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230.そういう日Ⅰ
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「ん……」
チャポッ、と小さく広がる水音。反響しやすい浴室内の、湿度がじんわり肌を覆っている。
「……ダメですよ」
「キスだけ」
「もうおしまいです……」
浴槽に背を預けて寄り掛かっている瀬名さんの手が、逃げようとする俺をすかさず捕らえた。
パシャッと抱き戻され、お湯の中で腰にスルッと両腕を回され、キスされる。ちゅっと。触れるだけのお子様ぶったキスに騙されるとイタい目に遭う。だから胸板を突っぱねた。
「なんだよ」
「だめ」
「いいだろ。せっかく盛り上がってきた」
「ここで盛り上がらないでください」
狭いマンションの狭い風呂とは違ってここはのびのび広々だ。男二人で入ってもそれなりに余裕がある。広々しているのをいいことに、人の入浴にくっ付いてきたがる。
くっ付いてきたらきたで今度はそこからがまた長いので、しつこく伸びてくる頑丈な腕はグイグイと押しのけた。押しのけてんのに簡単に抱っこされる。そうなると分かっていて突っぱねるのは、せめてもの意思表示だ。
「今後はもう風呂にまで付いてくんのは禁止です」
「なんてこと言うんだ」
「普通のこと言ってますよ」
「いやだ」
「駄々こねても禁止。一人で入れ」
「週に一回はお前を洗いたい」
「俺は犬猫じゃないので自分で洗います」
「洗わせろよ」
「なんで」
「俺が楽しい。趣味だ」
「趣味は他で見つけてください。健全なやつ」
「裸の付き合いは親睦が深まるんだぞ」
「今より深めてどうするんですか」
これ以上はもう侵食されるだけだ俺が。
エイリアンに食われるのは嫌だから腕の中からそそそっと逃げた。浴槽の反対側ギリギリまで下がる。両足も折りたたんでダンゴムシのように身を守る。目の前にいる捕食者から。その捕食者は見るからに不満げだ。
「なんでそんな距離取るんだ」
「瀬名さんのそばにいると危ないからです」
「なんもしねえよ」
「そう言って夕べも……」
したくせに。言っているそばから追いかけてくる。反対側に逃げた俺を今度は端っこに追い詰めてきた。マズい。本気で逃げられなくなった。
風呂場の明るくて白っぽいこのオレンジ色がより怖い。この猛獣はどうやったら仕留められるんだ。デカいサメの方がまだなんとか倒せそう。
肉食オジサンの息の根の止め方をポコポコ思い浮かべている間にも、浴槽の底では手を掴まれている。にぎられた。きゅっと。互い違いに、指先を。
次の瞬間にはキスされていて、フニッとくっつく。濡れた感触。すぐ、それとなく、微かに僅かに顔の向きを下に落とすも、どの道またしつこく追いかけてきて、唇をはむっと食われた。
「、……」
ちょっとでも動けば、お湯の表面が揺れる。チャプンと、また小さく水音。
その音に紛れ込ませるみたいに口の中で舌が這って、絡まる。ゆっくり。お湯の底で手がキュッと深くつながるのと同時、ちゅくっとやわらかく、舌先を撫でられた。
「っン……だめ……ダメもう、おわり……」
パシャッと離した顔はやけに熱い。見られたくないけど体勢は変わらず追い詰められたままだから、苦し紛れに視線だけを斜め下に落として逃げた。
俺の頬に触れたこの人の手はやんわりと優しいふりして、顔を前に向けさせてくる。
「あと一回」
「この数分で何度したと……」
「何度しても足りねえよ」
きゅっと、お湯の中でまたしても握られた指先。甘えるみたいなその仕草。
それは卑怯だ。若干こっちが怯めば、その隙にチャポンと音が立つ。少しばかり強引に肩を引かれて、浮力とともにケツが浴槽の底から浮いた。このまま大人しくしていたら、受け止められる先は瀬名さんの腕の中になる。
「風呂はリラックスする場所なんですよ」
「してんじゃねえか」
「何を見てそう思うの」
「お前の顔が今そういう顔だ」
言われて、目は合わせられない。合わせたくない。
俺を食い尽くそうとしているその目が、こっちを覗き見ているのは知っている。
「……最低だよアンタ」
「その顔で何言ってもお前に勝ち目はない。諦めろ」
「…………」
自信満々なのがムカツク。上から目線の偉そうな態度まで色気に満ちてんのが余計にムカつく。瀬名恭吾がすげえキモイおっさんだったら絶対こうはならないのに。
ガッチガチに身を固めてガードしていたのをとうとう緩めた。俺の防御壁の高さ厚さを瞬時に把握できる能力も瀬名さんは持っているため、スルッと片腕が腰に回ってくる。お湯の中で繋がったままの指先もまたキュッと握られたから、やんわりと、握り返した。
少しまた強引になってはっきり引き寄せられたこの腰。諦めろってこの男は言う。ポシャンとお湯の表面が一際ゆっくり大きく揺れたのは、この人の腕に抱きしめられに、諦めた俺が行ったから。
たっぷり張ったお湯の中だから軽々と抱っこされる。お湯の中だろうとベッドの上だろうと、この人はいつでもどこでも簡単に俺を抱きとめるけど。
「キスだけ」
「……うそつき」
しなやかに筋肉の張った、濡れた体にくたっと寄り掛かる。腹が立つほどのこの安定感。お湯の中でいくら体重をかけてもダメージは与えられっこない。ただただヤラシイだけの手つきで、腰骨をゆっくり撫でられただけ。
顔は上げない。上げられない。そういう顔なのは、分かってる。
「……アンタのせいでのぼせそうです」
「俺はとっくにのぼせてる」
