No morals

わこ

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第一部

16.4-Ⅱ

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「習慣化したものをやめるってのは難しいだろ。俺の場合一日のシメはやっぱ裕也かなって思うんだよ」
「知んねえよ。俺は何しに来たかって聞いてんだ」
「だから裕也に会いに。純情な……なんだろ。乙女心?」
「いい加減シバくぞてめえッ、セクハラしに来て何が乙女だ!?」
「いやもうほんっと可愛かった。お前のあんな姿見られただけでも来た甲斐があったってもんだな」
「死ねッ。クソがっ。死ねッ!」
「でもさ、やっぱこれはひでぇよ。一人でスッキリするだけしてそれで終わりか? しっかり当たってただろ俺の。すっげえ興奮させられたもん」

 ガゴッと、竜崎の頭に直撃させた。本日二度目のペットボトルによる制裁。この男は狂ってる。



 脱衣所の引き戸を隔ててしょうもない攻防を繰り広げつつ、どうにか着替えを済ませたあとは一向に帰ろうとしない竜崎と部屋の中で言い争っていた。
 お互いの距離は背の低い小さなテーブル一個分。こいつの手さえこっちに届かなければ最低限の防御にはなる。警戒しながら竜崎と向かい合い、帰れ帰れとそれだけを念じる。
 ミオでは俺を遠ざけたくせに。今になって会いに来るな。この野郎の顔を見ていれば見ているほどどんどんイライラが募ってくる。

「……昭仁さんは。今日は泊まりじゃねえのか」
「うん?」
「手伝いだかってときにはお前いつも店泊まってんだろ。つーかなんなんだよあの店は。客閉め出して何してんだ」

 さり気なく、それを口に出した。ずっと気になっていた疑問だ。
 そして竜崎はただ小さく、笑った。人のテリトリーには土足でズカズカ入ってくるのに、自分の領域になると途端に守りに入って立ち入らせない。
 その雰囲気が、気に障る。座ったままテーブルの足をガッと一度蹴りつけた。

「へらへらしてんじゃねえよ。人んち押しかけといてなんだその態度は」
「そんなカッカすんなっての。そうだなじゃあ、キスしてくれたら教え…」
「ブチ殺すぞクソが」

 もう一度蹴りつけたテーブルを竜崎の体にゴンッと当てた。
 簡易型の安いテーブルでは大した打撃も期待できない。案の定こいつはテーブルを両手で押さえておちょくるようにニヤニヤと。

「あっぶねえな、どんだけ凶暴なんだお前。足グセ悪いのは良くねえよ」
「テメエが消えるなら手でも足でも使ってやる。なんも用がねえなら帰れ」

 テーブルを元の位置に戻して自らも座り直したこいつ。答える気もないが帰る気もないらしい。鬱陶しいことこの上ない。
 日付はとっくに変わっている。このままでは図々しいこいつは泊まるなどと言い出しかねない。

「なあ裕也」
「んだよ。帰るなら黙って出てけ」

 座り直したばかりのこいつは、テーブルの横に膝立ちで出てきた。ぐいっと顔を近づけてくる。
 その迫力に押されるまま距離をほとんどゼロにされた俺は、逃げるように後ろに手をついてギリギリまで身を引いた。

「……来るな」
「怖がんなくても何もしねえよ」
「誰が怖がるかっ。テメエのバカがうつんのが嫌なんだよッ」

 座ったままじりじり後ろに下がる。それを圧倒しながら竜崎がにじり寄ってくる。この男に背を向けたらその瞬間に終わりそうだから、立ち上がって逃走するのも賢明な判断とは言えない。
 そうこうしているうちに竜崎の手が伸びてくる。これ以上逃げるなとでも言うように、俺の肩を掴んで捕えた。

「はなせよっ……」
「ここに来たのは本当にただ会いたかったから」
「は……?」

 このタイミングでさっきの質問の答えを返された。
 次にはぐいっと引き寄せられて、こいつの胸に抱きとめられている。

「なんっ……」
「あぁ、やっぱコレだよな。裕也抱きしめないと俺の一日は終わらない」
「っ……ふざけんな!」

 今日はまだ始まったばかりだ。そんなことはどうでもいい。
 頼みの綱のペットボトルを探すが、さっき投げてしまったせいでここからでは手に届かない。俺の足を膝でまたいでいる竜崎は体勢的にも有利だ。

 至近距離から俺の顔を見下ろし、薄く笑みを浮かべたこの男。その笑顔に悪寒が走る。振り上げようとした腕はその前にパシッと掴まれ、その勢いで後ろに押し倒された。
 目の前の光景がガクッと変わる。背中には、硬い床が当たった。

「てっめ……退けよッ、なんなんだよさっきからっ」
「だから会いたかっただけなんだって」
「こんなことしといてまだ言うか!? 普通に会話できねえのかよッ」

 手は左右とも床に縫い留められてしまった。身動きが取れない。人の上に乗っかるこいつは全身の自由を封じ込めてくる。
 よみがえる。さっきの悪夢だ。血の気が引いていくのを感じたが、対照的に竜崎は平然としたまま。

「なんもしねえって。ホントに会いに来ただけだったんだ。でも出迎えがあの格好だし、理性飛ぶじゃん。男なら」
「勝手な勘違いで浮かれてんじゃねえ変態っ」
「でも正直気持ちよかったろ?」
「っ……マジぶっ殺す。はなせッ」

