ケンカップル

わこ

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今日の原因

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「食ったろ」
「食ってねえし」
「テメエじゃなかったら誰が食うんだよ」
「知るかバカが。寝ぼけて自分で食ったんじゃねえの」


 かれこれ三十分に渡ってこの言い合いを続けている。
 疑惑、と言うよりもむしろ確証しかないのだけれど。イライラと疑いの眼差しを向けると、恵太はあからさまに嫌そうな顔をした。

 オープン直後の映え系きらきらスイーツ店に、土曜の朝から恥を忍んで男一人で並んだのに。周りはほとんど女性客かカップルしかいない異空間で肩身の狭い思いに耐え抜き、二時間半並んだ末にようやく手に入れた一個だったのに。
 涙と努力と忍耐の結晶だった。俺のプリンを今すぐ返せ。

 プリンの入った紙袋を片手にウキウキしながら部屋に戻り、しっかりと冷蔵庫の中にしまい込んでコンロの前に立ったところまでは良かった。折角の幻のスイーツなんだから傍らに紅茶を置きたいと思う事だって間違ってはいなかったはずだ。たまたまティーバッグが切れていたから仕方ねえ買ってくるかと腰を上げ、近くのコンビニまで歩いて行った俺に罪があるとは思えない。
 楽しみにしていた。とてもワクワクしていた。この瞬間を熱く夢見て今週は仕事をやり抜いたようなものだ。それをこのクソ同居人、恵太があっさりと崩落させた。
 スマホ片手に紅茶を買いに行ったほんの十五分の間に、人が夢見た至福の瞬間をあっさり略奪しやがってこの野郎。

「人のもんを勝手に食うとかマジねえよ、小学生かお前」
「うっせえな。いい年こいた男がプリンプリン喚いてんじゃねえよ」
「はあッ? テメエは俺がアレを手に入れるのにどれだけ苦労したと思って……っ」

 クソ野郎クソ野郎クソ野郎クソ野郎。
 しかし、そこでふっと途切れた。肩から一気に力が抜ける。憤慨を通り越してもはや何もやる気が起きない。

「……もういい。けど食ったのは認めろ」
「あーはいはい食ったよウゼエなこれで満足か甘党のガキが。つーか冷蔵庫は共有物だっつったのテメエじゃねえかよ。そん中に入ってるもんなら俺のものでもあんだろ、ああっ? 自分の物食って何が悪い」

 すごく堂々と言われた。一度は脱力した俺の額には、おそらくビキッと青筋がたった。

「プリンは共有物じゃねえ……ッ!」
「はっ。小せぇ野郎だな」

 こいつもう死ね。でっかいプリンに頭から突っ込んで苦しみながら窒息して死ね。





***





 二人でここに住むようになってから、金曜日と土曜日の夜はどっちかのベッドに一緒に入って色々してから寝るようになった。昨日は土曜日だったけど、夕べはそれぞれの部屋で寝た。プリン騒動があってからずっと、ほとんど恵太と喋っていない。
 だってムカツクから。俺のプリン食いやがったから。誰がヤらせるかあんなヤツ。

 朝になって起きだしてみて、家の中を見回しても恵太の姿はどこにもなかった。
 別にあいつがどこで何をしていようが俺には一切関係がないが。玄関を窺って靴の有無を確かめたのは、トイレに行きがてらちょっとしたついでだったけど、スニーカーがないという事はどうやら出かけたようだった。

 日曜の朝から。どちらかと言うと出不精な根暗なのに珍しい事もある。
 でもまあいい。嫌いな奴の顔を見なくて済むならむしろ俺にとっては好都合。

 そう思う事にして一人キッチンへ。いつもなら仕方なしに二人分用意するコーヒーと朝食を、自分のためだけにパパッと揃えた。リビングに戻ってコーヒーを啜りつつ、満喫するのはかなり久々の休日お一人様空間。
 なんと言う自由。あの野郎さえここにいなければ、朝っぱらからリモコンの取り合いをする必要が全くない。エアコンの設定温度を巡ってバカみたいに争うこともない。出した朝食に味が濃いとか薄いとか言って難癖付けられる羽目にもならない。
 一人ってこんなに素晴らしい。嬉しくてもう涙が出そう。






「…………」

 そして一時間が経過。洗濯物をベランダで干しながら、ぼうっとマンション前の通りを見下ろした。
 日曜の住宅街はみんな出払っているのか人通りはない。玄関で扉が開く気配もない。

「…………」

 一時間半が経過。
 奴は帰ってこない。結構な事だ。

「…………」

 二時間が経過。
 どこほっつき歩いてんだあいつ。

「…………」

 二時間半が経過。
 昼飯何食おう。二人分用意した方がいいのか。いやでも、昼に帰って来るとは限んねえしな。

「………………」

 三時間が経過。
 つーかよ、せめて。

「どこ行くとか……一言残してくくらいできんだろ」

 書き置きとか。ラインとか。手段なんてなんでもいい。
 ソファーに深く腰を埋め、さして興味もないテレビを眺めながら一人ゴチた。

 昨日から口をきいていない相手が起きた瞬間から居ない、その上帰ってこない、となるとどうにも寝覚めが悪い。俺は何も悪くないけど。
 でもまさか、出て行ってたりして。いやいやまさか、それはないか、図太い神経を持ち合わせたあの野郎に限ってそんなこと。

