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第二部
52.理由 ~side裕也~Ⅰ
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今度中に出したらぶっ殺す。
そう言ったのは俺だった。あいつは俺の要求をのんだが、その日二人で達した瞬間、感じたのは明らかな物足りなさだった。
満たされない。中が埋まらなかった。引き抜かれ、空虚感が広がった。
その手はいつもどおり優しいが、奥で受け止める一体感はなかった。
焦ったのは言うまでもない。出してほしかった。そんなことは言えない。
そのためやむなく死ねと吐き捨て逃げるように店を出てきた。当たり散らし、竜崎を困惑させて、どうしようもなく愚かな自分に呆れ、ふらふら街をうろついていると男二人が声を掛けてきた。
橘と瀬戸内だ。大都会ではなくても狭い街ではないのにどうしてこいつらとばかり遭遇するのか。
やかましい二人に捕まってからはその間を歩かされた。また女の子捕まえてきてよ。橘がそんな事を言い出し瀬戸内も乗り出したから、お断りの一言を貫きしばらくしてようやくあいつらも諦めた。しかしそこから解放されるまでにまたしても居酒屋に引きずられ、彼女とは最近どうだとかなんだとかうるさく質問攻めにあった。
帰路に着いた時にはもうくたくただ。ミオを出たその足で速やかに帰ってくるべきだった。
「…………」
ぐったりした心地で自宅前まで戻り、カギを手にしつつ顔を上げたところで足を止めることになった。
遠目だが分かる。玄関の前。片方だけ立てた膝に右腕を乗せ、顔を伏せた状態でそこに座り込んでいる男。
竜崎だ。俺があいつを見間違えるはずがない。
近づけばやはりその通りで、こいつも足音に気づいたのだろう。ゆっくりとその顔を上げた。
「よお。遅かったな」
「お前、何して……」
どうしてか少し、怖い。そう思い、それ以上先へは進めない。
「どこ行ってたんだ」
「あ……?」
「誰と一緒だった」
抑揚のない淡々とした物言い。別れ際とは明らかに様子が違う。
ゆっくりその場で立ち上がるのを見て、思わず一歩後ろに下がった。
「…………」
「自分の部屋だろ。入んねえのか」
「……竜崎?」
スッと、鼻を掠めたその匂い。
ああ。そうか。酔っている。いささか虚ろな目もそれを示していた。
「……今までずっと飲んでたのか」
「お前にフラれて暇だったからな」
「……どけよそこ。邪魔だ」
喋り方ははっきりしているが声の調子は仄暗い。表情なんて冷めきっている。こいつにそんな目で見られたのは初めてだ。感情のない視線が刺さる。
あまりにも冷たい顔つきだった。別れ方がああだっただけにこちらとしても分が悪く、返答を待たずに竜崎をよけてそのすぐ横を通り過ぎようとした。
しかし、パシッと掴まれたこの腕。力の加減はまるでない。
いつもとは全く違った。力を込められる。そこをギリッと、握りしめられた。
「っ……」
痛みに思わずパシッと振り払っていた。直後、体が凍り付く。身の竦むような冷たい視線とぶつかった。
「そんなに嫌か」
肩が揺れそうになったのは本能だ。
耳にした低い声。怒りをくすぶらせているかのような。
「……帰れ。疲れてんだよ」
「…………」
怖気づきそうなのを堪えて吐き捨てたが竜崎は無言。ドアノブに鍵を差し込んだ。背後からの視線をひしひしと感じる。
自宅のドアを開けるだけのこと。普段なら手間取るはずもない。ところが焦りは手元を狂わせ、ガチャガチャとカギを回しても一度では開かなかった。
いささか立て付けの悪いドアに苛立つ余裕も持てない中で、真後ろに感じ取ったその気配。バンッと、激しい音が立った。
「ッ……」
息をのむ。頭のすぐ右上。斜め横の位置に目がいく。
ドアにつかれた竜崎の右手。片腕で俺を囲い込むようにして、すぐ後ろに立っている。
体中が冷えそうな心地で中途半端に振り向いた。鋭い視線に、瞬時に捕まる。
「逃げることねえだろ」
「…………」
言いようのない、威圧感だ。圧倒される。屈服にも近い。
怒鳴られた訳でも殴りつけられた訳でも平手の一つさえ食らってはいないのに、体が硬直しそうになっている。怖い。ただそれだけをはっきり感じた。
すごすごと手を動かし、今度こそ玄関の鍵を開けた。ドアを開く。後ろはもう振り返れない。暗い部屋の中に目を向けたまま、背後の竜崎に向けて言った。
「…………入れ」
辛うじてそれだけ声を出せた。玄関の内側に二人で入り、電気をパッとつけ、後ろでドアが閉まる。バタンと。それがやけに大きく響いた。
続けてガチャリと音を聞く。施錠された。振り向くと同時にガッと両肩に加わる。力任せに鷲掴みにされ、後ろのドアに大きくガンッと音を立て打ち付けられた背中。
「っなん……んッ……!」
