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3 前世の記憶――昔の女
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――夫のLINEを盗み見た8日後の夜。
夫が学生時代の後輩たちを連れて家に帰って来た。
「来月、颯太が結婚するんだ。レストランで前祝をしてたんだけど、飲み足りなくてさ。家で飲み直そうって誘ったんだ」
「奥さん、突然お邪魔して申し訳ありません」
「いいえ。皆さん寒かったでしょう? さあ、どうぞ。颯太さん、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
男物の客用スリッパを出し、全員の上着とコートを預かってブラッシングをしハンガーにかけると、急いでストックしておいたお酒と干し物やピーナッツ類を出し、おつまみを作り始める。
「十分お構いもできずにすみません」
「あー、奥さんすみません、お気遣いいただいて。健吾先輩は幸せ者だなぁ。こんな短時間でチャチャッとつまみを作ってくれる奥さんがいて。最高ですね」
「料理に比べたら、酒のつまみをつくるぐらい、簡単だろ?」
「それがなかなか出来ないんですって。分かってないなぁ、先輩は」
ほーんと。後輩君の方がよっぽど分かってる。
私はお酒が飲めない。体質的に合わないようで、すぐに肌が真っ赤になってしまうのだ。だから、お酒を吞みながらそれに合うつまみを作る、なんて芸当は出来ない。
苦労して修得した技を、私の努力を、夫は全く評価してくれない。
「――それじゃあ、私は先に休ませていただきます。皆さんは、ごゆっくりどうぞ」
「はーい。奥さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
盛り上がっている場に水を差したくなくて、先に就寝することにした。
お風呂に入りお化粧を落としたのにも関わらず、眉毛を描いて薄い桜色のリップを塗ると、パジャマの上からガウンを羽織った。
自分の家とはいえ、スッピンの寝間着姿を他の男性に見られることに躊躇したのだ。夫の学生時代の後輩にすら良い印象を与えたいと思ってしまう見栄っ張りな自分を、鏡に映った自分が自嘲気味に笑う。
寝る前に台所で白湯を飲んでいたら、かなり酔っぱらった夫たちの会話が聞こえてきた。
「どうしよう。近所迷惑にならないといいんだけど」
そう思って何とはなしに会話を聞いていた。
「ほんと、健吾先輩の奥さん、良妻賢母って感じですよね。突然の訪問にも嫌味なくスマートに対応してくれるし、料理も上手だし」
「高学歴の癒し系かぁ。先輩のご両親が気に入るわけだ」
「平成生まれなのに、清楚で昭和感があるというか」
後輩君の言うとおり、私と夫はお見合いに近い形で知り合った。官僚として答弁書の作成に携わっていたとき、国会議員でもある義父に見初められたのだ。
「やっぱり、結婚と恋愛は違うんですか? 健吾先輩の歴代彼女、派手なモデルタイプばかりだったじゃないですか」
そう。彼の元カノは、学生時代に読者モデルをやっていたり、女性が憧れるような仕事に就いている、キラキラ系の人たちだ。地味で目立つことが苦手な私とは、タイプが全く違う。
過去の女性のことなんて知りたくもないのに、どういうわけか、彼女たちは別れた後も夫に連絡を取ってくる人が多くて、何度かそれで喧嘩をしたことがある。
だって、思ったんだもん。今に幸せを感じていたら、元カレのことなんて考えないはずだ、って。何か下心がないと、既婚者の夫に連絡を取ったりしないはずだ、って。
私の感覚がヘンだというのなら、よほど私たちの常識が違うということなんだろう。
「そういえば麻衣のやつ、独立するって聞きました?」
「そうらしいな」
「前職で築いた人脈のおかげで、すでに顧客が付いているらしくて。南青山にオフィスを構えたって自慢してましたよ」
「昔から独立心旺盛だったもんな。似合ってるんじゃないか?」
「ですよね。帰国子女の麻衣のことだから、大人しく家庭に入るタイプじゃないと思ってたけど」
「颯太の婚約者は、どんな女性なんだ?」
「そうですねぇ。昼間はカチッとした仕事に就いてるんですけど、夜は奔放というか。あっちの相性がめちゃくちゃ良いんですよ」
「相変わらず品がないやつだな」
「大事じゃないですか、そういうの! それで先輩、実際のところ、奥さんだけで満足できるもんなんですか?」
「相手次第だろ。学歴とプライドの高い女ほどセックスは下手でつまらないっていうし、そんな相手と結婚したら1か月でレスだぞ?」
「1か月で、ですか!?」
「あぁ。セックスも、義務になったら強制労働だよ」
「ひぇ――っ」
明かに私との夫婦生活を指しているのだろう夫のセリフに衝撃を受け、思わず床に座り込んだ。
子作りが強制労働っていうなら、そんなの、お互い様じゃない。
お義母さんから遠回しに妊活に良いとされる食料やサプリを受け取るのも、婦人科に通って色んな検査を受けるのも、通院のたびに罪悪感を抱きながら職場へ半休を申請するのも、地元や後援会の方から跡継ぎは未だかと聞かれるのも、ぜーんぶ、私なのに。
月に数回、排卵日に抱いてほしい伝えることが、どんなに屈辱的で悲しいことなのか。あの人は、まったく分かっていない。
冬の台所の床はことさらに冷たい。
冷えは妊活の大敵なのに。もし妊娠していたら、今はちょうど3週目だ。気をつけないと。――無意識にそう思ったところで、今のわたしの生活が、すべて妊活を軸に回っていることに気が付いた。
「こんな冷え切った夫婦関係なのに。子供を授かったところで、幸せにできるのかな」
