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第3章
第15話 新たな行き先を求めて
しおりを挟む「本当にいいのか?」
「えぇ。人間の悪意によってこの森が燃やされました。……私達は燃やされてしまった木々の修復をしないといけません。それに、今まで何百年と見守ってきたものですから。いきなりこの森を離れる、というのは心の準備が足りません」
「いきたいけど、あのこたちのおせわしないとだから……」
「……そうか」
森の大樹に宿っていた精霊スリーシャが瀕死の状態から回復して7日が過ぎた頃。純黒の黒龍リュウデリアは、また別の場所に移動しようとしたのだが、その際に、スリーシャと小さな精霊も一緒にどうかと尋ねた。だがスリーシャと小さな精霊の答えは否。人間の手によって燃やされてしまった木々の代わりに別の木を生やし、森を修復させなければならない。
この森にやって来て見守ること数百年。今や自身の子供のような感覚になっているスリーシャにとって、おいそれと森を手放すことは出来ないのだそうだ。スリーシャはリュウデリアにとって恩人である。言葉、計算、文字、魔法、それらを教えてくれたのは全てスリーシャである。
そしてそんな恩人のスリーシャは、リュウデリアが居ない所で危険な目に遭っていた。全く与り知らぬところでの事なので、リュウデリアが察知出来なくても責めはされないが、それでも本人的にはスリーシャが危険な目に遭うのは許せない。だから共に行こうと誘ったのだが、断られてしまった。
リュウデリアは少しだけ思考する。同行することを無理強いをしたくは無い。だがスリーシャにとって、この森は自身の子供に等しい。なるばもう連れて行くことは諦めて、別の方法でスリーシャの身の安全を護らなくてはならない。どうやって護ろうか……と、思案していると、スリーシャの着ているワンピースのような服が目に入った。そして閃き、リュウデリアはしゃがみ込んでスリーシャに手を翳した。
「……?どうしましたか?リュウデリア」
「お前が同行する事が出来んのは理解した。故に、せめて同じ事が起きんように保険を掛ける事にした。動くなよ──────『黒龍の恩恵による加護』」
「リュウデリア、今のは一体……?」
「その服に魔法を付与した。序でに魔力もな。毎日発動しても200年は持つ魔力だ、それだけあれば十分だろう」
「200年……どんな魔法ですか?」
「簡単に言えば──────お前に手出しすると灰燼と化す魔法だな」
「えっ」
さり気なく、とんでもない魔法を付与された服を摘まんで観察しているスリーシャだが、魔法なので目に見えるものが有るわけでは無い。それよりも普通に考えて、今の一瞬で毎日起動しても200年は持つ莫大な魔力を注ぎ込んで、平然とした態度のリュウデリアに驚くべきなのだろうが、スリーシャは気が付かなかった。
今付与した魔法、リュウデリアが簡単に言いすぎたが、実際の効力を言えば、スリーシャに悪意を持った存在がスリーシャに害を与えようとした時、スリーシャの着ている服に掛けた魔法が自動的に起動し、その時その場所で最も効率良く効果的な魔法を発動するというものだ。普通の敵には大体炎が選択されるので、灰燼へと化すと言ったのだ。
因みに、この魔法をスリーシャに使う時、リュウデリアの隣に居る治癒の女神オリヴィアが、どこか羨ましそうな目で見ていたとか何とか。
「と、とりあえず……ありがとうございますリュウデリア。折角魔法を掛けてもらったんですもの、この服…大切にしますね」
「いいなぁ…おかあさん」
「お前にも掛けておいたぞ。無いとは思うが、万が一スリーシャに掛けた魔法が発動しなかったらお前がスリーシャを護るんだ。いいな」
「わかった!えへへー。わたしにもかけてもらっちゃったぁ」
「ふふ。良かったですね」
「うん!」
「……さて、では俺とオリヴィアは行かせてもらう。何時かは解らんが、また来るからな」
