした雲は一体何なのだろうか……と。今まで見たこともない異常な天気。不安を煽るようなそれに、さしもの神々と言えどいつも通りの平静とはいかなかったらしい。
不気味な赤黒い雲に、肌をぴりつかせる嫌な雰囲気。その感覚は残念なことに正しく、異変はすぐに訪れた。弱い力から強い力に変わっていく地震。立っているのも儘ならない程まで強くなってしまえば、転んだり近くの建物に掴まって凌ぐしか無い。だが建物は自身の力で崩壊する。近くに居れば捲き込まれ、中に避難すれば潰される。
早く収まってくれ。そう願うのは当然。しかし事態は最悪の方向へ進む。地震が起きていただけかと思えば、大地が持ち上がった。抉り取った形で持ち上がったり、小さく粉々になって浮いたりとし始めたのだ。足場が無くなり、悲鳴を上げながら雨のように落ちていく神々。
大地は裂け、砕け、持ち上がり、神々は叫ぶ。巨大な竜巻が発生して巻き上げ、雷鳴が轟き、家よりも大きい異常な大きさをした雹が降り注ぐ。混乱した神物が暴れ回って更に混乱を招き、村や国の王都を襲撃した。災厄は広がり続ける。その中心部に居る黒き獣は、前の己よりも生まれ変わったが如く強くなった自身を確信した。
だがそれでも、まだ足りない。確かに感じ取ったバルガスとクレアの気配は自身の現状でどうにかできるレベルではなかった。ならば、リュウデリアがそれと同等かそれ以上と考えた方が良いだろう。だから獣は現状で満足していない。これ以上の強さを手にしなければならないのだ。
獣は近くに建てられた国の王都を見る。数多くの神々が住まうからこそ気配が多く感じ取れる。アレ等を全て喰らえば、少しの権能は得られるはず。運悪く居なかったとしても、吸収の権能で神格を吸収して単純な強さを得る。強さを得て黒龍を殺す。あの狂気を内包した黒龍を。
「──────いやぁああああああああああっ!!!!」
「助けてくれっ!!あの獣に喰われたら復活出来ないっ!!」
「喰われたくないよぉっ!!」
「戦いの神は何してるんだっ!!」
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
正面から門を破壊して中に侵入した獣が神を喰らい始めた。吸収の権能を使用して、権能を持たない神を喰らっても強さの足しにする。権能を持っていれば、それも奪い取ってしまう。喰らえば喰らう程強くなっていく。
喰われても復活出来ると高を括っていた神々は、喰われた後も何事も無かったように現れると思って驚きはすれど怯えも焦りも無かった。無駄なことを……という上からの目線でことの成り行きを見ていた。しかし喰われた神が復活せず、次々と死んでいくのを見て、この獣は神を殺せる存在だと察した。
それからは逃げるだけだった。いや、戦いの神として戦う覚悟を決めた勇姿もあったが、それは所詮蛮勇と成り果てた。神からの攻撃に耐性を持つ獣に、権能は効かない。武器による攻撃も殴打も蹴りも効きはしないのだ。立ち向かうこと、それ即ち喰われに行くことと同義である。
このまま王都に住む神々は喰われてしまうのだろうか。獣が地上で逃げている神々を手で捕まえる。1度に20柱は捕らえただろうか。上を向いて大口を開ける。口の中に口がある奇妙な大口の中に落とされ、噛み砕かれそうになった時、獣の動きが止まった。耳をぴくりと反応させる。来た。そう感じ取った。
「──────逃がさんと言っただろうがクソガキ。多少強くなったからと言って図に乗るなよ?落ち着いてはいるが、お前の事は全身の皮を剥いで頭を引き千切って心臓を抉り出して殺さねば気が済まん。お前の早期な死はお前自身の行動であると知れ。……ダメだ。思い出しただけでも腹が立つッ!!ぶち殺してやるからな塵芥の犬風情がァッ!!!!」
「お、オリヴィアさんっ!早く此処から離れましょう!?彼の怒気だけで死んでしまいますっ!」
「ちょっとイライラしているだけじゃないか」
「ちょっとっ!?アレでちょっとですかっ!?」
「完全に怒り以外の感情を忘れたら言葉も忘れて咆哮しているからな。それに、その状態ならばお前はもう死んでいる。巻き添えという形で」
「怖いっ!?」
上空から勢い良く落下して降り立ったリュウデリア。掌の上にはオリヴィアとシモォナが居た。捲き込む可能性があるからと置いていこうとしたが、獣の逃げた先に神々の国があると知るや否や、連れて行ってくれと言ってシモォナが駄々を捏ねたのだ。
理由は、声を呼び掛けて退避してもらう為だった。獣に襲われた場所だけではない。その周辺の地域に居る神々総てだ。避難するにしても、その国の者達は誘導に従って逃げるのだろうから、シモォナがやる必要なんて無いと言ったのだが、何もしないのは嫌だという正義感を振りかざしていた。
