たとえクソガキと罵られても

わこ

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29.新学期Ⅱ

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「新学期早々何をしに来たんだお前は。道草食ってねえで家に帰れ」
「なんでダメなんですか?」
「黙れ。頭になんでって付く質問には大抵ロクなもんがねえ」
「どうしてダメなんですか?」

 ギロリと睨まれた。やめておくんだった。この大人は煩わしいのが嫌いだ。

「とにかく帰れ。お前を雇うつもりはない」
「自立しろって前に比内さんが言いました」
「それとこれとは、」
「同じ話です」

 遮ったらまたギロッと睨まれた。うっと怯みそうになるも、堪える。俺も比内さんの顔を見返した。

「ここで働かせてください」
「……お前んとこの学校は原則バイト禁止だろ」
「原則は禁止ですけど許可取れるのもあります。なのでもう取ってあります」
「あぁ?」

 そう言われると思っていたから先手は打ってある。ちゃんと話したし嘘も言っていない。法律事務所でバイトしたいですと申し出たら担任はポカンとしていた。

「……認められたのか」
「はい」
「……本当か」
「本当です。許可証提出しろって言われたのでサイン欲しいです。ください」
「…………」

 そのとき担任から渡された用紙も一応ここに持ってきてある。
 それを見せた。比内さんの眉間は分かりやすくクイッと寄った。

「お前そんな積極的だったか。どっから出てきたんだよその行動力は」
「すみません」
「……そもそも良く許可が下りたな。法律事務所でバイトしたいなんて言ってくる生徒いねえだろ」
「将来こっちに進みたいって言ったら割と簡単にオッケー貰えました」
「ああっ?」

 どうしても許可を得てバイトしたいなら担任にはそう言ってみろ。
 助言をくれたのは晃だった。想定以上にうまくいったが、比内さんは呆れ顔。

「テメエはまた……」
「嘘はついてないですよ」
「……法曹目指してんのか?」
「いえ。でも今後それが希望する進路の一つになる可能性はゼロじゃないかと」
「…………」

 視野は広げた方がいいかなって。

「……屁理屈こねやがってこのガキ」
「でも……」
「でもはやめろ」

 バッと許可証をぶんどられた。比内さんはそれを机に持って行き、カリカリとペンを走らせている。

 なんやかんやあって後見人がいてその人が代表の弁護士務所です。そこでバイトしながら将来を考えたいと思います。
 そんなふうに担任にはいい子ぶって話した。怪訝そうな顔をしながらもサインもらって来いと言われて許可証を渡された、それがその紙。窺うように俺が近寄ると比内さんが体ごと振り返った。

「言っておくがお前にできる事なんて雑用しかねえぞ。小間使いだからと言って適当な仕事をするのも一切認めねえ。役に立たねえと判断したら即刻クビだ」
「それじゃあ……」
「浮かれるな。多少だろうと学校の成績落とした場合にも解雇する。その際に弁明の余地はない。テメエの本分もまともにこなせねえような無能はこの事務所に必要ねえからな」

 これが三日で従業員を逃げ出させる雇い主の物言いだ。俺はだいぶ聞き慣れたから想定の範囲内だ。
 胸元にバシッと突き付けられた紙。俺の手に戻った許可証。保護者同意欄と採用者側の記入欄には几帳面な筆跡のサインが入っている。

「時間外労働禁止。お前は必ず十八時までに上がれ」
「は、はいッ」
「指示は基本的に俺が出す。それ以外は七瀬から。有馬と長谷川の用があれば都度応じろ。中川のは聞かなくていい」
「はいッ」
「定期テストその他の試験の二週間前からはバイト厳禁」
「はいッ!」
「それまで続いていればの話だが」
「あ……はい。がんばります」

 三日で切られないように気をつけないと。

 たとえ俺の精神が大丈夫でも、なんの知識も経験もないガキが戦力になれるとは思っていない。それでも日々のちょっとした手間を引き受けることくらいはできる。
 アシスタントが足りていないと中川さんは言っていた。三人の弁護士のアシスタント業務にあの二人が集中できるように、その他の仕事で俺にできることがあるなら多少の役には立つかもしれない。
 思ったそれは今許された。今日から比内さんは俺の雇い主だ。

「比内さん。あ……比内先生」

 俺の雇い主は途端にピクッと物凄く嫌そうな目を向けてきた。

「お前はそんな呼び方するな」
「雇ってもらう訳ですし……」
「お前はいい。普通に呼べ」

 いいのだろうか。みんなはそう呼んでいるのに。本人でありなおかつ事務所の一番偉い人がそう言うのだからそれでいいのだろうけれど。
 なんとも言えず顔を見合わせていると、比内さんは軽くため息をついた。

「……元々好きじゃねえんだよ」
「え?」
「俺が先生と呼ばれるような品行方正な人間に見えるか」
「いえ……」
「あぁっ?」
「あ、いえ……」

 チッ、と舌打ちされた。どう答えりゃ良かったんだ。
 理不尽な苛立ちに俺が黙ると比内さんはさらに顔をイラっとさせた。この大人は心の底から煩わしいのが大嫌いだ。最終的には面倒になったのか、鬱陶しそうな目で俺を見下ろした。

「まあいい。物好きを一人雇ったと思うことにする」
「よろしくお願いします」
「ああ。とりあえず今日は帰れ。細かい事はまた明日…」

 バァンッッッ、とその時開かれたドア。外から飛び込んできたのは中川さん。
 両腕をバッと天井に向け、天に向かって叫ぶかのように。

「ッッいっっえーいッッッ、念願のバイトくんゲェェエット!!!!」
「うるせえぞ中川」

 絶叫とは対極にある冷静さでもって比内さんは一言放った。カツカツと椅子に戻る最中、視線をチラリと向けてやることすらしない。
 しかし中川さんは気にしていなかった。この人もまた比内さんの態度には一切目を向けることもなく、俺の両手をガッチリつかんでブンブン上下に揺さぶってくる。

「よろしくねー陽向。俺のことは中川先生って呼んでもいいよ。あと俺の用事も聞いてくれると嬉しいな」
「聞かなくていい。それとそいつのことはクソゴミ虫野郎と呼べ。俺が許す」
「だから許すなってのそんなこと」
「黙れこのクソゴミ虫が。うちのガキに気安く触るな」
「独り占めすんなよ心狭いな」
「うるせえ死ね」

 どんな暴言を投げつけられても中川さんは全然気にしない。俺の腕をひとしきりぶん回した後は、バレエダンサーのごとくクルクル回って謎の舞を披露しながら珍しく自らドアへと向かった。

「じゃあね陽向。中川先生はこのあとちょっとご用事があるので明日からどうぞよろしく!」

 軽やかにヒラヒラ俺に手を振り、パタンと閉められた部屋のドア。
 すでに手元のファイルを開いて仕事を再開させている比内さんは、淡々と無感情に言った。

「恐ろしいと思わねえか。あんな頭の狂った野郎がこのあと他人の法律相談に乗るんだぞ」
「…………」

 イメージしていた弁護士事務所とは、ここは確かにかけ離れている。
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