あの雨のように

浅村 英字

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四時間目

普通の日常

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「何それ、どういうつもりなん?」

 俺は先輩に感心した。この事を話せば先輩はショックのあまりに言葉を失って黙り込むと思っていた。

「どうとは?」

「辰矢の考え方よ。うちの学校とは真逆の考え方じゃない」

 人権や他人の命を大切にしょう。それが学校全体で推している考え方。不治の病から目を背け、自分の祈りを捨てるような今の生活、それは確かに学校全体の考え方とは反するものだ。

「だから何です?俺の希望を学校が叶える事を拒否する理由にはなりませんよね?」

「でも、生徒の安全面では責任を持つべきでしょ!」

 そこからは先輩なりの悪あがきのように思えた。特に意味をなさないのに。

「その責任は、一部の先生と僕、同じ中学出身の生徒に、これと同じ薬を持たせる事で、果たしてます。それでも僕の身に何かあった場合、他の人の急性発作と同じ扱いでしょ」

 先輩はまた黙り込む。

「・・・僕も学校も馬鹿じゃないんです。他にも緊急時の事についても話してます」

 俺は立ち上がり、その場を去ろうとする。

「僕が先輩に望むのは二つ。一つは他の人と何も変わらない態度をとる事、もう一つはそれを他の知らない他の人に話さない事、それだけです。・・・時間もないので僕はこれで」

 俺はそう言って、図書室を後にする。その時先輩は何一つ声をかける事はなかった。
 教室に戻ると、次の数学の準備をするためにロッカーと机を行き来する人たちだらけだ。

「ねぇ、辰矢。今日数学に課題があるの知ってた?」

 響空は俺を見つけるなり、すぐにほとんどの人が忘れているらしい課題のことを聞いてきた。

「あ、うん。やってるけど?」

 自分の席に着くや否や、響空は『その課題を見せて』と言わんばかりの顔でこちらを見返している。

「はい、これ」

 そう言ってノートを響空に渡す。するとその直後、数学担当の岩先生が入ってきた。

「おーい!稲垣。ちょっと来い」

 授業の始まる数分前、全員が今日も俺をみる。

「何ですか?」

「お前の話、華巳に話したのか?」

 やっぱり先輩は・・・、あの沈黙でなんとなく違和感を感じていた。おそらく急な話にしては内容が重すぎて、誰かに打ち明けたくなったのだろう。

「はい、話しました。薬は渡してませんけど」

「なんで教えたと?」

 俺は辺りを見渡し、先生との会話を聞いていそうな人がいないかを確認する。

「先輩に薬のことがバレたのと、告白されたので、その理由として話しました」

「は?」

 先生は驚きに満ちた様子で声を上げる。驚き方や、その後の言葉から先生の間でも生徒が噂する話を知っていて、彼女をマドンナ扱いしているのが分かる。

「返事は?なんて言ったと?」

「了承してたら、先輩は先生のところに話になんて来ないでしょ」

「確かにな・・・」

 先生は一体何を期待したのだろう。話はそれだけで自分の席に戻り、すぐに授業が始まる。

「起立!礼!」

「「お願いします」」

 挨拶し終えると、班のメンバーが俺を見始めた。

「何?」

「いや、どうしたと?最近目立つけど」

 蒼午の言う通り、昨日も今日も目立ちすぎている。そんな気がする。

「知らんよ。俺も何でこうなったのかいまいち理解出来ん」

「ねぇ、先生からは何て言われたと?」

 木下さんからはまた理由を尋ねられる。

「良く意味が分からんけど、課題に対してテストの成績があまり良くないんじゃないかって」

「確かに」

「何だよそれ」

 俺たち二人の笑い声は内心大きくないと思っていた。

「おい!そこの二人授業はもう始まってんだから静かにしろ」

 岩先生の少し大きな声で俺たちを注意する。そのお陰で自分たちの声の大きさが意外にも大きかった事に気づいた。

「あんなに大気に声で言わなくてもね?あ、これ。ありがとう、助かったよ」

 響空からノートを受け取り、授業再開される。
 授業終了後、一年生全員が体育館に移動して、明後日以降に行われる林間学校の詳細についてのオリエンテーションが行われた。

「明後日以降の予定は以上になります。質問のある方は挙手をお願いします」

 同じ学年を担当しているが説明の後の質疑応答まで進めるが、もちろん手をあげる人なんていやしない・・・。

「では続きまして、明日からの・・・」

「すいません!」

 俺のクラスの男子総務が手を挙げた。俺は今回配られた資料には着くような不備は見当たらないような気がする。

「どうしました?」

「『午後十字消灯』と書いてありますが、午後九時からの空白の一時間の行動は『自由行動』って事でいいでしょうか?」

 何を言ってるんだと、俺は内心頭を抱えた。確かに事前に確認しておくのはいい事だけど、自由な解釈を持ち合わせていいところは確認しないほうが、厄災が起こりかねないのに。

