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4 前世の記憶――違和感の正体
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「――乃? ――舞乃?」
「……健吾さん? ――みなさんは?」
「さっき帰った」
「そう」
「なぁ。……今夜、いいか?」
すごく久しぶりに、子が授かりやすい期間でもないのに夫から求められて、少しだけ嬉しく感じてしまった。
昔から夫は、仲間と賑やかに過ごしたような日はたいてい、私を抱きたがる。そんなこと、すっかり忘れていたけれど。
いつからか夫は、セックスの前に私の服を脱がすことをしなくなった。子作りのためのセックスはタイミングが分かっているから、予めパジャマを脱いでベッドに入るのが常となっている。
義務的なキスを交わし、私を濡らしてからの挿入、そしてフィニッシュ。
ルーティーンになりつつある私たちのセックスだが、その日は珍しく夫がベッドに腰かけたまま、私の耳元でささやいた。
「――して」
「んっ……んっ……んぐっ……」
「はっ、……ん……くっ……」
ジュポンッ。
夫は私の口から陰茎を引き抜くと、手を伸ばして私の陰部に触れた。
「なんだ。フェラして感じたのか?」
「ん……お願い。ちょうだい」
眠たいし、疲れている。
もう早く出して終わってほしくて、わざと強請るようにそう言った。
おそらく夫は、順従な女性をわざと荒っぽく抱くことで支配欲が満たされるタイプの男性なのだろう。
夫が私の両手をベッドに縛り付け、片足で太ももを開いてその間に身体を滑り込ませてくる。
「舞が欲しかったのは……これか?」
隙間がないほど身体を密着させたままドチュンと一気に奥まで突かれて、思わず小さな悲鳴を上げる。
「何が欲しかったんだよ?」
「……健吾さんの、んっ」
「それじゃ分からないな。具体的に言ってくれないと」
「……意地悪しないで」
「止めてもいいのか?」
「……健吾さんの、ペニス、が、欲しいのっ」
「夫のペニスが欲しいだなんて、淫乱な奥さんだな。ほらっ――」
ドチュンドチュンと激しく奥を突いたと思ったら、今度は腰をグラインドさせながら深く押し付けてくる。
「あっ、やぁ、それ……」
全身を震わせてイく。
「もうイッたのか? 仕方ないな」
夫は呆れたようにそう言うと、私の腰を掴んで四つん這いにさせた。
けれど――いつものように後背位で夫に貫かれながら、射精の瞬間に耳元で「まい」とささやかれたとき、私の身体の全細胞が夫を拒絶した。
咄嗟に身体を離すと、床に散らばっているパジャマと下着をかき集めて浴室へと飛び込んだ。
さっき夫は、私のことを『まい』と呼んだ。
スマホのLINEにあった「My」が元カノの「麻衣」さんであることに、直感で気づいてしまった。
付き合い始めたばかりの頃、夫は私のことを「舞乃ちゃん」と呼んでいたのに、いつからか「舞乃」になり、ここ1年、ベッドの上では「まい」と呼ばれるようになった。
行為も、フィニッシュ近くなると後ろから抱かれることが多くなった。
まさか。そんな。――私は、「麻衣」さんの代わりに抱かれていたの?
