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第三部
116.一緒に
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俺の荷造りはあらかた済んでいる。この部屋には必要最低限の家財道具を残してあるだけ。あとはいつでも引き払える。引っ越し先も、もう決まっている。
ボロアパートを出ることにした。これから住むマンションもまあまあボロだが。今のワンルームよりも広い間取りになり、賃料自体は二倍弱だが、折半だから実質負担はやや減る。
折半する相手は竜崎恭介。同居を決めた。あのあとすぐに。
「手伝うも何もほとんどなんもねえだろうがよこの部屋」
「一緒にいる口実を作りたいっていう俺の乙女心が分かんねえの?」
「分かんねえよ」
夜になって竜崎の部屋にやって来たのは、荷造り手伝ってなどと甘えたことを抜かしてきやがったせい。とは言えこいつの部屋は元々ウチ以上に何もない。荷造りと大層に言うほどの私物をそこまで抱え込んでいないはず。
実際に手伝いが必要な作業は無いと言ってもいいくらいなのだが、こいつはそもそもダンボールへの詰め込み要員が欲しかったわけではないのだろう。
竜崎がさっきからボストンバッグの中へボンボンと無造作に投げ込んでいくのはカードやら何やら。いわゆる身分証。横でただそれを眺めていた俺は、そのうちの一つを手に取った。
見たことのない免許証だ。顔写真は確かに、この男だが。
「……新井芳雄?」
思いっきり名前が違った。生年月日も聞いていたのとは全然違う。
「……誰」
「俺」
そうか。お前か。そうか。お前は新井芳雄さんだったのか。知らなかった。
「……せめて他にもっと名前あったろ」
「だよなあ? これじゃジジイみてえだって俺もずっと思ってた」
「…………」
全国の新井芳雄さん方に心からの土下座をしやがれ。
「つーかお前運転できんだな」
「んー、たぶん」
「たぶん?」
「うーん……。一番分かりやすい身分証って言うと日本だとやっぱ運転免許だろ?」
「…………」
まあいいや。俺の目の前にいる新井芳雄は車の運転を法律的に認められているというだけの話だ。
バッグに次々放られていくのは小さな身分証明だけではない。ネットバンクの登録書に、預金通帳に、クレジットカードに。パスポートもある。なぜか三冊。
色々ぶっ込まれたそのうちの一つ、通帳を適当に手に取った。
「鈴木太郎……」
「俺」
そうか。お前は鈴木太郎さんでもあったのか。
目に入った別のカードにはICHIRO YAMADAのローマ字表記が。裏返しにして手書きのサインを見たら山田一郎さんだった。
「……さすがに適当すぎねえか」
「なー」
「こういうの誰が名前つけてんだ」
「さあ。知らない。この辺請け負ってくれる奴に金払うと適当に用意してもらえる」
「…………」
ツッコむ気すら失せてくる。だったらもういっそポチでもいいんじゃねえのか。田中ポチとか佐藤タマとか、こいつにはそれくらいがお似合いだ。
さっきからずっとこの調子だった。次から次へとジャラジャラ出てくる。明らかにこの国の物とは違うカラフルな紙幣なんかは雑にまとめられ束になっていた。
とどのつまり竜崎は開き直った。どうにか綺麗に言おうとするなら、自分自身を受け入れた。
荷造り手伝って。一人じゃできない。
可愛い子ぶって何言ってやがんだと思いつつも来てみればこれだ。あれこれ明かされる隠しごと。偽造だなんだが目の前にわんさか。
仮に今このアパートに警察の人間が踏み込んだとすれば、そこにある物的証拠だけでもこいつをしょっ引くには十分だろう。
「ヒいた?」
「引くだろそりゃ。歩く違法物件だな」
「これで前科ナシってすごくねえ?」
「自慢げに何を言ってんだ」
俺には普通にできることでも、こいつにとっては簡単ではない。
赤城和明があの時言っていた。それはきっと嘘ではなくて、目の前にはその物証もある。
