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51.猫にはなんの罪もないⅠ
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「じゃあ駅前に十時集合な」
「了解」
「あ、あと靴下履いてきてね」
「くつした?」
「うん。言われなくても履くだろうけど、入店には靴下の着用必須なんだってさ。素足だと入れないから三百円で販売もしてる」
「へえ」
晃と猫カフェに行くことになった。
一度行ってみたいんだけど男はああいうとこちょっと浮きそう。そう言ったらそんな事ねえよと晃が答え、続けざまにならば行ってみようぜと。
靴下着用は猫を守るためだろうか。気になったから行く前にネコカフェのサイトを見てみたのだが、やはりそうだった。猫さん達と人間の安全を守るための優しい措置だ。
安全管理と生き物への配慮が万全なその店に訪れた日曜日。ビルの一階に入っているようだ。踊り場には看板代わりのポスターが。
ほんわかした可愛らしさが店の雰囲気を期待させてくる。それと同時にきちんとした印象も受けた。
なぜなら扉のど真ん中、とても分かりやすいその位置には入店の際の注意書きがあり、晃が言っていた靴下着用のお願いも一瞬で目に付くようにしっかり案内されている。
最初はカウンターに行くようだ。初来店の客が説明を受けるための場所でもあるそう。
扉を開けて靴箱に靴をしまって、奥にはさらにもう一枚ドア。これも猫の飛び出しを防ぐにはちょうど良さそうな構造だ。その前には除菌スプレーが置いてあり、入室の前に手指の消毒をお願いしますとの丁寧な案内が。これも表のポスターに書いてあった。
カウンターに続くドアを開けると、俺達の前には先客がいた。
おそらくはカップルだろう。その男の方が何やらイライラした態度で、スタッフさんに詰め寄っている。
「だーかーらあ! こっちはそういうの知らなかったんですけど」
「申し訳ありません。素足やストッキングのお客様のご入店はご遠慮いただいておりまして……もしよろしければこちらで靴下の販売も致しておりますので」
「なんですかそれ、欲しくもない物を無理やり買わせるんですか。だいたいこの子履いてますよね。ストッキングじゃなんで駄目なんですか。女ならストッキングくらい普通でしょ」
男性の一歩半後ろで俯き加減になっている女性はストッキングを履いていた。
靴下の着用義務を説明されて気に入らなかったのだろう。その男はさらに食って掛かかり、女性の方は余計に居心地の悪そうな顔。しかし止めに入る気配はない。店員のお姉さんだけがひたすら男性に謝っていた。
「せっかくお越しいただいたのに大変恐れ入りますが、当店の決まりとなっておりまして……」
「決まり決まりってさっきからそればっかですよね」
「恐れ入ります……。猫さんたちの感染症予防などを目的としているところもありますので」
「はあッ? なんですか、俺らが汚いって言いたいんですか」
「いえ、そんな、そういうわけでは……ストッキングに猫さんの爪が引っかかってしまうケースも考えられますので、お客様方に危険がないように……」
「だーかーらーさーっ、ああ、もうほんと話通じねえな。こっちが大丈夫だって言ってんだろ。ケガとかしても別に訴えませんよ」
「いえ……これはお客様方皆様にお願いしておりまして……」
「うーわ、出たよ絶対そう来んじゃん。皆やってるんだからお前らもやれって言いたいんでしょ? それって同調圧力ですからね。やだなあ、こわー。俺このこと拡散しときます」
「いえ、あの……」
「同調圧力が蔓延してる怖い店なんでしょここは。こういうとき声上げるの重要なんで。不快な思いする人がこれ以上増えないように俺がここで食い止めますから」
なんだこの客頭おかしい。内ドアの前で突っ立っていた俺の腕を、その時横から晃が引いた。
「陽向。行こう」
「え?」
小声で言われ、引っ張られ、靴箱の所に戻った。
俺の分も合わせて下に靴を出した晃は、さっさと足を突っ込みながら言った。
「あれ絶対長引く。あの客ヤバそうだし別のとこ行こ。近くに他のネコカフェあるから」
「え、でも……」
「この店が良かった?」
「あ、いや……なんか……」
