ケンカップル

わこ

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捨て台詞のショックで落ち込み

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「そもそも恵太なんかと同居ってのが間違いだった」
「テメエが言うな。無駄な時間過ごす羽目になってんのはこっちだっての」
「は……んだよそれ。お前そんなふうに思って……」
「当然だろ。テメエになんかヌく時しか用ねえんだよ」

 ピシッと。
 その瞬間、俺達の間には確かにくっきりと亀裂が入った。

 言われた俺は思わず言葉に詰まって、不覚にも悪態すらつけない。言った恵太はなんとも微妙な顔をして、眉間を寄せながら舌打ちして苛立ちを表した。
 恵太が出て行ったのはそのすぐあと。バタンと、玄関でドアが閉まった。残された俺はその場に立ち尽くし、動く事もできずに呆然。

「…………」

 ヌく時にしか用がない。
 ああそうかよ。俺なら女と違って面倒な事にはなんねえもんな。わざわざ言われなくても分かってるよ。所詮はその程度なんだろ。

 自分の部屋に逃げ込んで、ドサッとベッドに倒れ込んだ。横向きに体を丸める。顔の近くに投げ出した、自分の左手をぼんやり眺めた。
 視線の先にあるのは指輪。この前の俺の誕生日に、恵太が寄越してきた銀色のそれ。
 シンプルで飾りっ気も何もない。たいした意味もないくせに、左の薬指に嵌められた。

 もらった直後はなんだかやたらとそわそわした。こんなのはガラじゃない。そうだ、やっぱり外しておこう。あの時は一度そう思い、薬指からリングを抜いた。
 しかしそこで、初めて気付いた。リングの内側の刻印の存在に。小さく刻まれたその文字が、『K to M』だったことに。
 あいつにしては珍しく小洒落た事をしやがるから、やっぱり嵌めたままでいようと思い直すのも早かった。

 意味なんてない。嵌める指を変えないのは、サイズはここがピッタリだから。ただそれだけだ。
 最初から何も期待なんてしていない。期待なんて、あんな野郎に持つ価値もない。

 ヤり始めたのは体の相性が合ったからで、同居を始めたのは強いて言えば、家賃生活費諸々の節約で。俺達が一緒にいる理由は、たまたまお互いの利益が合致したからであって。
 相手の事を好きか嫌いかと問われれば、俺も恵太も間違いなく『嫌いだ』と、答える訳で。

「…………」

 微妙なラインで微妙な事をしている俺達の繋がりは薄い。指に嵌めた銀色だって、実際はなんの証明にもならない。それくらいちゃんと知っている。
 嫌いな相手と一緒にいるための理由を作って、いくつも口実を積み上げてきたけど。そんな出来損ないの即席物は、壊すのだって簡単だ。

 どちらかが一言、終わりだと言ったらそれまで。どちらか一人がこの部屋を出れば、どちらか一人がこの部屋に取り残される。
 そしておそらく、もしも俺達のどっちかが本当にこの場所を捨て去るとしたら。それを選ぶのは俺じゃなくて、たぶん、あいつの方だろう。
 そんな日が来たら恵太は、きっと無言でここを出て行く。何も言わずに黙って消える。
 さっきみたいに。

「けい……」

 ぼんやりと、音にならない大きさで唇だけが微かに動いた。
 応える奴はここにいない。そう気づいてなんだか急に、じっとしている事ができなくなった。

 重かった体で跳ね起きて、部屋を出る。玄関に向かう。
 何も考えず何も手に持たず、靴もしっかり履ききらないうちに慌ただしく扉を開けた。

 が、直後。その先で。ガゴッと。

「ッ……てぇ」

 結構な鈍い音を聞いた。同時に低く呻いたのは、扉のすぐ前にうずくまっているその影。

「……え」
「てめえ、道哉……ふざけろ」

 開けきれなかったドア。顔を覗かせたその先で視線を落とした。
 玄関の前にしゃがみ込んでいたのは恵太。顔だけをこっちに向けて、恨めしげに俺を見上げている。
 思いっきり打ち付けた、と言うか、俺が思いっきりドアを開け放ったせいでぶつかった背中を手で押さえていた。

