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予期せぬ巡り合わせ
出生1
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佐知は両親から幼少を過ごした孤児院が取り壊されることを聞かされていた。
「なくなる前にもう一度行ってこようかな」
「行ってきなさい 佐知の人生で忘れてはいけない大切な場所で、もう一つの故郷でもあるのだからな」
父の傍らで母は目頭に溜まった涙を隠すように抑えていた。
思えば夫婦で電車に揺られ幾度も足を運んだ孤児院だった。屈託のないとびきりの笑顔を見せ狭い園内を一人元気に走り回っていた佐知。そんな姿を人目で気に入ったのは母・貞子だった。貞子にとって夫と義父母との静寂な生活を照らす灯りと希望それが佐知だった。貞子は引き取りに行った情景を思い出し胸を詰まらせていた。
あの時佐知の顔から笑顔は消え失せていた。今にも泣き叫ばんばかりだった。
「園長先生、わたしどこかに行かなくちゃいけないの ここに居ちゃいけないの わたしここにいたい」
幼くして一人ぽっちになった佐知。 貞子は実の親が願った幸せをこの手で叶えたいと心から思った。
何があろうとも私が命をかけて絶対幸せにしてみせますとあの日誓った貞子の思いは薄れることなく今も変わらなかった。
佐知は私たちに出会って幸せだったのかしら・・・
貞子は歳月を噛み締めていた。
当日朝早くから母は孤児院に持たせるクッキーを大量に焼いていた。寝ている部屋に香ばしいバターの匂いが漂っていた。キッチンはまるでケーキ屋さんの厨房のようだった。
佐知はクッキーを抱え両親に見送られ孤児院に向った。その町は偶然にも記憶のない実父母の生地でもあった。
電車を降り隣接する県のとある町に降り立っていた。おぼろげに残る記憶は見事なまでに追いやられていた。田園が残る景色に建つ近代的な駅舎は全く異質なものに感じられた。父がくれた手書きの地図を頼りに歩き出したが昔の懐かしい光景はどこにもなかった。
地図を見せて乗り込んだバスに揺られること30分。乗客は佐知一人。目的地のひとつ手前のバス停に差掛かろうとしていた時だった。脂ぎった顔を光らせた運転手の大きな声が聞こえた。
「お客さん、歩いて行くなら此処で降りた方が近いよ」
運転手の言葉に従いひたすら歩く道のりは遥か遠かった。「近いよ」と言った運転手の親切が恨めしかった。
延々と続く砂利道で佐知は足を止めていた。沿道の木陰に座り膝頭をさすりながら昔を思いだした。大好きだった両親が突然姿を消し一人ぽっちになった佐知。訳もわからず役所のお姉さんに手を引かれたあの日の記憶。涙ぐみ何度も足を止めたであろうこの道。
見知らぬ町を見知らぬ人に連れられて歩く幼い佐知が姿を見せた。駄々を捏ね泣き叫んで父と母を捜し求める佐知に付き添うお姉さんは優しく宥めすかしてくれた。泣きじゃくるたび膝に乗せてくれた。足を止めるとドロップやお煎餅を食べさせてくれた。食べ終えると機嫌が良くなる事をお姉さんは百も承知していた。仕事とはいえ親と離れた子供の世話は大変だったに違いない。休憩を取っては水筒の水で喉を潤し又歩くその繰り返し。気遣ってくれるお姉さんに佐知は笑顔一つ言葉一つも返さなかった。母にも似たその手の温もりと優しさは逆に悲しみを膨らませた。
「優しいこのお姉さんもいなくなる人 ずっと傍には居てはくれない人」
頑なまでに佐知は心を閉ざしていた。しかしそれは悲しみを最小限に抑える手段だったのかもしれない。肉親のない一人ぽっちになった佐知が血の繋がりのない人たちと生活する孤児院で普通の子供同様の家族愛を求めるのは酷すぎた。それを求めれば一層悲しみを齎すだけだった。いい思い出ばかりではなかったが此処で出会った大人達は絶大な力を持っていた。生きる望みを与えてくれたと言っても過言ではなかった。園長先生、ちい先生、食堂のお母ちゃん先生懐かしい顔が浮かんでいた。