まあオリヴィアを傍に置いておけば、変に流れ弾で死ぬことはないだろうということで許可したのだ。邪魔はするなと条件をつけて。リュウデリアが下に降ろすと、彼女達はバラバラに逃げる者達の避難誘導を開始した。
獣はオリヴィア達の方を見てすらいない。人質にして捕らえてしまえば良いのにと思われるかも知れないが、そんなことをしている暇も隙も無い。獣の目を鋭い瞳でずっと睨みつけるように見ながら、喉の奥から唸り声を上げているリュウデリアが居る。この場から一切逃がすつもりの無いと言わんばかりの睨みだ。
彼が右手の人差し指を向ける。場所は獣の首元。厳密に言うと彼が噛み付いた部分だ。何なのだと獣が思えば、皮膚が熱く感じた。反射的に手を当てれば、何かの模様がついて火傷のようになっていた。刻まれているのは魔法陣。リュウデリアの手によって付けられたものだ。
「この俺がお前のためだけに、たった今完成させた魔法陣だ。それは謂わば俺の眼。常にお前を通して周囲を見ていると考えていい。故にお前が何処に行こうが必ずお前の所へ瞬間移動する。例え那由他の彼方へ逃げようが必ずお前の元へ行ってやる。あぁ、皮膚を剥がそうと意味は無い。その魔法陣が接続しているのはお前の脊髄だからな。本気で取り除きたいならば、頭も共に毟り切る勢いでやらねばならんぞ」
「■■■■■■■■■………ッ!!!!」
「あぁ、言語を介さないお前なんぞに言ったところで理解できんだろうがな。さて、殺し合いを再開しよう。俺はお前を殺したくて仕方ない」
拳を構える。その体に傷は無い。怒りのあまり握り締めて割った掌の部分の鱗も、吸収した衝撃を全て込めた拳で砕いた鳩尾周辺の鱗も避けた肉も、何も無かった。自身と同じ無傷な状態へと戻っている。獣はリュウデリアがどうやって傷を癒やしたか知らないが、これで条件は同じであることは把握した。
手の中に捕らえられた約20柱の神々は、リュウデリアの登場によって動きが固まり、喰われることなくまだ生きていたが、結局口の中に放り込まれて喰われてしまった。口の中から神の血を涎のように流しながら嚥下した獣は、咆哮しながら走り出した。
速度は格段に上がっている。存在を強化したので全ての事が上昇している獣は、速度に乗って拳を出した。右拳で狙ったのはリュウデリアの左横面だった。吸い込まれるように打ち込まれた拳。しかし手応えは殆ど感じられず、彼の体が右へと傾くと同時に、左腕が外から伸ばされて獣の右頬を打ち抜いた。
吹き飛ぶことなく、2歩後方に蹈鞴を踏む形で下がっただけの獣は、やられたことを客観的に分析した。近づいて拳を入れるのは自身の方が先にやった。そして殴ったは良いが殆ど殴った感触はせず、横に倒れていくのかと思いきや横から拳が飛来した。簡単に言えば、自分から殴打の力の向きに身を任せ、その流れで拳を出してきた。つまりはカウンターだ。
傾いた体を元の状態に戻して、握り込んだ手を掌で押さえてばきりと関節を鳴らした。見るからに出来て当然とでもいう姿勢だ。単純な殴り合いではなく、技術も織り交ぜていくらしい。つまるところ、力の暴力による殺し合いではなく、獣を殺しにいっているという訳だ。それでも専用武器を抜かないのは、心の何処かでもう少し良い戦いが出来るのではないかと期待しているのかも知れない。
「それ相応の強さで殴ったが、その程度で済むとなると……お前は相当のパワーアップを果たしたと見るべきか」
「■■■■■■■■■■…………ッ!!」
「瞬間移動か……──────無駄だと言っただろうが」
背後への転移。それに対してリュウデリアが行ったのは殴打だった。振り向き様に拳を向ける。瞬間移動をした獣は、既に振りかぶられて打ち込まれようとしている拳を見た。だが対処した。転移した先に攻撃をしており、不意を突く筈が不意を突かれたというのに、恐るべき反応速度で受け止めた。
両手で止められた拳に目を細める。奥に持っていけそうにない。膂力も相当なものになっているようだ。両腕と片腕という不利なものだが、殴り飛ばすつもりで打ち込んだので受け止められただけでも驚きだ。強くなる前ならば十中八九殴り飛ばしていた。
受け止められた事に少しの驚きがあるリュウデリアだが、獣とて驚きがある。使う素振りを見せず瞬間移動をしたというのに、転移した後ではもう拳が振られていた。点と点での移動であるとは解っているが、それにしても行動が速過ぎるし、拳を向ける場所が完全に転移した後の自身の顔面だった。
完全に瞬間移動の癖を掴まれている。最早何処へ転移しようが次の瞬間には向かってくるか、攻撃を打ち込んで来ることだろう。対応能力と記憶力、戦闘センスを持ち合わせるリュウデリアからしてみればこの程度容易な事だ。それにもうマーキングされているので、長距離を移動しても彼からは逃げられない。
