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第二部
51.理由 ~side竜崎~Ⅱ
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あれからすぐに店を出てきたが裕也はまだ自宅に戻っていなかった。
スマホの電源は見事に落とされている。耳に当てるなり機械的なアナウンスを聞いた。おとなしく家に帰る気にもなれず、そのまま街の方へと向かった。
裕也がここにいるかは分からず、仮にいたとしても人混みの中から探し出せるとは思っていない。しかし自宅で一人鬱々と考え込むよりはましだ。
少しでも離れれば顔が浮かぶ。裕也は綺麗だ。本当に綺麗。誰だってそれを思わないはずはない。あの性格で、あの不機嫌な顔つきだから、近寄りがたくさせているだけで。
きつい目つきが少しでも和らげば、しょっちゅう絡まれる人生だったかしょっちゅう口説かれる人生だったかは紙一重の差だっただろう。女顔負けの美人な男が男に言い寄られず生きてこられたのはバリバリの警戒心に守られていたからだ。あれを前にしてもよこしまな考えを抱く男は一人もいなかった。そんなことは絶対にあり得ない。
ここが中世ヨーロッパだったら確実に魔女裁判にかけられていたはず。美しい。そんな言葉が似合う。恐ろしいまでに全部が綺麗で、そんな奴を守ってきた警戒心が最近は少しずつ薄れてきている。
本人にその自覚はないだろう。しかし出会った当初より、雰囲気はいささかやわらかくなった。周囲を威嚇するようなきつい目にも、穏やかな瞬間を垣間見せる。
気が気じゃない。取られそうで。裕也に近付きたい奴はきっと多い。
あいつは俺を裏切らないとそれくらいよく分かっているが、あいつの誠実さに耐えられる程の器が俺自身にはない。
もう一度スマホを手に取った。履歴を呼び出す。タップ。しかし繋がらない。
撃沈させられそうになりながら明るい夜の街を歩き、どうやって機嫌を直せばいいのか考えを巡らせる。
人間ってのは変われば変わるものだ。我ながら思う。俺がこんなことに。
今の自分は嫌いじゃない。少なくとも、昔よりかは。裕也の存在は俺の全てを変えた。こうして街をうろつきながらただ一人の人間を想い、あれこれと頭を悩ませている。あの頃の俺には想像もつかなかった。
幸せというやつかもしれない。幸せと呼ばれるそれは、同時に大きな不安を伴う。
「…………」
目にした光景に一瞬動きが止まった。見知った横顔がそこにはあった。
「……裕也っ」
周囲の目も気にせずに叫んだ。しかしそこまでは距離がある。人の列を挟んで俺よりも前方を歩いていた裕也は気づかない。
裕也の隣には二人いる。男だ。どうにも馴れ馴れしい素振りであいつの両隣りを囲むように歩きながら話しかけていた。
ジリッと、途端に込み上げてくる。そいつらの行動に眉間には力が入った。人のもんに何声かけてやがる。思った次に、ふと気が付いた。
見たことのある顔だ。そう。あれだ。裕也のバイト先の。赤信号に差し掛かったところで裕也とそいつらは一緒に足を止めた。
「裕也ッ……」
慌てて走り出そうとするも、タイミング悪くパッと信号が変わった。青になった横断歩道を渡ろうとするその姿めがけてもう一度叫んだ。
しかしやはり気づかない。振り返ったのは近くにいた数人だけ。他の奴らに注意を向ける余裕はなく、俺の目が映しているのは裕也だ。隣の男にふっと顔を向けた裕也の表情を見た瞬間、それ以上足は踏み出せなくなった。
「…………」
肩に腕を置いてくる隣の男を眺め、素っ気ない態度でその腕を振り落とした裕也。鬱陶しそうに。そう見えたけれど、しかしそれ以上ではない。
手加減があった。両隣のそいつらに向けられている柔軟さ。しょうがねえな。そうとでも言うような、妥協にも見えるその様子。
それは俺に普段見せているのと、ひどく似ている態度に思えた。それ以上にあの二人と歩く裕也は、自然体そのものだ。
「…………」
唐突に、引き戻された。現実が襲い掛かってくる。長いこと浮かれ回っていた頭に氷水をぶっかけられた気分だ。
壁を作るのはお前じゃねえか。裕也に以前そう言われた。その通りだ。俺にはそうするしかない。こうやって不意に思い知るから。
ほしくてほしくてどうしようもないのに、俺が触れたら途端に壊す。俺みたいな人間が触れるには、あいつはあまりにも遠く、届かない場所にいる。
自惚れていたかった。俺だからだと。でもそれは大間違いだった。
頑なに表に出さないようにしているだけで、そもそもはあれが裕也の本質だ。自分には厳しいのに他人には甘い。そうやって俺も、許されてきた。
裕也との距離がどんどん開いていく。俺はこちら側。あいつは向こう側。本来なら初めから、重なる理由など一つもなかった。
引きずり込むのは簡単だけれどそうしてはいけない奴もいる。今はただ中途半端に繋ぎ止めているに過ぎない。向こう側にいられる裕也を、卑怯にも引き止めて、拘束している。
結局追いかけることはできなかった。惨めな気分だ。最悪だ。元来た道をとぼとぼと戻った。
裕也が選ぶべき正しい道は、本当はどこにあったのか。強引に攻め込んでは無理やりこっちを向かせてきた。関わるべきじゃないと分かりつつ、知れば知るほど欲しくなった。