「なくなる前にもう一度行ってこようかな」
「行ってきなさい 佐知の人生で忘れてはいけない大切な場所で、もう一つの故郷でもあるのだからな」
父の傍らで母は目頭に溜まった涙を隠すように抑えていた。
思えば夫婦で電車に揺られ幾度も足を運んだ孤児院だった。屈託のないとびきりの笑顔を見せ狭い園内を一人元気に走り回っていた佐知。そんな姿を人目で気に入ったのは母・貞子だった。貞子にとって夫と義父母との静寂な生活を照らす灯りと希望それが佐知だった。貞子は引き取りに行った情景を思い出し胸を詰まらせていた。
あの時佐知の顔から笑顔は消え失せていた。今にも泣き叫ばんばかりだった。
「園長先生、わたしどこかに行かなくちゃいけないの ここに居ちゃいけないの わたしここにいたい」
幼くして一人ぽっちになった佐知。 貞子は実の親が願った幸せをこの手で叶えたいと心から思った。
何があろうとも私が命をかけて絶対幸せにしてみせますとあの日誓った貞子の思いは薄れることなく今も変わらなかった。
佐知は私たちに出会って幸せだったのかしら・・・
貞子は歳月を噛み締めていた。
当日朝早くから母は孤児院に持たせるクッキーを大量に焼いていた。寝ている部屋に香ばしいバターの匂いが漂っていた。キッチンはまるでケーキ屋さんの厨房のようだった。
佐知はクッキーを抱え両親に見送られ孤児院に向った。その町は偶然にも記憶のない実父母の生地でもあった。
電車を降り隣接する県のとある町に降り立っていた。おぼろげに残る記憶は見事なまでに追いやられていた。田園が残る景色に建つ近代的な駅舎は全く異質なものに感じられた。父がくれた手書きの地図を頼りに歩き出したが昔の懐かしい光景はどこにもなかった。
地図を見せて乗り込んだバスに揺られること30分。乗客は佐知一人。目的地のひとつ手前のバス停に差掛かろうとしていた時だった。脂ぎった顔を光らせた運転手の大きな声が聞こえた。
「お客さん、歩いて行くなら此処で降りた方が近いよ」
運転手の言葉に従いひたすら歩く道のりは遥か遠かった。「近いよ」と言った運転手の親切が恨めしかった。
延々と続く砂利道で佐知は足を止めていた。沿道の木陰に座り膝頭をさすりながら昔を思いだした。大好きだった両親が突然姿を消し一人ぽっちになった佐知。訳もわからず役所のお姉さんに手を引かれたあの日の記憶。涙ぐみ何度も足を止めたであろうこの道。
見知らぬ町を見知らぬ人に連れられて歩く幼い佐知が姿を見せた。駄々を捏ね泣き叫んで父と母を捜し求める佐知に付き添うお姉さんは優しく宥めすかしてくれた。泣きじゃくるたび膝に乗せてくれた。足を止めるとドロップやお煎餅を食べさせてくれた。食べ終えると機嫌が良くなる事をお姉さんは百も承知していた。仕事とはいえ親と離れた子供の世話は大変だったに違いない。休憩を取っては水筒の水で喉を潤し又歩くその繰り返し。気遣ってくれるお姉さんに佐知は笑顔一つ言葉一つも返さなかった。母にも似たその手の温もりと優しさは逆に悲しみを膨らませた。
「優しいこのお姉さんもいなくなる人 ずっと傍には居てはくれない人」
頑なまでに佐知は心を閉ざしていた。しかしそれは悲しみを最小限に抑える手段だったのかもしれない。肉親のない一人ぽっちになった佐知が血の繋がりのない人たちと生活する孤児院で普通の子供同様の家族愛を求めるのは酷すぎた。それを求めれば一層悲しみを齎すだけだった。いい思い出ばかりではなかったが此処で出会った大人達は絶大な力を持っていた。生きる望みを与えてくれたと言っても過言ではなかった。園長先生、ちい先生、食堂のお母ちゃん先生懐かしい顔が浮かんでいた。
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