 お互い同じ所にいたい訳でもないのに、個別に何かの用事でもない限り気付くと休日を一緒に過ごしている。いつもそうだ。先週もそうだったし先々週もそうだった。先月も先々月も、去年だって、その前の年も。
 だから、少しだけ落ち着かない。少しだけ。ほんの少し。

「つまんねえな……」

 テレビが。テレビがだ。なんだよこのワイドショーみたいなの、クソか。
 気怠くリモコンを持ち上げ、プツッとテレビの画面を落とした。そのままバフッと身を倒し、体の片半分をソファーに沈める。

 自分の分だけ昼飯を用意するのは面倒だ。適当にピザでも頼もうかな。
 そんな事を考えながら、溜め息とともに目を閉じた。






「……ぃ。おい、道哉……おい……おい。アホ。起きろ」
「……んん?」

 ゆさゆさと肩を揺すられてぼんやりと目を開けた。
 あのまま眠ってしまったようだ。時計を見ると十分くらいしか針は進んでいない。

 視線をゆっくり前に戻すと、不機嫌そうに眉をひそめた恵太の顔がそこにあった。
 ソファーの前で膝をついていたこいつ。俺が覚醒したことに気づくと、すくっと立ち上がって背を向けた。

「随分といいご身分だな。昼間から寝てんじゃねえよ」

 うっぜえ。いちいちウゼエ。
 ムスッとしながら俺も立ち上がり、恵太の背中に向かって行き場のない苛立ちを込めながら低く言った。

「……どこ行ってたんだよ」
「ああっ?」

 途端に顔を振り向かせたこいつから倍の怒りが返ってくる。なんだってんだ。

「てめえアホだろ、マジあり得ねえアホだろ。なんだよあの店アタマおかしいんじゃねえのか」

 イライラと悪態をつきながら、テーブルの上にいつの間にやら置いてあった紙袋を恵太が手に取った。
 なんだか見覚えのあるそれ。恵太の手が、ズイッと俺に向けてその袋を差し出してくる。

「折角の俺の半日くれてやったんだ。有り難く食え」
「……は?」
「三時間だぞ。食い物一つのために長い時間潰して並んでる奴らの気が知れねえよ。テメエも相当のバカだな」

 侮辱されているのは確かなんだけど。目の前の不可思議な現象のせいで反論するための言葉が出てこない。
 無理矢理に近い形で受け取らされた紙袋。その中身を恐る恐る覗き込めば、やはりと言うべきか、そこにはプリンが。
 昨日の俺が二時間半かけて並んだ末に辿り着いたプリン。今日は恵太が三時間並んで手に入れてきたと言うそれ。

「……並んだの? お前が、自分で……?」
「どっかのガキがギャーピーうるさくて仕方ねえからな。男のくせにプリン一個で騒ぎやがって」
「…………」

 並んだんだ。こいつが。女かカップルしかいない行列と、その店のカウンターに、この男が。

「……何がおかしい。笑ってんじゃねえよキモい」
「いや……似合わねえなって」
「誰のせいだと思ってんだ」

 とんでもなく浮いただろうな。ムスッとした顔をして並んでいる姿が目に浮かぶ。
 プリンを抱えたままクスクス笑っていると、俺から目を逸らした恵太が舌打ちしたのがはっきり聞こえた。八つ当たりのように腕を掴まれ、そのままキッチンに引きずられていく。

「なに。腕痛い」
「腹減った。なんか作れ」
「なんも用意してねえよ。ピザのチラシが確か昨日入って…」
「いい。お前の不味いメシが食いてえ気分なんだよ」

 うわ出た、俺様。しかも超失礼。

 冷蔵庫にしっかりとプリンをしまい込み、適当な食材を手にして調理台の前に立った。今から作るのはめんどくさいけどすぐ近くで恵太が見張っているのだからやむを得ない。
 物好きな野郎だ。恵太の方が料理は上手いのに。
 頭にマズイと余計な一言をたとえくっ付けていたとしても、お前のメシが食いたいなんて、よそでは言うなよこの天然タラシが。

 真後ろにいられるのは非常に邪魔だが退けと言っても退かないだろう。そう思って放っておいたら、ひしっと、腹の前に腕を回された。
 バカみたいにぎゅうっとホールドしてくる。左肩には恵太の顎が乗っかった。心から邪魔だ。なんだこいつ。

「……腹減ってんだろ。動けねえよ」
「うるせえな。夕べ触らせなかったお前が悪い」
「メシ食いてえの? それとも俺のこと食う気?」
「どっちもだ。決まってんだろバカが」

 傲慢な態度はクソムカつくけど、今日のところは幻のプリンに免じて許してやる。
 お前こそ有りがたく食え。
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