No morals

わこ

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第二部

97.番外編:隣人は聞いた

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 俺が住んでいるのは格安のワンルームだ。嬉しいのは月々の家賃のみ。それなりに最低限の生活ができる程度に整っているに過ぎない。
 食う場所と寝る場所の確保ができているだけ宿ナシよりかはマシだろうが、キッチンは狭いしシャワールームも狭いし隣人トラブル回避のための遮音設備も一切ないけど、高い家賃を払えるような仕事に就いている訳ではなく、部屋に連れ込むような彼女もここ数年はずっと居なくて、大満足できる部屋ではないものの腹が立つ程の不満もない。

 妥協可能。ここの住人の大多数はそう思っている。まあこんなもんだろうなと。

 そんなボロアパートの一室。俺の部屋は一階の真ん中。入居契約を結んだ当時は角部屋も空いていたが、家賃重視で数千円の差をケチって自ら中部屋を選んだ。
 そしてその一ヵ月後くらいに残っていた角部屋も埋まった。そこに入った俺のお隣さんはフリーターでもしているのか、当初は昼夜ランダムな生活を送っているらしきことは分かった。

 稀に朝晩の玄関先で出くわす事もあるけれど、お互いチラッと顔を見ただけで言葉も交わさず軽い会釈程度。俺も人のことは言えないものの、無愛想な男という印象を持った。

 でもなかなかの男前だったと思う。なんと言うか、迫力があった。正直なところビビっていた。
 雰囲気からして謎な隣人にはあまりにも生活感がない。決して厚くはない壁一枚を隔てているだけだと言うのに、物音というもの音が聞こえてこない。いるのかいないのかさえ把握しづらいほどだった。

 イケメンだから女連れ込み放題。なんてことも全くなくて、その手の理由で安眠を妨害させたことだって一回もない。
 辛うじてわずかに届いてくるものと言ったら、シャワーの音とか洗濯機の音とか。目覚ましの音ですら鳴ったことがないから、それらが無かったらもしや死んでいるのかと思うくらい静かな隣人だった。

 俺は普通にテレビをつけるし、目覚まし時計も毎朝欠かさず爆音でジリジリ鳴らしている。無音な隣人とは逆側の隣人宅からも似たり寄ったりな生活音が聞こえてくる。それが普通であり、その程度でトラブルになるようなことはない。ここは前にいたアパートよりも静かなくらいだと思う。
 だからお隣さんにそこまでおとなしくされてしまうと、こちらが一方的に迷惑をかけているような気分になってくる。せめてもうちょっと生活音くらい立ててくれたらちょうどいいのに。
 
 などと思っていた。前までは。それくらいに思わされてしまう隣人の生活が、なんか変わった。





「…………」

 帰って来た。隣の男前が今夜も。

 以前は昼夜ランダムな生活のようだった。深夜に出掛ける気配もあれば、早朝に帰ってくることもある。ドアの開閉音さえしないときは本当に部屋を空けている日だったのだろう。そういうことも少なくはなかったが、最近は規則正しい生活になった。

 きわめて静か。謎が多い。ノラ猫一匹さえ寄せ付けない。隣人のことはそう認識していた。静寂と孤独を愛しているのだろうと。
 だがそれは違ったようだ。友人だか誰だか、見たことのないスラッとした男を連れて帰ってくるのを目にした。最初のそれが一年半ほど前。以来お隣の様子が変わった。
 静けさを貫き通していた部屋から怒鳴り声が聞こえてきたり、ガッタンバッタンと激しく争うような物音が聞こえてきたり。そういうことが日常的に起こる。二人で一緒に帰ってくると必ず一度は怒声が上がる。そして部屋に来る友人らしきその相手はいつも同じ男のようだった。

 もちろん俺はストーカーじゃない。ましてお隣は男。俺にはそんな趣味もない。
 だけどさすがに、これは気になる。隣の男前がスラッとしたその男を連れてくるようになってからしばらく。ここ半年はかなり頻繁に。不審な物音が聞こえてくるようになった。

