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33.仕事後のごはんⅠ
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「それ終わったらこっちの入力もお願い」
「はい」
「あっ、そうだあと冷蔵庫にプリンあるよ。陽向くんの分残ってるから食べて」
「ありがとうございます。朝比奈先生ですか?」
「うん。昨日陽向くんが帰った後に持ってきてくれたの」
仕事量が多いからといって殺伐とした空気感はない。作業の合間にプリンの連絡が飛んでくるような働きやすい事務所だ。
七瀬さんが仕事の手を止めることはないが、雑談はしばしば自然に挟まれる。
「最近話題になってるお店で実はちょっと気になってたんだ。さすがは朝比奈先生って感じ」
「いつもオシャレなのくれますよね」
「必ずトレンドまで押さえてて絶対に外さないからね」
「かと言って無理してる感はないのがカッコいいです」
「わかるー。背伸びしてるオジサンとは違うんだよ」
「たぶん素で紳士なんだろうなって」
「丁寧で気取ってなくて物腰もやわらかいし」
「患者さんからも人気高いんでしょうね」
「そりゃもう凄いよ。先生のこと嫌いな人なんていないよ。老若男女から好かれてる」
朝比奈先生みたいな人の事を世間ではなんと言うのだったか。よさげな言い方が確かあったはず。位の高いお坊さんみたいな。ああ、そうだ。人徳者だ。
先生の診療所では木曜午後を休診にしている。医者が木曜日に学会やらセミナーやらに赴くというのは本当のようで、朝比奈先生も定期的に知識を更新しに行くらしい。あとは近辺の小学校の検診やなんかにも。俺の周りにいる弁護士さんとお医者さんには休みなんてあってないようなものだ。
今日は金曜。昨日俺が帰った後に差し入れを持ってきてくれたということは、たぶんまた勉強会か何かに行ってきたのだろう。
少し前にも生地がサクサクのシュークリームをお土産に持ってきてくれた。その時広いエントランスにてお土産を受け取ったのがたまたま俺で、その時たまたま比内さんがエントランスの前を通りかかって、俺が持っていた白い箱と朝比奈先生の顔を交互に見ながらはっきりとした口調で言った。相変わらず暇そうだなジジイ。
ちょっとした挨拶もすっ飛ばして開口一番吐き捨てた比内さんに、お前は相変わらず口が悪いなと静かに返した朝比奈先生。人徳者は穏やかな笑顔だったが、それがむしろ俺には怖かった。
ところで比内法律事務所は外観も内装もシンプルで落ち着いている。小洒落ていて怖くなさそうな歯医者さんのように見えなくもないが、もちろん中に入っても診察台はない。
事務室と会議室と応接室が、建物の中央に連ねるように配置されている。その周りをぐるっと一周通路で囲んでいる間取りだ。比内さんたちの執務室は建物の南側にある。
相談や依頼に来た人たちは、北側のエントランスから入ってそのまま応接室か会議室に通される。応接室のゆったりしたソファーの前のテーブルと会議室の長机の上には小さなバスケットが置いてあり、そこに飴玉を補充するのも俺のささやかな役割だ。
来客がそんなになかったはずの日もアメの減りが激しい原因は中川さんだと先日判明した。
頭を使った後は糖分が必要になるんだよ、とは本人の談。脳のエサとしての糖分であっても味覚的な好みはあるようで、パイナップル味が特にすぐなくなる。今日はそのパイン味のアメもきちんと補充しておいた。
七瀬さんがファイルを手にしながら腰を上げたちょうどその時、事務室の中に響いたのはピンポンという軽い音。
ここのエントランスにお喋りロボットはいないが、代わりにインターフォンが設置してある。このあとまたクライアントが来るということは俺も聞いていた。
「ごめん陽向くん、これ有馬先生に渡してきてくれる?」
「分かりました」
そう言って手渡されたファイル。七瀬さんは事務室内の東側のドアから一人で出ていった。俺は南側のドアを開け、有馬先生にファイルをお届け。
さっきまで収集していた判例だろう。七瀬さんの仕事はすごく早い。正確さにも定評がある。
秘書業務もこなす七瀬さんは、いつも完璧に頭に入っている弁護士三人分のスケジュールに合わせてテキパキと行動する。
指示があればそれぞれの執務室に依頼人を直接案内する場合もある。しかし基本的には応接室か会議室だ。会議室はこの事務室と隣接しているが、分厚い窓一枚で隔たれている。ブラインドカーテンが目隠しになるため来客がある際はそこを閉めておくのが通常。
ついさっきも七瀬さんに言われて閉めに行った。テーブルの上には小さなノートパソコンが置いてあった。
それは七瀬さんのだ。面談内容の記録のために七瀬さんが同席することは良くある。
事務所の人以外の誰かが来ているとき、俺はおとなしく引っ込んでおく。ブラインドが閉まっていれば事務室の中がお客さんの目に触れることはない。だから俺はここからは動かない。
幅の広い壁を挟んでエントランスの西側に位置する給湯室は、通路から死角になっている。そのためそこから一歩も出ずに相談者が帰るのを待つこともある。
