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20.ダメな大人の見本
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ランドセルを背負っていた俺にとって、制服を着た中学生は立派な大人に見えていた。ランドセルを卒業して憧れの制服をまとってみると、全然そんな事はなくてまだまだガキだと自覚した。ならば高校に進学すれば、今よりは大人に近づけるのか。一日でも早く大人になりたい。そう考えていた。あの時は。
現在の俺は十六歳。高校生にはなれたけど、大人になるには全然遠い。十代のうちに大人に近づける自信は正直これっぽっちもない。
十八になったら。ハタチを超えたら。無事に就職できたらその時は。
いつから大人か。そもそも大人とは。子供との境界は一体どこに。辞書を引けば形式的な答えはあるけど真の定義は難しい。
身近にこういう人達がいるから、余計に俺の疑問は募る。
「いやー、たまにはこういうのもいいよねえ。気分転換にもなるしさ。なんかこうやって三人で歩いてると家族水入らずって感じじゃない?」
「ふざけんな。テメエと家族になるくらいなら俺は今すぐ死を選ぶ」
「ひっどいなぁ。なんだいその言いぐさは。いつもお世話になってる俺にちょっとくらいは愛情持ちなよ」
「黙れクソが。クローゼットの片隅にでも収納されろ」
「何そのクローゼットの収納力」
家具屋にやってきた。ベッドを見にきた。比内さんに連れてきてもらったら、なぜか中川さんもついてきた。
どうして中川さんがいるんだろう。タイミングを見計らったかのようにマンションへとやってきたこの人は、比内さんがエンジンをかけた車に颯爽と乗り込んでいた。そこからは後部座席でずっと何かしら騒ぎたて、目的の店に入った今もひたすら賑やかに喋っている。
「俺もついでに買ってこうかなー。実はずっとソファーベッド探してたんだよ。最近ベッドよりソファーで寝ちゃう事の方が多くてさ。雇用主に酷使されてるせいで家帰るともうヘトヘトだからね。そんな可哀想な俺をどう思いますか比内くん」
「知るか」
比内さんは超絶不機嫌。中川さんの姿を見てからずっと眉間を寄せたままだ。中川さんが一言喋ると比内さんの顔が比例して険しくなる。
「騒ぐなら帰れ。付いて来るなら黙ってろ。そもそもなんだってお前がここにいるんだ」
「こんな怖いおっさんと二人きりじゃ陽向が可哀想だからに決まってんでしょー」
比内さんの眉間にイラッと縦筋が浮かび上がった。
中川さんはそれをスルー。比内さんをおちょくるのに飽きたのか、今度は俺に向かってチョイチョイと軽く手招きしてきた。
「ひなたひなたー。これはー?」
指さされたシングルベッド。横のミニボードには一等強気な価格が掲示されている。冗談だろ。
俺にこれはと聞いておきながら中川さんは自分でベッドにダイブした。バフッと柔らかい音が立つ。
店のサービス精神によってご自由にお確かめくださいとのコメントが値段の下には書いてある。確かにそう書かれているけど、一般的な大人ならば間違ってもダイブはしない。
「うーわーめっちゃいいフカフカむしろこれ俺がほしいんだけどヤベぇ。このベッド買ってもらったら?」
「いえあの、やっぱ俺……」
「いいから贅沢しちゃいなって。そこのおじさんがお金出してくれるから何も心配いらないよ」
「テメエが言うな」
比内さんがバコッと蹴り飛ばしたのはベッドのそばに脱ぎ散らかされていた革靴。それは中川さんの靴だ。
「ちょっと!」
「取りに行け。そして戻って来るな」
「こンのクソ弁護士ッ」
捨て台詞を吐いた中川さんは遠くに飛ばされた靴を取りに駆けていった。あんなに落ち着きのない大人は見た事がない。
もう一度ベッドを見下ろした。この前にも上等な布団を買ってもらったばかりなのにまたしてもこんな高価な物を。さすがにここまではしてもらえない。
金がすっかり戻ってきた後も、比内さんは俺にそれを使わせようとはしなかった。もっと他に使い道があるだろ。そう言っては俺の身の回りを一つずつ整えていく。
このベッドもそう。布団があるから十分だと断ってみたら、床がフローリングじゃ寒いだろって。また風邪でも引かれたら面倒だからとベッドの購入を確定された。それを実行するために、今日になって連れてこられたのがこの店だ。
「おい」
中川さんオススメのベッドから離れようとした俺を比内さんが呼び止めた。
「ここまで来て妙な気回してんじゃねえぞ」
「あ……いえ……」
「お前が使う物ってことはウチに置く家具ってことだ。適当なの選ばれちゃこっちが困る」