「……………」

 ああ。まただ。今夜もまた。
 なんなんだよもう、ほんとにやめろよ。妙にこう。ギシギシと。というかこれは、確実に。











「喘ぎ声?」
「……そう」

 隣人が帰宅してきたのはついさっき。三十分くらい前。友人らしき例の男を連れて、部屋に戻ってきたのが声と音で分かった。
 そしてそれを確信するなり俺も大至急ダチを呼んだ。ここから徒歩数分の距離にあるアパートで部屋を借りているこいつを。

「喘ぎ声って……ヤッてるってこと?」
「……そう」
「隣のヤツ男なんだよな?」
「……そう」
「連れて来てるダチも男なんだろ?」
「…………そう」

 とりあえず来て。ダッシュで来て。友人にそう泣きついて呼びつけ、部屋の中にあげるなりなんとなくコソコソ話し合う。
 今日の議題。隣人による俺への度重なる生活侵害に関して。もっと噛み砕いて言うなら、明らかにセックスしてるとしか思えない物音を立てている隣人の様子が気になっちゃってもう眠れません。

「だからってなんで俺を呼んだよ」
「だって隣の人ホモかもしんねえんだぞッ、怖ぇよ……! あんな激しいの一人で聞いてらんないもん!! 俺この先どうすりゃいいの!?」
「始まったら壁ぶっ叩いてやればいいじゃん」
「気まずいよ!!」

 見るからに迷惑そうな顔をするこいつにわあッとすがりついた。そろそろ本当に泣きそうだ。なのにこいつは心無いことを。

「でもそこまでのガン聞こえって訳じゃねえんだろ? だったら聞かなきゃよくねえ?」
「むり! 気になる!!」
「バカだろお前」

 気になってしまうものは気になる。隣の部屋の人がヤってる、なんてことは壁の薄い部屋ではあるあるだろうけどあの二人のはヘタすると朝まで続く。

「スゴすぎるんだよ……」
「は?」
「いや……」

 こんな環境でこれ以上一人きり耐えしのげるはずがない。意味の分からない緊張感を俺だけ味わうなんてもう嫌だ。
 ちょっと目を離すと立ち去ろうとするこのダチを何度も押さえ留め、三十分が過ぎ、一時間が過ぎ。
 あの男を連れ込んだ夜でも平和に朝を迎える日もある。今夜はしないで過ごすのかな。せっかくコイツ呼びつけたのに。
 なんて思い始めたその時、キシッと、微かな物音を耳が拾った。

「あ、ヤルかも」
「俺はお前が怖ぇよ」

 なんと言われようと構わず、用意しておいたコップを手に取った。二つのうち一つをこいつに差し出し、俺は自分のを壁に当てる。

「古典的かよ……。これって俺らの方が犯罪になるんじゃねえか?」
「いいだろ別に。なにも盗聴してる訳じゃないんだし。真相究明のためにちょっと聞き耳立てるだけ」
「真相……聞き耳ねえ……」

 盗み聞きの間違いだろ。なんてツッコミは聞こえなかったことにした。
 壁越しでもやってるっぽいのは分かるが詳細までははっきり聞こえてこない。ダチを壁際まで引っ張り、一緒になって壁に当てたコップにそれぞれ耳を押し付けた。
 男二人で壁に張り付きながら、隣室でのその行為に全神経を集中させる。そして。しばらく。




「…………」
「…………」
「……ヤッてるな」
「……ヤッてるだろっ?」

 ギシギシと鳴り止まないベッドの音と、ものっすごく艶っぽい喘ぎ声。男だ。男だとわかってはいる。けれどそんなことがどうでもいいと思えてしまうほど色っぽい。
 声を抑えようとしているのがなんとなく伝わってくる。息をつめたようなその声。それでもこらえきれずに零される、か細くて、色めいた声。

「その辺のAVよりスゴいかもな……。これホントに男? 声低めの女とか」
「それはない。いつもの声だし、連れ込まれてる奴の顔見たことあるけど間違いなく男だった」
「ああ……じゃあお隣さんの方が上なんだ」
「たぶん」