札束の下には証券口座の開設通知らしき書面があった。もちろん偽名だ。伊集院三郎。ふざけすぎだろ。作ったヤツ楽しんでんじゃねえのか。それよりも伊集院三郎の人物設定が気になる。少なくとも兄貴が二人いるはずだ。
おそらく三男だろう伊集院三郎は、俺の顔を見て言った。
「引き返すなら今だぞ」
「あぁ?」
「俺はこの先もこうやって生きてくことになる」
「…………」
荷造り手伝え。よく言えたものだ。俺もよく、それに応じたものだ。
ボストンバッグ一つくらいがあればいつでもどこにでも行ける生活を送っていたのは俺も知っている。実際にそれは、いつでもどこにでも行ける準備だったのだろうとも思う。
だから怖かった。ある朝目覚めたら、こいつはここにもういないかもしれない。勝手に引き出しを開けたそこで何を目にするのかと思うととても平気ではいられないから、これまでは一切触れなかった。
それを竜崎がいま全部見せてくる。どれも隠さずに、全部。
「……ナメたこと抜かすなクソが」
竜崎に嘘をつかせていた。隠し事をさせていた。しかしそれはもう消えた。新井芳雄さんだろうと鈴木太郎さんだろうと伊集院家の三男だろうと、ポチでもタマでもなんでもいい。
こいつにできない事があるなら、できなくても大丈夫なように俺がしてやる。一時凌ぎの避難所ではない。安心して帰って来られる場所を、俺が一緒に作ってやる。
「離さねえっつっただろ。何度も言わせんじゃねえボケカス」
伊集院三郎名義の書面に手を伸ばし、まとめてゴソッとバッグに突っ込んだ。
これがこいつに必要な物なら俺も一緒に背負っていく。それを見せつけるために乱雑に放り込み、全てをバッグの中に収めた。
この男は竜崎恭介だ。どんなに捨てたい名前でも、こいつは竜崎恭介だ。
外でそれを使えないなら俺の前で元に戻ればいい。竜崎恭介がどんな野郎か、俺はちゃんと知っている。
「おら、ぼんやりしてねえで手を動かせ手を。これ終わったら俺は帰るからな」
「そうやってすぐ帰ろうとすんなって。先が思いやられるよ、これから同棲するってのに」
「同居だ」
「同棲だろ。愛の巣を作るんだから」
「そんな気味の悪いもんを作る気はねえ」
竜崎恭介はアホでゴミでどうしようもないクソバカ野郎で。
どうしようもなく、大事な相手だ。
ボロアパートを出ることにした。これから住むマンションもまあまあボロだが。今のワンルームよりも広い間取りになり、賃料自体は二倍弱だが、折半だから実質負担はやや減る。
折半する相手は竜崎恭介。同居を決めた。あのあとすぐに。
「手伝うも何もほとんどなんもねえだろうがよこの部屋」
「一緒にいる口実を作りたいっていう俺の乙女心が分かんねえの?」
「分かんねえよ」
夜になって竜崎の部屋にやって来たのは、荷造り手伝ってなどと甘えたことを抜かしてきやがったせい。とは言えこいつの部屋は元々ウチ以上に何もない。荷造りと大層に言うほどの私物をそこまで抱え込んでいないはず。
実際に手伝いが必要な作業は無いと言ってもいいくらいなのだが、こいつはそもそもダンボールへの詰め込み要員が欲しかったわけではないのだろう。
竜崎がさっきからボストンバッグの中へボンボンと無造作に投げ込んでいくのはカードやら何やら。いわゆる身分証。横でただそれを眺めていた俺は、そのうちの一つを手に取った。
見たことのない免許証だ。顔写真は確かに、この男だが。
「……新井芳雄?」
思いっきり名前が違った。生年月日も聞いていたのとは全然違う。
「……誰」
「俺」
そうか。お前か。そうか。お前は新井芳雄さんだったのか。知らなかった。
「……せめて他にもっと名前あったろ」
「だよなあ? これじゃジジイみてえだって俺もずっと思ってた」
「…………」
全国の新井芳雄さん方に心からの土下座をしやがれ。
「つーかお前運転できんだな」
「んー、たぶん」
「たぶん?」
「うーん……。一番分かりやすい身分証って言うと日本だとやっぱ運転免許だろ?」
「…………」
まあいいや。俺の目の前にいる新井芳雄は車の運転を法律的に認められているというだけの話だ。
