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第4章
第37話 三つ巴
しおりを挟む龍のみが住まう浮遊する大陸“スカイディア”。リュウデリアからしてみれば酷くつまらない、実にやるだけ無駄だった決闘を2回行い、呼び出された用件の龍王自らのスカウトを蹴り、いざ地上へ帰ろうとした時だった。
空を飛べないオリヴィアは純黒の大きな掌の上に乗り、飛んでもらって移動していた。来たときの道は見るだけでは解らないが、リュウデリアには解るらしく、迷い無く真っ直ぐに飛んでいた。しかしゆっくり飛んで数十分が経った頃だろうか、ふと何かを察知したように前方じゃない方向を見るリュウデリア。
飛んでいた飛行をやめてその場に留まり、しきりに首を動かしている。何かあったのだろうか。そう訪ねようとしても、どうやらかなり真剣に何かを感じ取っている様子なので話し掛けるのはやめた。その代わりに何かを探している様子が無くなったリュウデリアに、どうしたのか尋ねた。
「……強い気配だ」
「強い?お前が強いと言うならば……龍王レベルということか?」
「いや、そこまでは解らん。だが……この気配は尋常じゃなく強い。それに姿が見えないというのにこの魔力……龍王も合わせて今までで最高レベルの強さだ」
「……行ってみるか?」
「あぁ。お前にはすまないが──────今呼ばれた」
何も感じなかったが、リュウデリアには解ったらしい。実のところピンポイントで強い気配を叩き付けられたので、相手もこちらの存在に気が付いているらしい。それを誘われているのだと正確に捉えた後は早かった。一応断りを入れて気配が飛んできた方向へと飛び始めた。
とても強い気配が2つ、前方から感じ取れる。決闘で殺し合った精鋭部隊なんぞ道端の石ころに思える位の、計り知れない気配だ。直感するだけで、恐らくは自身と同タイプの龍だろう。でなければ絶対に可笑しい。これほどの強さを発せられて龍でなかったら何だというのか。
ダメだ、笑みが浮かんでしまう。口の端が無意識に段々と吊り上がっていってしまい、笑みを作ることを止められない。オリヴィアを乗せていない方の右手をぎちぎちと握り込み、歓喜の感情を抑え込む。絶対に強い。今まで通り無傷とはいかないだろう。若しかしたら死ぬかも知れない。でも行く。必ず行って顔を合わせる。そしてしのぎを削るのだ。
普通の人間も、魔物も、龍も、てんで相手にならなかった。傷一つ与えてくれる者が居なかった。態と攻撃や魔法を打ち込まれているというのに、仁王立ちで待ちの姿勢で居るのに、何をしているのかと叱責したくなるほど弱々しい攻撃や魔法ばかり。挙げ句には蠅が止まれるほどトロトロと動いてイライラする。
普通でダメならば普通ではないものはどうかと、突然変異に期待した。自分と同じ突然変異ならば、多少は強く育っているだろうと。だが期待外れも良いところ。恩人の精霊であるスリーシャを襲ったジャイアントレントの突然変異は少し魔力を籠めただけの魔法で消し飛んだ。
人間の突然変異で、『英雄』とまで謳われた者は確かに強かったが、それでも人間にしては強かったというだけ。人間が作った武器を扱う以上、それが鱗を裂けなければ倒せる確率は限りなく低い。つまり普通くらいの強さの龍が鱗が硬かった場合、人間の突然変異は敗れる。その位の強さだ。それでは満足出来ない。
──────……オリヴィアを共に連れて行ったら巻き添えを食わせる……だろうな。少なくとも俺が強いと判断出来る者達だ。下手な魔法一つでもオリヴィアに創ったローブの防御を貫通する恐れがある。ならば少し悪いが、離れたところで待ってもらう方が得策だろうな。
「オリヴィア、すまないが──────」
「──────別の場所で待っていれば良いんだろう?解っているとも。私が、リュウデリアですら強いと評す者達との戦闘に巻き込まれれば死ぬ。このローブも耐えられないだろう。大丈夫。私はリュウデリアを信じて待っているよ」
「……ありがとう」
「ふふ。どういたしまして」
物わかりの良いオリヴィアはついて行かせてとは言わない。自身には治癒の力が有っても、戦闘に冠する力は皆無だからだ。今戦えているのはリュウデリアが自身のために創ってくれた魔法のローブが有るからだ。このローブ一つでも、一国の宝に勝る性能と価値が有るのだが、その防御性能ですらリュウデリアの攻撃には耐えられない。ならば、そんな者が強いと言える者の攻撃もまた、耐えられない。