 そうだと思う。なんとなく。おそらく。抱かれているのが連れ込まれている方のスラッとしたあの男だろう。

「相手の男がさぁ……」

 ほんの一瞬だったけど。チラリと目にした事がある。
 男に抱かれている奴なんだって思いながら見てしまったから、そういう先入観を持ったまま、あの顔を直視した。

「すっげえ……美人なんだよ……」

 男でもこれならいいかも。
 そう思い、思った直後にハッとなって自分に寒気がしたあの日。ほとんどもうトラウマだ。いまだに忘れられそうにない。
 壁に寄り掛かってふっかい溜め息。あの男も溜め息ものの美人だった。それを思い出す俺の隣で、こいつは微妙な視線を向けてくる。

「…………」
「そんな目で見んなよッ!」
「まあ……人それぞれっつーか」
「俺は違う! 男はシュミじゃない! でもあの顔はほんとビックリするからッ。お前も見てみりゃわかる!!」
「分かんねえよ」
「いや分かる!!!」








 そうやって言い合いあっている合間にもこいつは度々帰ろうとした。これ以上は勘弁しろと言うダチ押さえつけながら朝を迎えた。
 なんっとしても。隣人のツレの、あの顔を拝ませてやりたくて。

「もういいだろ、俺も仕事あるんだよ」
「いやまだダメ。不自然じゃないようにタイミング見計らって出ていかないと」
「じゃあいいじゃんもう待ち伏せで。ほら行くぞ」
「ああっ、ちょ……っ」

 出てった。ついでに俺も腕を引っ張られ、玄関から外に足を踏み出した。
 焦りつつも鍵を手にする。ちょうどその時、隣のドアがガチャリと荒っぽく音を立てた。言い争う声とともに。

「テメエふざけんな。マジ死ね今死ね、近寄んじゃねえよクソがウゼエ」
「そんな怒るなよ。三週間も耐えたんだからアレくらい許してくれたって…」
「うるせえッ」

 最初に飛び出してきたその男は俺達には目もくれないでスタスタと歩いて行った。その後に続いて出てきたのはお隣さん。その人だ。固まっている俺達に気づくとドアを占めながら目を向けてくる。

「どうも」
「あ……ど、どうも」

 つい、どもった。初めて真正面から声を聞いた。
 不愛想。と思っていたけど。案外そうでもないのかも。お隣さんはガチャッと鍵をかけると、先を行くその男の後を追った。

「ちょ、おい裕也待てってッ、俺も一緒に行く!」
「うっせえ馬鹿がっ、近付くんじゃねえッ!!」

 スラッとした男は激怒しつつも足を止めて振り返った。昇り始めた朝日の下で、その顔が阻むものなく晒される。

「…………」
「…………」

 俺とダチは息をのみ、棒立ち。
 怒っているし口は悪いしめちゃくちゃキレてて眉間寄ってるけど。

「……アレが……あんな事になるのか……」

 ボソッと隣で呟いたこいつ。美人な男を朝から直視して俺たちはしばらく立ち尽くしていた。

「ゆうやー! 時間まだあるんだしそこまで急ぐことねえじゃん。それより腰平気?」
「寄るなッ! 黙るか死ぬかどっちかにしろっ!!」
「ひでぇ」

 お隣さんはその美人の肩にガシッと腕を回して撥ねつけられていた。それでもめげずにちょっかいをかけている。どんな反応をされるのも嬉しくてたまらないといった様子だ。
 しっぽを振って主人にまとわりつく大型の犬みたいな。そんな男をどうして不愛想などと思っていたのか、こうなってみると不思議でならない。
 道の角を曲がって見えなくなるまで、二人の様子はずっとそんな感じだった。

「…………」
「…………」

 俺もこいつも硬直が解けない。男前に抱かれいてるとんでもない美人を直視した。
 ダメだ。気が狂いそう。

「出ようかな……。この部屋……」

 じゃないと俺、遅かれ早かれ変な道に進むかも。

「……お前が出てったら俺ココ住もうかな」
「へっ?」
「……言ってみただけ」
「……だよね」

 ダチの声が若干マジっぽかったのはやっぱり聞こえなかったことにした。

「……彼女作ろ」
「俺も。合コンやるか」

 俺の提案にはこいつも賛同。二人で深く頷き合った。あの声とあの顔の記憶を頼りに卑猥な妄想をしてしまわないようにするには生身の女の子に触れるしかない。
 どうにも後味の悪い思いを抱えたまま、俺達は朝から肩を落としながらその場をのろのろと後にした。
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