歯切れ悪く、かと言って何が言えるわけでもないのに、閉めたドアをチラリと振り返った。
そんな俺を見て晃は、さらに冷静な声で続けた。
「仕方ないよ。あのスタッフさんは可哀想だけど間入って逆上されたら俺らが危ない。店にもあの人にも余計な迷惑がかかる」
もっともだ。いささか躊躇いながらもうなずき、まだ生温かい靴を俺も履いた。
外に出て晃が扉をパタンと閉めたその横で、もう一度入り口の案内板を見る。入店時の禁止事項を柔らかい表現で書かれたそれの一箇所。どこからどう見ても分かりやすい場所に、靴下着用必須の項目がある。
ご入店の際には靴下を必ず着用していただきます。お持ちでない方は三百円で販売いたしておりますので、お気軽にお声がけくださいませ。
こんなにはっきりわかりやすく丁寧に書いてあるのを見逃してドアを開けた。初めての方は必ずご覧くださいと書いてあるこの案内ポスターを、あの客は最初から読む気などなかったのだろう。内ドアの真ん前にスプレーがあっても手指除菌なんて絶対してない。
見ていた限りあのスタッフさんの対応に非はなかったと思う。事務的すぎず、強硬でもなく、客とはとても言えないようなあんな無礼な男の言葉にも丁寧に耳を傾けていた。
「次は頭おかしいのがいないとこ行くよ」
「うん……」
それでも俺には何もできない。晃に正論を言わせてしまった俺は、意気地がない上に嫌な奴だ。
どの道あそこで割って入る勇気なんて欠片もない。仮に俺が口を挟んだとしても、あの剣幕で来られたら言い負かされる。
少し前ならもっと割り切れた。割り切れたというか、気にもしなかった。だけど今はもう違う。
比内さんがあの場にいたら、何を思い、何をしただろう。
同調圧力。あの無礼な男はそう言っていた。しかし同調圧力というのは、不合理な均一化に対してするべき批判ではないのか。
不遜な客ときちんとした猫カフェ。どちらが理不尽だったかは火を見るよりも明らかだ。猫カフェに入りたいなら靴下を履いてくださいというとても丁寧なお願いは、同調圧力とは程遠い。
言えない立場の人を上から押さえつけるから気味の悪い同調圧力になる。ならば押しつけたがるのはどんな人間か。
本来なら自分本位の分からず屋にこそ、重い圧力が必要なのに。
「了解」
「あ、あと靴下履いてきてね」
「くつした?」
「うん。言われなくても履くだろうけど、入店には靴下の着用必須なんだってさ。素足だと入れないから三百円で販売もしてる」
「へえ」
晃と猫カフェに行くことになった。
一度行ってみたいんだけど男はああいうとこちょっと浮きそう。そう言ったらそんな事ねえよと晃が答え、続けざまにならば行ってみようぜと。
靴下着用は猫を守るためだろうか。気になったから行く前にネコカフェのサイトを見てみたのだが、やはりそうだった。猫さん達と人間の安全を守るための優しい措置だ。
安全管理と生き物への配慮が万全なその店に訪れた日曜日。ビルの一階に入っているようだ。踊り場には看板代わりのポスターが。
ほんわかした可愛らしさが店の雰囲気を期待させてくる。それと同時にきちんとした印象も受けた。
なぜなら扉のど真ん中、とても分かりやすいその位置には入店の際の注意書きがあり、晃が言っていた靴下着用のお願いも一瞬で目に付くようにしっかり案内されている。
最初はカウンターに行くようだ。初来店の客が説明を受けるための場所でもあるそう。
扉を開けて靴箱に靴をしまって、奥にはさらにもう一枚ドア。これも猫の飛び出しを防ぐにはちょうど良さそうな構造だ。その前には除菌スプレーが置いてあり、入室の前に手指の消毒をお願いしますとの丁寧な案内が。これも表のポスターに書いてあった。
カウンターに続くドアを開けると、俺達の前には先客がいた。
おそらくはカップルだろう。その男の方が何やらイライラした態度で、スタッフさんに詰め寄っている。
「だーかーらあ! こっちはそういうの知らなかったんですけど」
「申し訳ありません。素足やストッキングのお客様のご入店はご遠慮いただいておりまして……もしよろしければこちらで靴下の販売も致しておりますので」
「なんですかそれ、欲しくもない物を無理やり買わせるんですか。だいたいこの子履いてますよね。ストッキングじゃなんで駄目なんですか。女ならストッキングくらい普通でしょ」