「…………」
そう来るか。押し黙った俺の身には背後からガバッと衝撃が加わった。
肩にガッシリ回された中川さんの腕。戻ってきたこの人にバンバンと肩を叩かれてちょっとだけ前のめりになる。
「あーあもう、これだから比内は分かりにくいんだよ。どれでも好きなの選びなって素直に言ってあげればいいじゃん」
やれやれと言った様子のわざとらしいその口振り。俺の肩に回されたその腕は、比内さんが汚い物でも掴むようにして引き剥がした。
「触るな。うつる」
「キミは俺を病原菌かなんかだとでも思ってんの?」
「違うのか」
痛烈だ。
「まったく……。あのね陽向、こういうときは遠慮しないで甘えておくもんだよ。だいたい数日間とは言えおっさんの寂しい一人寝に添い寝という潤いを与えてあげてたんだからさ。ベッド買ってもらうくらいじゃ全然足りないでしょ。できるだけふんだくっといた方がいいって」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ったんだもーん。やーい比内の少年シュミー」
ガツッと比内さんの蹴りが入った。向こう脛を負傷した中川さんからホギャゥッと犬みたいな悲鳴が上がる。近くにいた家族連れとカップルらしき二人組がそれぞれ俺達を振り返った。
急激に帰りたい。思わずサッと顔を背けたのは、他人のふりを装いたい正直な内心の表れだ。
***
「ありがとうございました」
「ああ」
ベッドがこの家に届けられるのは二週間後になる。購入と宅配の手続きをしてもらった後は、中川さんの激しい希望によって外で昼食を済ませてきた。
その中川さんが今どこにいるのかは俺にも比内さんにも分からない。俺達はこうして二人で家に戻って来たけれど、飲食店から出てくる時に中川さんは置き去りにされた。
「……中川さんは大丈夫でしょうか」
「残念ながら野垂れ死ぬ事はねえだろうな」
「…………」
レストランで会計をしている間に中川さんがトイレに行ったのを比内さんは横目で見ていた。先に店の外に出たところまでは特に何も考えることなく比内さんの後ろにくっついていたが、逃げるように腕をガクッと引かれて比内さんの魂胆にうっすら気づいた。
駐車場まで急かすように歩かされ、強引に押し込まれた車の助手席。今のうちにずらかるぞ。運転席に乗り込みながら言った比内さんを見てその内心を確信させられた。
待たなくていいんですか。一応は聞いた。もちろん聞いた。比内さんからは案の定、知った事かと突き返された。
そうして中川さんを置き去りにして俺達だけで帰ってきた訳だが、車の中では比内さんのスマホに五回ほど連続で着信があった。運転中に出ないのは仕方のない事だとしても信号が赤に変わって停車しても比内さんは出なかった。それどころか発信者の表示を確認するなり迷わず電源を切っていた。どう考えても中川さんだ。比内さんはずっと無言だった。
自由で落ち着きのない大人だけど、中川さんだってチビッ子ではない。駅から近い場所ではなかったがバス停は探せば近くにあるかも。スマホがあるなら財布もあるだろうしタクシーくらいは呼べるだろう。
深く考えないようにしながらキッチンの戸棚を開けた。比内さんは満足そうな様子でソファーに深々と腰かけている。それをチラチラ窺いながら、比内さんお気に入りのコーヒー豆を取り出した。
この家にあるコーヒーマシンは豆と水をセットするだけで全ての工程を勝手にやってくれる。全自動の恩恵を受ける俺は優秀な機械の前にただ突っ立ったっているだけでいい。
「そういえば前に中川さんが言ってたんですけど……」
「なんだ」
ミルがガリガリと豆を挽く音をはお世辞にも静かとは言えない。だから少しだけ声を張った。
「大学の同期なんですよね?」
「あ?」
「中川さんと。有馬さんとも」
「それがどうかしたのか」
「いえ、ただ……なんで三人でやってるのかなって……」
個人経営の法律事務所だ。そこに同期の弁護士を二人も雇い入れるというのは珍しい、ように思えた。この国の弁護士がどこでどういう活動をしているかなんて俺には分からないけれど。
比内さんと中川さんは正反対が過ぎるくらいに性格も言動も両極端だ。なのに二人はなぜか一緒に弁護士として働いている。有馬さんに至ってはどことなく比内さんと雰囲気は似ているけれど、事務所内にいる時に仲が良さそうな場面を見たことは一度もなかった。
中川さんによると元々は三人とも違う場所で働いていたそうだ。そこから色々あってあの状態に落ち着いたらしい。色々の部分がちょっとだけ気になる。しかし比内さんは素っ気ない。