「はい。大丈夫ですよ、どうせ『自由時間だ~』なんて言ってあなた達は騒ぐんでしょうから」

 先生の言葉は、経験からのもので俺らの本意をうまく見抜いていた。さすが先生としか言いようがない。

「他にありませんか。・・・では次の話に移ります」

 沈黙の後に始まった先生の話に俺としては今世紀最悪の事件のことをこの時はまだ知らない。

「今回の林間学校ですが、例年とは別に特別な制度を設けようと思います。しかし、その詳細については明日の三限目にお伝えします」

 そう言われ終わった学年集会、教室への帰り道に少し前で男子グループが蒼午を中心に、寅丸の質問についての話をしていた。

「お前、わざわざあんなこと聞かなくてもいいのに。黙っとけばその時しのぎで何とかなったかもしれないのに」

 流石にそのことは蒼午でも理解していたようで驚いた。

「いや、悪かったよ。俺もそこまで頭が回らなくてな」

 寅丸は笑いながら蒼午達と仲良く教室に戻っていく。そんな姿を俺と横の女子は眺めていた。

「辰矢はあそこに混ざらなくてもいいの?」

 響空の言葉の意味がイマイチ理解できなかった。俺の歩く速さと彼らの違いでここにいるだけなのに。

「うん。あいつらは歩くの早いから」

「確かに。前も辰矢だけ後ろにいたしね」

 余計な一言が俺の心に突き刺さる。

「でも、あれだよ?女子からすれば辰矢くらいの速さがちょうどいいよ」

 褒められたと思っていいいのだろうか、下手なフォローなのか、分からない。言われてみれば、先輩とカフェに行った時もずっと先輩は横にいた気がする。

「辰矢くんっ!」

 教室付近で悠凛が俺を待っていた。

「どうかしたの?」

「いや、林間学校の自由時間さ・・・」

「うん?」

 元気な彼女は周りの反応に俺の声で気がついて、別の話をしそうだ。

「ごめん、ちょっと別の場所で話さない?」

 俺は頷き、階段の近くにあるちょっとしたスペースで話を再開させる。

「あのさ、自由時間に話したいことがあるんだけど、ちょっといいかな」

 彼女は今話せないことをその日に話せるだろうか。

「明後日だよね?いいよ。昼間に場所は決めようか」

「うん!ありがとう」

 元気に自分の教室に戻る小さい彼女に妹を重ね合わせた。

「辰矢、悠凛に何を言われたと?」

 響空は意外にも盗み聞をしていなかった。その横には親友の幸がいた。

「そりゃ、決まってんでしょ。いやぁ、流石の男勝りで有名な悠凛ちゃんだねぇ」

 幸はオヤジのように顎を親指と人差し指で撫でる。彼女の言葉で当日言われる内容がなんとなく分かった。しかし、響空は何も理解していないような顔をしている。

「つまり、悠凛は自分に素直で勇気を持っているってこと」

 それに関してはいかがなものかと思ってしまう。

「え?何?」

「うるさい。とにかく、俺がカノ、いや悠凛とどんな話をしようとお前達には関係ないだろ」

「え?!今、彼女って言ったよね?」

 代名詞で使おうとした言葉は、今の会話では別の意味になるかもしれない、と言い直したのに。案の定、からかうために幸が最悪な言葉の組み合わせを放つ。

「そんなことは言ってないだろ」

「ねぇ、もしかして付き合ってるの?」

 自分の机に帰り支度をしていると、幸の言葉に気の昂った響空が来た。

「なんでそうなる。そんな訳ないし、そうであってもそれを響空に話す義務なくない?」

 俺はどうしてか怒り出していた。恐らく、響空に言われたからだろう。普段は何とも無さそうな言葉なのに、彼女に言われると嫌気がさしていた。

「よう辰矢。珍しくイラついてんな」

 いつの間にか階段にいて、優真に話しかけられた。流石に怒りという感情は溢れていたらしい。

「悪い、優真」

「別に良いけど、何があったと?」

「何もない。最近いろいろあったから疲れてるんだろ」

 俺の言葉に少しにやける優真。その口から次に出る台詞が怖い。

「そりゃ、あの華巳先輩と付き合ったら、周りの人は寄ってくるだろうな」

 笑いながら言う優真の顔が憎い。その感情が行動に軽く出る。互いに肩を組み俺の拒否の言葉に優真は笑い、仲の良さが表われる。

「まぁ、機嫌が良くなったなら良かったよ。明後日までにはどんなにどんな時でもそれでいるようにしろよ」

 今の俺のどこを見て機嫌が良くなったと言えるのだろうか。
 でも『どんな時でも』と言う言葉の意味は、俺と優真と一部の生徒、それと俺のことをよく知らない生徒との間では、意味が違ってくる。その言葉に俺はどことなく温かい気持ちで一杯になった。

「おう、わかったよ。また明日な」

 話しているうちに昇降口で別れ言葉を交わし、時間が経つ速さを感じる。このように上手く、早く時間が流れてしまえば、俺の人生に悔いなんて残らないのだろうと思った。
 俺は一人で駅に向かい帰路に立つ。それはまるで人生の終末のようにも思えた。実際のその時も、今のように何の悔いがないと幸せなのだろう。
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