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第一部
41.9-Ⅴ
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「お前どう言って声かけんの? なんか想像つかねえよな」
「今ちょっと時間ある?」
「へ?」
相変わらず服装が派手な瀬戸内のキョトン顔。その隣の橘もまあまあ似たような表情だ。
「なにそれ、え、何。それだけ?」
「じゃなけりゃどっか適当に突っ立っとく」
「マジかよ……向こうから勝手にくるってこと……?」
「それだと欲求不満そうな女しか近寄ってこねえけどな」
やかましいのが取り柄な二人の絶句した姿を初めて見た。静かになってちょうどいい。
明るい街中を適当に歩き、程よい人通りの中に紛れて足を止めた。行き交う人の波をキョロキョロ見渡しては好みの女を物色していた二人は、聞かれるまま答えた俺の発言にこそこそと言い合いはじめた。
「なんか俺ダメだ……自信失くしてきた」
「いや瀬戸内、そこでヘコんんじゃダメだって。つーか宮瀬のはナンパじゃなくてママ活じゃねえの? こいつ金もらってんだろ」
「人をなんだと思ってんだ」
溜まっているのだろうと思っていたが、よくよく聞いてみればこの二人のナンパの目的は純粋に女子との交流のようだ。遊んで騒ぐにも華が欲しいと言う。
ご苦労なことだ。金の無駄でしかなさそうなものなのに。売春の方がまだ多少は有益な時間の使い方に思える。しかしこいつらにとってはそうじゃない。
「あーあヤダヤダ。こっちはなあ、お前みてえにただ突っ立てるだけで女子が寄ってくることはねえんだよ」
「俺らが最後にナンパ成功したのっていつだったっけ」
「ニヵ月前だよ。カラオケ一時間で帰られたよ」
「うわぁ、思い出したくなかった」
「あの子らただ手軽に飲み食いしたかったんだよ。俺らの時給が飛んだだけだったよ」
「うわぁぁ、もうやめて」
なんとも無益。両手で顔を覆った瀬戸内を今日は橘が慰めている。
可哀想な男二人から目を逸らしつつ、短く溜め息をついて投げつけた。
「二人くらいいればいいだろ。引っかかったらお前らは好きにやれ」
「え、なんで。宮瀬は行かねえの?」
「お前らに交ざって遊んでなんかいられるかよめんどクセぇ。こっちはこっちで適当なの探してヤルだけヤッたら帰って寝る」
本日二度目の二人の絶句。
「さ……最っ低ッッ! なんだその言い方ありえねえ!」
「お前刺される! ゼッテー女に刺されて終わるって! 俺らでも言わねえよそんなこと!!」
「うるせえな俺の勝手だろ。だいたいお前らが来いっつったんじゃねえかよ」
「方向性が違いすぎんだよ!!」
アーティストじゃあるまいし。
ギャアギャア喚く二人は無視して辺りを適当に見渡していると、向こうから歩いてくる女三人組が目に留まった。二人を振り返る。
「おい。頭軽そうなの三人でいいな」
「は?」
「アレ」
「あれ? え、あの子たち?」
「せいぜいメシ代たかられろ」
「え、え、ちょ……おいっ」
向こうから来るのを待っていたら橘と瀬戸内がいつまでも煩い。二人に背を向けて人の波に紛れ、三人で並びながら歩いてくる頭の軽そうなそいつらに近づく。
立ちはだかるとも引き止めるともつかない微妙な立ち位置で呼び掛けた。その瞬間の女達は不信感がまだ九割。一言目でその警戒心と好奇心とを五分五分にして、二言目でこちらに引き込む。探るようにしながらも満更でもない目つきを見せてきたら勝率はほぼ百パーだ。
無理やり貼り付けただけの笑顔には残念ながら時限が付いている。時間との勝負ではあるがこれは確定しただろう。言いくるめるだけ言いくるめ、あとはあの二人に引き渡せばいい。
「うっそ……」
「なんで……。秒単位って何……」
女三人を引き連れて戻った。呆然と呟いた橘と瀬戸内。