両腕を押さえつけられ、されたキスには優しさの欠片もない。こんな扱いもされたことなかった。背中が痛む。けれど竜崎はやめない。
唇を割り裂こうと押し付けられた舌に抗い、慌てて顔を左に背けた。
「ヤメッ……んんっ」
抵抗は許されない。再び唇を捕えられ、強引に貪られた。
支配的で、それ以外の感情はない。征服的なキスが嫌で、首を左右に僅かに振れたが竜崎は俺を放さなかった。
酔っているにしたっていくらなんでも。怒っているのか。さっきまでの俺の、あの態度を。
「んっ……ぁ、おいッ……」
すぐさま服はたくし上げた。胸の上まで引き上げられて咄嗟にその腕を掴んだが、頭を下げたこの男はピチャッと乳首に舌を這わせた。
「ッ……ヤダっ、て……竜崎っ」
何も言ってくれない。いつもの軽口もからかいもない。労りも何もないようなそれは、普段される愛撫とは全然違った。
「ッ……!」
ギリッと、捩れるような痛み。突起を加減なく噛まれた。
いつもとは違う。痛いだけだ。ジンジンとそれが広がる。
「ッ……っ……ぃっ、た……」
堪えていた悲鳴が小さく上がった。噛み千切るかのように立てられていた歯はふっと離れ、痛みだけがジンジン残っているそこを舌で押し付けるように舐められた。
「ンっ、あ……や……っやめ……ッ」
「…………」
「りゅうっ……ぁ……っ」
唇は離れず、反対側には竜崎の左手が触れた。指先で乳首を乱暴に撫でつけ、ぐっと、つねるようにして摘まんだ。
「ッいぁ……ッ……っめ、……いやだっ……」
「…………」
明確な拒否が口を突いて出た。胸の上から刺激が消える。顔を上げた竜崎の、仄暗い表情は正常さを欠いていた。冷めきっている。その視線が。それが一層厳しくなった。
背筋にはゾクリと走る。生き物の正常な反応。恐怖だ。敵を見つけた時と同じ。自分を食おうとしている捕食者を。
息を詰めた瞬間には肩を鷲掴みにされていた。俺が痛いとかどうとか、そんなものは一切考慮に入れずに容赦なく腕を引っ張られ、互いの位置が入れ替わり、直後、視界がガクンとずれた。
すぐには理解が追い付かない。自分の身に何が起こったか、頭に伝わってくる情報よりも体へ伝わった感覚によって嫌でも分からされることになる。
「ッ……」
痛い。気づけば玄関の天井を見上げていた。床にしこたま打ち付けた背中が、痛覚に鈍く訴え出ている。
固い床に押し倒された。薙ぎ倒された、と言った方が正しい。
俺が顔を歪めようとも冷酷な表情を変えず、馬乗りになって両手を拘束してくる。頭上でひとまとめに押さえつけられ、恐怖のままその顔を見上げた。
「イヤダ、ヤメロってそればっかだなお前は」
ようやく口を開いたかと思えば、聞かせてきたのは酷く冷たい声。それに見合う口調で淡々と落とし、残忍な視線を俺につき刺した。
「何がヤなのか言ってみろ。淫乱に腰振る奴がヌかしてんじゃねえよ」
「っ……!?」
はっと目を見開いた。驚愕を通り越し、頭がすぐには働かない。
今のは、この男が言ったのか。まさかそんな。だって、竜崎に限って。本気で傷つけるためだけの何かを、言われたことだけは一度だってない。
血の気が引いた。その顔を見上げた。俺を押さえつけている腕の片方だけが解かれ、そのまま下腹部へと伸びていく。
「ッりゅう…」
「またイヤか。笑わせんな」
何ひとつとして許されない。拒否することも、抵抗することも。
両方の手首が強い力に痛んだ。俺が傷つこうが一切構わないと、その手の力が物語っている。
くいっと顎に手を掛けられた。上から無理やりに目を合わせてくる。こんな目で俺を見るなんて。俺にだけは絶対に、この目は見せないと思っていた。
何も言えずに見上げていると、表情をきつくさせ、睨まれた。体温が下がる。恐怖や焦りで、それ以外の感情が置き去りにされる。
体が固まり、目は離せない。憤りに近い感情を向けられている。
「誰が逃がすかよ。お前は俺のもんだろ」
またもや強引に上から口づけ、立場を分からせるかのように甚振る。
信じられない。だってこんなの、竜崎じゃない。
「んん……ッ」
苦しいし、痛い。顎を手で捕えられ、強い指圧で骨が軋む。
強引なキスは、いつだってそうだ。けれどいつも必ず優しい。尊重されて、大事にされる、普段の仕草はどこにもない。
責め立てるように舌を這わせられた。心地よさからは程遠く、絶望にじわじわと侵される。
「ん……っぁ……」
その指先は服の下へと潜り込み、乳首に辿り着いてつまんだ。反対側には舌が這わされ、恥ずかしいとか屈辱だとかそんなことはどうでもよくて、感情のない行為がただただ虚しい。いつだって優しかったのに。
淡々と触られる。それでかつての自分を思い出す。俺もこうやって女に触っていた。それを今、自分がされている。
「いッ……っ……」
散乱する意識を戒めるように、さっきみたいにガリッと噛みつかれた。甘噛みじゃない。痛めつける意図がある。俺が肩を強張らせると掌を返したように今度はゆっくりそこを舐められ、耐えた。
