No morals

わこ

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第一部

10.2-Ⅲ

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 竜崎と並んで酒を飲みながらだらだらとカウンターで過ごした。
 無駄でしかない時間の使い方だ。毎晩ムダなことばかりしている。

 昭仁さんが帰ってきたのはそこから少し経ってから。平気で店を空けていた店主が堂々と扉を開けて入ってきた。その手元を見て俺は唖然。
 パンッパンに膨れ上がったコンビニ袋。それが二つ。中身は全部見事にタバコだ。この人はなにか。死にたいのか。

「昭仁さんまだそんな買い方してんの? コンビニでいくつカートン詰めてくんだよ。店員ビビるから」
「燃料だよ、燃料」

 店内に入って来た時にはすでに咥え煙草だったこの人に、さすがの竜崎も呆れたような顔になって物申した。だが本人は取り合わない。ヘビースモーカーの域を超えている。竜崎のその言い方からして大量購入も毎度のことのようだ。
 肺ヤラれるぞ。早々に死ぬぞ。言いたい。すごく言いたい。言ってやりたい。
 しかし俺に言葉は発せない。身を滅ぼさないようにするためには、しばらくは大人しくしているに限る。さっき見られたあの現場に関してつつかれでもしたら釈明は困難。

 そういうわけで黙っていることを選んだ。何も気にしていない風を装い、グラスの中身をちびちびと減らす。
 そんな俺の目の前では、昭仁さんがビニール袋をガサゴソと言わせ始めた。ここからだと昭仁さんの手元は死角になっていて見えない。しかしその動作から、何かを探しているのは分かる。
 袋の中身は全部煙草だと思っていたのだがどうやら違った。大量のカートンの中から掻き分け、取り出された一冊の雑誌。それをカウンターの上にバサッと置いて竜崎の方に差し出した。

「土産だ。見とけ」

 チラリと横から盗み見る。竜崎は無言でそれを手に取った。
 表紙を一瞬目にしただけだが、どこにでも売っている雑誌だった。その誌名なら俺も知っている。週刊誌にしては珍しく飛ぶように売れているから、という訳ではなく、マイナスイメージが強すぎるためだ。

 三流以下のクソ雑誌。自称ライターが書いているようなゴミみてえなネット記事よりさらに質の悪い情報しか載っていないことで有名なそれ。
 俺も以前バイト先に置いてあったのをパラパラ眺めたことがあったが、扱うネタはことごとく下世話で不愉快な内容ばかり。よくある週刊誌と言えばそれまでだろうが、信憑性はほぼゼロなうえにエゲつなさピカイチとの定評まである。出版業界の業績低迷が叫ばれているこの時代に、どうしてこんなクズ同然の雑誌が生き残っているのか不思議だ。

 紙の無駄遣いと言うべき雑誌をなぜ昭仁さんは竜崎に渡したのか。グラビアページに掲載されている裸の女なんかを目当てに金を支払う人ではないと思うが、竜崎は竜崎で受け取ったそれを無表情に見下ろしていた。
 咥えていた煙草を右手に持ち替えた昭仁さん。灰皿に一度灰を落とし、竜崎に向けて静かに言った。

「出所は確かだ」
「…………」

 竜崎の目元が少しだけ、キツくなったように見えた。その表情の意味も、昭仁さんが言っていることも、俺にはなんのことか分からない。
 堅苦しく険しい雰囲気の、竜崎の横顔を窺った。可愛い子ぶるのも似合わないが、こんな顔もこいつには似合わない。黙ってその様子を見ていると、俺の視線に気づいた竜崎はすぐに小さく笑顔を作った。

 嘘くせぇ。なんだその笑い方は。いつものクソムカつく笑顔よりも数百倍は気に障る。
 丸めた雑誌を手に持ったまま竜崎は腰を上げた。俺より先にこいつが席を立ったことは今までに一度もなかった。