俺が何を言ったか、何をしたかは、二人の位置からは見えなかっただろうし距離的に聞こえもしなかったはず。俺のすぐ後ろでは三人組が楽しそうにきゃぴきゃぴと喋っている。
橘と瀬戸内に向けてその様子をそれとなく顎で示した。そこで一歩距離をとり、女三人に暇潰しの相手を伝えた。
「この二人と遊んでやって。こう見えてちゃんとしてるから」
どの辺がちゃんとしているのかは知りもしないが。
だがこの三人が重視するのは安全性ではないようだ。一番近くにいた派手な女が俺の腕をスッと掴んだ。
「えー、なんでー。行かないの?」
「ヒドいよそんなの。こっちも三人なんだし皆で行けばいいじゃん」
抱きつくようにして腕を押さえてくる女と、他の二人も合わせて言ってくる。絡みつく腕は鬱陶しいもののまさか女は殴れないから、後ろを振り返り橘と瀬戸内に視線を送って訴えた。
先に動いたのは橘。急にニコニコしだして三人に向けて言った。
「ねー? ゴメンねこいつ付き合い悪くてさ。照れてるだけだから皆からも言ってやってよ。誘っといて失礼だろって」
「は、おい……」
「そうそう、こいつこんなだけどホントはすげえ純情でさ。見えないよね?」
瀬戸内まで便乗してくる。三人組ははしゃいだように高い声を上げた。腕を絡ませてくる女に至ってはこれ見よがしに胸を押し付けてくる。
これでは鬱陶しいのが三人増えただけ。ついつい眉間もぐっと寄っていく。瀬戸内は俺の肩に手を置き、晴れ晴れとした笑顔で宥めてきた。
「ここまで来たらお前も来い。ねえ、みんなもその方がいいよね?」
「そうだよー、行こー。大勢いたほうが楽しいよ」
「ほら、聞いたろ。行くぞ」
俺の意見は一切無視。瀬戸内にも橘にも解放の意思はないようだった。
瀬戸内と橘は女三人に名前やら何やら質問をぶつけていた。どこ行きたい、などという話が飛び交い始めて気が遠くなる。
相変わらず俺の腕は女にピッタリ抱きかかえられ、デカいだけの胸に時折当たる。わざとだろう。誘えばどこにでも付いて来そうな女だ。美人局やその類でない限り。
歩きながら話しかけてくる。間延びした高い声が気に障る。かと言ってやはり女は殴れず、何より強引に振り払って被害者ヅラでもされたら面倒だ。失敗した。二人組を狙うべきだった。
「ねえ、名前は?」
「あ、いや俺は……」
これ以上まとわりつかれたくない。甘ったるい匂いが鼻を掠める。
「悪いけど……」
やっぱり帰るよ。そうとでも言おうとした。腕さえ放してもらえれば逃げられる。
ところがその先を言う前に、後ろで聞き覚えのある声がした。
「裕也」
強く、はっきりとしたその声色。はっと目を見開く。耳に馴染んでいた。その声を耳にした途端、体の動きがピタリと止まった。
俺と一緒に足を止め、先に後ろを振り返ったのはまとわりついているこの女。次には小首を傾げながら俺を見上げてくる。しかしそれに注意が向かないくらい、とてつもない動揺が起こっていた。
少し前を行っていた四人も遅れだした俺達に気付いたようだ。全員でこちらを振り返ってくる。
「おーい宮瀬ー。行くぞー」
呼ばないでくれ。心底願った。
こんなところを見られたくない。全てがもうどうでもいいと、今さっき思ったばかりなのに。
静かとは言い難い街中にあっても、この声を俺が聞き間違えるはずがない。女の存在は完全に抜け落ちていた。心臓が冷え切ったような心地でゆっくり後ろを振り返る。
丸一日と、もう一日弱。会わずにいた時間はそれだけ。それだけなのにずいぶん長いこと、顔を合せなかったように感じる。
「……なんで……」
バイトの帰りか、なんなのか。どうしてここに竜崎がいるのか。そんなことは問題じゃない。
小さく呟いた俺の言葉は周りの音に掻き消されている。視線の先にあるのは竜崎の、心の内が読めない表情。その顔のままこっちに歩いてくる。そんな男をただ、見ていた。
「何してんだお前」
「…………」
俺にくっついている女に目をやり、すぐにまた俺を捕えて静かにそう問いかけてきた。