バッグに次々放られていくのは小さな身分証明だけではない。ネットバンクの登録書に、預金通帳に、クレジットカードに。パスポートもある。なぜか三冊。
色々ぶっ込まれたそのうちの一つ、通帳を適当に手に取った。
「鈴木太郎……」
「俺」
そうか。お前は鈴木太郎さんでもあったのか。
目に入った別のカードにはICHIRO YAMADAのローマ字表記が。裏返しにして手書きのサインを見たら山田一郎さんだった。
「……さすがに適当すぎねえか」
「なー」
「こういうの誰が名前つけてんだ」
「さあ。知らない。この辺請け負ってくれる奴に金払うと適当に用意してもらえる」
「…………」
ツッコむ気すら失せてくる。だったらもういっそポチでもいいんじゃねえのか。田中ポチとか佐藤タマとか、こいつにはそれくらいがお似合いだ。
さっきからずっとこの調子だった。次から次へとジャラジャラ出てくる。明らかにこの国の物とは違うカラフルな紙幣なんかは雑にまとめられ束になっていた。
とどのつまり竜崎は開き直った。どうにか綺麗に言おうとするなら、自分自身を受け入れた。
荷造り手伝って。一人じゃできない。
可愛い子ぶって何言ってやがんだと思いつつも来てみればこれだ。あれこれ明かされる隠しごと。偽造だなんだが目の前にわんさか。
仮に今このアパートに警察の人間が踏み込んだとすれば、そこにある物的証拠だけでもこいつをしょっ引くには十分だろう。
「ヒいた?」
「引くだろそりゃ。歩く違法物件だな」
「これで前科ナシってすごくねえ?」
「自慢げに何を言ってんだ」
俺には普通にできることでも、こいつにとっては簡単ではない。
赤城和明があの時言っていた。それはきっと嘘ではなくて、目の前にはその物証もある。
札束の下には証券口座の開設通知らしき書面があった。もちろん偽名だ。伊集院三郎。ふざけすぎだろ。作ったヤツ楽しんでんじゃねえのか。それよりも伊集院三郎の人物設定が気になる。少なくとも兄貴が二人いるはずだ。
おそらく三男だろう伊集院三郎は、俺の顔を見て言った。
「引き返すなら今だぞ」
「あぁ?」
「俺はこの先もこうやって生きてくことになる」
「…………」
荷造り手伝え。よく言えたものだ。俺もよく、それに応じたものだ。
ボストンバッグ一つくらいがあればいつでもどこにでも行ける生活を送っていたのは俺も知っている。実際にそれは、いつでもどこにでも行ける準備だったのだろうとも思う。
だから怖かった。ある朝目覚めたら、こいつはここにもういないかもしれない。勝手に引き出しを開けたそこで何を目にするのかと思うととても平気ではいられないから、これまでは一切触れなかった。
それを竜崎がいま全部見せてくる。どれも隠さずに、全部。
「……ナメたこと抜かすなクソが」
竜崎に嘘をつかせていた。隠し事をさせていた。しかしそれはもう消えた。新井芳雄さんだろうと鈴木太郎さんだろうと伊集院家の三男だろうと、ポチでもタマでもなんでもいい。
こいつにできない事があるなら、できなくても大丈夫なように俺がしてやる。一時凌ぎの避難所ではない。安心して帰って来られる場所を、俺が一緒に作ってやる。
「離さねえっつっただろ。何度も言わせんじゃねえボケカス」
伊集院三郎名義の書面に手を伸ばし、まとめてゴソッとバッグに突っ込んだ。
これがこいつに必要な物なら俺も一緒に背負っていく。それを見せつけるために乱雑に放り込み、全てをバッグの中に収めた。
この男は竜崎恭介だ。どんなに捨てたい名前でも、こいつは竜崎恭介だ。
外でそれを使えないなら俺の前で元に戻ればいい。竜崎恭介がどんな野郎か、俺はちゃんと知っている。
「おら、ぼんやりしてねえで手を動かせ手を。これ終わったら俺は帰るからな」
「そうやってすぐ帰ろうとすんなって。先が思いやられるよ、これから同棲するってのに」
「同居だ」
「同棲だろ。愛の巣を作るんだから」
「そんな気味の悪いもんを作る気はねえ」
竜崎恭介はアホでゴミでどうしようもないクソバカ野郎で。
どうしようもなく、大事な相手だ。
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