涙が幸せの泉にかわるまで

寿佳穏 kotobuki kanon

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追憶

もう一度だけ1

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柳木沢が旅立ってから数ヶ月が過ぎていた。押入れから冬物の衣装ケースを引っ張り出していた。厚手のトレーナーが手放せなくなった頃一通の手紙が投函された。


「さち~また名無しの権兵衛さんからラブレターがきてるぞ」


階下で封書をヒラヒラ振り続ける父に母は笑いをこらえていた。


「母さんストーカーかも知れないぞ 名無しの権兵衛さんからの手紙はすべて父さんに見せるよう佐知に言っておきなさい」


「呆れるわね お父さんは佐知の事になるとほんと大袈裟なんだから 佐知はもう大人なんですよ」


母は父が握り締めた手紙を取り上げて5段目の階段に置いた。二階から姿を見せた佐知に父は何か言おうとしていたが母に制止され腕を引かれ茶の間に入っていった。

部屋はしまいかけの夏服が散乱し足の踏み場もなかった。散らばった洋服をかき分けベッドに腰を下ろした。柳木沢の時と同じ佐知様とだけ書かれた白い封書を翳していた。


/佐知、君は怒っているだろう。きっと怒ってるよね。俺は親父の最後を伝えようと君に手紙を書いている。親父の手紙は君に届いているだろうか。事務所の金庫から出てきた手紙なんだ。親父が愛した母さんと俺、仕事の関係者そして君へ親父からの最後の言葉読んでもらえたかな。病床の親父は俺の知る親父とは別人だった。人前でも涙する弱い男になっていた。何もしてやれなかった不甲斐無さに俺は今も苦しんでいる。親父の事を理解していたのは君だって事が分かったよ。君の話しをするとき親父は唯一絶望から開放され穏やかな顔を見せた。皆井君との思い出は僕のお守りだといって、力を振り絞って笑顔を作っていた。君の名を口にするその時だけは病気と戦い、生きようと明るく頑張っていた。

「父さんはどんな苦しみの中にいても負けないよ。命尽きるまで生き続ける。神に授かった命は一秒たりとも粗末には出来ないからな。この地球に生を受け生かされている命今日もひたすら生きようとしている命 地球上のすべての命はどれもこれもみんな愛おしく、大切なかけがえのない尊い命なのだから」

これが父が残した最後の言葉だった。それっきり会話はできなくなった。俺は君が言うように親父に嫉妬していた。親父を一人の男とみて嫉妬していたんだ。いま親父を憎む理由は何ひとつなくなった。親父を支え勇気づけてくれた君に感謝します。本当にありがとう。親父の心内に気づいてあげられなかった家族に代わり君は親父に寄り添い救ってくれた。それなのに本当にすまなかった。君が許してくれるのなら連絡して欲しい。ずっと待っている。

井川雅和/


待ちわびた便りなのに素直に喜べなかった。なぜだか柳木沢の事ばかりが鮮明に思い出された。雅和が憎み嫉妬したひとりの男は父の姿に戻り雅和のもとから消え去っだ。そして今は亡き好かない柳木沢は恋しいひとりの男になって佐知のもとに舞戻ってきた。思いは複雑に絡み手紙を受け取って二週間たっても動けなかった。会いたい気持ちが自然に湧き出るのを待った。


「このときを待っていたのにどうしたんだろう わたしは喜んでいない」


佐知は気持ちを確かめるため雅和に会おうと決めた。恋焦がれ会いたくてたまらなかったあの頃が嘘のようだった。心はごまかせないものだと言った柳木沢の言葉を思い出し佐知は呟いていた。


胸踊らせ雅和と会っていたわたしは今ここにいない 何処に行ってしまったのだろう



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