「ばか、もう……」
新しい部屋は気に入ったけど、風呂が広いのは難点だ。
チャポッ、と小さく広がる水音。反響しやすい浴室内の、湿度がじんわり肌を覆っている。
「……ダメですよ」
「キスだけ」
「もうおしまいです……」
浴槽に背を預けて寄り掛かっている瀬名さんの手が、逃げようとする俺をすかさず捕らえた。
パシャッと抱き戻され、お湯の中で腰にスルッと両腕を回され、キスされる。ちゅっと。触れるだけのお子様ぶったキスに騙されるとイタい目に遭う。だから胸板を突っぱねた。
「なんだよ」
「だめ」
「いいだろ。せっかく盛り上がってきた」
「ここで盛り上がらないでください」
狭いマンションの狭い風呂とは違ってここはのびのび広々だ。男二人で入ってもそれなりに余裕がある。広々しているのをいいことに、人の入浴にくっ付いてきたがる。
くっ付いてきたらきたで今度はそこからがまた長いので、しつこく伸びてくる頑丈な腕はグイグイと押しのけた。押しのけてんのに簡単に抱っこされる。そうなると分かっていて突っぱねるのは、せめてもの意思表示だ。
「今後はもう風呂にまで付いてくんのは禁止です」
「なんてこと言うんだ」
「普通のこと言ってますよ」
「いやだ」
「駄々こねても禁止。一人で入れ」
「週に一回はお前を洗いたい」
「俺は犬猫じゃないので自分で洗います」
「洗わせろよ」
「なんで」
「俺が楽しい。趣味だ」
「趣味は他で見つけてください。健全なやつ」
「裸の付き合いは親睦が深まるんだぞ」
「今より深めてどうするんですか」
これ以上はもう侵食されるだけだ俺が。
エイリアンに食われるのは嫌だから腕の中からそそそっと逃げた。浴槽の反対側ギリギリまで下がる。両足も折りたたんでダンゴムシのように身を守る。目の前にいる捕食者から。その捕食者は見るからに不満げだ。
「なんでそんな距離取るんだ」
「瀬名さんのそばにいると危ないからです」
「なんもしねえよ」
「そう言って夕べも……」
したくせに。言っているそばから追いかけてくる。反対側に逃げた俺を今度は端っこに追い詰めてきた。マズい。本気で逃げられなくなった。
風呂場の明るくて白っぽいこのオレンジ色がより怖い。この猛獣はどうやったら仕留められるんだ。デカいサメの方がまだなんとか倒せそう。
肉食オジサンの息の根の止め方をポコポコ思い浮かべている間にも、浴槽の底では手を掴まれている。にぎられた。きゅっと。互い違いに、指先を。
次の瞬間にはキスされていて、フニッとくっつく。濡れた感触。すぐ、それとなく、微かに僅かに顔の向きを下に落とすも、どの道またしつこく追いかけてきて、唇をはむっと食われた。
「、……」
ちょっとでも動けば、お湯の表面が揺れる。チャプンと、また小さく水音。
その音に紛れ込ませるみたいに口の中で舌が這って、絡まる。ゆっくり。お湯の底で手がキュッと深くつながるのと同時、ちゅくっとやわらかく、舌先を撫でられた。
「っン……だめ……ダメもう、おわり……」
パシャッと離した顔はやけに熱い。見られたくないけど体勢は変わらず追い詰められたままだから、苦し紛れに視線だけを斜め下に落として逃げた。
俺の頬に触れたこの人の手はやんわりと優しいふりして、顔を前に向けさせてくる。
「あと一回」
「この数分で何度したと……」
「何度しても足りねえよ」
きゅっと、お湯の中でまたしても握られた指先。甘えるみたいなその仕草。
それは卑怯だ。若干こっちが怯めば、その隙にチャポンと音が立つ。少しばかり強引に肩を引かれて、浮力とともにケツが浴槽の底から浮いた。このまま大人しくしていたら、受け止められる先は瀬名さんの腕の中になる。
「風呂はリラックスする場所なんですよ」
「してんじゃねえか」
「何を見てそう思うの」
「お前の顔が今そういう顔だ」
言われて、目は合わせられない。合わせたくない。
俺を食い尽くそうとしているその目が、こっちを覗き見ているのは知っている。
「……最低だよアンタ」
「その顔で何言ってもお前に勝ち目はない。諦めろ」
「…………」
自信満々なのがムカツク。上から目線の偉そうな態度まで色気に満ちてんのが余計にムカつく。瀬名恭吾がすげえキモイおっさんだったら絶対こうはならないのに。
ガッチガチに身を固めてガードしていたのをとうとう緩めた。俺の防御壁の高さ厚さを瞬時に把握できる能力も瀬名さんは持っているため、スルッと片腕が腰に回ってくる。お湯の中で繋がったままの指先もまたキュッと握られたから、やんわりと、握り返した。
少しまた強引になってはっきり引き寄せられたこの腰。諦めろってこの男は言う。ポシャンとお湯の表面が一際ゆっくり大きく揺れたのは、この人の腕に抱きしめられに、諦めた俺が行ったから。
たっぷり張ったお湯の中だから軽々と抱っこされる。お湯の中だろうとベッドの上だろうと、この人はいつでもどこでも簡単に俺を抱きとめるけど。
「キスだけ」
「……うそつき」
しなやかに筋肉の張った、濡れた体にくたっと寄り掛かる。腹が立つほどのこの安定感。お湯の中でいくら体重をかけてもダメージは与えられっこない。ただただヤラシイだけの手つきで、腰骨をゆっくり撫でられただけ。
顔は上げない。上げられない。そういう顔なのは、分かってる。
「……アンタのせいでのぼせそうです」
「俺はとっくにのぼせてる」
「ばか、もう……」
新しい部屋は気に入ったけど、風呂が広いのは難点だ。
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