男性の一歩半後ろで俯き加減になっている女性はストッキングを履いていた。
靴下の着用義務を説明されて気に入らなかったのだろう。その男はさらに食って掛かかり、女性の方は余計に居心地の悪そうな顔。しかし止めに入る気配はない。店員のお姉さんだけがひたすら男性に謝っていた。
「せっかくお越しいただいたのに大変恐れ入りますが、当店の決まりとなっておりまして……」
「決まり決まりってさっきからそればっかですよね」
「恐れ入ります……。猫さんたちの感染症予防などを目的としているところもありますので」
「はあッ? なんですか、俺らが汚いって言いたいんですか」
「いえ、そんな、そういうわけでは……ストッキングに猫さんの爪が引っかかってしまうケースも考えられますので、お客様方に危険がないように……」
「だーかーらーさーっ、ああ、もうほんと話通じねえな。こっちが大丈夫だって言ってんだろ。ケガとかしても別に訴えませんよ」
「いえ……これはお客様方皆様にお願いしておりまして……」
「うーわ、出たよ絶対そう来んじゃん。皆やってるんだからお前らもやれって言いたいんでしょ? それって同調圧力ですからね。やだなあ、こわー。俺このこと拡散しときます」
「いえ、あの……」
「同調圧力が蔓延してる怖い店なんでしょここは。こういうとき声上げるの重要なんで。不快な思いする人がこれ以上増えないように俺がここで食い止めますから」
なんだこの客頭おかしい。内ドアの前で突っ立っていた俺の腕を、その時横から晃が引いた。
「陽向。行こう」
「え?」
小声で言われ、引っ張られ、靴箱の所に戻った。
俺の分も合わせて下に靴を出した晃は、さっさと足を突っ込みながら言った。
「あれ絶対長引く。あの客ヤバそうだし別のとこ行こ。近くに他のネコカフェあるから」
「え、でも……」
「この店が良かった?」
「あ、いや……なんか……」
歯切れ悪く、かと言って何が言えるわけでもないのに、閉めたドアをチラリと振り返った。
そんな俺を見て晃は、さらに冷静な声で続けた。
「仕方ないよ。あのスタッフさんは可哀想だけど間入って逆上されたら俺らが危ない。店にもあの人にも余計な迷惑がかかる」
もっともだ。いささか躊躇いながらもうなずき、まだ生温かい靴を俺も履いた。
外に出て晃が扉をパタンと閉めたその横で、もう一度入り口の案内板を見る。入店時の禁止事項を柔らかい表現で書かれたそれの一箇所。どこからどう見ても分かりやすい場所に、靴下着用必須の項目がある。
ご入店の際には靴下を必ず着用していただきます。お持ちでない方は三百円で販売いたしておりますので、お気軽にお声がけくださいませ。
こんなにはっきりわかりやすく丁寧に書いてあるのを見逃してドアを開けた。初めての方は必ずご覧くださいと書いてあるこの案内ポスターを、あの客は最初から読む気などなかったのだろう。内ドアの真ん前にスプレーがあっても手指除菌なんて絶対してない。
見ていた限りあのスタッフさんの対応に非はなかったと思う。事務的すぎず、強硬でもなく、客とはとても言えないようなあんな無礼な男の言葉にも丁寧に耳を傾けていた。
「次は頭おかしいのがいないとこ行くよ」
「うん……」
それでも俺には何もできない。晃に正論を言わせてしまった俺は、意気地がない上に嫌な奴だ。
どの道あそこで割って入る勇気なんて欠片もない。仮に俺が口を挟んだとしても、あの剣幕で来られたら言い負かされる。
少し前ならもっと割り切れた。割り切れたというか、気にもしなかった。だけど今はもう違う。
比内さんがあの場にいたら、何を思い、何をしただろう。
同調圧力。あの無礼な男はそう言っていた。しかし同調圧力というのは、不合理な均一化に対してするべき批判ではないのか。
不遜な客ときちんとした猫カフェ。どちらが理不尽だったかは火を見るよりも明らかだ。猫カフェに入りたいなら靴下を履いてくださいというとても丁寧なお願いは、同調圧力とは程遠い。
言えない立場の人を上から押さえつけるから気味の悪い同調圧力になる。ならば押しつけたがるのはどんな人間か。
本来なら自分本位の分からず屋にこそ、重い圧力が必要なのに。
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