貢がせて、ハニー!

わこ

文字の大きさ
230 / 308

230.そういう日Ⅰ

しおりを挟む
「ん……」

 チャポッ、と小さく広がる水音。反響しやすい浴室内の、湿度がじんわり肌を覆っている。

「……ダメですよ」
「キスだけ」
「もうおしまいです……」

 浴槽に背を預けて寄り掛かっている瀬名さんの手が、逃げようとする俺をすかさず捕らえた。
 パシャッと抱き戻され、お湯の中で腰にスルッと両腕を回され、キスされる。ちゅっと。触れるだけのお子様ぶったキスに騙されるとイタい目に遭う。だから胸板を突っぱねた。

「なんだよ」
「だめ」
「いいだろ。せっかく盛り上がってきた」
「ここで盛り上がらないでください」

 狭いマンションの狭い風呂とは違ってここはのびのび広々だ。男二人で入ってもそれなりに余裕がある。広々しているのをいいことに、人の入浴にくっ付いてきたがる。
 くっ付いてきたらきたで今度はそこからがまた長いので、しつこく伸びてくる頑丈な腕はグイグイと押しのけた。押しのけてんのに簡単に抱っこされる。そうなると分かっていて突っぱねるのは、せめてもの意思表示だ。

「今後はもう風呂にまで付いてくんのは禁止です」
「なんてこと言うんだ」
「普通のこと言ってますよ」
「いやだ」
「駄々こねても禁止。一人で入れ」
「週に一回はお前を洗いたい」
「俺は犬猫じゃないので自分で洗います」
「洗わせろよ」
「なんで」
「俺が楽しい。趣味だ」
「趣味は他で見つけてください。健全なやつ」
「裸の付き合いは親睦が深まるんだぞ」
「今より深めてどうするんですか」

 これ以上はもう侵食されるだけだ俺が。
 エイリアンに食われるのは嫌だから腕の中からそそそっと逃げた。浴槽の反対側ギリギリまで下がる。両足も折りたたんでダンゴムシのように身を守る。目の前にいる捕食者から。その捕食者は見るからに不満げだ。

「なんでそんな距離取るんだ」
「瀬名さんのそばにいると危ないからです」
「なんもしねえよ」
「そう言って夕べも……」

 したくせに。言っているそばから追いかけてくる。反対側に逃げた俺を今度は端っこに追い詰めてきた。マズい。本気で逃げられなくなった。
 風呂場の明るくて白っぽいこのオレンジ色がより怖い。この猛獣はどうやったら仕留められるんだ。デカいサメの方がまだなんとか倒せそう。

 肉食オジサンの息の根の止め方をポコポコ思い浮かべている間にも、浴槽の底では手を掴まれている。にぎられた。きゅっと。互い違いに、指先を。
 次の瞬間にはキスされていて、フニッとくっつく。濡れた感触。すぐ、それとなく、微かに僅かに顔の向きを下に落とすも、どの道またしつこく追いかけてきて、唇をはむっと食われた。

「、……」

 ちょっとでも動けば、お湯の表面が揺れる。チャプンと、また小さく水音。
 その音に紛れ込ませるみたいに口の中で舌が這って、絡まる。ゆっくり。お湯の底で手がキュッと深くつながるのと同時、ちゅくっとやわらかく、舌先を撫でられた。

「っン……だめ……ダメもう、おわり……」

 パシャッと離した顔はやけに熱い。見られたくないけど体勢は変わらず追い詰められたままだから、苦し紛れに視線だけを斜め下に落として逃げた。
 俺の頬に触れたこの人の手はやんわりと優しいふりして、顔を前に向けさせてくる。

「あと一回」
「この数分で何度したと……」
「何度しても足りねえよ」

 きゅっと、お湯の中でまたしても握られた指先。甘えるみたいなその仕草。
 それは卑怯だ。若干こっちが怯めば、その隙にチャポンと音が立つ。少しばかり強引に肩を引かれて、浮力とともにケツが浴槽の底から浮いた。このまま大人しくしていたら、受け止められる先は瀬名さんの腕の中になる。