夫の匂いや体液が自分の身体にまとわりついているのが気持ち悪くて、急いでシャワーを浴びた。
冬の浴室は冷え切っていて、長い間、首の裏に熱いお湯を浴びてようやく身体が温まると、適当に服を着てコートを羽織り、明け方の街へと足を踏み出した。
ポケットに入れたスマホのヴーンヴーンという低音が、やけに耳につく。こんな時間にかけてくる知り合いなんて、残念ながら夫しか思い浮かばない。
画面を見ることもなく、ポケットに手を入れて手探りでスマホの電源を落とした。
東京湾へと続く川沿いの遊歩道まで来ると、ベンチの上に膝を抱えて座った。
――本当は、白湯なんて好きじゃない。
黄体ホルモンだって飲みたくないし、毎月通院して男性医師の前で足を開くのもうんざりだ。
義両親は良い人たちだけど、本音を言うと、物理的にも心理的にも干渉されない程度の距離を保ちたい。
夫から愛は貰えなくても友人関係くらいにはなりたいし、喧嘩してもいいから本音でぶつかりあいたい。
こんな生活、もうウンザリだ。
でも――。
一番うんざりするのは、現実を見ようとせず、実態は全然違うのに世間に向けて幸せそうな夫婦を演じ、そこに自分の価値を感じてしまう、今のわたしだ。
育ちの良い恵まれたお嬢さん。優秀な生徒。良い奥さんに、良いご近所さん。模範的な職員に、出来た嫁。
ずっとそんなふうに言われて育ってきた。そこからはみ出さないように息を潜めながら暮らしてきた。けれどもう、開放されたいと願っている自分がいる。
――離婚しよう。
幸い子供もいないし、持ち家だってまだ購入していない。
健吾さんとの関係を清算して、新しい人生を歩み始めればいい。
両親の期待は裏切ることになってしまうけれど、娘の戸籍にバツが一つ付いたくらいで揺らぐ実家でもない。
健吾さんだって、いくらでもやり直せる。それこそ、元カノとよりを戻すことだって。
そう思ったらなんだか安心して、ちょっとだけのつもりで瞳を閉じたら、いつの間にか眠りについた――永遠に。
気が付くと、空の上から映画でも見るかのように自分自身を眺めていた。
ベンチに横たわる私に気づいた誰かが駆け寄ってきた。応答しない私に心臓マッサージをしながら、川沿いをジョギングしている人へ救急車を呼んでくれと叫んでいる。
「おい、しっかりしろ! 戻ってこい! おいっ、頑張れ!」
けれど。
救急車が到着して、蘇生が無理だと悟った頃、その人は自らコートを脱いで私に掛けてくれた。見覚えのある大きな男物のコートだった。
「――っ!!」
男の人の慟哭が夜明けの街にこだました。
その声があまりにも悲しみを帯びていたから、思わず地上に引き戻されそうになった。
けれど次の瞬間、眩しいほどの金色の光に包まれて、私の意識はそこで途絶えた。
「……健吾さん? ――みなさんは?」
「さっき帰った」
「そう」
「なぁ。……今夜、いいか?」
すごく久しぶりに、子が授かりやすい期間でもないのに夫から求められて、少しだけ嬉しく感じてしまった。
昔から夫は、仲間と賑やかに過ごしたような日はたいてい、私を抱きたがる。そんなこと、すっかり忘れていたけれど。
いつからか夫は、セックスの前に私の服を脱がすことをしなくなった。子作りのためのセックスはタイミングが分かっているから、予めパジャマを脱いでベッドに入るのが常となっている。
義務的なキスを交わし、私を濡らしてからの挿入、そしてフィニッシュ。
ルーティーンになりつつある私たちのセックスだが、その日は珍しく夫がベッドに腰かけたまま、私の耳元でささやいた。
「――して」
「んっ……んっ……んぐっ……」
「はっ、……ん……くっ……」
ジュポンッ。
夫は私の口から陰茎を引き抜くと、手を伸ばして私の陰部に触れた。
「なんだ。フェラして感じたのか?」
「ん……お願い。ちょうだい」
眠たいし、疲れている。
もう早く出して終わってほしくて、わざと強請るようにそう言った。
おそらく夫は、順従な女性をわざと荒っぽく抱くことで支配欲が満たされるタイプの男性なのだろう。
夫が私の両手をベッドに縛り付け、片足で太ももを開いてその間に身体を滑り込ませてくる。
「舞が欲しかったのは……これか?」
隙間がないほど身体を密着させたままドチュンと一気に奥まで突かれて、思わず小さな悲鳴を上げる。
「何が欲しかったんだよ?」
「……健吾さんの、んっ」
「それじゃ分からないな。具体的に言ってくれないと」
「……意地悪しないで」
「止めてもいいのか?」
「……健吾さんの、ペニス、が、欲しいのっ」
「夫のペニスが欲しいだなんて、淫乱な奥さんだな。ほらっ――」
ドチュンドチュンと激しく奥を突いたと思ったら、今度は腰をグラインドさせながら深く押し付けてくる。
「あっ、やぁ、それ……」
全身を震わせてイく。
「もうイッたのか? 仕方ないな」
夫は呆れたようにそう言うと、私の腰を掴んで四つん這いにさせた。
けれど――いつものように後背位で夫に貫かれながら、射精の瞬間に耳元で「まい」とささやかれたとき、私の身体の全細胞が夫を拒絶した。
咄嗟に身体を離すと、床に散らばっているパジャマと下着をかき集めて浴室へと飛び込んだ。
さっき夫は、私のことを『まい』と呼んだ。
スマホのLINEにあった「My」が元カノの「麻衣」さんであることに、直感で気づいてしまった。
付き合い始めたばかりの頃、夫は私のことを「舞乃ちゃん」と呼んでいたのに、いつからか「舞乃」になり、ここ1年、ベッドの上では「まい」と呼ばれるようになった。
行為も、フィニッシュ近くなると後ろから抱かれることが多くなった。
まさか。そんな。――私は、「麻衣」さんの代わりに抱かれていたの?