ジンジンと痛み、そこに上書きされる質感。舌と指先による愛撫に唇を引き結んだ。
そうしていると竜崎はふっと顔を上げ、見下してくる。鼻で笑った。つまらないとでも言うみたいに。
「それでよく女なんか抱いてこられたな」
「ッん……っ」
クリッと指先で乳首をなじられ、至近距離からきつく目を覗きこまれた。
「男そそのかしたのは俺で何人目だ」
「っ……!?」
そんな。なんで。そんなはず、ないのに。こいつだってそれくらい分かっているだろうに。
衝撃が大きすぎて何を言う事もできなかった。ただ、痛めつけるためだけに選ばれたような、そんな言葉だ。
「起きろ」
仰向けに張り倒された体勢のままガッと片腕を引っ張られ、上半身を起こすと同時に至近距離で目が合った。しかしこの視界から竜崎の顔はすぐに消える。
肩を強く掴まれたかと思うと乱暴に体を反転させられ、倒された。今度はうつ伏せに。目下の床に咄嗟に両手をつき、後ろからは竜崎が覆いかぶさってくる。
「なんっ……」
「そのままだ。動くな」
低い声を後ろから落とされ、首筋には生温かい感触。舌でねっとりと濡らした肌に容赦なく噛みつかれ、その手は前に伸びてくる。カチャっとベルトを外されそうになり、腕を床に這わせて逃げ惑った瞬間、後ろからガッと引っ掴まれた髪。
「ッぃ……」
「逃げんのか。俺から」
「りゅっ……」
鷲掴みにしたまま髪を引っぱられ、耳元には顔を寄せられる。目に映るのは床についた自分の手だけだ。しかしその声で、見えるようだった。竜崎がどんな顔をしているか。
その威圧感ににゾッとする。向けられている感情は、ほとんどもう殺意に近い。
「やめ…」
「俺を拒むな」
「っ……!」
手と膝を床につけたまま、抵抗もできないうちに下着ごと膝まで引きずり下ろされた。屈辱より、緊張が勝る。腰を掴まれて肩が震えた。
「はなせ……っ」
腕だけは前へ前へと逃げようとする。背後で竜崎は身を乗り出し、床に張り付けた俺の手をとった。
一瞬宙に浮いたそれ。直後、ダンッと打ち付けられている。
「ッつ……」
「逃げんなっつってんだろうが」
声が出ない。信じたくない。こんなの。
腰を強く掴まれ、突き出すようにさせられて、なのに動けない。後ろでカチャカチャと無機質に音が立つ。
震えそうな腕を立たせているだけでやっとだった。後ろの、その場所。ぐっと押し当てられた熱。体は凍り付くけれど、この男に労りはない。
「ッい……」
「だらしねえカラダしやがって」
「っァア……!」
激しい圧迫感が起こった。息ができない。力任せに腰を押し進められ、無理やりこじ、開け入ってくる。
ガクガクと腕が震えた。ショックで一瞬、意識は飛びかける。だがそんな暇もないほど、間を置かずにこの男は動いた。
「ぃっ、つ……く……ッ……」
「どこがいいんだか言ってみろ。泣いてよがんのは得意だろ」
「やっ、め……りゅ……っ」
きつく、ギチギチに締まっている。そこを無理に押し広げていた勃起は、突如、滑りを良くさせた。
ビリッと、走った、身に覚えのない感覚。痛みを超えた熱さに肘がくずおれた。
おそらく切れた。痛いより、つらい。視界はぼやけて見えるものを閉ざした。両腕の間で顔を床につけ、咳き込みそうに息を吐いた。
俺を痛めつけることだけは、決して何があってもしなかったのに。ひどく丁寧で、優しくて、それが嬉しくて困惑させられてきた。それを全部覆される。
悲しい。そう。それだ。かなしい。
「ふ……ぅ、っぁ……」
いやだ。こんな抱かれ方はされたくない。
支配のためだけに貫かれた。いつだって感じられたものがここにはない。床につけた顔を弱々しく左右に振ったが、後ろから聞かされたのは嘲ったような笑い方。
再びガッと髪を引っ張られ、顔が上がる。つつっと、零れた。生理的にか、感情的にか、分からないけど、頬を伝った。
弱く、ただただ首を横に振る。言葉も何も通じずに、乱暴に腰を打ち付けられた。
「ぁっ……ッく……ぅ……」
慣らされた体はこの男を覚えている。なのによくない。快感とは違う。
抱きしめてほしくてもしてもらえない。きっと冷酷に俺を見下している。歯を食いしばり、嗚咽に近い喘ぎを殺した。
「りゅ、う……っぁ……ッ」
「…………」
ふっと、揺さぶられるのが止まる。後ろからは感情のない声が落ちてきた。
「…………なんでお前は俺を許した」
目を開けた。振り返りかけ、その前に肩を床に押し付けられた。その勢いのまま奥に、グッと。
「ぃッ……や、め……っぁ……」
「こんなことされたかった訳じゃねえだろ」
「なん……やッ……りゅうざきっ……」
呼吸が上手くできない。訳も分からず首を左右に振った。
それが気に障ったのか苦々しい舌打ちを聞かされ、ぐいっと髪を鷲掴みにされている。
「あっ……ッは……」
