たとえクソガキと罵られても

わこ

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19.守護者Ⅱ

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 時々ビックリしてしまうような外し方も披露するけど世の中の気象予報士さんたちはもっと誉められていいと思う。

 昨日の夜の予報通り今日は朝から天気がいい。寝具を干すには最適だから、シーツも布団カバーも枕カバーも洗濯カゴにまとめて放り込んだ。
 回収するシーツは比内さんの部屋のシーツと、俺用に宛がわれた部屋に置いてある布団のシーツ。比内さんの隣で眠る緊張感は布団が届いた日に解消されたが、買ってもらった寝具一式は寝心地抜群の品だった。居候が与えられるには相応しくないとしか思えないので心苦しい旨を小さくなりながら俺が申し述べたその時、

「ひとまずネットで適当に買った。文句があるなら聞いてやるから遠慮せずに言ってみろ」

 と脅されたので、その晩からはふかふかの布団を一人で使うようになった。この部屋ももちろん空調が利くから夜だろうと朝だろうと快適だ。

 忙しそうな合間を縫って比内さんは俺の身辺を整えた。布団が届いたのは結構前。硬貨一枚分も残さず全額きっちり戻ったのが先々週。取り戻してくれたその報酬を金銭で受け取ってはもらえないからここで俺にできる事をやる。比内さんは清潔も好む人だ。

 洗濯カゴを抱えながらリビングにパタパタと入り、ソファーの隅のクッションを手に取りファスナーを開けてカバーを引っぺがす。洗えるものはなんでも洗う。ここの洗濯機は性能もいいし。縮んだり傷んだりも防げるし。
 山盛りの洗濯カゴを持って脱衣所に向かうはずだった。ところがその時、付けっぱなしにしていたテレビから流れてくる音声を耳が拾った。

 ニュースを読み上げる女性アナウンサー。何気なく足を止めて振り向いた。
 そこに映し出されていたのはどこかのビルだ。画面右上の文字情報から逮捕の二文字を見つけると同時に、聞き覚えのある会社の名前が聴覚から思考に伝わった。

『……であり、代表の男とその他九名の従業員を出資法違反等の疑いにより逮捕しました。同社は主に個人事業主を対象とした貸し付けを行っておりましたが、金利は法定利息の数十倍から数百倍にも及んだものとして全体の総被害額は……』

 ゴトッと、カゴを床に落とした。横に倒れたその中からは回収した洗濯物が地味に広がり床でバラける。
 俺の目も耳も動作も散らばった洗濯物には一切の反応を示さない。足元のカゴなんかに構っている場合じゃなかった。目と耳はテレビに向いたまま。硬直している俺の背後では、リビングのドアがガチャリと開いた。

「おいガキこら。散らかしてんじゃねえよ」

 静かに怒られてもすぐには動けない。重くノロノロと首を動かした。比内さんは邪魔くさそうな目で俺のことを見下ろしている。
 そして実際に言われた。邪魔だと。いつもなら即座に片付けたけど、テレビと比内さんを交互に見ている今の俺は他に何もできない。

「…………比内さん」
「ああ?」
「……何を……したんですか」

 強張った顔面は元に戻らない。眉をひそめた比内さんもニュースの内容に気付いたようだ。そこでテレビに目を向けた。
 悪徳な金融会社のトップと従業員が捕まった。ありふれたような情報だ。日常的に起きている犯罪のうちの一つが明るみに出た。
 だがこれは決して他人事じゃない。ニュースに出ていたその連中は、俺を追い回していた奴らだ。

「これ、やったの……比内さん……ですよね……」

 一人の人間がどれだけ苦しもうとそれは一つの出来事にすぎない。ニュースの内容は早くも次の話題へと移っていた。視聴者投稿のペット動画が明るく楽しく流されている。
 愕然とする俺の横を平然と通り過ぎていった比内さん。ソファーにどさっと腰を下ろし、仔猫の映像をちょっとだけ見てからリモコンを取ってテレビを消した。
 その次に手にしたのはテーブルの上に置いてある新聞。それを広げて足を組みながら何食わぬ顔で一言。

「知らねえな」
「…………」

 ものすごくシレッと言われた。




***




 闇金に一度渡した金をその後取り戻せる可能性は限りなくゼロに近い。それを俺に教えてくれたのは比内さんじゃなくて中川さんだった。不可能とまでは言い切れなくても極めて困難な事であると。

 闇金にしても詐欺にしても、その手の被害で取られた金を正式に取り戻す手段はある。犯罪組織の口座を凍結させるか、あるいは刑事裁判後に組織の資産を没収するかして、奪われた金をそこから分配してもらうように申請をする。
 制度として定められたそれが一般的な救済手続きだそうだ。ただし口座に残高がなければ取り戻す事は当然できない。いくつものトバシ口座を使い分けている闇金相手に正規の手段で対抗したところで泣き寝入りとなるのがオチらしい。

「建前と綺麗事だけ並べ立ててもどうにもならないのがこの世の中だ。制度は間違いなく必要だろうし統制のない社会なんてただの無法地帯でしかないけど、機械みたいにルールに従ってるだけじゃ救えるものも救えない」

 珍しく静かな目をして、中川さんはそう言った。
 だから比内さんは実力行使に打って出た。法律も制度も完全に無視して。比内さんがあいつらの事務所から持って帰ってきたあの札束は、資金洗浄される前の金。普通ならそんな無茶はしない。

