王太子妃に転生したサレ妻は、華麗にその座を明け渡す

冬月椿

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5 恋の終わり

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 目が覚めると、私室のベッドに寝かされていた。
 やけにリアリティのある夢だった。いや、あれは……おそらく、私の前世。

「レティシア? 気が付いた?」
「……皇后様、わたし……」
「動揺して椅子から転倒した際に、頭をぶつけたの。痛みはない?」
「大丈夫です」

 大丈夫なのかな? 前世を想い出しちゃったから、大丈夫とは言えないのかな?
 これが「異世界転生」というものなのかしら。今世の人生はそのままで、前世の記憶だけが別ファイルに追加保存されたような感覚だ。

「貴女が倒れたと聞いて、心臓が止まるかと思ったわ」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「そうじゃないの。貴女には無理をさせてしまって。ごめんなさい」
「そんな。勿体ないお言葉です」

 皇后様は控えていた女官たちへ医師を呼び軽食の準備をするよう指示を出すと、優しく両手で私の頬を包み、「大丈夫よ」と言ってくれた。
 どうやら、眠っている間に涙を流していたらしい。

「3日間昏睡状態にあったにも関わらず、頭皮下血腫たんこぶ以外に外傷は見当たりません」
 すぐにやってきた宮廷医師が、どこか腑に落ちない表情でそう言った。

「レティシア、本当に大丈夫? こぶの他には、どこも痛くない?」
「はい」
「念のために、あと1週間は療養しなさい」
「ですが、公務が……」
「これは皇后命令よ。いいですね?」
「……はい」

 皇后様――現国王陛下アンリのお母様は、御年58歳にも関わらず、今でも現役の王族として公務をこなしている。
 突然、14歳で王宮に連れてこられた私を、皇后様はまるで孫を迎え入れるかのように温かく包み込んでくれた。彼女がいたから厳しい王太子妃教育に耐えられたといっても過言ではない。

「これを機に、少しゆっくりすると良いわ」そう言って、一人にしてくれた。
 ヘッドボードに背中を預けると目を瞑り、これまでの記憶を整理することにした。

 私の夫――王太子であるクロードは、現国王アンリ陛下の甥にあたる。
 12歳でクロードの婚約者となった当時、彼は公爵家の嫡男だった。だから私は、13になったらクロードと同じ学園に通い、将来の公爵夫人となるべく淑女教育を受けることになっていた。

 そんな私たちの運命が大きく変わったのは、今から4年前。王国全土に蔓延した疫病でアンリ陛下の妻子――カトリーヌ王妃様と当時3歳だった王女様がお亡くなりになったことに端を発する。
 現国王のアンリ陛下は、30歳と年若い。
 クロードの父にあたる実兄よりも10も年下だが、王の器としては弟のアンリの方が優れていたらしく、弱冠20歳にして王位を継いだという。

 アンリ陛下は妻子を亡くしてからというもの、未だに再婚する気配はない。
 側近達は新たな王妃を娶り、子をもうけるよう再三進言したそうだが、彼らの説得むなしく3年前に当時17歳だった甥のクロードを立太子させた。

 それに伴い、彼の婚約者だった私も王太子妃教育を受けることになり、入学したばかりの学園を退学せざるを得なくなった。そうして2年前、クロードと結婚し、王太子妃となった。

国王陛下おじうえも、新しい妻を迎え子をもうけるかもしれない。王位継承権をめぐる紛争は避けたいんだ。それにレティはまだ16歳だ。夫婦の契りは、レティが成人するまで待ちたい」

 婚姻前にクロードからそう言われた時、正直ほっとしたことを覚えている。クロードには物心がついた頃から恋慕の情を抱いていたけれど、厳しい妃教育と並行しながら閨事をこなすのは、不器用な自分にはできそうになかった。
 だからその申し出は、アンリ陛下の心と私の身体を慮った彼らしい優しさだと思い、感謝した――彼の、長年に渡る恋心を知るまでは。

 3つ年上のクロードとは、お互いを「レティ」「クロード様」と呼び合っている。周りからみたら、きっと仲睦まじい夫婦に見えることだろう。

 キリリ、と胸の奥が痛む。

レティシアは、クロードのことが大好きだったのね」

 自分のことをこんなふうに思うのは変な話だけれど、前世の記憶が蘇った私は、もう以前のレティシアではない。
 それは、彼の想い人がクラリスという名の子爵令嬢であることを知っても、何の嫉妬心も焦燥感も湧いてこないことから明かだ。
 ただ、以前のレティシアの名残なのか、時おり心痛というカタチで顔を出す。けれど、言ってしまえばその程度のものだ。


「王太子殿下には、密かに想い合う女性がいるのです。仲睦まじく――」
「学園の図書館で2人が切磋琢磨して学ばれている様子は、それはもう微笑ましくて――」
レティシア様との茶会をキャンセルして、王立図書館の中庭でクラリス様と2人、談笑されていらっしゃいましたわ」
「クラリス嬢は文官として王宮に勤務している才女だが、彼女こそ王太子妃に相応しい」

 こんな話を、耳にタコができるくらい女官や側近から聞かされた。
 貴族の子女にとって学園とは、親の目や身分を気にせず過ごせる期間限定の楽園だ。私とクロードには、残念ながら、そういう意味で共有できる想い出はない。だから余計に以前の私は、深い悲しみとクラリスに対する劣等感に打ちひしがれていた。
 でも、今のわたし――新生レティシアはひと味違う。

「女主人へ『夫に相思相愛の女性がいる』なんて話を吹き込む女官、適性的にも人間的にも問題大アリだわ。それに。王太子妃を代わりに務めてくれる人がいるのなら大歓迎よ。喜んでこの座を明け渡してあげる!」

 そう。
 王太子妃なんて窮屈極まりない肩書も。
 地位や権力や名誉も。
 何の思い入れもない、ただ重たいだけで取り扱いに細心の注意が必要なジュエリーやドレスも。
 今の私にとっては取るに足りないものだ。
 いつだって、捨てられる。

 それに――。
 跡継ぎを産まなければならないプレッシャーを感じながら夫に義務感だけで抱かれるのも、
 パートナーの不貞に気付かぬふりをしながら平静を装うのも、
 自分のあずかり知らぬところで決められたルールに身も心も縛られ、本心を押し殺しながら暮らしていくのも、もうやめようと決意したんだ。
 前世では、それが叶う前にはかなくなってしまったけれど。

 だからこそ、今世では自分の力で自由に人生を切り拓いていきたい!

「自分の意見だって、ちゃんと言っちゃうんだから!」
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