肩を引っ張られ、後ろに向かされたこの顔。そこでピタリと、今度こそ動きを止めた。
視界の隅で、竜崎の顔を見た。眉間を寄せて、憎らしそうに俺を睨みつけてはいるが、そんなことがどうでも思えてくるほど、痛々しい。そう思えた。
これは怯えだ。たぶん、そう。思い詰めたようなその雰囲気も。つらそうなその顔も。
時々こいつは不安定になる。俺には見せないようにしながら、それでもどこか気づくところはあった。
それは今に始まったことじゃない。出会った頃からずっとそうだ。俺には話していない何かがある。そう思いつつ、黙っていた。
「りゅうざき……」
「…………」
こんなことにでもならない限りそこに目を向けようともしない。何が苦しいのか聞かなかった。聞けるはずがない。聞いたら、だって。それでどうなる。
目を逸らしていたそのしっぺ返しが今になって一気に全部来た。ほんの小さく呼び掛けると、痛々しい目で睨みつけてくる。
肩からバッと手が離れた。きつく繋がった後ろのその部分から、無理にズルッと引き抜かれた熱。
「ぁッ……」
「……泣くな」
圧迫感は遠ざかり、ジンジンと痛みだけが残る。低い声で言われ、聞き返す前に、後ろ首をガッと掴まれた。
俺の体を床から引きはがし、かと思えばまた仰向けに転がる。加減なく背中を打ち付けられて、痛みの直後に開いた目には真正面から、竜崎の顔が映った。
「拒むくせに……どうせ最後は許すんだろ……」
「な、に……」
「……間違ってた。最初から全部」
床に押さえつけるように肩を掴まれ、ギリッと加えられるその力。高圧的な手とは裏腹に、言葉も、声の調子にも、弱々しさがにじみ出ている。
歪んでいた。その表情が。痛みも恐怖も忘れそうなほど。
「……竜崎……」
ゆっくり手を伸ばした。触れたかった。でも許されない。
指先が頬を掠めるかというところで、パシリと手を弾かれた。
「傷つけることしか知らない」
「……は……」
「…………間違ってたんだ」
「なに……言ってんだよ……」
じっと俺を見下ろしていた。もう怒りはない。怯えだけがあった。
それ以上は聞きたくない。なんでそんな、諦めるみたいな顔で。
「お前はこっちに来るべきじゃなかった」
「…………」
「……俺を選んだのは間違いだ」
「ッ……」
息が詰まった。さっきの比じゃない。真正面からの否定を受けて、自分の顔が歪むのが分かった。
俺もこいつに同じようなことを言った。バチが当たったんだ。きっとそう。どれだけ傷つけたか今さら思い知る。今になって、返された。
「なんで……」
絞り出した声はほとんど震えている。体を無理やり引き裂かれるより、今の方がずっと痛い。
「なんでいまさら……そんなこと言うんだよ……。俺をこうさせたのはお前だろ」
必死になって手を伸ばした。縋り付き、抱き寄せた。その頭を自分の肩に押し付け、消え入りそうなほど震える声はひどく情けないが、手は離さない。
目尻から零れた。絶えず、落ちていく。止めようのない涙を零しながら、離れないようにすがり付いて抱いた。
「いいよ……何したって、お前なら」
「…………」
「……お前だからだ」
この男の隣を選んだ。自分でここを選び、そばにいるのに、なぜかこいつはいつも遠い。
じっと抱き込んでいた竜崎が動いて、顔を上げた。見下ろされる。さっきまでの硬質な冷たさはない。目尻にそっと触れてくる控えめな指先を感じた。
「…………離れたくない」
泣きそうな顔で零される。怒りが消えると今度は、そこに悲しみが満ちていた。
「怖くなる……いつもそうだ……」
「…………」
同言葉を返せばいいかもわからず、下からその背に手を回した。ちゃんと触れてる。でも竜崎は、目を逸らし、顔をわずかに伏せた。
「こんな、近くにいるのに……」
「竜崎……」
「…………いつまでお前とこうしてられる」
聞かされていない事はまだたくさんある。知らない事の方が多いだろう。
感じる隔たりは気のせいではなく、俺の被害妄想でもなく、むしろその方がずっと良かった。俺たちの間には壁がある。そのせいでこいつは怯えてる。
「裕也……」
ようやく呼ばれた名前だったが、いつものような強い響きはない。縋りつくように肩をつかまれ、ただ黙って聞いていた。
「……間違ってたんだ」
「…………」
酔っているし、ほとんど正気じゃないが、それはきっと本心なのだろう。
間違っていた。離れたくない。最初からこうなっていなければ、離れる恐怖も感じずに済む。失うことが一番怖いから、間違っている。そんなことを、俺も何度も考えた。
今でもそれは変わらない。けれどもう、こうなってしまったからには。
「間違ってない……離れねえよ……。無理だろそんなの。俺も、お前も……」
願望でしかないそれを呟いて返す。答えてはくれなかった。ズクリと、胸の奥をえぐられる気がした。
「……竜崎」
俺たちの関係を証明するものは一つもない。保証するものも、何もない。