言い訳の言葉すら浮かばない。なぜこの男に言い訳しようとしているかも分からない。気まずく目を逸らすことしかできなかった。
女は俺の手を引いて竜崎のことをチラチラ見ながら、だぁれと甘えたように聞いてくる。瞬間、竜崎のまとう雰囲気が、ごく僅かに変わったような気がして少し、息をのむ。
「おーい、どした。誰? 友達?」
「てか、あれ? あんたよく宮瀬のこと迎えに来てる……」
先を行っていた四人もぞろぞろと戻ってきた。瀬戸内は竜崎の顔に見覚えがあったらしい。だが言われた方の竜崎は他の人間に興味を示すことなく、真っ直ぐに俺だけを見ていた。
「なあ。何やってんの」
聞き直されても答えられない。できるものならこのまま消えたい。
声は静かなのに、怖かった。竜崎の顔をまともに見ることもできない事こそがその証。
「……俺の、勝手だろ……。どこで何しようがテメエには関係ねえよ」
苦し紛れに言い返した。少々間を置き、竜崎の手が動いた。
女がひっついているのとは逆側の腕。そこをぐっと掴まれ、分らない程度にピクリと俺の肩が揺れた。思わず見る。その目を。強い視線。目の当たりにして一歩下がった。
「あるよ」
「あ……?」
「関係ある」
強引にガッと引き寄せられた。女の腕の中から引き剥がされている。その女もただ驚いたように俺達を見ているだけで何も言わない。
全員の注目が集まっていた。そんなことよりも、ただ、怖い。
「放せ……」
「やってみる価値はあると思った。でも俺には向いてなかった」
「……は……?」
「駆け引きなんてもんはやめだ」
こちらの話など聞く気もなく、俺も言われた事の意味を飲み込めない。
「分かんねえままにしておきたいならそれでもいいよ。だけどな、お前のは……全部行動に出てる」
それだけ俺に告げた竜崎は、他の連中に向かって言い放った。
「悪いな。こいつ連れてくから」
「え?」
思わず、といったように瀬戸内が声を上げた。橘もきょとんとして俺をうかがってくる。
しつこさに関しては竜崎もこの二人もいい勝負なのに肝心なところで役に立たない。そのまま連行されそうになり、はっとして抗った。
「ふざけんなテメエ何様だよッ、俺の勝手だっつってんだろ!」
「ほら、それ。お前今なんで自分が怒ってんのか分かってるか」
「はッ……?」
「それが裕也の答えだよ」
「っ……何言ってんだクソが、放せ!」
道の真ん中で盛大に喚いた。後ろの二人とナンパした女達はざわめきつつもこの様子を見守り、通りを行き交う人々はちらちらと俺達を視界に映していた。
竜崎のこの穏やかな圧力はほとんど強迫と言ってもいい。瀬戸内と橘も普段であれば仲裁のため割って入りそうなものだが、今はしないのではなく、できないのだろう。この男のこの、雰囲気のせいで。
「おいっ……竜崎……ッ」
事情も何も分かるはずのない五人からはだいぶ離れた。それでもなお竜崎は、俺の腕を引いて歩き続ける。
怒っている。それだけは俺にも分かった。いつしか辺りに人気はなくなり、たいした抵抗もできないまま裏道に連れられた。
「放せっ」
「さっきの女と寝る気だった?」
「ッ……」
単刀直入に切り出された。あの女とどうこうなるつもりはなかった。しかししようとしていた事は、その通り。
言葉に詰まる俺を振り返り、そっと肩に手を置かれた。優し気な手つきを裏切るかのように背後のフェンスに押し付けられている。
「あんな女で済ませる気か」
「……っお前が……ッ」
「なんだよ」
ぐっと飲み込む。その先が俺には言えない。当てつけのように女を漁った。この男の顔がいつまでも消えないから。
背後はフェンス。目の前には竜崎。逃げられないのが分かり、目を逸らした。俺の肩の位置ではカシャンとフェンスが鳴った。竜崎の両手に囲い込まれ、距離はさらに縮められた。
「電話」
「……あ?」
「初めて裕也から掛けてきた」
「…………」
「あの時出てたら、お前は今日あいつらと一緒にいたか」