夫の匂いや体液が自分の身体にまとわりついているのが気持ち悪くて、急いでシャワーを浴びた。
冬の浴室は冷え切っていて、長い間、首の裏に熱いお湯を浴びてようやく身体が温まると、適当に服を着てコートを羽織り、明け方の街へと足を踏み出した。
ポケットに入れたスマホのヴーンヴーンという低音が、やけに耳につく。こんな時間にかけてくる知り合いなんて、残念ながら夫しか思い浮かばない。
画面を見ることもなく、ポケットに手を入れて手探りでスマホの電源を落とした。
東京湾へと続く川沿いの遊歩道まで来ると、ベンチの上に膝を抱えて座った。
――本当は、白湯なんて好きじゃない。
黄体ホルモンだって飲みたくないし、毎月通院して男性医師の前で足を開くのもうんざりだ。
義両親は良い人たちだけど、本音を言うと、物理的にも心理的にも干渉されない程度の距離を保ちたい。
夫から愛は貰えなくても友人関係くらいにはなりたいし、喧嘩してもいいから本音でぶつかりあいたい。
こんな生活、もうウンザリだ。
でも――。
一番うんざりするのは、現実を見ようとせず、実態は全然違うのに世間に向けて幸せそうな夫婦を演じ、そこに自分の価値を感じてしまう、今のわたしだ。
育ちの良い恵まれたお嬢さん。優秀な生徒。良い奥さんに、良いご近所さん。模範的な職員に、出来た嫁。
ずっとそんなふうに言われて育ってきた。そこからはみ出さないように息を潜めながら暮らしてきた。けれどもう、開放されたいと願っている自分がいる。
――離婚しよう。
幸い子供もいないし、持ち家だってまだ購入していない。
健吾さんとの関係を清算して、新しい人生を歩み始めればいい。
両親の期待は裏切ることになってしまうけれど、娘の戸籍にバツが一つ付いたくらいで揺らぐ実家でもない。
健吾さんだって、いくらでもやり直せる。それこそ、元カノとよりを戻すことだって。
そう思ったらなんだか安心して、ちょっとだけのつもりで瞳を閉じたら、いつの間にか眠りについた――永遠に。
気が付くと、空の上から映画でも見るかのように自分自身を眺めていた。
ベンチに横たわる私に気づいた誰かが駆け寄ってきた。応答しない私に心臓マッサージをしながら、川沿いをジョギングしている人へ救急車を呼んでくれと叫んでいる。
「おい、しっかりしろ! 戻ってこい! おいっ、頑張れ!」
けれど。
救急車が到着して、蘇生が無理だと悟った頃、その人は自らコートを脱いで私に掛けてくれた。見覚えのある大きな男物のコートだった。
「――っ!!」
男の人の慟哭が夜明けの街にこだました。
その声があまりにも悲しみを帯びていたから、思わず地上に引き戻されそうになった。
けれど次の瞬間、眩しいほどの金色の光に包まれて、私の意識はそこで途絶えた。
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