どちらかが手を離したらそれだけで途端に終わる。きっとほんの、一瞬だ。
そう言ったのは俺だった。あいつは俺の要求をのんだが、その日二人で達した瞬間、感じたのは明らかな物足りなさだった。
満たされない。中が埋まらなかった。引き抜かれ、空虚感が広がった。
その手はいつもどおり優しいが、奥で受け止める一体感はなかった。
焦ったのは言うまでもない。出してほしかった。そんなことは言えない。
そのためやむなく死ねと吐き捨て逃げるように店を出てきた。当たり散らし、竜崎を困惑させて、どうしようもなく愚かな自分に呆れ、ふらふら街をうろついていると男二人が声を掛けてきた。
橘と瀬戸内だ。大都会ではなくても狭い街ではないのにどうしてこいつらとばかり遭遇するのか。
やかましい二人に捕まってからはその間を歩かされた。また女の子捕まえてきてよ。橘がそんな事を言い出し瀬戸内も乗り出したから、お断りの一言を貫きしばらくしてようやくあいつらも諦めた。しかしそこから解放されるまでにまたしても居酒屋に引きずられ、彼女とは最近どうだとかなんだとかうるさく質問攻めにあった。
帰路に着いた時にはもうくたくただ。ミオを出たその足で速やかに帰ってくるべきだった。
「…………」
ぐったりした心地で自宅前まで戻り、カギを手にしつつ顔を上げたところで足を止めることになった。
遠目だが分かる。玄関の前。片方だけ立てた膝に右腕を乗せ、顔を伏せた状態でそこに座り込んでいる男。
竜崎だ。俺があいつを見間違えるはずがない。
近づけばやはりその通りで、こいつも足音に気づいたのだろう。ゆっくりとその顔を上げた。
「よお。遅かったな」
「お前、何して……」
どうしてか少し、怖い。そう思い、それ以上先へは進めない。
「どこ行ってたんだ」
「あ……?」
「誰と一緒だった」
抑揚のない淡々とした物言い。別れ際とは明らかに様子が違う。
ゆっくりその場で立ち上がるのを見て、思わず一歩後ろに下がった。
「…………」
「自分の部屋だろ。入んねえのか」
「……竜崎?」
スッと、鼻を掠めたその匂い。
ああ。そうか。酔っている。いささか虚ろな目もそれを示していた。
「……今までずっと飲んでたのか」
「お前にフラれて暇だったからな」
「……どけよそこ。邪魔だ」
喋り方ははっきりしているが声の調子は仄暗い。表情なんて冷めきっている。こいつにそんな目で見られたのは初めてだ。感情のない視線が刺さる。
あまりにも冷たい顔つきだった。別れ方がああだっただけにこちらとしても分が悪く、返答を待たずに竜崎をよけてそのすぐ横を通り過ぎようとした。
しかし、パシッと掴まれたこの腕。力の加減はまるでない。
いつもとは全く違った。力を込められる。そこをギリッと、握りしめられた。
「っ……」
痛みに思わずパシッと振り払っていた。直後、体が凍り付く。身の竦むような冷たい視線とぶつかった。
「そんなに嫌か」
肩が揺れそうになったのは本能だ。
耳にした低い声。怒りをくすぶらせているかのような。
「……帰れ。疲れてんだよ」
「…………」
怖気づきそうなのを堪えて吐き捨てたが竜崎は無言。ドアノブに鍵を差し込んだ。背後からの視線をひしひしと感じる。
自宅のドアを開けるだけのこと。普段なら手間取るはずもない。ところが焦りは手元を狂わせ、ガチャガチャとカギを回しても一度では開かなかった。
いささか立て付けの悪いドアに苛立つ余裕も持てない中で、真後ろに感じ取ったその気配。バンッと、激しい音が立った。
「ッ……」
息をのむ。頭のすぐ右上。斜め横の位置に目がいく。
ドアにつかれた竜崎の右手。片腕で俺を囲い込むようにして、すぐ後ろに立っている。
体中が冷えそうな心地で中途半端に振り向いた。鋭い視線に、瞬時に捕まる。
「逃げることねえだろ」
「…………」
言いようのない、威圧感だ。圧倒される。屈服にも近い。
怒鳴られた訳でも殴りつけられた訳でも平手の一つさえ食らってはいないのに、体が硬直しそうになっている。怖い。ただそれだけをはっきり感じた。
すごすごと手を動かし、今度こそ玄関の鍵を開けた。ドアを開く。後ろはもう振り返れない。暗い部屋の中に目を向けたまま、背後の竜崎に向けて言った。
「…………入れ」
辛うじてそれだけ声を出せた。玄関の内側に二人で入り、電気をパッとつけ、後ろでドアが閉まる。バタンと。それがやけに大きく響いた。
続けてガチャリと音を聞く。施錠された。振り向くと同時にガッと両肩に加わる。力任せに鷲掴みにされ、後ろのドアに大きくガンッと音を立て打ち付けられた背中。
「っなん……んッ……!」
両腕を押さえつけられ、されたキスには優しさの欠片もない。こんな扱いもされたことなかった。背中が痛む。けれど竜崎はやめない。
唇を割り裂こうと押し付けられた舌に抗い、慌てて顔を左に背けた。
「ヤメッ……んんっ」