「…………」
気づいていたのか、後から気づいたのか。出なかったのか、出ることができなかったのか。どちらだろう。どちらでもいい。質問に答えず黙っていると、頬にすっと触れられた。
微かにビクつく。おそらくそれに気づいただろうが竜崎は手を止めなかった。そのまま髪に触れ、指先で梳いてくる。
「嫌? 俺に触られんのは」
「…………」
「俺はずっと、裕也のこと抱きしめたくて仕方なかった」
静かに紡いで聞かせてくる。嫌な男だ。ズルい男だ。
ぎこちなく視線を上げ、即座に捕えられて動けなくなる。
「お前が……」
指一本、触れさえしなくなったのに。そこまで声に出しかけ、止まった。指先から伝わる穏やかな感覚が、しっとりと体の中に染み込んでくるようだった。
「……ごめんな。ガキなんだよ。カッコ付けてる余裕なんかねえんだ」
「は……?」
「お前のことになるとどうしていいのか分かんなくなる」
ふっと、微かに笑ったそれは、自嘲だ。この男は時々その顔を見せる。
「怖がらせたかったわけじゃない。でもお前の近くにいると……歯止めもなんも、きかなくなる」
お前がいいと竜崎は俺に言う。あの夜もそう言った。本気で体を強張らせた俺に、そう言って、それ以上は何もしなかった。
「頭冷やそうと思ったのもあるし、押してダメならって魂胆もあった。けどさすがにスマホ鳴った時はキツかったよ。嬉しかった」
「…………」
「電話もらえただけで嬉しくなる。そういう相手が知らねえ女とくっついてたら、こっちだっていい気はしねえよ」
ジリジリと、体の奥が磨り減る。心臓の辺り。削られるような。
「ああいう女が好みか?」
「…………」
「なんであんなのとくっついて歩いてた」
「……お前には……」
「関係ない?」
先に言われて口を閉じた。肯定は簡単なのに、それすらできない。
「昨日一日会わずにいた間に裕也は何を考えてた?」
「なんで、そんなこと……」
「言ったろ。お前のは全部行動に出てる」
「ッ……」
だめだ。奥歯をギリッと噛んだ。同時に握りしめた拳は、竜崎の顔面を殴れなかった。
この男の手に捕えられている。会った当初から何も変わらない。俺とこいつとの力関係だ。カシャンと再びフェンスが音を立て、この腕は押さえつけられていた。
目の前にあるその顔。はっきり目にした。その時にはもう手遅れだった。俺にはこれ以上何一つとして、これを拒む手立てがない。
「っ……」
唇に触れる、身に馴染んだ感触。唇をついばまれて眉根を寄せた。ゆっくり離しながら俺を見てくる、竜崎の目はひどく深い。
「俺とキスしたかった。そうだろ?」
唇が擦れる距離でこの男は言う。顔だけ逸らしたのは最後の足掻きだ。
「触ってほしいって思ってた」
「違う……っ」
「寂しいって思ってる自分に焦ったんだろ」
「違うっ」
「お前は俺に惚れてんだよ」
「ッ違う!!」
「惚れてる。見てれば分かる」
歯を食いしばり、必死に食らい付く。うっかり引き下がってしまわないように。
「嫌いだっ……お前なんか……ッ」
「認めるのがそんなに怖いか」
「……っ」
怖い。違う。違う。怖くなんてない。
「惚れてんだよ。お前は俺に」
「……違う」
「お前だってもう分かってる」
「違う……やめろ……ッ」
「認めろ。お前は俺に惚れてる」
「ちがうッ……」
「違くない」
最後の最後で声が弱くなったその時、体が突如窮屈になった。腕の中だ。きつく閉じ込められた。頭には宥めるように手を回されて、腰を抱いてくる力は強い。
竜崎の腕の中で最初の一回だけはもがいた。そのための腕はすぐ動かせなくなり、元々暗かったこの視界がなぜか薄らとぼやけてくる。
目の奥が熱い。竜崎の体を突っ撥ねているはずのこの手には、全く力が入らない。
「裕也……」
「な、せっ……」
「好きだ」
「……っ」
「……好きだ」
否定しないと。拒絶しないと。必死に思うだけ、無駄だった。
もう耐えきれない。抱きしめられている。こうされたかった。ずっとだ。待っていた。
