No morals

わこ

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第一部

26.6-Ⅰ

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「ウチは保険なんかきかねえぞ。全額自己負担覚悟しとけよ」

 元の生活に戻った竜崎に、昭仁さんが冗談のようにそう言ったのはつい先日のことだ。毎晩のツケでかさんだ酒代も払わずにいるような男から、むしり取れる程の金があるとはそもそも思ってはいないのだろうが。
 言われた方も言われた方で、ならば稼いでこなくてはなどとにこやかに軽口で返していた。払う気など毛ほどもない。そんな顔だった事には店中が気づいた。

 はやいものであれから一ヵ月。竜崎の大丈夫も聞き飽きた。
 無駄口を叩くことが特技なくせしてこの男はつまらないところで我慢強い。大丈夫とばかり言い張る野郎を黙らせたのは昭仁さんで、結局はその後十日ほどあの部屋に寝泊まりさせていた。
 十日間。これでも引き延ばした方だ。見え透いた嘘で気丈に振舞っては自分で勝手に完治宣言まで出しそうな勢いだった。
 重傷を負った身であるにもかかわらず、すぐにでも動こうとしていた。そんなバカ野郎を宥めながらせっせと情報を入手してくるのもまた、竜崎の経過観察兼監視をする昭仁さんだった。

 滝川組が辿った末路は昭仁さんの想定通りだ。薬物の売買、その他の違法行為、それらによって得た資金の洗浄。そういった諸々を端緒とした摘発によって数々の余罪も追及を受けている。よくあるトカゲのしっぽ切にはならず、組長を始めとして幹部も一斉に捕まったそうだ。一般の一部メディアにもチラリとだけ取り上げられていた。
 滝川が今回起こしたトラブルは政深会への背信に値する。承認もなく縄張りを広げて上から禁じられた商売に手を出し、挙句に竜崎組若頭への殺意を含めたあの行動。
 連中がしでかしたことは組織の御法度を犯すことでもあった。結果どうなったか。絶縁だ。昭仁さんによればそういう話だった。上から切られた出来損ないの組織がすっからかんになるのも時間の問題。昭仁さんはひどく冷静に、無表情でそうとも付け足していた。

 少なくとも弱体化は免れない。生き残るのは不可能に近い。とは言えいくつかの事務所は残存し、その全てはほどなくして片っ端から壊滅していった。
 物理的な襲撃を受けた組員や事務所もあれば、フロント企業や関連会社が保有する証券だけが狙ったように突如暴落するなど、誰の、あるいはどこの犯行なのかは最後まで明るみに出ることもなくただただ徹底して全てを奪われた。今や影形すらないに等しい。

 昭仁さんはあの組のことを自爆したという評価で終えた。喧嘩を売る相手を完全に間違えた。老舗同士による水面下での長年にわたる衝突と、そこで生じる劣等感を隠したいがために血迷ったのだと。
 俺達がいたあの現場には警察が一斉に踏み込んだようだが、竜崎組の若頭がそこにいたことは察知されていない。竜崎が握った凶器はあそこの床に転がっていたはず。たまたま運よく気づかれなかったのか、よく分からないバーの店主が何かをしたのかは知らないが。





「……テメエいい加減にしろよ」

 物騒な話とはいかにも無縁そうな、いつもと変わりないミオのカウンター。締まりのないこの状況で俺の隣に竜崎がいることも昨日と同じだ。普段通りだ。
 さっきからずっと気持ち悪いくらいの笑顔で俺を見つめているこの男。ひと月前の脆い状態が嘘のように今ではピンピンしている。
 いくらなんでもこれは回復が早すぎる。ニコニコと俺を見ながらこいつは言った。

「眉間超スゴイ」
「うぜぇ……」

 ジロジロジロジロ見やがって。

 昭仁さんによる治療とリハビリの甲斐あって竜崎が驚異的な回復力を見せる中、同時に俺の怪我もそれなりに良くなっていった。昭仁さん観察のもと、左腕のギブスは最近になってようやく取れた。多少の不便を強いられる生活には当然ながら困惑したが、それ以上の問題となったのは食いぶちを繋いでいくことだった。
 掛け持ちしていたバイトはどれも体力勝負の仕事ばかり。切り傷や打撲はともかく、骨に異常をきたした体で力仕事は務まらない。
 適当にフラフラ生きていることにこれまで不安がなかったかと言えばそれは真っ赤な嘘になるが、今回の件で思い知った。体が資本であることについては生き物にとっての共通事項でも、俺みたいな生活をしている人間は一発で詰む危険性がより一段と高い。