抵抗は許されない。再び唇を捕えられ、強引に貪られた。
支配的で、それ以外の感情はない。征服的なキスが嫌で、首を左右に僅かに振れたが竜崎は俺を放さなかった。
酔っているにしたっていくらなんでも。怒っているのか。さっきまでの俺の、あの態度を。
「んっ……ぁ、おいッ……」
すぐさま服はたくし上げた。胸の上まで引き上げられて咄嗟にその腕を掴んだが、頭を下げたこの男はピチャッと乳首に舌を這わせた。
「ッ……ヤダっ、て……竜崎っ」
何も言ってくれない。いつもの軽口もからかいもない。労りも何もないようなそれは、普段される愛撫とは全然違った。
「ッ……!」
ギリッと、捩れるような痛み。突起を加減なく噛まれた。
いつもとは違う。痛いだけだ。ジンジンとそれが広がる。
「ッ……っ……ぃっ、た……」
堪えていた悲鳴が小さく上がった。噛み千切るかのように立てられていた歯はふっと離れ、痛みだけがジンジン残っているそこを舌で押し付けるように舐められた。
「ンっ、あ……や……っやめ……ッ」
「…………」
「りゅうっ……ぁ……っ」
唇は離れず、反対側には竜崎の左手が触れた。指先で乳首を乱暴に撫でつけ、ぐっと、つねるようにして摘まんだ。
「ッいぁ……ッ……っめ、……いやだっ……」
「…………」
明確な拒否が口を突いて出た。胸の上から刺激が消える。顔を上げた竜崎の、仄暗い表情は正常さを欠いていた。冷めきっている。その視線が。それが一層厳しくなった。
背筋にはゾクリと走る。生き物の正常な反応。恐怖だ。敵を見つけた時と同じ。自分を食おうとしている捕食者を。
息を詰めた瞬間には肩を鷲掴みにされていた。俺が痛いとかどうとか、そんなものは一切考慮に入れずに容赦なく腕を引っ張られ、互いの位置が入れ替わり、直後、視界がガクンとずれた。
すぐには理解が追い付かない。自分の身に何が起こったか、頭に伝わってくる情報よりも体へ伝わった感覚によって嫌でも分からされることになる。
「ッ……」
痛い。気づけば玄関の天井を見上げていた。床にしこたま打ち付けた背中が、痛覚に鈍く訴え出ている。
固い床に押し倒された。薙ぎ倒された、と言った方が正しい。
俺が顔を歪めようとも冷酷な表情を変えず、馬乗りになって両手を拘束してくる。頭上でひとまとめに押さえつけられ、恐怖のままその顔を見上げた。
「イヤダ、ヤメロってそればっかだなお前は」
ようやく口を開いたかと思えば、聞かせてきたのは酷く冷たい声。それに見合う口調で淡々と落とし、残忍な視線を俺につき刺した。
「何がヤなのか言ってみろ。淫乱に腰振る奴がヌかしてんじゃねえよ」
「っ……!?」
はっと目を見開いた。驚愕を通り越し、頭がすぐには働かない。
今のは、この男が言ったのか。まさかそんな。だって、竜崎に限って。本気で傷つけるためだけの何かを、言われたことだけは一度だってない。
血の気が引いた。その顔を見上げた。俺を押さえつけている腕の片方だけが解かれ、そのまま下腹部へと伸びていく。
「ッりゅう…」
「またイヤか。笑わせんな」
何ひとつとして許されない。拒否することも、抵抗することも。
両方の手首が強い力に痛んだ。俺が傷つこうが一切構わないと、その手の力が物語っている。
くいっと顎に手を掛けられた。上から無理やりに目を合わせてくる。こんな目で俺を見るなんて。俺にだけは絶対に、この目は見せないと思っていた。
何も言えずに見上げていると、表情をきつくさせ、睨まれた。体温が下がる。恐怖や焦りで、それ以外の感情が置き去りにされる。
体が固まり、目は離せない。憤りに近い感情を向けられている。
「誰が逃がすかよ。お前は俺のもんだろ」
またもや強引に上から口づけ、立場を分からせるかのように甚振る。
信じられない。だってこんなの、竜崎じゃない。
「んん……ッ」
苦しいし、痛い。顎を手で捕えられ、強い指圧で骨が軋む。
強引なキスは、いつだってそうだ。けれどいつも必ず優しい。尊重されて、大事にされる、普段の仕草はどこにもない。
責め立てるように舌を這わせられた。心地よさからは程遠く、絶望にじわじわと侵される。
「ん……っぁ……」
その指先は服の下へと潜り込み、乳首に辿り着いてつまんだ。反対側には舌が這わされ、恥ずかしいとか屈辱だとかそんなことはどうでもよくて、感情のない行為がただただ虚しい。いつだって優しかったのに。
淡々と触られる。それでかつての自分を思い出す。俺もこうやって女に触っていた。それを今、自分がされている。
「いッ……っ……」
散乱する意識を戒めるように、さっきみたいにガリッと噛みつかれた。甘噛みじゃない。痛めつける意図がある。俺が肩を強張らせると掌を返したように今度はゆっくりそこを舐められ、耐えた。
ジンジンと痛み、そこに上書きされる質感。舌と指先による愛撫に唇を引き結んだ。