大嫌いな男を抱きしめ返すのに、これ以上の時間は必要なかった。
「今ちょっと時間ある?」
「へ?」
相変わらず服装が派手な瀬戸内のキョトン顔。その隣の橘もまあまあ似たような表情だ。
「なにそれ、え、何。それだけ?」
「じゃなけりゃどっか適当に突っ立っとく」
「マジかよ……向こうから勝手にくるってこと……?」
「それだと欲求不満そうな女しか近寄ってこねえけどな」
やかましいのが取り柄な二人の絶句した姿を初めて見た。静かになってちょうどいい。
明るい街中を適当に歩き、程よい人通りの中に紛れて足を止めた。行き交う人の波をキョロキョロ見渡しては好みの女を物色していた二人は、聞かれるまま答えた俺の発言にこそこそと言い合いはじめた。
「なんか俺ダメだ……自信失くしてきた」
「いや瀬戸内、そこでヘコんんじゃダメだって。つーか宮瀬のはナンパじゃなくてママ活じゃねえの? こいつ金もらってんだろ」
「人をなんだと思ってんだ」
溜まっているのだろうと思っていたが、よくよく聞いてみればこの二人のナンパの目的は純粋に女子との交流のようだ。遊んで騒ぐにも華が欲しいと言う。
ご苦労なことだ。金の無駄でしかなさそうなものなのに。売春の方がまだ多少は有益な時間の使い方に思える。しかしこいつらにとってはそうじゃない。
「あーあヤダヤダ。こっちはなあ、お前みてえにただ突っ立てるだけで女子が寄ってくることはねえんだよ」
「俺らが最後にナンパ成功したのっていつだったっけ」
「ニヵ月前だよ。カラオケ一時間で帰られたよ」
「うわぁ、思い出したくなかった」
「あの子らただ手軽に飲み食いしたかったんだよ。俺らの時給が飛んだだけだったよ」
「うわぁぁ、もうやめて」
なんとも無益。両手で顔を覆った瀬戸内を今日は橘が慰めている。
可哀想な男二人から目を逸らしつつ、短く溜め息をついて投げつけた。
「二人くらいいればいいだろ。引っかかったらお前らは好きにやれ」
「え、なんで。宮瀬は行かねえの?」
「お前らに交ざって遊んでなんかいられるかよめんどクセぇ。こっちはこっちで適当なの探してヤルだけヤッたら帰って寝る」
本日二度目の二人の絶句。
「さ……最っ低ッッ! なんだその言い方ありえねえ!」
「お前刺される! ゼッテー女に刺されて終わるって! 俺らでも言わねえよそんなこと!!」
「うるせえな俺の勝手だろ。だいたいお前らが来いっつったんじゃねえかよ」
「方向性が違いすぎんだよ!!」
アーティストじゃあるまいし。
ギャアギャア喚く二人は無視して辺りを適当に見渡していると、向こうから歩いてくる女三人組が目に留まった。二人を振り返る。
「おい。頭軽そうなの三人でいいな」
「は?」
「アレ」
「あれ? え、あの子たち?」
「せいぜいメシ代たかられろ」
「え、え、ちょ……おいっ」
向こうから来るのを待っていたら橘と瀬戸内がいつまでも煩い。二人に背を向けて人の波に紛れ、三人で並びながら歩いてくる頭の軽そうなそいつらに近づく。
立ちはだかるとも引き止めるともつかない微妙な立ち位置で呼び掛けた。その瞬間の女達は不信感がまだ九割。一言目でその警戒心と好奇心とを五分五分にして、二言目でこちらに引き込む。探るようにしながらも満更でもない目つきを見せてきたら勝率はほぼ百パーだ。
無理やり貼り付けただけの笑顔には残念ながら時限が付いている。時間との勝負ではあるがこれは確定しただろう。言いくるめるだけ言いくるめ、あとはあの二人に引き渡せばいい。
「うっそ……」
「なんで……。秒単位って何……」
女三人を引き連れて戻った。呆然と呟いた橘と瀬戸内。
俺が何を言ったか、何をしたかは、二人の位置からは見えなかっただろうし距離的に聞こえもしなかったはず。俺のすぐ後ろでは三人組が楽しそうにきゃぴきゃぴと喋っている。
橘と瀬戸内に向けてその様子をそれとなく顎で示した。そこで一歩距離をとり、女三人に暇潰しの相手を伝えた。