「早く拳を構えろッ!!無抵抗なお前を殺しても何の意味も無いッ!!存分に足掻いて死ねッ!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」
殴り合いが始まる。が、やはりリュウデリアは獣からの打撃を受けるつもりは無いようで、顔を反らせて避けたり、受け止めて防いだり、いなして逸らせたりしていた。自身の攻撃は一向に当たらないのに、リュウデリアからの攻撃は次々と打ち込まれていく。分が悪いという考えはあるが、解決方法が解らない。
まだ完全でないとは言え、やられないように強くなっているにも拘わらずこの力量差。戦いに関しての経験は圧倒的にリュウデリアが勝る。魔力という媒介が無ければ発動出来ない魔法よりも、使用する権利である権能は媒介を必要としないため、自由度と持続力は獣が上だった。
肉体の強さは、強化したとしてもまだリュウデリアの方が上だ。総合的に見て、強くなっている獣よりも彼の方が強い。ならば戦いに於いては、隙を作らせたり不意を突くしかないのだ。しかし生まれて1日も立っていない獣に、高度な掛け合いは出来ない。出来ない以上は仕方ない?本当にそうだろうか。
強くならないと勝てないと悟って、本来ならばどうしようもない、すぐに強くなるという部分を実行に移し、勝ってはいないものの強くなった獣が、そう簡単に諦めるだろうか。いいや、それは違うだろう。無いならば得れば良いだけの事だ。
考えを悟らせない為に、雄叫びの咆哮を上げながら形振り構わず殴り掛かる。例えこちらの攻撃を完璧に防がれてしまおうと、狙いは拳を入れる事ではないのだ。蓄積していく痛みやダメージ、怒りの感情を内に秘めながら、ひたすら前進して殴り合いを続行した。
そして時が来た。獣は、リュウデリアが大きく右腕を振りかぶったのを見て足払いを掛けた。寸前で跳躍して回避されてしまったが、地面から足を離させるのが目的だったのだ。
権能を発動する。今足払いの蹴りに使った衝撃だけを別の場所へ転移させる。転移先はリュウデリアの背後だった。突然の背中への衝撃に、獣の方へ体が持っていかれる。少し瞠目している彼は、自身に向けて両手を向ける獣を見た。そして、上腕を掴まれ、後ろへ仰け反らせた頭を向けてきた。
額をぶつけ合う。綺麗に決まった頭突きで、衝突した途端に周囲へ衝撃波が舞う。それだけの威力が込められていた。しかしリュウデリアはそこまでダメージを負わなかった。鱗に罅も入っていない。獣の額も、神界の龍脈から得たエネルギーで強くなったからか、割れることも無かった。
頭突きをして2歩後ろへ下がったリュウデリアに、獣も軽く跳躍しながら後ろへ下がった。まさかまた逃げるつもりなのかと思ったリュウデリアだったが、口を開いて閉じてを繰り返している獣に訝しげに眉をひそめた。そしてその後、彼は驚く事になった。
「──────お……まえ…………つ……よい」
「──────ッ!喋れるのか、お前は」
「おま……えの……あた……ま……つか……った」
「……先の頭突きか。それで俺の頭の中の言語を得た訳だ」
「そう……だ。わたし……の力で……お前の……頭の中から……知識を……得た」
「ふん。それで?頭が足りんから俺の知識を奪い、俺に勝つと?そう簡単に事が運ぶとでも思っているのかァ?笑わせるな」
「──────そこまで自惚れてはいない。しかしこれでかけ離れていたものが多少埋まった事に変わりは無い。私はお前を必ず殺してみせる」
「はッ!やってみろ、犬ッ!!」
「私は犬ではない──────私はエルワール。選定せし者である」
黒き獣。名をエルワール。リュウデリアに頭突きを食らわせ、権能を用いて知識を得た彼はそう名乗った。自身でもまだリュウデリアには勝てないと解っているからこそ、その差を埋めるべく使った手。
睨み合い、対峙するリュウデリアとエルワールは殺気を撒き散らしながら駆け出して互いの顔を殴った。戦いの終わりに近づいているのやも知れない。
──────────────────
エルワール
黒き獣。知識というか、戦いの考え方を知らないと悟り、頭突きをしながらリュウデリアの知識を得た。それにより言語を修得する。最初は慣れなかったが、高度な知能を有しているのですぐにマスターする。
リュウデリア
知識を得られてしまった事に何とも思っていない。自身の知識を奪ったところで自身に勝てる道理が無いと思っているから。
エルワールの脊髄に付与する形で魔法陣を刻んだ。瞬間移動するための目印的なもの。これで何処へ行こうと絶対に見失わない。つまり絶対に逃がさない。
オリヴィア&シモォナ
逃げ遅れた神々の避難誘導をしている。シモォナは必死にやっているが、オリヴィアはどうでも良さそうにやっている。別に助けてやる義理はないから。勿論顔は隠している。
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