「えぇ。待ってますね、リュウデリア、元気でね。今回は本当にありがとう。オリヴィア様も本当にお世話になりました」
「気にするな。私も理由があっただけのことだ」
「さびしくなるけど……ばいばい」
目の端に涙を溜めている小さな精霊が手を振り、スリーシャを一緒に微笑みを浮かべながら笑みを浮かべてくれた。そんな2人の視線を背中に受けながら、リュウデリアとオリヴィアは去っていった。スリーシャは2人が見えなくなるまで見送り、着ている服をぎゅっと握り締めた。
態々助け出してくれて、本来は何を要求されるかも解らないというのにオリヴィアと契約して傷を治してくれて、更には同じ事が無いように魔法による加護もくれた。同じく嬉しい気持ちが有るのだろう、自身の着ている服を見ては嬉しそうに笑って無邪気に飛び回る小さな精霊を見てクスリと笑う。
スリーシャはオリヴィアから後になって聞いたのだが、リュウデリアはスリーシャ達を救い出すために、攫った国三つを塵も残さず消し去ったという。更にはそこに住んでいた者達も全て殺して。例外は無く、女子供、赤子、老人、罪の無い者達を、一切温情も慈悲も無く、冷酷非道に容赦無く、淡々と躊躇いなく殺し尽くしたという。
人々は恐らく、国を三つも1日で滅ぼしたリュウデリアの事を恐れ慄き、嫌悪し、邪悪だと罵ることだろう。例えその裏にあるのが助け出す為とはいえ、余りにも殺しすぎた。それでもリュウデリアは見つけるまで止まらず、人間の中でも特別な『英雄』すらも屠って来てくれた。それに嬉しいと思う自身もまた、リュウデリアと共に罵られるべき存在なのだろうか。
スリーシャは1人でクスリとまた笑う。その笑顔は綺麗で美しく、見る人を虜にするものだろう。但し、その笑顔に隠れる黒い感情さえなければの話だが。リュウデリアは善悪で言えば悪だろう。でなければ関係の無い者達まで巻き添えにして皆殺しなんかにするわけが無い。そしてスリーシャはそんなリュウデリアの近くに居た存在だ。
純黒で禍々しく、残酷で非情な黒龍の近くに居て、影響を受けないなんて奇蹟が起こり得るだろうか。いいや、そんなことは無い。スリーシャも少しとはいえリュウデリア側へ染まっているのだ。例えば、スリーシャは国が三つ滅んだことに対して特に何とも思っていない。人々が大勢死んだとしても、思うことは無い。それどころか、森に火を放った人間が死んで清々していると言っても良いだろう。
「リュウデリア。私がこんな精霊と知ったら……幻滅しますか?でもあなたが悪いんですからね。私を助けて、私を護って、私にこんな贈り物までくれて。だから……私はどんなことがあっても、あなたの味方ですからね?」
──────私の可愛い龍の子……リュウデリア。
スリーシャは美しい精霊ではあるが綺麗な精霊ではない。そもそも、人間ならざる存在だというのに、人間を基準にして考えるのが可笑しいのだ。精霊とて、時には冷酷にだってなる。
オリヴィアとリュウデリアは今、蒼い大空を飛んでいた。最初は歩いていた2人なのだが、リュウデリアの体は大きく、それに伴って一歩の距離が大きいため、普通の人間と変わらない大きさのオリヴィアとは歩幅が全く合わないのだ。それに、今のところの目的の地であるリュウデリアの住処まで、歩くとかなりの距離がある。そこで、オリヴィアをリュウデリアが運んで飛んで行く事となった。
風で吹き飛ばされないように、リュウデリアの掌の上に乗っているオリヴィアには、魔法による防御壁を作ってある。これで速度を出しても落としてしまうことはないし、何かの拍子にオリヴィアが落ちてしまう心配も無い。
魔法の防御壁がある範囲で下を見るオリヴィア。かなり高度な場所を飛翔しているので、眺めはとても良い。それに、二人きりという面に於いても申し分ない。更に言わせて貰えば、今なら触りたいと思っていたリュウデリアの鱗に触り放題なのだ。腰を下ろして座り、リュウデリアの掌に触れる。混じり気の無い純黒の鱗は硬く、そして温かかった。