「この二人と遊んでやって。こう見えてちゃんとしてるから」
どの辺がちゃんとしているのかは知りもしないが。
だがこの三人が重視するのは安全性ではないようだ。一番近くにいた派手な女が俺の腕をスッと掴んだ。
「えー、なんでー。行かないの?」
「ヒドいよそんなの。こっちも三人なんだし皆で行けばいいじゃん」
抱きつくようにして腕を押さえてくる女と、他の二人も合わせて言ってくる。絡みつく腕は鬱陶しいもののまさか女は殴れないから、後ろを振り返り橘と瀬戸内に視線を送って訴えた。
先に動いたのは橘。急にニコニコしだして三人に向けて言った。
「ねー? ゴメンねこいつ付き合い悪くてさ。照れてるだけだから皆からも言ってやってよ。誘っといて失礼だろって」
「は、おい……」
「そうそう、こいつこんなだけどホントはすげえ純情でさ。見えないよね?」
瀬戸内まで便乗してくる。三人組ははしゃいだように高い声を上げた。腕を絡ませてくる女に至ってはこれ見よがしに胸を押し付けてくる。
これでは鬱陶しいのが三人増えただけ。ついつい眉間もぐっと寄っていく。瀬戸内は俺の肩に手を置き、晴れ晴れとした笑顔で宥めてきた。
「ここまで来たらお前も来い。ねえ、みんなもその方がいいよね?」
「そうだよー、行こー。大勢いたほうが楽しいよ」
「ほら、聞いたろ。行くぞ」
俺の意見は一切無視。瀬戸内にも橘にも解放の意思はないようだった。
瀬戸内と橘は女三人に名前やら何やら質問をぶつけていた。どこ行きたい、などという話が飛び交い始めて気が遠くなる。
相変わらず俺の腕は女にピッタリ抱きかかえられ、デカいだけの胸に時折当たる。わざとだろう。誘えばどこにでも付いて来そうな女だ。美人局やその類でない限り。
歩きながら話しかけてくる。間延びした高い声が気に障る。かと言ってやはり女は殴れず、何より強引に振り払って被害者ヅラでもされたら面倒だ。失敗した。二人組を狙うべきだった。
「ねえ、名前は?」
「あ、いや俺は……」
これ以上まとわりつかれたくない。甘ったるい匂いが鼻を掠める。
「悪いけど……」
やっぱり帰るよ。そうとでも言おうとした。腕さえ放してもらえれば逃げられる。
ところがその先を言う前に、後ろで聞き覚えのある声がした。
「裕也」
強く、はっきりとしたその声色。はっと目を見開く。耳に馴染んでいた。その声を耳にした途端、体の動きがピタリと止まった。
俺と一緒に足を止め、先に後ろを振り返ったのはまとわりついているこの女。次には小首を傾げながら俺を見上げてくる。しかしそれに注意が向かないくらい、とてつもない動揺が起こっていた。
少し前を行っていた四人も遅れだした俺達に気付いたようだ。全員でこちらを振り返ってくる。
「おーい宮瀬ー。行くぞー」
呼ばないでくれ。心底願った。
こんなところを見られたくない。全てがもうどうでもいいと、今さっき思ったばかりなのに。
静かとは言い難い街中にあっても、この声を俺が聞き間違えるはずがない。女の存在は完全に抜け落ちていた。心臓が冷え切ったような心地でゆっくり後ろを振り返る。
丸一日と、もう一日弱。会わずにいた時間はそれだけ。それだけなのにずいぶん長いこと、顔を合せなかったように感じる。
「……なんで……」
バイトの帰りか、なんなのか。どうしてここに竜崎がいるのか。そんなことは問題じゃない。
小さく呟いた俺の言葉は周りの音に掻き消されている。視線の先にあるのは竜崎の、心の内が読めない表情。その顔のままこっちに歩いてくる。そんな男をただ、見ていた。
「何してんだお前」
「…………」
俺にくっついている女に目をやり、すぐにまた俺を捕えて静かにそう問いかけてきた。
言い訳の言葉すら浮かばない。なぜこの男に言い訳しようとしているかも分からない。気まずく目を逸らすことしかできなかった。
女は俺の手を引いて竜崎のことをチラチラ見ながら、だぁれと甘えたように聞いてくる。瞬間、竜崎のまとう雰囲気が、ごく僅かに変わったような気がして少し、息をのむ。
