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45.戻ってきた黒傘Ⅱ
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痛いくらいに西日の差すアパートで、まだ母さんと暮らしていた頃だった。
雨が降ってきた日の、昇降口。灰色の空を見上げて悲しそうな顔をしている女の子の姿があった。
ふんわりと綺麗に巻いた髪を気にしているようだった。憂鬱そうに溜め息をついていた。恋愛ドラマのワンシーンみたいなその光景を目にして咄嗟に、疎ましい。そう思った。一瞬で湧き上がってきたのはイラ立ち。
雨に濡れる程度の事でお前はそこまで不幸になれるのか。なんだその顔は。なんだその溜め息は。悲劇のヒロイン気取りかよ鬱陶しい。
「あの」
我慢ならず声をかけた。その時はまだ名前も知らない女子だった。それでも立っていた位置からして同じ一年なのだと想定はできた。
昇降口の真ん中は三年。右側は一年、左側は二年。この学校の靴箱の並びはどうしてなのか不思議な配置だ。
差し出した黒い傘。キョトンとした、悲劇のヒロイン気取りの女。
「これ、よかったら使ってください」
「え?」
「たぶんしばらく雨止まないと思うから」
「え、あ……でも……」
「俺はなくても平気なんで」
困惑する可愛らしい女の子に、真っ黒くて武骨な折り畳み傘を渡した。さらにキョトンとされ、驚かれ、それを無視してほとんど押し付けるように可愛くない傘を置いてきた。
ひさしの下から飛び出ればすぐに濡れる。制服は瞬く間に色を変えた。
緩くフワッと巻いた髪を濡らしてしまうのがそこまで嫌なら、そんな傘お前にくれてやる。俺がこの傘を貸すことによって目障りなものが一つ消えてなくなる。お釣りがくるほどに清々しい。
傘を貸したのはそんな理由だった。哀れな女の子を助けたわけじゃない。ただただどうにも、目障りだった。
鬱陶しい雨に打たれながら走った。アスファルトを踏みつける足元では派手に泥水を跳ねさせながら、吐き捨てるように笑ったあの日の自分を、傘を返されて思い出した。
あれはどちらかというと嫌な記憶だ。どちらかというより、完全に嫌な記憶だ。あの辺りの全ての状況を含め、なるべくなら思い出したくなかった。
そうやって見ず知らずのなんの罪もない女子に対して一方的に募らせた嫌悪感。ギスギスとすさんだあの時の心境が、その子の印象を損ねさせた。それが残ったままになっていた。
隣のクラスの堀口さん。最初の委員会でそれぞれ自己紹介をした時にその認識だけは持った。けれど堀口さんというその人が、あの時の不愉快な女子だとはサッパリ思っていなかった。
顔をまともに見ることもせずに傘を押し付けたのだろう。歪んでいた。心の底から。見るもの全てに嫌気がさしていた。それくらい、全く、余裕がなかった。
蓋を開けてみれば堀口さんは礼儀正しい女の子。明るくてちゃんとしている。ホテルの配膳バイトも頑張っている。ハキハキしていてフットワークも軽そうだからバイト先でもよく働くのだろう。
とは言え最初に抱いた印象というものはなかなか覆すのが難しい。あの時のことを一度思い出してしまえば、マイナスイメージで埋め尽くされる。
傘を持っていなかった女子。髪を可愛く巻いていた女子。
当時はそれだけの情報しかなかった。にもかかわらず勝手な不快感を抱いた。その印象は、今さら破棄できない。
なんで美化委員になんてなってしまったのか。一番楽らしいというのを晃に聞いて、それをジャンケンで勝ち取ったからだ。ちなみに晃も同じくジャンケンで勝ったため、委員会の隣の席には最初の時も晃が座っていた。
傘を返すタイミングを逃していたとあの子は言った。俺が晃とずっと喋っていなければもう少し早くに返されていたのかもしれない。
委員会と言っても四半期に一度の定例集会があるくらいだし、全校集会で何か言わなきゃならないのは委員長くらいだし。
特にやる事はこれと言ってない。清掃週間に適当な呼びかけをしたりしなかったりする程度。
でも気まずい。気が重い。本当になんで美化委員になんて。
どう言って断ろう。長谷川さんは付き合っちゃえと言うが、その方法は候補から最も外したい。かと言って無難な返答は思いつかない。
他に好きな人がいるなどと適当な嘘をつくのも心が痛むし。だが他に誰もいないのに相手の告白を断るというのは、お前が気に食わないと言っているのとほとんど同じになるなのでは。実際に第一印象は気に食わなかったが、一つも罪のない女の子相手にその返答はあんまりだ。
もしもこれを比内さんに相談していたら、あの大人はなんて答えただろう。
「…………」
少々考え、すぐに無になる。俺は多分いま遠い目をしている。
嫌いなら嫌いと言ってやればいいだろ。