陽の光を純黒が吸収して温かくなっているのか。リュウデリアの体の温かさなのか。指の方に寄り、指の腹に頬を付ける。オリヴィアは後者だと思っている。中から温かさが伝わってとても安心するのだ。このまま頬擦りをしていると微睡みの中に入ってしまいそうだ。しかしそれも良いのかも知れない。そう思いながら目を閉じる。
──────……解らん。この女は何故俺の傍に居る事を条件とした?ここ数日、この女は不審なことをするどころか、寧ろ害意や悪意が一切無い。精霊にも好かれ、スリーシャからは信頼関係を築いていた。そして最も解らんのが……この女は俺が国を滅ぼした事に対する詳細を知っていた。国を辿った順番、塵芥共の殺し方。使った魔法。それら全てを知っていた。スリーシャに説明しているのを聞いたから間違いは無い。だが妙だ……俺はあの時、確かに周囲に他の生物が居ない事を気配や魔力で感知していた。にも拘わらずこの女は間近で見ていた口振りだ。
ここ最近、リュウデリアはオリヴィアの事を考えていた。どう考えても可笑しい。気配はしなかった。視線も感じなかった。あの時はかなり頭に血が上っていたことは否めないが、それでも己の感覚に間違いは無い。つまり、リュウデリアも言っているが、まるで見ていたようなのだ。それも口振りからして、間近で最初からずっと。そうでなければ辻褄が合わない。
一体どうやって見ていたというのか。オリヴィアの力は傷を治す事が出来る治癒の能力。その力は凄まじいもので、死にかけのスリーシャの傷を瞬く間に治す程のもの。まだ傷を負った事が無いので、その力がどのように凄いのかを体験できていないリュウデリアだが、傍目から見て凄まじいと感じた。
回復魔法。それは古代に失われてしまった大古の魔法であり、その中でも難易度が飛び抜けて高いとされる代物だ。今は既に失われてしまい、リュウデリアでさえも独自に開発が出来る段階に至っていない。つまり、オリヴィアの治癒が今のところの唯一の手段である。
最初、リュウデリアはどうやって国を滅ぼす様子を見ていたのか、何故会ったことも無い筈の自身の傍に居たいと願ったのかを聞こうと思った。しかしやめた。理由が解らないので警戒はしているものの、疑ってはいない。何故ならば恩人を助けてくれたからだ。万が一それで騙されたとしても、スリーシャは助かっているので、その面に関しては言うことは無いのだ。
「──────リュウデリア」
「……何だ?」
「今向かっているのは、お前の住処なんだろう?」
「そうだ。何だ、何か問題でもあったか?」
「いや、問題というよりも、提案だな」
「提案?」
考え事をしている最中、突然話し掛けられたので反応が遅れてしまったのだが、オリヴィアは特に気にした様子は無く、リュウデリアに提案を持ち掛けた。リュウデリアは何に対する提案なのだろうかと小首を傾げながら、オリヴィアを載せた掌を顔の近くまで持ってきた。オリヴィアは微笑んでいる。自信満々に。是非やろうそうしようとでも言うように。
「お前は住処に戻ってそのまま暮らすのか?既に100年くらいは住んでいるだろう?ならば……偶には冒険をしてみるのも良いんじゃないか?」
「……冒険。つまり、宛ての無い旅をするということか?」
「そうだ。私はここ数日のお前を見ていたが、基本魔物を生で食っているな?大きさという面もあるのかも知れないが、街に行って人の作った物を食べてみないか?生で食べるよりも断然美味いと思うぞ」
「……ふむ」
「それにな、人間の街には図書館というものがあってな、これまでの歴史を綴ったものや、中には魔法に関することを記述した魔道書なんて物もあるらしい」
「……ッ!ほう?魔法を記したものか……それは俺も気になるな」
「そうだろう?勿論、騙すつもりは無いし罠に掛けるつもりも無い。何なら何時でも殺せるように魔法を掛けておいてもいいぞ。……どうだ?」