「おーい、どした。誰? 友達?」
「てか、あれ? あんたよく宮瀬のこと迎えに来てる……」
先を行っていた四人もぞろぞろと戻ってきた。瀬戸内は竜崎の顔に見覚えがあったらしい。だが言われた方の竜崎は他の人間に興味を示すことなく、真っ直ぐに俺だけを見ていた。
「なあ。何やってんの」
聞き直されても答えられない。できるものならこのまま消えたい。
声は静かなのに、怖かった。竜崎の顔をまともに見ることもできない事こそがその証。
「……俺の、勝手だろ……。どこで何しようがテメエには関係ねえよ」
苦し紛れに言い返した。少々間を置き、竜崎の手が動いた。
女がひっついているのとは逆側の腕。そこをぐっと掴まれ、分らない程度にピクリと俺の肩が揺れた。思わず見る。その目を。強い視線。目の当たりにして一歩下がった。
「あるよ」
「あ……?」
「関係ある」
強引にガッと引き寄せられた。女の腕の中から引き剥がされている。その女もただ驚いたように俺達を見ているだけで何も言わない。
全員の注目が集まっていた。そんなことよりも、ただ、怖い。
「放せ……」
「やってみる価値はあると思った。でも俺には向いてなかった」
「……は……?」
「駆け引きなんてもんはやめだ」
こちらの話など聞く気もなく、俺も言われた事の意味を飲み込めない。
「分かんねえままにしておきたいならそれでもいいよ。だけどな、お前のは……全部行動に出てる」
それだけ俺に告げた竜崎は、他の連中に向かって言い放った。
「悪いな。こいつ連れてくから」
「え?」
思わず、といったように瀬戸内が声を上げた。橘もきょとんとして俺をうかがってくる。
しつこさに関しては竜崎もこの二人もいい勝負なのに肝心なところで役に立たない。そのまま連行されそうになり、はっとして抗った。
「ふざけんなテメエ何様だよッ、俺の勝手だっつってんだろ!」
「ほら、それ。お前今なんで自分が怒ってんのか分かってるか」
「はッ……?」
「それが裕也の答えだよ」
「っ……何言ってんだクソが、放せ!」
道の真ん中で盛大に喚いた。後ろの二人とナンパした女達はざわめきつつもこの様子を見守り、通りを行き交う人々はちらちらと俺達を視界に映していた。
竜崎のこの穏やかな圧力はほとんど強迫と言ってもいい。瀬戸内と橘も普段であれば仲裁のため割って入りそうなものだが、今はしないのではなく、できないのだろう。この男のこの、雰囲気のせいで。
「おいっ……竜崎……ッ」
事情も何も分かるはずのない五人からはだいぶ離れた。それでもなお竜崎は、俺の腕を引いて歩き続ける。
怒っている。それだけは俺にも分かった。いつしか辺りに人気はなくなり、たいした抵抗もできないまま裏道に連れられた。
「放せっ」
「さっきの女と寝る気だった?」
「ッ……」
単刀直入に切り出された。あの女とどうこうなるつもりはなかった。しかししようとしていた事は、その通り。
言葉に詰まる俺を振り返り、そっと肩に手を置かれた。優し気な手つきを裏切るかのように背後のフェンスに押し付けられている。
「あんな女で済ませる気か」
「……っお前が……ッ」
「なんだよ」
ぐっと飲み込む。その先が俺には言えない。当てつけのように女を漁った。この男の顔がいつまでも消えないから。
背後はフェンス。目の前には竜崎。逃げられないのが分かり、目を逸らした。俺の肩の位置ではカシャンとフェンスが鳴った。竜崎の両手に囲い込まれ、距離はさらに縮められた。
「電話」
「……あ?」
「初めて裕也から掛けてきた」
「…………」
「あの時出てたら、お前は今日あいつらと一緒にいたか」
「…………」
気づいていたのか、後から気づいたのか。出なかったのか、出ることができなかったのか。どちらだろう。どちらでもいい。質問に答えず黙っていると、頬にすっと触れられた。