「……何してんの?」
「うっせえな。テメエこそ何ノコノコ出てきてんだよ」

 不機嫌な顔のまま立ち上がったこいつ。俺はまだ辛うじて玄関内。玄関の内と外とでお互い近い距離で向かい合った。
 視線が絡むか絡まないかの微妙な位置に目を向け合う俺達。出て行ったと思った奴が実はその場に留まっていたと知り、どうにも気まずいしかける言葉も見当たらないから、まずは平静を装った。

「……自分ちの前で何やってんだよ。隣の人とかに見られたら変に思われんだろ」

 ばかじゃん。
 イヤミな感じに付け足すと、恵太の額にピキッと青筋が立った。そのままガッと腕を掴まれ、ズカズカ中に押し込まれる。

 まったく。キレたよ。コレだよ。だから嫌いなんだよ。
 半ば呆れながらも、しかしこうなって初めてお互いの顔を直視できるようになる。壁を背に追い込まれた時、ガチャリとゆっくり扉も閉まった。

「なに。別にホントのこと言っただけだし。つーかお前、家の外で不貞腐れてるとかどこのガキ……」

 罵りは、途中で途切れた。なんでか知らないけど急に、ぎゅっと抱きしめられたから。

「けいた……?」
「…………」
「……おい……なあって」
「……うぜえ。黙れ」

 ぎゅぅうって感じに体を締め付けられる。アナコンダにでも巻きつかれている気分だ。アナコンダと出会った事ないけど。
 俺の肩に顔を埋めた恵太は、この体をただただ腕の中に閉じ込めていた。俺は不覚にもそれに安堵し、この時だけはおとなしくしていた。
 空気感に色気はゼロパーセント。心から癪だが、不思議と嫌じゃない。

「……道哉」
「うん?」

 腕に力を込めたまま、恵太が呟くように俺を呼んだ。ところがそれに応えても、なかなか続きは耳に届いてこない。

「なんだよ……」
「…………」
「おい。けーた」
「……んでもねえよウゼエなクソが」

 うーわ横柄。知ってた。
 いつまで経ってもこいつはガキのままなんだろうな。俺も人の事は言えないし、目に見えるほどの成長もないが。

「……恵太、痛い」
「うるせえ。圧死しろ」

 不貞腐れた言い方をされても、怒りよりも感じるのは呆れ。本当に圧死させられそうなまでに強い力で抱きしめられて、それでもその手はどちらかと言うと幼い子供のように思えたから、特に抵抗はしないでおいてやる。
 恵太は何も言わないけれど、そこはやはり長い付き合いだ。嫌でも勝手に伝わってくる。嫌だろうがなんだろうが、こいつの考えている事がうっかり分かっちゃったんだから仕方ない。
 こんなムカつく野郎はいっそ本気で殺したい。そこまで思う事も多々あるが、腕を伸ばして水に流してやれる程度には俺も寛容になった。唯一とも言える成長ポイントだ。

 バカ恵太め。許してやるよ。
 俺だってお前の捨てゼリフごときでマジへこみする程ダサくない。

 アナコンダ野郎を抱きしめ返し、デカい図体のクセになんだか小さく見えるこいつの背中をポンポンと叩いて宥めた。
 酷いこと言われたの俺なのに。言ったこいつの方がよっぽど、傷付いちゃってるとか。

「恵太ってたまに超ダセぇよな」
「…………うぜえ」

 事実をそのまま言い放ってやると、拗ねた声が返ってきた。しかし腕の力は緩まない。
 どこまで行っても素直じゃない。だけど多分、これもお互い様ってやつだ。
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