この場合のアドバイスとして最も相応しくないであろう返答をシレッとブン投げてくる比内さんが当たり前のように頭に浮かんだ。
相談はしないでおこう。こういうのは自分でどうにかするしかない。
雨が降ってきた日の、昇降口。灰色の空を見上げて悲しそうな顔をしている女の子の姿があった。
ふんわりと綺麗に巻いた髪を気にしているようだった。憂鬱そうに溜め息をついていた。恋愛ドラマのワンシーンみたいなその光景を目にして咄嗟に、疎ましい。そう思った。一瞬で湧き上がってきたのはイラ立ち。
雨に濡れる程度の事でお前はそこまで不幸になれるのか。なんだその顔は。なんだその溜め息は。悲劇のヒロイン気取りかよ鬱陶しい。
「あの」
我慢ならず声をかけた。その時はまだ名前も知らない女子だった。それでも立っていた位置からして同じ一年なのだと想定はできた。
昇降口の真ん中は三年。右側は一年、左側は二年。この学校の靴箱の並びはどうしてなのか不思議な配置だ。
差し出した黒い傘。キョトンとした、悲劇のヒロイン気取りの女。
「これ、よかったら使ってください」
「え?」
「たぶんしばらく雨止まないと思うから」
「え、あ……でも……」
「俺はなくても平気なんで」
困惑する可愛らしい女の子に、真っ黒くて武骨な折り畳み傘を渡した。さらにキョトンとされ、驚かれ、それを無視してほとんど押し付けるように可愛くない傘を置いてきた。
ひさしの下から飛び出ればすぐに濡れる。制服は瞬く間に色を変えた。
緩くフワッと巻いた髪を濡らしてしまうのがそこまで嫌なら、そんな傘お前にくれてやる。俺がこの傘を貸すことによって目障りなものが一つ消えてなくなる。お釣りがくるほどに清々しい。
傘を貸したのはそんな理由だった。哀れな女の子を助けたわけじゃない。ただただどうにも、目障りだった。
鬱陶しい雨に打たれながら走った。アスファルトを踏みつける足元では派手に泥水を跳ねさせながら、吐き捨てるように笑ったあの日の自分を、傘を返されて思い出した。
あれはどちらかというと嫌な記憶だ。どちらかというより、完全に嫌な記憶だ。あの辺りの全ての状況を含め、なるべくなら思い出したくなかった。
そうやって見ず知らずのなんの罪もない女子に対して一方的に募らせた嫌悪感。ギスギスとすさんだあの時の心境が、その子の印象を損ねさせた。それが残ったままになっていた。
隣のクラスの堀口さん。最初の委員会でそれぞれ自己紹介をした時にその認識だけは持った。けれど堀口さんというその人が、あの時の不愉快な女子だとはサッパリ思っていなかった。
顔をまともに見ることもせずに傘を押し付けたのだろう。歪んでいた。心の底から。見るもの全てに嫌気がさしていた。それくらい、全く、余裕がなかった。
蓋を開けてみれば堀口さんは礼儀正しい女の子。明るくてちゃんとしている。ホテルの配膳バイトも頑張っている。ハキハキしていてフットワークも軽そうだからバイト先でもよく働くのだろう。
とは言え最初に抱いた印象というものはなかなか覆すのが難しい。あの時のことを一度思い出してしまえば、マイナスイメージで埋め尽くされる。
傘を持っていなかった女子。髪を可愛く巻いていた女子。
当時はそれだけの情報しかなかった。にもかかわらず勝手な不快感を抱いた。その印象は、今さら破棄できない。
なんで美化委員になんてなってしまったのか。一番楽らしいというのを晃に聞いて、それをジャンケンで勝ち取ったからだ。ちなみに晃も同じくジャンケンで勝ったため、委員会の隣の席には最初の時も晃が座っていた。
傘を返すタイミングを逃していたとあの子は言った。俺が晃とずっと喋っていなければもう少し早くに返されていたのかもしれない。
委員会と言っても四半期に一度の定例集会があるくらいだし、全校集会で何か言わなきゃならないのは委員長くらいだし。
特にやる事はこれと言ってない。清掃週間に適当な呼びかけをしたりしなかったりする程度。
でも気まずい。気が重い。本当になんで美化委員になんて。
どう言って断ろう。長谷川さんは付き合っちゃえと言うが、その方法は候補から最も外したい。かと言って無難な返答は思いつかない。
他に好きな人がいるなどと適当な嘘をつくのも心が痛むし。だが他に誰もいないのに相手の告白を断るというのは、お前が気に食わないと言っているのとほとんど同じになるなのでは。実際に第一印象は気に食わなかったが、一つも罪のない女の子相手にその返答はあんまりだ。
もしもこれを比内さんに相談していたら、あの大人はなんて答えただろう。
「…………」
少々考え、すぐに無になる。俺は多分いま遠い目をしている。
嫌いなら嫌いと言ってやればいいだろ。
この場合のアドバイスとして最も相応しくないであろう返答をシレッとブン投げてくる比内さんが当たり前のように頭に浮かんだ。
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