「あのバカが何を言ったか知らねえが、お前が思ってるほど大層な経緯は辿ってねえよ。こうなったのは成り行きだ」
「……そうですか」
当事者のうちの一人からはそんな回答が。これ以上の情報収集をできる雰囲気ではなかった。しつこくして睨まれるのも怖い。
現在の俺は十六歳。高校生にはなれたけど、大人になるには全然遠い。十代のうちに大人に近づける自信は正直これっぽっちもない。
十八になったら。ハタチを超えたら。無事に就職できたらその時は。
いつから大人か。そもそも大人とは。子供との境界は一体どこに。辞書を引けば形式的な答えはあるけど真の定義は難しい。
身近にこういう人達がいるから、余計に俺の疑問は募る。
「いやー、たまにはこういうのもいいよねえ。気分転換にもなるしさ。なんかこうやって三人で歩いてると家族水入らずって感じじゃない?」
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「ひっどいなぁ。なんだいその言いぐさは。いつもお世話になってる俺にちょっとくらいは愛情持ちなよ」
「黙れクソが。クローゼットの片隅にでも収納されろ」
「何そのクローゼットの収納力」
家具屋にやってきた。ベッドを見にきた。比内さんに連れてきてもらったら、なぜか中川さんもついてきた。
どうして中川さんがいるんだろう。タイミングを見計らったかのようにマンションへとやってきたこの人は、比内さんがエンジンをかけた車に颯爽と乗り込んでいた。そこからは後部座席でずっと何かしら騒ぎたて、目的の店に入った今もひたすら賑やかに喋っている。
「俺もついでに買ってこうかなー。実はずっとソファーベッド探してたんだよ。最近ベッドよりソファーで寝ちゃう事の方が多くてさ。雇用主に酷使されてるせいで家帰るともうヘトヘトだからね。そんな可哀想な俺をどう思いますか比内くん」
「知るか」
比内さんは超絶不機嫌。中川さんの姿を見てからずっと眉間を寄せたままだ。中川さんが一言喋ると比内さんの顔が比例して険しくなる。
「騒ぐなら帰れ。付いて来るなら黙ってろ。そもそもなんだってお前がここにいるんだ」
「こんな怖いおっさんと二人きりじゃ陽向が可哀想だからに決まってんでしょー」
比内さんの眉間にイラッと縦筋が浮かび上がった。
中川さんはそれをスルー。比内さんをおちょくるのに飽きたのか、今度は俺に向かってチョイチョイと軽く手招きしてきた。
「ひなたひなたー。これはー?」
指さされたシングルベッド。横のミニボードには一等強気な価格が掲示されている。冗談だろ。
俺にこれはと聞いておきながら中川さんは自分でベッドにダイブした。バフッと柔らかい音が立つ。
店のサービス精神によってご自由にお確かめくださいとのコメントが値段の下には書いてある。確かにそう書かれているけど、一般的な大人ならば間違ってもダイブはしない。
「うーわーめっちゃいいフカフカむしろこれ俺がほしいんだけどヤベぇ。このベッド買ってもらったら?」
「いえあの、やっぱ俺……」
「いいから贅沢しちゃいなって。そこのおじさんがお金出してくれるから何も心配いらないよ」
「テメエが言うな」
比内さんがバコッと蹴り飛ばしたのはベッドのそばに脱ぎ散らかされていた革靴。それは中川さんの靴だ。
「ちょっと!」
「取りに行け。そして戻って来るな」
「こンのクソ弁護士ッ」
捨て台詞を吐いた中川さんは遠くに飛ばされた靴を取りに駆けていった。あんなに落ち着きのない大人は見た事がない。
もう一度ベッドを見下ろした。この前にも上等な布団を買ってもらったばかりなのにまたしてもこんな高価な物を。さすがにここまではしてもらえない。
金がすっかり戻ってきた後も、比内さんは俺にそれを使わせようとはしなかった。もっと他に使い道があるだろ。そう言っては俺の身の回りを一つずつ整えていく。
このベッドもそう。布団があるから十分だと断ってみたら、床がフローリングじゃ寒いだろって。また風邪でも引かれたら面倒だからとベッドの購入を確定された。それを実行するために、今日になって連れてこられたのがこの店だ。
「おい」
中川さんオススメのベッドから離れようとした俺を比内さんが呼び止めた。
「ここまで来て妙な気回してんじゃねえぞ」
「あ……いえ……」
「お前が使う物ってことはウチに置く家具ってことだ。適当なの選ばれちゃこっちが困る」
「…………」
そう来るか。押し黙った俺の身には背後からガバッと衝撃が加わった。
肩にガッシリ回された中川さんの腕。戻ってきたこの人にバンバンと肩を叩かれてちょっとだけ前のめりになる。