微かにビクつく。おそらくそれに気づいただろうが竜崎は手を止めなかった。そのまま髪に触れ、指先で梳いてくる。
「嫌? 俺に触られんのは」
「…………」
「俺はずっと、裕也のこと抱きしめたくて仕方なかった」
静かに紡いで聞かせてくる。嫌な男だ。ズルい男だ。
ぎこちなく視線を上げ、即座に捕えられて動けなくなる。
「お前が……」
指一本、触れさえしなくなったのに。そこまで声に出しかけ、止まった。指先から伝わる穏やかな感覚が、しっとりと体の中に染み込んでくるようだった。
「……ごめんな。ガキなんだよ。カッコ付けてる余裕なんかねえんだ」
「は……?」
「お前のことになるとどうしていいのか分かんなくなる」
ふっと、微かに笑ったそれは、自嘲だ。この男は時々その顔を見せる。
「怖がらせたかったわけじゃない。でもお前の近くにいると……歯止めもなんも、きかなくなる」
お前がいいと竜崎は俺に言う。あの夜もそう言った。本気で体を強張らせた俺に、そう言って、それ以上は何もしなかった。
「頭冷やそうと思ったのもあるし、押してダメならって魂胆もあった。けどさすがにスマホ鳴った時はキツかったよ。嬉しかった」
「…………」
「電話もらえただけで嬉しくなる。そういう相手が知らねえ女とくっついてたら、こっちだっていい気はしねえよ」
ジリジリと、体の奥が磨り減る。心臓の辺り。削られるような。
「ああいう女が好みか?」
「…………」
「なんであんなのとくっついて歩いてた」
「……お前には……」
「関係ない?」
先に言われて口を閉じた。肯定は簡単なのに、それすらできない。
「昨日一日会わずにいた間に裕也は何を考えてた?」
「なんで、そんなこと……」
「言ったろ。お前のは全部行動に出てる」
「ッ……」
だめだ。奥歯をギリッと噛んだ。同時に握りしめた拳は、竜崎の顔面を殴れなかった。
この男の手に捕えられている。会った当初から何も変わらない。俺とこいつとの力関係だ。カシャンと再びフェンスが音を立て、この腕は押さえつけられていた。
目の前にあるその顔。はっきり目にした。その時にはもう手遅れだった。俺にはこれ以上何一つとして、これを拒む手立てがない。
「っ……」
唇に触れる、身に馴染んだ感触。唇をついばまれて眉根を寄せた。ゆっくり離しながら俺を見てくる、竜崎の目はひどく深い。
「俺とキスしたかった。そうだろ?」
唇が擦れる距離でこの男は言う。顔だけ逸らしたのは最後の足掻きだ。
「触ってほしいって思ってた」
「違う……っ」
「寂しいって思ってる自分に焦ったんだろ」
「違うっ」
「お前は俺に惚れてんだよ」
「ッ違う!!」
「惚れてる。見てれば分かる」
歯を食いしばり、必死に食らい付く。うっかり引き下がってしまわないように。
「嫌いだっ……お前なんか……ッ」
「認めるのがそんなに怖いか」
「……っ」
怖い。違う。違う。怖くなんてない。
「惚れてんだよ。お前は俺に」
「……違う」
「お前だってもう分かってる」
「違う……やめろ……ッ」
「認めろ。お前は俺に惚れてる」
「ちがうッ……」
「違くない」
最後の最後で声が弱くなったその時、体が突如窮屈になった。腕の中だ。きつく閉じ込められた。頭には宥めるように手を回されて、腰を抱いてくる力は強い。
竜崎の腕の中で最初の一回だけはもがいた。そのための腕はすぐ動かせなくなり、元々暗かったこの視界がなぜか薄らとぼやけてくる。
目の奥が熱い。竜崎の体を突っ撥ねているはずのこの手には、全く力が入らない。
「裕也……」
「な、せっ……」
「好きだ」
「……っ」
「……好きだ」
否定しないと。拒絶しないと。必死に思うだけ、無駄だった。
もう耐えきれない。抱きしめられている。こうされたかった。ずっとだ。待っていた。
大嫌いな男を抱きしめ返すのに、これ以上の時間は必要なかった。
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