そうしていると竜崎はふっと顔を上げ、見下してくる。鼻で笑った。つまらないとでも言うみたいに。
「それでよく女なんか抱いてこられたな」
「ッん……っ」
クリッと指先で乳首をなじられ、至近距離からきつく目を覗きこまれた。
「男そそのかしたのは俺で何人目だ」
「っ……!?」
そんな。なんで。そんなはず、ないのに。こいつだってそれくらい分かっているだろうに。
衝撃が大きすぎて何を言う事もできなかった。ただ、痛めつけるためだけに選ばれたような、そんな言葉だ。
「起きろ」
仰向けに張り倒された体勢のままガッと片腕を引っ張られ、上半身を起こすと同時に至近距離で目が合った。しかしこの視界から竜崎の顔はすぐに消える。
肩を強く掴まれたかと思うと乱暴に体を反転させられ、倒された。今度はうつ伏せに。目下の床に咄嗟に両手をつき、後ろからは竜崎が覆いかぶさってくる。
「なんっ……」
「そのままだ。動くな」
低い声を後ろから落とされ、首筋には生温かい感触。舌でねっとりと濡らした肌に容赦なく噛みつかれ、その手は前に伸びてくる。カチャっとベルトを外されそうになり、腕を床に這わせて逃げ惑った瞬間、後ろからガッと引っ掴まれた髪。
「ッぃ……」
「逃げんのか。俺から」
「りゅっ……」
鷲掴みにしたまま髪を引っぱられ、耳元には顔を寄せられる。目に映るのは床についた自分の手だけだ。しかしその声で、見えるようだった。竜崎がどんな顔をしているか。
その威圧感ににゾッとする。向けられている感情は、ほとんどもう殺意に近い。
「やめ…」
「俺を拒むな」
「っ……!」
手と膝を床につけたまま、抵抗もできないうちに下着ごと膝まで引きずり下ろされた。屈辱より、緊張が勝る。腰を掴まれて肩が震えた。
「はなせ……っ」
腕だけは前へ前へと逃げようとする。背後で竜崎は身を乗り出し、床に張り付けた俺の手をとった。
一瞬宙に浮いたそれ。直後、ダンッと打ち付けられている。
「ッつ……」
「逃げんなっつってんだろうが」
声が出ない。信じたくない。こんなの。
腰を強く掴まれ、突き出すようにさせられて、なのに動けない。後ろでカチャカチャと無機質に音が立つ。
震えそうな腕を立たせているだけでやっとだった。後ろの、その場所。ぐっと押し当てられた熱。体は凍り付くけれど、この男に労りはない。
「ッい……」
「だらしねえカラダしやがって」
「っァア……!」
激しい圧迫感が起こった。息ができない。力任せに腰を押し進められ、無理やりこじ、開け入ってくる。
ガクガクと腕が震えた。ショックで一瞬、意識は飛びかける。だがそんな暇もないほど、間を置かずにこの男は動いた。
「ぃっ、つ……く……ッ……」
「どこがいいんだか言ってみろ。泣いてよがんのは得意だろ」
「やっ、め……りゅ……っ」
きつく、ギチギチに締まっている。そこを無理に押し広げていた勃起は、突如、滑りを良くさせた。
ビリッと、走った、身に覚えのない感覚。痛みを超えた熱さに肘がくずおれた。
おそらく切れた。痛いより、つらい。視界はぼやけて見えるものを閉ざした。両腕の間で顔を床につけ、咳き込みそうに息を吐いた。
俺を痛めつけることだけは、決して何があってもしなかったのに。ひどく丁寧で、優しくて、それが嬉しくて困惑させられてきた。それを全部覆される。
悲しい。そう。それだ。かなしい。
「ふ……ぅ、っぁ……」
いやだ。こんな抱かれ方はされたくない。
支配のためだけに貫かれた。いつだって感じられたものがここにはない。床につけた顔を弱々しく左右に振ったが、後ろから聞かされたのは嘲ったような笑い方。
再びガッと髪を引っ張られ、顔が上がる。つつっと、零れた。生理的にか、感情的にか、分からないけど、頬を伝った。
弱く、ただただ首を横に振る。言葉も何も通じずに、乱暴に腰を打ち付けられた。
「ぁっ……ッく……ぅ……」
慣らされた体はこの男を覚えている。なのによくない。快感とは違う。
抱きしめてほしくてもしてもらえない。きっと冷酷に俺を見下している。歯を食いしばり、嗚咽に近い喘ぎを殺した。
「りゅ、う……っぁ……ッ」
「…………」
ふっと、揺さぶられるのが止まる。後ろからは感情のない声が落ちてきた。
「…………なんでお前は俺を許した」
目を開けた。振り返りかけ、その前に肩を床に押し付けられた。その勢いのまま奥に、グッと。
「ぃッ……や、め……っぁ……」
「こんなことされたかった訳じゃねえだろ」
「なん……やッ……りゅうざきっ……」
呼吸が上手くできない。訳も分からず首を左右に振った。
それが気に障ったのか苦々しい舌打ちを聞かされ、ぐいっと髪を鷲掴みにされている。
「あっ……ッは……」
肩を引っ張られ、後ろに向かされたこの顔。そこでピタリと、今度こそ動きを止めた。
視界の隅で、竜崎の顔を見た。眉間を寄せて、憎らしそうに俺を睨みつけてはいるが、そんなことがどうでも思えてくるほど、痛々しい。そう思えた。