別に心配している訳では無い。自身の知る純黒なる黒龍リュウデリア・ルイン・アルマデュラは最強の存在だ。勝利の星の下に生まれ、他の一切を殲滅するが為に力を手に入れたと言っても過言ではない。そんな大切で強いリュウデリアが負けるとは露程も考えていないのだ。
自身では一緒に行けないならば諦める。唯それだけだ。世界にはそれが出来ず、連れて行ってと言って聞かない者達や、無理矢理ついていく者達も居るが、オリヴィアをそんじょそこらの聞き分けの無い者達と一緒にしないで欲しい。彼女はとても良い女なのだから、相棒を立てる事だって当然出来る。
「……どの位掛かるか解らんが、必ず迎えに来る。だから少し待っていてくれ。そのローブがある限り、人間には手出し出来んと思うが、念の為用心しておいてくれるか」
「うん。……いってらっしゃい、リュウデリア。気をつけてな」
「あぁ──────行って来る」
既に2つの強い気配が一カ所に集まっているのを感じ取りながら、食べ物が豊富そうで川もある場所へ一旦降りてオリヴィアを降ろす。掌を地面に置けば、自分から降りてこちらを見上げてくる。顔の位置を下げて鼻先を近づければ、スカイディアを出る時のように抱き締めてくれた。温かい体温が伝わってくる。
女神と言っても種族が神なだけで、血もあれば体温もある。目を瞑って享受してから顔を話して笑いかける。その笑みは獰猛でも何でも無く、オリヴィアの体温が移ったように温かいものだった。
畳んだ大きな翼を広げて飛び立つ準備をする。一度羽ばたくだけでも、周りには強風が吹き荒れる。オリヴィアはローブを使った魔法で魔力の障壁を作って守りながら、少しずつ浮かび上がるリュウデリアに小さく手を振った。それに同じように小さく振り返し、大空へと飛んでいった。
一瞬で米粒くらいの大きさになったリュウデリアを、それでも暫く見つめて魔力の障壁を消した。自然の風が吹いて長い髪を靡かせる。手で軽く押さえ付けて空を見ている彼女は儚いものだった。
リュウデリアは空を飛びながら強い気配が2つある場所へ向かう。距離は少し離れている。オリヴィアに万が一の被弾が無いようにするため、態と離れた場所へ降ろしたからだ。巻き込めば必ず殺してしまうと思う程の力の持ち主が2つ。やはり笑みが浮かぶ。
ぎちりとした悍ましい笑みだが、ガラにも無く心臓が早鐘を打った。どきん……どきんと、血中の酸素を肺から脳を含めた臓器に送り渡らせる。体は炎系魔法を使っている訳でも無いのに沸騰するお湯のように熱く、けれどもそれに反して頭が氷のように冷たく冷静だ。
既に今日は決闘を一度行った身ではあるが、あれは決闘と言っても戦いの内には入らないだろう。寧ろ軽くとはいえ準備運動が出来たのだと思えば良い。取り敢えずリュウデリアは今、いつも通り完璧の状態だ。いや、楽しみで仕方ない今はさらに完璧で最高と言って良い。
自身の今の肉体状況を解析して問題ないと判断すると、見えてきた。周囲には木すらも生えていない、寂れた荒野。広さがあって変な遮蔽物も無い。周囲数十キロに渡って人が居ない場所。そこに、先に辿り着いた2つの存在があった。飛ぶのをやめて自由落下を開始し、地面に両脚で荒々しく降り立った。砂埃が舞って轟音も響いたが気にも留めない。翼で強風を巻き起こし、視界を明るくする。
「──────やァっと来やがったか」
「……待ちくたびれた」
「ははッ。少し野暮用があってな」
居たのは、自身と同じように人型の姿をした龍だった。2匹とも腕を組んでこちらを見ている。最初に発言したのが全身を蒼い鱗に包んだ澄み渡る青空のような蒼穹の色合いだった。太陽の光に輝いて美しい。雄だと言われなければ思わず同じ雄でも見惚れてしまうだろう流麗な姿だった。
もう1匹は赫い鱗に覆われた龍だった。リュウデリアよりも背が大きく、そして筋肉質とも言うべきか、胴も腕も脚も太く、逞しい。人間で言うならば筋骨隆々という感じだろうか。細めの印象を受ける蒼い龍とは対照的だ。
自身以外の人型に近い龍……突然変異は初めて見た。いや、それも当然だろう。突然変異自体そう多くは無い。なのにこうして同じような姿形に生まれて、同じように莫大な魔力や、気配で感じ取れる肉体的強さを獲得した存在が、こうして出会った。これを運命と言わずして何と言えば良い?