「どこ行くんだよ」

 だからつい、呼び止めている。その様子が気になった。店を出ていくのかと思って、いくらか強めに問いかけていた。
 実際にきっと帰るつもりだった。俺を見下ろした竜崎は珍しく迷った顔を見せ、少しだけ困ったように笑った。しかしそれはほんの数秒。わざとらしくニヤついた表情を即座に作って勝ち気に言った。

「便所だよ便所。それとも一緒に行く? イイコトしてやるよ」
「とっとと行け。二度と戻ってくんな」

 低音で威嚇する俺を鼻で笑い、竜崎は店の奥に歩いていった。イラつく態度はいつも通り。しかしそこにはどこか、無理もあった。

「……なんだあいつ」
「便所だろ」
「……雑誌持って?」
「溜まってたんじゃねえのか」
「…………」

 ここには低俗な男しかいない。

 感じが悪い。週刊誌なんかここで見ればいいのに。そもそもなぜ帰ろうとした。俺があそこで引き止めなければ竜崎は店の外に出て行っただろう。
 なんで避ける。わざわざ、俺を。いつもは自分から来るくせに。
 イライラと酒に口をつけた。向ける相手のいない憤りを舌打ちに変えてやり過ごしたら、昭仁さんがククッと笑った。

「んなカッカすんなって。恭介が相手だとお前はすぐムキになるよな」
「なってねえよッ」

 余計に笑われた。黙るしかない。ガキくさく拗ねる俺がおもしろいのか、昭仁さんは口元を和らげて白い煙を吐き出した。

「そんなに気になるなら聞きゃあいいじゃねえかよ」
「……何が」

 分からない振りでごまかした。しかし相手はこの店主。

「あいつもバカっぽくしてはいるしまあ実際バカなんだろうが、あれでもかなり必死なんだぞ。お前と離れたくねえんだろうよ」
「……意味わかんねえ」
「分かるだろ。熱烈なチューかましてたじゃねえか」
「ッあ、れは……っ」

 ガバッと顔を上げたら昭仁さんと目が合う。年甲斐もなくニヤニヤと、いたずらっぽい目を向けてくるこの人。

「…………」

 昭仁さんに言い訳したところでどうせ墓穴を掘ることになる。
 俺が無言で引き下がると昭仁さんはふっと笑った。竜崎よりもこの人の方がある意味では扱いにくい。

「……ムカツクんだよ。竜崎のくせにこそこそしやがって」
「ははっ。お前らしいよ」
「自分はズカズカ踏み込んでくるのに俺には何も話さねえし、あいつ」
「恭介もあれで色々あるからな。万が一にでもお前を巻き込みたくねえんだろうよ」
「……何に?」

 そこまで言っておきながらそれ以上は口を閉ざした。肝心なところではぐらかされる。ここから先は本人に聞けとでも言いたいのだろう。
 昭仁さんは穏やかな人だ。口は悪いけど怒ったところなんて見たためしがない。浮かべているその表情から真意を読み取るのは難しく、今もまた落ち着き払った態度でただ柔らかく笑っていた。

「ここんとこはお前の迎えに行ってんだってな?」
「え? ああ、うん……」

 話題は急に変えらてしまったが俺もそれにうなずいて返した。迎えに来たあいつと一緒にミオまで歩いてこなければ、あんなクソしょうもない現場を昭仁さんに目撃される事もなかった。

「……昭仁さんがあいつに教えたのが悪いんだかんな。バイト先まで押しかけられてこっちはいい迷惑だよ」
「わりぃ、わりぃ。あんまりしつこく聞いてくるもんだからよ。うるせえから黙らそうと」
「そのために俺を売るな」
「悪かったって。心配してんだよ恭介も」

 また出た。昭仁さんの意味深発言。言うだけ言っておいてこちらの聞きたい事は一切説明してくれないから疑問だけが募っていく。
 じとっと昭仁さんを見上げた。わだかまりを抱えたまま酒を一口流し込む。こんなフェアじゃない状況ばかりを作られる側なのだから、俺だってたまには愚痴の一つくらい零してもばちは当たらないだろう。