お茶の用意くらいまではしておく。しかしそれをお客さんにお出しするのは、学生服を着たガキじゃない。
「はい」
「あっ、そうだあと冷蔵庫にプリンあるよ。陽向くんの分残ってるから食べて」
「ありがとうございます。朝比奈先生ですか?」
「うん。昨日陽向くんが帰った後に持ってきてくれたの」
仕事量が多いからといって殺伐とした空気感はない。作業の合間にプリンの連絡が飛んでくるような働きやすい事務所だ。
七瀬さんが仕事の手を止めることはないが、雑談はしばしば自然に挟まれる。
「最近話題になってるお店で実はちょっと気になってたんだ。さすがは朝比奈先生って感じ」
「いつもオシャレなのくれますよね」
「必ずトレンドまで押さえてて絶対に外さないからね」
「かと言って無理してる感はないのがカッコいいです」
「わかるー。背伸びしてるオジサンとは違うんだよ」
「たぶん素で紳士なんだろうなって」
「丁寧で気取ってなくて物腰もやわらかいし」
「患者さんからも人気高いんでしょうね」
「そりゃもう凄いよ。先生のこと嫌いな人なんていないよ。老若男女から好かれてる」
朝比奈先生みたいな人の事を世間ではなんと言うのだったか。よさげな言い方が確かあったはず。位の高いお坊さんみたいな。ああ、そうだ。人徳者だ。
先生の診療所では木曜午後を休診にしている。医者が木曜日に学会やらセミナーやらに赴くというのは本当のようで、朝比奈先生も定期的に知識を更新しに行くらしい。あとは近辺の小学校の検診やなんかにも。俺の周りにいる弁護士さんとお医者さんには休みなんてあってないようなものだ。
今日は金曜。昨日俺が帰った後に差し入れを持ってきてくれたということは、たぶんまた勉強会か何かに行ってきたのだろう。
少し前にも生地がサクサクのシュークリームをお土産に持ってきてくれた。その時広いエントランスにてお土産を受け取ったのがたまたま俺で、その時たまたま比内さんがエントランスの前を通りかかって、俺が持っていた白い箱と朝比奈先生の顔を交互に見ながらはっきりとした口調で言った。相変わらず暇そうだなジジイ。
ちょっとした挨拶もすっ飛ばして開口一番吐き捨てた比内さんに、お前は相変わらず口が悪いなと静かに返した朝比奈先生。人徳者は穏やかな笑顔だったが、それがむしろ俺には怖かった。
ところで比内法律事務所は外観も内装もシンプルで落ち着いている。小洒落ていて怖くなさそうな歯医者さんのように見えなくもないが、もちろん中に入っても診察台はない。
事務室と会議室と応接室が、建物の中央に連ねるように配置されている。その周りをぐるっと一周通路で囲んでいる間取りだ。比内さんたちの執務室は建物の南側にある。
相談や依頼に来た人たちは、北側のエントランスから入ってそのまま応接室か会議室に通される。応接室のゆったりしたソファーの前のテーブルと会議室の長机の上には小さなバスケットが置いてあり、そこに飴玉を補充するのも俺のささやかな役割だ。
来客がそんなになかったはずの日もアメの減りが激しい原因は中川さんだと先日判明した。
頭を使った後は糖分が必要になるんだよ、とは本人の談。脳のエサとしての糖分であっても味覚的な好みはあるようで、パイナップル味が特にすぐなくなる。今日はそのパイン味のアメもきちんと補充しておいた。
七瀬さんがファイルを手にしながら腰を上げたちょうどその時、事務室の中に響いたのはピンポンという軽い音。
ここのエントランスにお喋りロボットはいないが、代わりにインターフォンが設置してある。このあとまたクライアントが来るということは俺も聞いていた。
「ごめん陽向くん、これ有馬先生に渡してきてくれる?」
「分かりました」
そう言って手渡されたファイル。七瀬さんは事務室内の東側のドアから一人で出ていった。俺は南側のドアを開け、有馬先生にファイルをお届け。
さっきまで収集していた判例だろう。七瀬さんの仕事はすごく早い。正確さにも定評がある。
秘書業務もこなす七瀬さんは、いつも完璧に頭に入っている弁護士三人分のスケジュールに合わせてテキパキと行動する。
指示があればそれぞれの執務室に依頼人を直接案内する場合もある。しかし基本的には応接室か会議室だ。会議室はこの事務室と隣接しているが、分厚い窓一枚で隔たれている。ブラインドカーテンが目隠しになるため来客がある際はそこを閉めておくのが通常。
ついさっきも七瀬さんに言われて閉めに行った。テーブルの上には小さなノートパソコンが置いてあった。
それは七瀬さんのだ。面談内容の記録のために七瀬さんが同席することは良くある。
事務所の人以外の誰かが来ているとき、俺はおとなしく引っ込んでおく。ブラインドが閉まっていれば事務室の中がお客さんの目に触れることはない。だから俺はここからは動かない。
幅の広い壁を挟んでエントランスの西側に位置する給湯室は、通路から死角になっている。そのためそこから一歩も出ずに相談者が帰るのを待つこともある。
お茶の用意くらいまではしておく。しかしそれをお客さんにお出しするのは、学生服を着たガキじゃない。
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