「あーあもう、これだから比内は分かりにくいんだよ。どれでも好きなの選びなって素直に言ってあげればいいじゃん」
やれやれと言った様子のわざとらしいその口振り。俺の肩に回されたその腕は、比内さんが汚い物でも掴むようにして引き剥がした。
「触るな。うつる」
「キミは俺を病原菌かなんかだとでも思ってんの?」
「違うのか」
痛烈だ。
「まったく……。あのね陽向、こういうときは遠慮しないで甘えておくもんだよ。だいたい数日間とは言えおっさんの寂しい一人寝に添い寝という潤いを与えてあげてたんだからさ。ベッド買ってもらうくらいじゃ全然足りないでしょ。できるだけふんだくっといた方がいいって」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ったんだもーん。やーい比内の少年シュミー」
ガツッと比内さんの蹴りが入った。向こう脛を負傷した中川さんからホギャゥッと犬みたいな悲鳴が上がる。近くにいた家族連れとカップルらしき二人組がそれぞれ俺達を振り返った。
急激に帰りたい。思わずサッと顔を背けたのは、他人のふりを装いたい正直な内心の表れだ。
***
「ありがとうございました」
「ああ」
ベッドがこの家に届けられるのは二週間後になる。購入と宅配の手続きをしてもらった後は、中川さんの激しい希望によって外で昼食を済ませてきた。
その中川さんが今どこにいるのかは俺にも比内さんにも分からない。俺達はこうして二人で家に戻って来たけれど、飲食店から出てくる時に中川さんは置き去りにされた。
「……中川さんは大丈夫でしょうか」
「残念ながら野垂れ死ぬ事はねえだろうな」
「…………」
レストランで会計をしている間に中川さんがトイレに行ったのを比内さんは横目で見ていた。先に店の外に出たところまでは特に何も考えることなく比内さんの後ろにくっついていたが、逃げるように腕をガクッと引かれて比内さんの魂胆にうっすら気づいた。
駐車場まで急かすように歩かされ、強引に押し込まれた車の助手席。今のうちにずらかるぞ。運転席に乗り込みながら言った比内さんを見てその内心を確信させられた。
待たなくていいんですか。一応は聞いた。もちろん聞いた。比内さんからは案の定、知った事かと突き返された。
そうして中川さんを置き去りにして俺達だけで帰ってきた訳だが、車の中では比内さんのスマホに五回ほど連続で着信があった。運転中に出ないのは仕方のない事だとしても信号が赤に変わって停車しても比内さんは出なかった。それどころか発信者の表示を確認するなり迷わず電源を切っていた。どう考えても中川さんだ。比内さんはずっと無言だった。
自由で落ち着きのない大人だけど、中川さんだってチビッ子ではない。駅から近い場所ではなかったがバス停は探せば近くにあるかも。スマホがあるなら財布もあるだろうしタクシーくらいは呼べるだろう。
深く考えないようにしながらキッチンの戸棚を開けた。比内さんは満足そうな様子でソファーに深々と腰かけている。それをチラチラ窺いながら、比内さんお気に入りのコーヒー豆を取り出した。
この家にあるコーヒーマシンは豆と水をセットするだけで全ての工程を勝手にやってくれる。全自動の恩恵を受ける俺は優秀な機械の前にただ突っ立ったっているだけでいい。
「そういえば前に中川さんが言ってたんですけど……」
「なんだ」
ミルがガリガリと豆を挽く音をはお世辞にも静かとは言えない。だから少しだけ声を張った。
「大学の同期なんですよね?」
「あ?」
「中川さんと。有馬さんとも」
「それがどうかしたのか」
「いえ、ただ……なんで三人でやってるのかなって……」
個人経営の法律事務所だ。そこに同期の弁護士を二人も雇い入れるというのは珍しい、ように思えた。この国の弁護士がどこでどういう活動をしているかなんて俺には分からないけれど。
比内さんと中川さんは正反対が過ぎるくらいに性格も言動も両極端だ。なのに二人はなぜか一緒に弁護士として働いている。有馬さんに至ってはどことなく比内さんと雰囲気は似ているけれど、事務所内にいる時に仲が良さそうな場面を見たことは一度もなかった。
中川さんによると元々は三人とも違う場所で働いていたそうだ。そこから色々あってあの状態に落ち着いたらしい。色々の部分がちょっとだけ気になる。しかし比内さんは素っ気ない。
「あのバカが何を言ったか知らねえが、お前が思ってるほど大層な経緯は辿ってねえよ。こうなったのは成り行きだ」
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