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【05】森神さまによる押しの強い求婚

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「あ、あたしがですか!?」

 驚いた。自分みたいなちっぽけな娘に、一体何ができるというのだろう。
 だけれどスロヴィアの視線は熱を持って、真面目にこちらを見つめていた。

 神さまが、手を貸してくれと頼んでくれている――

 むくむくと、温かいやる気が込み上げてくるのをアニは感じた。
 嬉しい、と、素直に思った。
 森の為に、町の為に、やれることがある。こんなちっぽけな自分にも。

「喜んでお手伝いします!!」

 アニは勢いよく背中を伸ばした。自分の胸をぎゅっと手で押さえて。

「あたしなんかで良ければいくらでも! 森と人が仲良くできるなら、すごく嬉しいです!」
「良かった。君以外には叶えられない助力だ」
「そんなこと言われたらますますやる気になっちゃいます! で、何をすればいいですか?」
「うん、結婚しよう」


 うっとりと――それは、歌うような声のささやきだった。


「――へ?」
「結婚しよう。わたしの妻になってくれ」
「な、な、なん、」

 結婚? 妻?
 何を言っているのだろうか。

 突拍子もない求婚に、頭がちっとも追いつかない。瞳と口で三つの丸を作ったアニの頬を、スロヴィアは撫でた。たっぷりと、それはもう、愛しさを込めて。

「そう驚くこともあるまい? 君はスロヴェスタで最も森を愛し、森神の存在を信じ続けた稀有なる娘だ。これほどに相応しい嫁が居ようか」

 そう言うと、スロヴィアは抱いたアニの腰を、ぐっと強く引き寄せた。
 胸に抱き寄せられ、大きく吸い込む匂い。この匂いを知っている。二度めの感覚で気が付いた。樹々の青さと清らかな水、アニが大好きな森の匂いだ。
 その森の木の現身だという、綺麗な顔をした男がこちらを見て微笑んでいる。口を開いて笑うと、とがった八重歯が見えた。どきどきせずにはいられない距離だった。

「先代からの言伝にな、まず、わたしの膝で眠った娘を娶れというのがあって」

 真っ赤になったアニの耳に、先ほどよりも甘い声が滑り込んでくる。

「そ、それって」
「赤子だった君だ。幼い頃、捨てられていた君は、しばらくわたしの根で加護を受け、危うい命を永らえた」

 物心ついてから教えられたことを、アニは思い出していた。
 木こりが見つけてくれるまで、森で不思議と生き残った。
 その木こそが、スロヴィア――

「言伝はこうあった。森を愛し、森に愛された娘と共に在れ。花嫁選びは神の第一歩、とな。
 そも、スロヴェスタの花嫁祭りは、森神と人の婚姻が始まり。ひとりの娘を選び、祝福を授けるのが習わしだ。人は森を、森は人を、互いに敬い手を取り合う。娘たちは嫁に選ばれるべく、競って身を飾ったというぞ」

「だだだだったらほら、正しくやりましょう!?」

 激しくどもる。いつの間にかがっしりしっかりとした抱擁の形になっていた接触を、腕をぐいぐい突っ張ってアニは逃れた。正しくは逃れようとした。流石は神というべきか、そこそこ力はあると自負している本気の突っ張りに、彼はびくともしない。
 それどころか、はははと笑って抱きなおされた。長い髪が頬を擽る。いい匂い。ああもう、ときめかせないで欲しい。胸の高鳴りを叫びで押し隠す。

「明日のお祭りをちゃんとやるのが良いと思います!! 森神さまのお嫁さん探しっていうなら、村の皆から公平に選ぶべきで、いや急すぎるのかな!? ちょっと日をずらすとか!」
「いいや、アニが良い。ちなみにな、先代は一年ごとに嫁を代えていたようだが、そんなことはしないと約束しよう。ずっと君だけだ。
 それなら人同士の結婚と、さほど違いはないと思わないか?」
「っ……でも、でもこまります、そんな、急に言われても!」

 アニはもう、ただ慌てふためき首を振るほかなかった。

(冗談でしょって、言って流せる空気ですらないよ……!)

 目の前に迫っている緑瞳の奥には、熾火のような熱があった。
 見つめられるだけでかっと頬が熱くなり、できることと言えば顔を伏せるだけ。ぱくぱく口を動かしながら、まともな言葉も吐けやしない。

「赤子の頃、わたしの膝ですやすやとあやされていた君だ。あの頃からなんと愛くるしいと思っていた」

 スロヴィアは笑いかける。がっちりと腰を抱いたままで。

「我が実りと同じ、木の実色の髪と瞳が素晴らしかった。先代に君を娶れと言われた時、胸が高鳴ったものだ。なんというさだめかとね。それに」
「な、なんですか、まだ何かあるんですか、もういいです、おなかいっぱいです」
「聞きなさい。君はわたしから得た実りを、大層美味い菓子に仕立て上げてくれた。あの味はわたしへの愛の為せる技と、一口食べて理解したよ」
「そんなつもりで作ってたんじゃありません!!!」

 ああもう、何て人、いや神様だ!

 アニが顔を真っ赤にして目を合わせないように頑張っているというのに、背を屈め、顔を近づけ、すくい上げるように距離をつめてくる。吐息が触れるほど近づいて、綺麗な顔でにっこり笑って褒めちぎってくる。
 君はかわいい、昔からそうだった、再会してもっとそう思った、助けられてほっとしている。極めつけに、

「森が好きだと言ったろう?
 つまりはわたしそのものを、好きだと告げたも同然だ」

 断定的な口調で言い放たれてしまっては、もう逃げようもない。

 弱り切ったアニは、ついにその場にへたり込んだ。絞り出た言葉は、か細く――

「か、考えさせて、ください……」

 情けなさ極まりない、締まりもない、弱り切った泣き言だった。

 はは、と、スロヴィアは声を上げて笑った。八重歯を見せた快活な笑みは、まるで良い風に吹かれて揺れる、葉擦れのような響きだった。

「良いとも、まだ夜も浅い。花嫁祭りが始まるまでに、君をうんと言わせてみせる。
 まずは家に帰り、話をしよう。相互理解は夫婦の基本だ」
「ええ!? う、うちに来るんですか!?」
「新居と言ってもいいのだよ。さ、一晩じっくり語り合って――」

 一度言葉を切って、スローヴァの森の新しい神は、嬉しそうにアニの頬を撫でる。

「明日は共に、真なるスロヴェスタの花嫁祭りを皆に宣言しようではないか!」


 ああ、勝てる気がしない。


 確信してアニは思った。きっと自分は、彼の思うままになってしまうだろう。

(だって、本当は嬉しい)

 流されるのでなく、神の力にひれ伏すのではなく、ただ純粋に、嬉しい気持ちが確かにあった。
 スロヴィアに微笑みかけられると、それだけで心臓が、ばかになってしまったんじゃないかというくらいにどくどく鳴る。頬に触れた髪のひと房の感触にさえときめいている。
 もう一度、頭を撫でて、抱きしめて、かわいいって言って欲しい。
 生まれて初めての感覚だった。森に生きる少女たるアニが初めて覚えた恋の胸騒ぎ、その相手は間違いなく、新たな森の神その人だった。

 だからきっと、自分は。

「……夜明けまで、かからないと思います……」

 言葉どおり、さほど時間はかからないだろう。

 明日の祭、真っ赤になったアニと満面笑顔のスロヴィアが、スロヴェスタに降臨する。鮮やか過ぎる自分の未来を瞼の裏に垣間見て、けれどそれはやっぱり恥ずかしくて――アニはへにゃり、と、情けなく笑った。
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