「まあ基本的には普通のちゃんとした真面目な弁護士なんだけれども時々ちょっとヤンチャでさ。危ない橋でも渡っちゃうんだよ、理不尽な結果が目に見えるような場合には。弁護士資格剥奪されてもあれじゃあ文句も言えないだろうな。て言うかそろそろしょっ引かれてもおかしくないんじゃないのかな」

 打って変わって快活に笑い飛ばしながらそう言った中川さんは、タイミングの悪い所で部屋に入って来た比内さんから思っいきり蹴られていた。

 借金は無くなり金も返ってきた。俺を追い回す奴らも捕まった。
 それはつまりもうこれ以上、比内さんに匿ってもらう理由がなくなったという事だ。全て片が付いたのであれば俺を追いだしてもいいはずなのに、比内さんは出て行けとは言わず、それどころか俺にとっての法的な後ろ盾まで付けてくれた。

「今後の事だが」

 前触れのない話題になって顔を上げたのは夕食時。
 休日でなおかつ時間もあったからロールキャベツをじっくり煮込んだ。ハンバーグに仕込んだチーズを暴露してお楽しみを奪った前科があるから、ロールキャベツに忍ばせたチーズには一言も触れずに食事を始めた。その反応を確かめたくて比内さんをチラチラ盗み見ていたら、切り出されたのは隠れチーズの感想ではなく俺の処遇のことだった。

「お前はここにいろ」

 決定事項を告げるかのように無表情でそれを言われた。口をわずかに開いたが、返すべき言葉はなかなか出てこない。

「……いいんですか」

 ようやく言えたのはそれだけ。命令口調に質問で返し、けれど比内さんは怒らなかった。

「前にも言っただろ。ガキを途中で放り出したら信用第一でやってる商売に差し障る」
「そんなこと……」
「四の五の言わずに従え。飯炊き係を追い出しちまったらこっちの手間も増えるだろうが」

 それは俺がここにいるための理由だ。ここにいてもいい理由を比内さんがわざわざ作った。なんの義理もないようなガキだろうと比内さんは見放さない。
 比内さんの手元ではロールキャベツに再びナイフが入れられていた。仕込んだチーズの感想なんてさっそくどうでもよくなっている。普通の弁護士ならしない事を、やってしまうのが比内さんだ。

「それともう一つ、後見人の申し立てを考えている」
「……後見人?」
「保護者とは若干違ぇがそんなようなもんだと思えばいい」

 以前に行方不明者届を書かされた。その時の理由を今になって思いつく。
 あの届け出は母さんがいなくなった事を公的に証明するものだ。法律なんて俺には分からないけれど、保護者と言われて結びついた。
 後見人を立てるときにはもちろん理由が必要になるだろう。あの時の届け出はもしかして、最初からこのためだったのか。

「親の所在が明らかじゃねえってのは現実問題として何かと不便だ。未成年にはあらゆる場面で行動の制限がかけられる。仮に親の同意を求められても同意する人間がいなけりゃ話にならねえ」
「だから、後見人を……?」
「そうだ。いざってときのトラブルにも対応できるしな」

 半グレどもにつけ狙われるようなクソ弱いガキなら尚更だ。
 比内さんの痛烈な言葉が刺さる。口調とは裏腹に綺麗に食事を進めるこの人を俺は窺う事しかできない。

「手続きとかはどうやって……」
「申請は家裁にする。この場合の申立人はお前になるが、まあ難しい事は何もねえよ。お前はただ聞かれた事に答えていればそれでいい」
「その後見人、には……誰が」
「決まってんだろ。俺だ」

 ああ、やっぱり。怖い予感ほど当たるようにできてる。

「幸いにも俺はこの職業だ。状況的にもおそらく認められるだろう」
「…………」
「不満か」
「いえ」

 即答した。

「たとえ不満でも今は我慢しろ。お前が成人すれば後見も解かれる」
「……俺の後見人になる事で、比内さんに何か負担は……」
「特にない」

 そんな事はないだろう。少なからず手間はかけてしまうはず。
 手続きにしても、その後にしても。余計な時間を取る事になる。そのはずなのに。

「俺に正式な飯炊き係が手に入るだけだ」

 なんでもないような顔で言っては、俺に口実を作ってくれる。
 最初もそうだった。今もそうだ。俺のためとは一言も言わずに、俺に手を差し伸べてくれる。

「挽き肉にチーズ仕込んでも黙っていられる程度にはお前も成長した」
「え……?」
「使い勝手のいい飯炊きを俺が簡単に手放すと思うか」

 すっかり頭から抜けていたチーズにこのタイミングで言及された。
 セリフだけ聞くと悪役みたいだ。比内さんはロールキャベツにざくっとフォークを突き刺した。

「ガキは嫌いだが飲み込みの早い奴はそうでもねえ。便利なものが目の前にあれば俺は手元に置いておきたい」
「…………」
「そういう訳だ。悔しかったら自立してみろ」

 話は終わりだとでも言わんばかりに比内さんは視線を皿の上に落とした。
 自立できるまでに必要な時間を比内さんは俺に与えた。充分すぎるほどよく分かっているから、口答えする必要はない。それを理解できる程度には、俺もちょっとだけ成長できた。
 そうだったらいいなと思う。
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