No morals

わこ

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第二部

92.引っ越しをしようⅠ

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 加賀が一人暮らしを始めた。


「すみません、まだ全然片付いてなくて。つっても私物はほとんどないんですが……」

 小ざっぱりしたアパートの一室。必要最低限の家具家電類をせっせと設置している加賀。それを手伝う竜崎と俺に向けて律儀に頭を下げてくる。今日からこいつはこの部屋の主だ。

「気にすんな。俺らが勝手に押し掛けただけだからな。おら、テメエも働け。無駄に持て余してる体力があんだろ」
「やってんじゃんマジメに。俺のこの働きっぷり見てみろよ」
「威張んな」

 加賀の新しい住居は二階建ての一般的なアパートだ。築年数は五年にも満たず、まだまだ綺麗で居室は六畳。そこから扉一枚隔てて繋がるダイニングキッチンも広々。
 一見すれば住むには快適だがその分値も張りそうな優良物件。ところが家賃は驚くほどの格安。そんな契約内容である理由は、一つがアパートから駅までの距離が割かしあること。そしてもう一つ。その原因がデカい。

 ここはいわゆる、事故物件。ドンピシャでこの部屋だったらしい。どの位置で、とまでは聞いていないようだが住人が首を吊って死んでいたそうだ。
 そのうえ付け足せば目の前は墓地。整った綺麗な霊園とはとてもじゃないが言い難く、夜は怖いし薄気味悪いし、見た目も空気感もおどろおどろしい。女の一人暮らしであればまず間違いなく弾かれる物件だ。

 相場よりも格段に値を下げたこの部屋を、加賀にすすめたのは昭仁さんだった。これまたどういう知り合いなのだか今さら尋ねる気さえ起きないが気心の知れている不動産屋と加賀を引き合わせたらしい。
 なんてもん紹介してんだと俺は思ったが本人はそうじゃなかった。いわくしか付いていなさそうな物件であっても加賀は喜び、血なまぐさいこの部屋に即刻入居を決めていた。
 いるかいないかも分からない化け物より実在している怖い連中を間近に見てきていただけあってちょっとやそっとじゃ動じない。

「竜崎、次そっち。洗濯機」
「お前さっきから俺の使い方ザツじゃねえか?」

 加賀にはほとんど持ち物がなかったから引っ越し業者を頼む必要はなかった。新たに買い込んだ生活家電一式の設置という手間のかかる問題があるが、それくらいなら俺も竜崎もそれなりに使い物になる。
 俺は家電設置のバイトをかつて一度だけやった事があり、例によって解雇になったがそれまでの間に使える作業技術はできる限り盗んでやろうと励んだ。竜崎は竜崎で引っ越しの際に自分の部屋は自分で整えてきたらしいから、部屋に運び込まれた新品家電をサバくのが俺達の今日の役割。

「本当にこんな事までやっていただいてしまって……申し訳ないです」

 相変わらず謙虚な良い子だ。俺達に向けて深々と頭を下げてくる。

「こいつに礼なんてやめとけよ加賀。馬鹿がつけ上がるだけだぞ。竜崎なんかこんな事でもねえと普段なんの役にも立たねえんだからちょうどいい」
「裕也はそういうことばっか言うけどバリバリ働く俺に見惚れてたよな」
「人んちでわいてんじゃねえよアホが」

 隣から人の肩に腕を回してくる野郎は問答無用ではね付けた。

「まだ他に何か届くか?」
「あ、いえ。今ので最後です。本当に助かりました」

 憧れの相手はこんな奴でも当の本人はとても礼儀正しい。流血沙汰は全然平気でも人から受けるちょっとした親切には弱い。

「昭仁さんにもなんてお礼言ったらいいのか……」

 加賀に不動産屋を紹介した昭仁さんは契約の際の保証人であり、運び込まれた家電の購入者でもある。昭仁さん曰く、特別手当だそう。あれだけ毎日コキ使ってたんだからむしろ足りねえよなと俺は思う。

「まあでもあの人、樹のこと相当コキ使ってたしこれでも足りないくらいじゃねえのか?」

 珍しく竜崎と意見が合った。なあ、と言われて素直にうなずく。

「お前が来てからの昭仁さんはカウンターでタバコふかしてただけだ。副業の方だって竜崎より使えるっつってたぞ」
「乗り換え早かったよなぁ。俺もう患者手伝わされる事ほとんどねえもん」
「お前いるとうるせえからじゃねえか?」
「裕也ここんとこ俺に厳しすぎない?」

 不満そうな竜崎はシカとして床の上に放置していたビニール袋を手に取った。中身は食材と使い捨て食器。ここに来る前に買ってきた。
 保冷材で保護された食材のうちすぐには使わないあれこれはひとまず設置したての冷蔵庫の中へ。それ以外を袋ごと持って人の家のキッチンに勝手に立った俺に向けて加賀が横から畏まって言った。

「本当にすみません。何から何まで……」

 再びぺこっと頭を下げてくる。何が楽しいのだかニコニコしている竜崎とは大違いだ。

「元々はこいつが言い出したことだ。勝手に使うぞ」
「あ、はい。俺もやります」

 隣に立った加賀と一緒に袋の中身をガサゴソさせた。一方で竜崎は手伝う素振りすら見せない。米もまともに炊けないような奴に料理を任せるつもりはないが遊ばせておくのも癪だから、真新しい大きめの鍋と緑の豆を押し付けた。

「おい。お前でもこれくらいならできるだろ。枝豆茹でとけ」
「えー。あー。はいはい」
「……あ?」
「しっかりやらせていただきます」

 手元の包丁の効果は絶大。隣では加賀が乾いた笑いをははっと小さく漏らしていた。
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