身も心も冷えてしまって、独り寝室へ入ると冷たいシーツを自分の身体で温めながら眠りについた。
夫が学生時代の後輩たちを連れて家に帰って来た。
「来月、颯太が結婚するんだ。レストランで前祝をしてたんだけど、飲み足りなくてさ。家で飲み直そうって誘ったんだ」
「奥さん、突然お邪魔して申し訳ありません」
「いいえ。皆さん寒かったでしょう? さあ、どうぞ。颯太さん、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
男物の客用スリッパを出し、全員の上着とコートを預かってブラッシングをしハンガーにかけると、急いでストックしておいたお酒と干し物やピーナッツ類を出し、おつまみを作り始める。
「十分お構いもできずにすみません」
「あー、奥さんすみません、お気遣いいただいて。健吾先輩は幸せ者だなぁ。こんな短時間でチャチャッとつまみを作ってくれる奥さんがいて。最高ですね」
「料理に比べたら、酒のつまみをつくるぐらい、簡単だろ?」
「それがなかなか出来ないんですって。分かってないなぁ、先輩は」
ほーんと。後輩君の方がよっぽど分かってる。
私はお酒が飲めない。体質的に合わないようで、すぐに肌が真っ赤になってしまうのだ。だから、お酒を吞みながらそれに合うつまみを作る、なんて芸当は出来ない。
苦労して修得した技を、私の努力を、夫は全く評価してくれない。
「――それじゃあ、私は先に休ませていただきます。皆さんは、ごゆっくりどうぞ」
「はーい。奥さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
盛り上がっている場に水を差したくなくて、先に就寝することにした。
お風呂に入りお化粧を落としたのにも関わらず、眉毛を描いて薄い桜色のリップを塗ると、パジャマの上からガウンを羽織った。
自分の家とはいえ、スッピンの寝間着姿を他の男性に見られることに躊躇したのだ。夫の学生時代の後輩にすら良い印象を与えたいと思ってしまう見栄っ張りな自分を、鏡に映った自分が自嘲気味に笑う。
寝る前に台所で白湯を飲んでいたら、かなり酔っぱらった夫たちの会話が聞こえてきた。
「どうしよう。近所迷惑にならないといいんだけど」
そう思って何とはなしに会話を聞いていた。
「ほんと、健吾先輩の奥さん、良妻賢母って感じですよね。突然の訪問にも嫌味なくスマートに対応してくれるし、料理も上手だし」
「高学歴の癒し系かぁ。先輩のご両親が気に入るわけだ」
「平成生まれなのに、清楚で昭和感があるというか」
後輩君の言うとおり、私と夫はお見合いに近い形で知り合った。官僚として答弁書の作成に携わっていたとき、国会議員でもある義父に見初められたのだ。
「やっぱり、結婚と恋愛は違うんですか? 健吾先輩の歴代彼女、派手なモデルタイプばかりだったじゃないですか」
そう。彼の元カノは、学生時代に読者モデルをやっていたり、女性が憧れるような仕事に就いている、キラキラ系の人たちだ。地味で目立つことが苦手な私とは、タイプが全く違う。
過去の女性のことなんて知りたくもないのに、どういうわけか、彼女たちは別れた後も夫に連絡を取ってくる人が多くて、何度かそれで喧嘩をしたことがある。
だって、思ったんだもん。今に幸せを感じていたら、元カレのことなんて考えないはずだ、って。何か下心がないと、既婚者の夫に連絡を取ったりしないはずだ、って。
私の感覚がヘンだというのなら、よほど私たちの常識が違うということなんだろう。
「そういえば麻衣のやつ、独立するって聞きました?」
「そうらしいな」
「前職で築いた人脈のおかげで、すでに顧客が付いているらしくて。南青山にオフィスを構えたって自慢してましたよ」
「昔から独立心旺盛だったもんな。似合ってるんじゃないか?」
「ですよね。帰国子女の麻衣のことだから、大人しく家庭に入るタイプじゃないと思ってたけど」
「颯太の婚約者は、どんな女性なんだ?」
「そうですねぇ。昼間はカチッとした仕事に就いてるんですけど、夜は奔放というか。あっちの相性がめちゃくちゃ良いんですよ」
「相変わらず品がないやつだな」
「大事じゃないですか、そういうの! それで先輩、実際のところ、奥さんだけで満足できるもんなんですか?」
「相手次第だろ。学歴とプライドの高い女ほどセックスは下手でつまらないっていうし、そんな相手と結婚したら1か月でレスだぞ?」
「1か月で、ですか!?」
「あぁ。セックスも、義務になったら強制労働だよ」
「ひぇ――っ」
明かに私との夫婦生活を指しているのだろう夫のセリフに衝撃を受け、思わず床に座り込んだ。
子作りが強制労働っていうなら、そんなの、お互い様じゃない。
お義母さんから遠回しに妊活に良いとされる食料やサプリを受け取るのも、婦人科に通って色んな検査を受けるのも、通院のたびに罪悪感を抱きながら職場へ半休を申請するのも、地元や後援会の方から跡継ぎは未だかと聞かれるのも、ぜーんぶ、私なのに。
月に数回、排卵日に抱いてほしい伝えることが、どんなに屈辱的で悲しいことなのか。あの人は、まったく分かっていない。
冬の台所の床はことさらに冷たい。
冷えは妊活の大敵なのに。もし妊娠していたら、今はちょうど3週目だ。気をつけないと。――無意識にそう思ったところで、今のわたしの生活が、すべて妊活を軸に回っていることに気が付いた。
「こんな冷え切った夫婦関係なのに。子供を授かったところで、幸せにできるのかな」
身も心も冷えてしまって、独り寝室へ入ると冷たいシーツを自分の身体で温めながら眠りについた。
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