「心配とか、いらねえし。だいたいあのバカに付きまとわれてる方がよっぽど危険だっつーの。あのド変態、こっちがちょっとでも油断してると何してくるか分かりゃしねえ」

 男と道を踏み外すつもりはない。あんなのと一緒にいたらこっちまでおかしくなりそうだ。

「あいつのイカレ具合どうなってんだよ。馬鹿なことしか言えねえようにプログラムでもされてんじゃねえのか。喋ってるだけでストレス溜まるしあの野郎の能天気な顔見てると本気で絞め殺してやりたくなってくる。ツラの皮が厚い上に口が達者なんて最悪だろ。合わねえなとは思ってたけどあのバカといたら人生が狂う」
「恭介の悪口だとポンポン出てくんな。お前がそんな喋ってんの初めて見た」
「あれに悪口以外の何が当てはまるんだ」

 しれっと答えたら昭仁さんが吹き出した。飲食業のくせに煙草の灰をはらはらと床に舞い散らしながら、堪え切れない様子で肩を小刻みに震わせている。

「あーったく、恭介をそんなボロクソに言うのはお前くらいだぞ。本人に聞かせてやれよ。大喜びする」
「ヘンタイだからな」
「あんま油断してっとそろそろマジに食われるぞ」
「はぁ? やめろって、昭仁さんまでキモイこと言うなよ」

 どいつもこいつもそんな話ばっかりだ。

「お前にちょっかい出すようになってから結構経つだろ。恭介も欲求不満だろうからな。食われるときは覚悟しとけ」
「何をだよ、男同士だぞ。あり得ねえ」
「キスしてたじゃねえか」
「だからあれはっ……」

 この人はどうしてこう。

「…………あんたもロクな性格してねえな」
「そりゃお互い様ってもんだろ」

 くくっと笑う。なんて嫌な人だ。
 昭仁さんにとどめを刺されて今度こそ何も言えなくなった。

「俺にとばっちりはナシだからな。ほれ、恭介も戻ってきたぞ。ぶん殴んなら俺じゃなくてあっちだ」

 店の奥を指差した昭仁さんにつられ、振り向いて竜崎の姿を捉えた。ところが目にしたその雰囲気は、とてもぶん殴れるようなものじゃない
 いつもは人を不躾なまでにジロジロと見てくる男が、俺には一切目もくれないで元いた場所に腰を下ろした。下世話な見出しコピーを表紙に敷き詰めたつまらない週刊誌をカウンターの上に投げ出し、無言のままグラスを手に取りグイッと八つ当たりのように仰いだ。
 俺達の前で昭仁さんは新しい煙草に火を点けた。ゆっくり吸い込んだ煙を吐き出し、難しい顔の竜崎を見下ろした。

「どうだ。知った顔だったか」
「いいや。分からねえ」
「まあ判別も付かねえよなあれじゃ」
「……クズどもが。時代遅れにも程がある」

 押し殺したような声で唸った。竜崎が見下ろす先には雑誌。不快な週刊誌であることに間違いはないが、それにしたって、この苛立ちよう。
 ここに書かれてある内容は誰もまともに受け合わない。俺はそう思っていた。だが実際にはもしかすると、それだけではないのかもしれない。この二人がくだらないゴシップに踊らされるはずがない。

 竜崎と初めて会った時も、初めてこの場所に座った時も、どこかしらに違和感はあった。薄々は、感じてもいた。
 この店は何かが普通とは違う。昭仁さんも、ここに来る常連達も。俺の隣にいる竜崎も。一般社会とはほんの一枚、見えない程度の隔たりがある。
 俺には知る必要がないとでも言うように、この二人がいつも笑ってはぐらかしてきた。その部分だ。おそらくは、裏の部分。
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