 殴りつける事も蹴りつける事もできず、残ったのは男の意地だけ。効果がないのは分かっていても殺す勢いで睨みつけた。それをこの野郎はニコニコと見下ろす。

「知りたい?」
「ああッ!?」
「昭仁さんがあの店で何してんのか」

 思わず、目元の力が抜ける。瞬間、ニタッと笑ったこいつ。この唇にチュッとキスを落とした。

「情報料」
「っっっ……!」

 憤る俺にはお構いなしだ。
 人の上に乗っかったまま、竜崎は俺を見下ろして言った。

「昭仁さんは寂れたバーのマスターだけど実は副業があって医者も兼ねてる」
「あ……?」
「医師免許あり。診療所は無届け。患者は普通に病院行くのがちょっとはばかられる連中」
「…………は?」

 ついさっきまでふざけていた男から淡々と事務連絡のように告げられる。その顔をポカンと見上げてしまうのも不可抗力と言っていいはず。
 髪をかき上げるようにしてゆっくりと撫でてきた。触れる指先はひどく優しげ。食ってかかるのもついつい忘れる。

「これも隠してて悪かった。できれば関わらねえ方がいいから」

 ならばどうして、突然教える気になった。
 それは聞けないまま竜崎を見上げる。時々見せる、いつもとは違う顔つきだ。最近は頻繁に浮かべるようになっていた。困ったような、その笑い方。
 本人に自覚があるのかは知らない。強くもあるけれど一方でとても弱いようにも思える目で、今は真っ直ぐに俺を見ている。

「もしも何かあったら昭仁さん頼れ。あの人なら絶対に信用できる」
「……なんでそんなこと言うんだ」

 無理に見せられる、笑顔に焦る。だがそれ以上の追及はできない。
 俺の顔の両横に手をついた竜崎の目は、これ以上はもう何も聞くなと言っているようにも見えた。

「なんてな。なあ、やっぱこの距離でなんもしねえとかムリっぽいんだけど」
「……どけ」

 そんなに、冗談で終わらせたいのか。こいつはただ薄く笑うだけ。どけと言いつつ自由になった両手で跳ね除けることすらしていないのに。

「……帰れよ。うちには泊めねえかんな」
「冷てえのな。夜は冷える時季だぞ。風邪ひかないように泊まっていけとかの優しい言葉は?」
「あると思うか」
「ちょっと期待してた」

 一度だけ、額に唇が触れた。ついさっきあれだけのことをしてきた男が、急に子供じみたキスを。

「逃げねえのか」
「逃げりゃやめんのか」
「そう言われるとやめたくなくなる」

 そっと手を伸ばしてくる。手のひらは頬を包んだ。そこからスルスル下へとおりて、喉元を辿った指先は首横のその箇所を軽く撫でた。

「跡……綺麗についてる」
「テメエがやったんだろうが、ふざけやがって」
「もっと付とくか」
「死ね」

 こいつはもう何もしてこない。それが分かった。この顔を見ていれば気づく。

「……どけよ。帰れ」
「お別れのキスくらいあってもよくねえか?」
「よくねえ」
「してくれたら黙って帰る」

 ニコニコとくだらない冗談を言うが、その笑顔は胡散臭い。本当は何を言いに来たんだ。お別れのキスって、どういうことだ。
 床にゆっくり肘をついて、竜崎を押し返しながら上体を起こした。この男の顔を間近から見る。言いたい事があるなら言えばいい。言いたくないなら、仕方がないから、俺もこのまま黙っていてやる。
 その心づもりで目を逸らさず合わせていた俺を、竜崎はどう受け取ったのか。おそらくはきっと気づいているのに、ここでもつまらない冗談で濁した。

「そろそろ俺に惚れる頃だろ」

 滑稽な男を気取る、そうじゃない時のこいつは見飽きた。
 こんな時間に人の家を訪ねて、わざわざ言う事がそんなことかよ。目を合わせたままその胸倉を荒々しくガッと掴んで、自分の方に引き寄せた。

「惚れねえよ。お前なんか、死んでも惚れるか」

 吐き捨て、唇を重ねた。こいつの顔を両手で挟んで、舌で唇を割り裂いてやる。
 竜崎が動かずにいたのは最初だけ。すぐに俺をぎゅっと抱きしめてくる。口の中を舐め合った。
 正気の沙汰ではないけれど、これで正解のようにも思える。腹立たしくて気に食わなくて大嫌いなこの男と、こうしてキスするのは何度目だろう。

「……裕也」

 唇を離すと竜崎の声が熱っぽく俺を呼んだ。
 その胸板を押し返しても、こいつは押さえ留めてこない。腕の中からも簡単に抜け出せた。さっきは散々、人をコケにしたくせに。

「明日も店にいろ」

 いつだったか竜崎から、これと同じような事を言われた。それを今夜は俺が言う。
 この男にとって店に行くのはすでに習慣のようなもの。なのに俺がそう言っても、こいつは頷きもしなかった。

「必ずミオにいろ。テメエの顔面殴りに行ってやる」

 念を押しても竜崎は答えず、ふっと、ささやかに笑っただけ。すぐにその場で腰を上げた。キスの前の約束通りに黙って帰るつもりだろう。
 帰れと言ったのは俺だから、竜崎の後ろ姿をここから眺める。ワンルームの狭い部屋だから玄関まで真っすぐここから見える。

 ドアを開けて出ていく間際に、じゃあなと笑って告げられた。俺が何も答えないうちに、バタンと冷たく無機質な音が室内に響き渡った。
 唇に残った感触だけは、まだ竜崎を覚えている。

「クソバカ……」

 あいつは俺には何も言わない。
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