 唯一クビを言い渡されなかったのが駅近くの量販店のバイトだ。元々が人手の足りない職場だったためギリギリ残してもらえたにすぎないが。
 いずれにせよ今までの仕事内容では役に立たないのは明らかだったので、俺に新たに与えられた役割は表側の業務。接客全般。
 飲食店のホールに比べればまだいい。飲食店のホールバイトは高校時代に五回ほどクビになった。だから極力接客とは無縁の仕事を選んで生きていたわけだが、現在相手にせねばならないのは段ボールの山でなく生身の人間。さらにもう一つ加えるならばあの店の接客方針は、親切丁寧おもてなし精神で心からの笑顔をお届けします、だ。
 クソかよ。どの店も似たり寄ったりではあるだろうが地獄でしかない。大型チェーン店なんて大嫌いだ。

「その顔で客の前出たらクレームつくだろ」
「うるせえぞクソが」

 眉間の皺が消えなくなりそう。横目で睨みつけてすぐに目を逸らし、グラスをぐぐっと握りしめた。

「どこの客が店員の愛想笑いなんか欲しがるんだ」
「一番向いてねえ仕事だな」
「ほっとけ」

 人事だと思って楽しむんじゃねえ。お前だってこれまでに持っていた仕事は全て失くしたくせに。
 しかしこの男がニートでいたのはほんの少しの間だけ。憎らしいまでに要領がいい。以前のように動けるようになると、すぐに新たな仕事を見つけてきた。無駄にヘラヘラしている人間はこういうときに得だと思う。

「恭介、お前こそ花屋はどうなんだ」
「順調だよ。性に合ってる」
「そりゃよかったな」

 二人のやり取りを耳にしながらげんなりと顔をしかめた。
 竜崎が見つけてきた仕事の一つ。花屋だそうだ。まさかだ。あり得ない。身元の危ういこんな男をどこの花屋が雇うんだ。

「裕也さんの仕事場はそんなにキツイとこなんですか?」
「いや、まあ……。精神的に」

 吐き出した溜め息に気を使ったのか、加賀が新しいグラスを寄越しながら言った。カウンターの内側で昭仁さんの隣に立っている。いつも適当に扱われてきたグラスをせっせと律儀に磨き続けるこいつ。
 あいつだ。竜崎を探していた、あの加賀樹。現在はミオの新入りバイト。

「でも裕也さんが裏方の仕事に就いてるのってもったいなくないですか? せっかくこんなに綺麗なのに。その辺の芸能人なんかよりずっと迫力ありますよ」

 昭仁さんがふき出した。竜崎はうんうんと肯いた。加賀は不思議そうに首をかしげている。この場合誰を睨めばいいんだ。

「……加賀……」
「はい」
「お前な……」
「はい。え?……あ、すみません。俺なにか……」
「…………」

 加賀がこの店に居るのには訳がある。どこから漏れるものなのだろうか、竜崎が重傷を負った事実をこいつもすぐに聞きつけた。
 そこで連絡を取った本人から大事ないということは伝えられたらしいが、居ても立ってもいられなかったのだろう。即刻ミオに駆け込んできた。

 ミオの二階の病室もどきで話し込んでいた二人の様子を昭仁さんもそばで見ていた。加賀の状況は相変わらずで生活に困っているのも同様。竜崎は加賀が店を出ていったあとで昭仁さんに頭を下げて、昭仁さんは二つ返事で承知した。当面住み込みで雇ってやると。
 ここまでの一部始終を俺は加賀から聞いただけだが、竜崎が自分のアパートに戻るのと入れ替わりに加賀はここで居候を始めた。

 カウンター内に立つ加賀はマスコットか何かのように見える。隣の店主が店主なだけに。
 こいつがいれば竜崎もバカな発言を控えるかと思いきや、何も変わることなくヘラヘラヘラヘラと事あるごとに人を苛立たせてくる。今もまたこの野郎はわざとらしい笑顔を向けてきた。

「ほら、コレな。俺のスマイル見習えよ。口角上げて、目元柔らかくして」
「やめろウゼェ」
「手本じゃん。つーかお前もたまには笑えっての。絶対カワイイ」
「頭腐ってんじゃねえのか」

 これだ。さすがの加賀もこんな男には失望以外を抱けないはず。
 などと思ったのは間違いで、俺達のこのやり取りを初めて目にした時そのから加賀の反応はいつも同じ。

「本当に仲がいいですよね」
「…………」

 ニコニコと純粋な顔でこんな一言を投げかけられてしまう始末。

「……昭仁さん。あんた加賀をここに置くって決めたからには教育しろよ。このままじゃどんどん竜崎化してく」

 悪意ゼロパーなヤツの胸ぐらに掴みかかる事はできない。
 加賀に全てを任せっきりで煙草をスパスパ吹かす昭仁さんは、ククッと小さく笑いながら灰皿に灰をトントン落とした。

「いいじゃねえかよ、可愛いタイプの恭介だとでも思えば。ついでにお前も毒されてみろ。笑顔作んのも手慣れるかもしんねえぞ」
「…………」

 頼る相手を間違えた。この店に俺の味方はいない。

「なんなら俺が開いてやろうか? 心からの笑顔お届け講座。今なら嬉しい特典付きな」
「黙ってろこの詐欺師野郎」

 目覚めてくれなんて願わなきゃよかった。
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