またしてもミオに足は向いていた。タダ酒を飲める格好の場所だ。
何も考えたくない。手放したくない。どんなに思っても終わりは近付く。見せつけられた現実は、俺を酒に走らせた。
スマホの電源は見事に落とされている。耳に当てるなり機械的なアナウンスを聞いた。おとなしく家に帰る気にもなれず、そのまま街の方へと向かった。
裕也がここにいるかは分からず、仮にいたとしても人混みの中から探し出せるとは思っていない。しかし自宅で一人鬱々と考え込むよりはましだ。
少しでも離れれば顔が浮かぶ。裕也は綺麗だ。本当に綺麗。誰だってそれを思わないはずはない。あの性格で、あの不機嫌な顔つきだから、近寄りがたくさせているだけで。
きつい目つきが少しでも和らげば、しょっちゅう絡まれる人生だったかしょっちゅう口説かれる人生だったかは紙一重の差だっただろう。女顔負けの美人な男が男に言い寄られず生きてこられたのはバリバリの警戒心に守られていたからだ。あれを前にしてもよこしまな考えを抱く男は一人もいなかった。そんなことは絶対にあり得ない。
ここが中世ヨーロッパだったら確実に魔女裁判にかけられていたはず。美しい。そんな言葉が似合う。恐ろしいまでに全部が綺麗で、そんな奴を守ってきた警戒心が最近は少しずつ薄れてきている。
本人にその自覚はないだろう。しかし出会った当初より、雰囲気はいささかやわらかくなった。周囲を威嚇するようなきつい目にも、穏やかな瞬間を垣間見せる。
気が気じゃない。取られそうで。裕也に近付きたい奴はきっと多い。
あいつは俺を裏切らないとそれくらいよく分かっているが、あいつの誠実さに耐えられる程の器が俺自身にはない。
もう一度スマホを手に取った。履歴を呼び出す。タップ。しかし繋がらない。
撃沈させられそうになりながら明るい夜の街を歩き、どうやって機嫌を直せばいいのか考えを巡らせる。
人間ってのは変われば変わるものだ。我ながら思う。俺がこんなことに。
今の自分は嫌いじゃない。少なくとも、昔よりかは。裕也の存在は俺の全てを変えた。こうして街をうろつきながらただ一人の人間を想い、あれこれと頭を悩ませている。あの頃の俺には想像もつかなかった。
幸せというやつかもしれない。幸せと呼ばれるそれは、同時に大きな不安を伴う。
「…………」
目にした光景に一瞬動きが止まった。見知った横顔がそこにはあった。
「……裕也っ」
周囲の目も気にせずに叫んだ。しかしそこまでは距離がある。人の列を挟んで俺よりも前方を歩いていた裕也は気づかない。
裕也の隣には二人いる。男だ。どうにも馴れ馴れしい素振りであいつの両隣りを囲むように歩きながら話しかけていた。
ジリッと、途端に込み上げてくる。そいつらの行動に眉間には力が入った。人のもんに何声かけてやがる。思った次に、ふと気が付いた。
見たことのある顔だ。そう。あれだ。裕也のバイト先の。赤信号に差し掛かったところで裕也とそいつらは一緒に足を止めた。
「裕也ッ……」
慌てて走り出そうとするも、タイミング悪くパッと信号が変わった。青になった横断歩道を渡ろうとするその姿めがけてもう一度叫んだ。
しかしやはり気づかない。振り返ったのは近くにいた数人だけ。他の奴らに注意を向ける余裕はなく、俺の目が映しているのは裕也だ。隣の男にふっと顔を向けた裕也の表情を見た瞬間、それ以上足は踏み出せなくなった。
「…………」
肩に腕を置いてくる隣の男を眺め、素っ気ない態度でその腕を振り落とした裕也。鬱陶しそうに。そう見えたけれど、しかしそれ以上ではない。
手加減があった。両隣のそいつらに向けられている柔軟さ。しょうがねえな。そうとでも言うような、妥協にも見えるその様子。
それは俺に普段見せているのと、ひどく似ている態度に思えた。それ以上にあの二人と歩く裕也は、自然体そのものだ。
「…………」
唐突に、引き戻された。現実が襲い掛かってくる。長いこと浮かれ回っていた頭に氷水をぶっかけられた気分だ。
壁を作るのはお前じゃねえか。裕也に以前そう言われた。その通りだ。俺にはそうするしかない。こうやって不意に思い知るから。
ほしくてほしくてどうしようもないのに、俺が触れたら途端に壊す。俺みたいな人間が触れるには、あいつはあまりにも遠く、届かない場所にいる。
自惚れていたかった。俺だからだと。でもそれは大間違いだった。
頑なに表に出さないようにしているだけで、そもそもはあれが裕也の本質だ。自分には厳しいのに他人には甘い。そうやって俺も、許されてきた。
裕也との距離がどんどん開いていく。俺はこちら側。あいつは向こう側。本来なら初めから、重なる理由など一つもなかった。
引きずり込むのは簡単だけれどそうしてはいけない奴もいる。今はただ中途半端に繋ぎ止めているに過ぎない。向こう側にいられる裕也を、卑怯にも引き止めて、拘束している。
結局追いかけることはできなかった。惨めな気分だ。最悪だ。元来た道をとぼとぼと戻った。
裕也が選ぶべき正しい道は、本当はどこにあったのか。強引に攻め込んでは無理やりこっちを向かせてきた。関わるべきじゃないと分かりつつ、知れば知るほど欲しくなった。
またしてもミオに足は向いていた。タダ酒を飲める格好の場所だ。
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