「風呂はリラックスする場所なんですよ」
「してんじゃねえか」
「何を見てそう思うの」
「お前の顔が今そういう顔だ」

 言われて、目は合わせられない。合わせたくない。
 俺を食い尽くそうとしているその目が、こっちを覗き見ているのは知っている。

「……最低だよアンタ」
「その顔で何言ってもお前に勝ち目はない。諦めろ」
「…………」

 自信満々なのがムカツク。上から目線の偉そうな態度まで色気に満ちてんのが余計にムカつく。瀬名恭吾がすげえキモイおっさんだったら絶対こうはならないのに。

 ガッチガチに身を固めてガードしていたのをとうとう緩めた。俺の防御壁の高さ厚さを瞬時に把握できる能力も瀬名さんは持っているため、スルッと片腕が腰に回ってくる。お湯の中で繋がったままの指先もまたキュッと握られたから、やんわりと、握り返した。
 少しまた強引になってはっきり引き寄せられたこの腰。諦めろってこの男は言う。ポシャンとお湯の表面が一際ゆっくり大きく揺れたのは、この人の腕に抱きしめられに、諦めた俺が行ったから。

 たっぷり張ったお湯の中だから軽々と抱っこされる。お湯の中だろうとベッドの上だろうと、この人はいつでもどこでも簡単に俺を抱きとめるけど。

「キスだけ」
「……うそつき」

 しなやかに筋肉の張った、濡れた体にくたっと寄り掛かる。腹が立つほどのこの安定感。お湯の中でいくら体重をかけてもダメージは与えられっこない。ただただヤラシイだけの手つきで、腰骨をゆっくり撫でられただけ。
 顔は上げない。上げられない。そういう顔なのは、分かってる。

「……アンタのせいでのぼせそうです」
「俺はとっくにのぼせてる」
「ばか、もう……」

 新しい部屋は気に入ったけど、風呂が広いのは難点だ。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

不幸の手紙に“男に告白される”って書いてあったんだが?

すもも
BL
磯城亮輔のもとに、毎日「不幸の手紙」が届く。 書かれた内容はなぜか必ず当たるが、だいたいが地味に嫌なだけの不幸。 亮輔はすっかり慣れきっていた。 しかしある日、こう書かれていた。 「男に告白されるだろう」 いや、ちょっと待て。 その翌日から手紙は呪詛じみていき、命の危機すら感じ始める。 犯人を探し始めた亮輔だが、周囲は頼りにならず——。 これは、少し性格に難ありな主人公が、不幸と告白に振り回される青春BL。 他のサイトにも掲載していますが、こちらは修正したものとなっています。

窓のない部屋の、陽だまりみたいな君

MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。 そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。 ​そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。 完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。 ​「五分だけ、ここにいさせてくれないか」 ​一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。 次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。 住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。

お腹いっぱい、召し上がれ

砂ねずみ
BL
 料理研究家でαの藤白蒼は幼なじみで10個下のΩ晃と番になった。そんな二人の間に産まれた照は元気いっぱいな男の子。泣いたり、笑ったり、家族の温かみを感じながら藤白家の日常が穏やかに進んでいく。    そんな愛する妻と愛する息子、大切な家族のお腹いっぱい喜ぶ顔が見たいから。蒼は今日も明日もその先も、キッチンに立って腕を振るう。  さあ、お腹いっぱい、召し上がれ。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

【BL】無償の愛と愛を知らない僕。

ありま氷炎
BL
何かしないと、人は僕を愛してくれない。 それが嫌で、僕は家を飛び出した。 僕を拾ってくれた人は、何も言わず家に置いてくれた。 両親が迎えにきて、仕方なく家に帰った。 それから十数年後、僕は彼と再会した。

処理中です...