「オレはクレア。クレア・ツイン・ユースティアだ。『轟嵐龍』なんて言われてるぜ」
「……バルガス。バルガス・ゼハタ・ジュリエヌス。『破壊龍』……そう呼ばれている」
「リュウデリア。リュウデリア・ルイン・アルマデュラだ。最近『殲滅龍』と言われるようになった」
揃った3匹は名前を明かした。自己紹介らしいとは言えない、名前と二つ名だけの簡単な自己紹介。だがそれだけで良かった。必要なのは仲良くしようと歩み寄る事では無い。そんなものは今、必要では無いのだ。3匹は自己紹介をしておきながら、その体から莫大な魔力を放出していた。
大地が地割れを起こしている。3匹を避けるように円を描いて無傷で、その周囲のみで大小様々な地割れが起きている。空間もびきりと音を立てて歪んでいき、この場所だけ風景が歪んで見える。大空も同様変異が起こり、何時の間にか発生していた黒い大きな雲が渦を巻いて雷鳴を轟かせている。
まさに天変地異の前触れ。3匹はその場から動いてすらいないというのに、3匹以外のモノ全てが悲鳴を上げているのだ。大地は怒りを忘れ、大空は傍観を拒否する。世界最強の種族である龍が突然変異を起こし、本来より強大な力を手にした存在達が揃った事により引き起こされた。
「……例えば俺が、今こうしてお前達に会わなかったとして、それはそれで一つの道なのだろう。だがもう引き返せない、戻れない。そして過去の俺は、お前達を決して逃がさないだろう。何故ならば……もう会って知ってしまったから。熱く鼓動を刻む心の臓腑が語っている……これから起きる事はきっと愉しいと。さあ、魔力を滾らせろ。今はそれで十分だ」
「……そうだな。今更下らない話は要らねェよな。特にオレ達みたいなはぐれ者にはよ。だからやろうぜ。思う存分。己の全てを出し切った本気ってヤツをよ」
「……始まりを知らず……過程がどう有ったとしても……結末は変わらない。出会うべくして出会い……凌ぎを削る。我等にとって……これは上等過ぎる。故に……これは忘れられない……己の全ての一部となる」
天変地異を巻き起こす3匹は魔力で全身を覆って肉体を強化をした。始まるのは戦い。決闘なんて不粋なものは必要無い。要らない。邪魔だ。気に入らないから、アイツの上に立ちたいから、勝って地位を手に入れたいから。そんな不必要なものを得るために戦うのではない。
ただ戦いたい。この強い奴等と、己の全身全霊を賭して戦いたいのだ。その果てにあるのが、例え死であったとしても、全力で戦いたい。牙を使って、爪を使って、拳を使って、蹴りを放って、魔法を撃ち込んで……使えるものを全て使って戦いたいのだ。
「──────ふんッ!!」
「──────ッ!!がぁ゛ッ……ッ!?」
戦いに始まりのゴングは無い。始まりは唐突で必然だ。赫龍のバルガスが大きな翼を広げて正面からやって来た。向かう先はリュウデリア。来たと思った瞬間、龍の動体視力でも捉えられない速度で動くことで入り込める遅緩した世界へと入った。この世界ならば全てが遅く緩やかになって、回避も攻撃も自由だ。だが無理だった。
黄金の瞳が、縦に切れた黄金の瞳が限界まで虹彩を狭め、その光景を目にする。バルガスの赫い鱗に赫雷がばちりと発生し、帯電ならぬ帯雷する。リュウデリアを以てしても身の毛もよだつような超高圧の赫雷。それが齎すのは超加速だった。
遅緩した世界に容易に入り込み、それでも尚尋常では無い速度で向かってくるバルガスが拳を握り締め、つい呆然としてノーガードのリュウデリアの左頬へ、硬く重い右拳を打ち込んだ。一瞬視界が真っ白になったと錯覚を引き起こす衝撃が訪れ、見上げる程の巨体は後方へと吹き飛ばされていった。
地面を何度も錐揉み回転しながらバウンドして転がっていき、飛ばされている空中で翼を使い体勢を立て直す。地割れで避けた大地に左腕を突き刺してブレーキを掛ける。腕で地面を砕いて一条の線を作って300メートルは飛ばされた。威力を完全に殺して止まると、顔を上げる。
「……ッ……づぅ……は……ははッ!フハハッ!!ははははははははははははははははははははははッ!!ぁ゛あ゛……痛いなァ……これが……本当の痛みかッ!!鱗を貫通して肉体にまで辿り着く痛みッ!!愉しくなるぞ……これは愉しくなるッ!!フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
血が流れる。左頬の鱗に罅が入り、その隙間から流れる赤い血。生まれてから初めて流す血だ。何かが流れる感触がして左手で頬に触れる。何かを拭って見てみれば、当然血が付着しているのだ。全身を強固な純黒の鱗で覆われているから見ることが無かった血。初めて見た時の感想は歓喜だった。
誰にも傷つけられたことが無い体が、鱗が、初めて傷つけられて血を流した。つまり、一つ一つの攻撃が、リュウデリアの命の灯火を消す可能性を大いに秘めている事に他ならない。死ぬかも知れない。その感覚が、酷く心地良い。
「──────続けよう。俺は今、最高の気分だ」
ついていた膝を上げて立ち上がり、左手についている自身の血を舐め取った。浮かべるのは嬉々とした獰猛で、悍ましい笑み。ケタケタと嗤いながら、大きく翼を広げた。
耳を劈くような衝撃と爆発音が辺り一帯に鳴り響き、奔り、莫大な魔力が吹き荒れる。戦いは始まった。
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