これは怯えだ。たぶん、そう。思い詰めたようなその雰囲気も。つらそうなその顔も。
時々こいつは不安定になる。俺には見せないようにしながら、それでもどこか気づくところはあった。
それは今に始まったことじゃない。出会った頃からずっとそうだ。俺には話していない何かがある。そう思いつつ、黙っていた。
「りゅうざき……」
「…………」
こんなことにでもならない限りそこに目を向けようともしない。何が苦しいのか聞かなかった。聞けるはずがない。聞いたら、だって。それでどうなる。
目を逸らしていたそのしっぺ返しが今になって一気に全部来た。ほんの小さく呼び掛けると、痛々しい目で睨みつけてくる。
肩からバッと手が離れた。きつく繋がった後ろのその部分から、無理にズルッと引き抜かれた熱。
「ぁッ……」
「……泣くな」
圧迫感は遠ざかり、ジンジンと痛みだけが残る。低い声で言われ、聞き返す前に、後ろ首をガッと掴まれた。
俺の体を床から引きはがし、かと思えばまた仰向けに転がる。加減なく背中を打ち付けられて、痛みの直後に開いた目には真正面から、竜崎の顔が映った。
「拒むくせに……どうせ最後は許すんだろ……」
「な、に……」
「……間違ってた。最初から全部」
床に押さえつけるように肩を掴まれ、ギリッと加えられるその力。高圧的な手とは裏腹に、言葉も、声の調子にも、弱々しさがにじみ出ている。
歪んでいた。その表情が。痛みも恐怖も忘れそうなほど。
「……竜崎……」
ゆっくり手を伸ばした。触れたかった。でも許されない。
指先が頬を掠めるかというところで、パシリと手を弾かれた。
「傷つけることしか知らない」
「……は……」
「…………間違ってたんだ」
「なに……言ってんだよ……」
じっと俺を見下ろしていた。もう怒りはない。怯えだけがあった。
それ以上は聞きたくない。なんでそんな、諦めるみたいな顔で。
「お前はこっちに来るべきじゃなかった」
「…………」
「……俺を選んだのは間違いだ」
「ッ……」
息が詰まった。さっきの比じゃない。真正面からの否定を受けて、自分の顔が歪むのが分かった。
俺もこいつに同じようなことを言った。バチが当たったんだ。きっとそう。どれだけ傷つけたか今さら思い知る。今になって、返された。
「なんで……」
絞り出した声はほとんど震えている。体を無理やり引き裂かれるより、今の方がずっと痛い。
「なんでいまさら……そんなこと言うんだよ……。俺をこうさせたのはお前だろ」
必死になって手を伸ばした。縋り付き、抱き寄せた。その頭を自分の肩に押し付け、消え入りそうなほど震える声はひどく情けないが、手は離さない。
目尻から零れた。絶えず、落ちていく。止めようのない涙を零しながら、離れないようにすがり付いて抱いた。
「いいよ……何したって、お前なら」
「…………」
「……お前だからだ」
この男の隣を選んだ。自分でここを選び、そばにいるのに、なぜかこいつはいつも遠い。
じっと抱き込んでいた竜崎が動いて、顔を上げた。見下ろされる。さっきまでの硬質な冷たさはない。目尻にそっと触れてくる控えめな指先を感じた。
「…………離れたくない」
泣きそうな顔で零される。怒りが消えると今度は、そこに悲しみが満ちていた。
「怖くなる……いつもそうだ……」
「…………」
同言葉を返せばいいかもわからず、下からその背に手を回した。ちゃんと触れてる。でも竜崎は、目を逸らし、顔をわずかに伏せた。
「こんな、近くにいるのに……」
「竜崎……」
「…………いつまでお前とこうしてられる」
聞かされていない事はまだたくさんある。知らない事の方が多いだろう。
感じる隔たりは気のせいではなく、俺の被害妄想でもなく、むしろその方がずっと良かった。俺たちの間には壁がある。そのせいでこいつは怯えてる。
「裕也……」
ようやく呼ばれた名前だったが、いつものような強い響きはない。縋りつくように肩をつかまれ、ただ黙って聞いていた。
「……間違ってたんだ」
「…………」
酔っているし、ほとんど正気じゃないが、それはきっと本心なのだろう。
間違っていた。離れたくない。最初からこうなっていなければ、離れる恐怖も感じずに済む。失うことが一番怖いから、間違っている。そんなことを、俺も何度も考えた。
今でもそれは変わらない。けれどもう、こうなってしまったからには。
「間違ってない……離れねえよ……。無理だろそんなの。俺も、お前も……」
願望でしかないそれを呟いて返す。答えてはくれなかった。ズクリと、胸の奥をえぐられる気がした。
「……竜崎」
俺たちの関係を証明するものは一つもない。保証するものも、何もない。
どちらかが手を離したらそれだけで途端に終わる。きっとほんの、一瞬だ。
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