「……そうだな」
リュウデリアは少し思案する。オリヴィアの提案は魅力的だろう。基本リュウデリアの体の大きさにあった動物は居ないので、巨体の魔物を狩ってそのまま食べるのが主流となっている。だがそれだと飽きが来るのだ。だが、だからといって何か創意工夫が出来るかと言われれば、それは否だ。リュウデリアに料理なんてものが出来る訳が無いし、そもそも料理を知らない。
100年程前に見つけてから、今まで住み続けていた住処にこれからもずっと住み続けるのかと聞かれれば、それは否と答えるだろう。龍は一カ所を永遠に自身の住処とすることは無い。何百年かしたら、また新しい場所を探し求めて旅をするのだ。中には本当に気に入ってその場に留まる者も居るかも知れないが、今のところのリュウデリアにそんな予定は無い。
手に載っているオリヴィアは変わらず微笑んでいる。騙される事を心配しているならば、殺傷性のある魔法を予め掛けておいても良いとまで言っていたのだ。それに、リュウデリアは人間の国に興味が無い訳では無い。スリーシャを甚振り、小さな精霊を殺した人間達に悪い感情を持っていないと言えば嘘になるが、全員が全員そんな者達では無いことは、理解している。
己の武勇を誇る為とはいえ、世界最強と謳われる龍に単独で挑みに掛かった『英雄』ダンティエル。彼はリュウデリアが本気で戦えるように、スリーシャを痛め付けないように配慮した。名を名乗って敬意を払った。負けも潔く認めて散っていった。彼が居なければ、リュウデリアは今頃人間という種族そのものを嫌悪していたやも知れない。
リュウデリアは考える。どこか期待の視線を送ってくるオリヴィアをチラリと見て、まあ何事も経験かと思って提案を呑むことにした。だが問題が一つ。そう、リュウデリアの巨体である。まだリュウデリアは自身が『殲滅龍』と噂されて純黒の黒龍というだけで恐怖の対象となっている事を知らないが、龍で純黒で巨体。コレだけあれば人間は一目散に逃げるだろう。故に、リュウデリアは人の居る場所に行けるとは思えなかった。
「恐らく、お前のその体について思うところが有るのだろうが、それについても私に考えがある」
「ほう……?」
「お前は少し、窮屈な思いをするのかも知れないが、上手くいけば容易に人の居る場所へ行くことが可能となるぞ。そうすれば世界が更に広がるというものだ」
「……成る程。では聞かせて貰おうか。お前の案というやつを」
「ふふっ……」
オリヴィアは待ってましたと言わんばかりに、リュウデリアに考えていた案を話し始めた。その案を聞いたリュウデリアは微妙な表情をしていたが、最後には溜め息を吐きながら了承するのだった。
「──────なァ。何時までオレを待たせるつもりだ?」
「待たせている事には謝罪する。だがもう少し待ってくれ。当初の計画通りに事を進めたい」
「……チッ。なら確実に成功させろよ。失敗なんてしてみろ、オレがテメェ等全員殺してやるからな」
「……我々も最強の種族の怒りを買おうとは思っていない」
「なら精々キビキビ働くこったな。オレは人間共の恐怖に染まる顔が見てェンだよ」
見上げる程の大きさの影と、人の影が周囲に誰も居ない空間で会話をしていた。一見普通に過ごしていれば相見えるとは思えない二つの影なのだが、共通していることが一つある。それは、両者は単純な悪意を広めようとしているということだ。
そして二つの影が話し合いを終わらせたようで、人の影がその場から去って行くと、大きな影は独り言ちる。不愉快そうに、苛立ちを籠めたように。
「──────『殲滅龍』ねェ。随分身の程を弁えない奴が居るもんだ……このオレを差し置いてよォ」
悪意は近付いてくる。意図せずとも、暗闇に紛れながらやって来るのだ。そしてこの悪意がこれから何を齎すというのか、この時はまだ誰も知らない。
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