貢がせて、ハニー!

わこ

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180.最低で最悪のⅡ

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 手のひらに乗っかる温かい重み。クリーム色がのっそり動いている。

「……ハムちゃんいいよな。ボテボテしてて」
「せめてもうちょっとカワイイ擬態語使えよ」
「ポテポテ?」
「いや、うん。まあいいけど。ちょっと遊んでて」
「んー」

 左右の手の甲を交互に出して、ポテポテしているハムちゃんを無限階段に登らせて遊ぶ。どこにも到達できはしないのにせっせと登るのがこれまた可愛い。

 ペットボトルを二本その手に持って浩太はすぐ戻ってきた。ミキちゃんにだったらちょっとオシャレな紅茶とかを出すのかもしれないけれど、俺の前に出てきたのはドンっと一本、五百ミリのお茶。そして見るからに温かくも冷たくもない。その辺に置いてあったような常温。

 気楽だ。これくらいの雑な扱いをされるのがなんとも言えず落ち着く。
 男同士ならこれくらいが普通。高校のダチとは大体こんな感じだった。わざわざお茶くれるなんてまだ優しい方。
 今の俺の日々は好待遇すぎて、そんな事も忘れていた。

「で?」
「あ?」
「どしたよ」
「何が」
「言いたくないならいいけどさ。お前かなり酷い顔してるぞ」
「…………」

 俺を恭しく扱うはずのない奴は直球をよそ見しながら投げてくる。
 思わず黙った。浩太はギギッと、自分のペットボトルを開けた。

 無限階段をのぼっていたハムちゃんだったが、そろそろ気が逸れてきたのかもしれない。左手首から腕に向かって進路を変えて上ってきた。このままだと肩に到達されるのは前回で学んでいるので、助けを求めるべく浩太の方に自らさっさと出した左手。
 すぐさまハムちゃんは保護された。床の上にそっと下ろされ、過保護な飼い主が見守る中でウロウロウロウロ散歩がはじまる。

「あんま溜め込むなよ。ハルくんはギリギリのギリギリまで一人で耐えちゃう子なんだから」
「……子って言うな」

 平行じゃない俺の手の上をずっと歩いていて疲れたのか、それともこの部屋が安全であるとしっかり認識しているのか、ハムちゃんはローテーブルの脚の所まで来ると角に体をモコッとくっつけてそのままウトウトしはじめた。
 すると浩太がハムちゃんに呼びかけ、優しく差し出してやったその手。鼻をヒクヒクさせるハムちゃんがノソノソのぼってくるのを待って、手のひらに収まったところで丁重にお連れする。ご自宅に。

 ハムちゃんのお帰りだ。俺も座りながらクリアケージを見上げる。
 おがくずの上におろされるとモソモソ動いて巣箱へ一直線。しばらくは出入り口付近でガサゴソしていたが、ケツだけ出したまますぐに動かなくなった。ハムちゃんのご就寝だ。

「……かわいい」
「知ってる」
「警戒心はないな」
「俺が守ってるから大丈夫」

 だろうな。これだけ丁寧に匿われているのだから。

 そこに座り直した浩太の前で、俺ももらったペットボトルを開けた。常温のお茶はちゃんと美味いけど、瀬名さんと飲むのとは何かが違う。

「…………あのさ」
「うん」
「……たとえばの話なんだけど」
「オッケーよし来た任せて、たとえばね。得意だよ。ほれ言ってみ」
「…………」

 避難してくる場所間違えただろうか。
 察しが良すぎるのもやりづらいが、俺の目の前にいる人間は残念ながらこいつだけ。

「……たとえばもし、ミキちゃんが……」
「うん」
「お前とデートの約束してたのにドタキャンしてきたとするだろ……」
「うんうん」
「仕事……バイトが急に入ったんだと思ってたら、そのあと全然バイト関係の相手ではなさそうな人と一緒にいるとこ見かけちゃって……」
「おぉ。うん」
「なんか……知らないマンションから二人で出てきたんだけど……」
「マンション?」
「いや、あの……たとえば」
「あ、うん。ごめん」

 出かけないでおとなしく家にいれば良かった。出掛けるにしても、電車に乗るんじゃなかった。
 電車に乗って知らないエリアに降り立ってしまったあの日、うちの近所であともう少しだけ、一分長く、のんきな黒猫と遊んでいればあんなものは見なかった。

「……ミキちゃんが知らない男とマンションから出てくる現場を目撃しちゃったとしたらお前、どうする」

 言い直して聞くと、浩太はいささか顔をしかめた。どうするか考えている、というよりも。

「……ちょっと、あと三秒待って。想像がつかねえ」
「たとえばだから……」
「分かってる分かってる、たとえばね大丈夫」
「…………」

 この例え話は浩太にとってどうするもこうするもないだろう。ミキちゃんは一途だ。一回だけ迷走したけど。間違いなく物凄くモテるのに、人生で初の恋人は浩太。
 相談相手は完全に間違えた。

「本人にそのことは聞いてみた設定?」
「……なんも聞いてない設定」
「だったらとりあえず、どうしてそうなったのか聞いてみるかな。あの人誰って」
「……聞けるか?」
「言ってもマンションから出てきたの見たってだけだろ? もしかしたらなんか普通に用事があったとかさ」
「そうだけど……」
「そこまでの経緯知ったら案外なんでもないかもしれねえじゃん。お前が見たのは状況の一面だけなんだから」
「俺じゃなくてたとえば……」
「あーうんゴメンゴメン。たとえばね」
「…………」

 なんか腹立つな。

「もっと気楽に構えてみなって。想定外の事って結構起きるでしょ」
「想定外……?」
「迷子になってる子犬を見かけて首輪確認したら住所タグがついてた。そのまま放っといて事故にでも遭ったら大変だ。寝覚めも悪い。だからバイト先に事情説明して飼い主さんの部屋まで送り届けてやったんだよ」
「子犬を送り届けた相手と一緒にマンションから出てくるか……?」
「見ず知らずの恩人なわけだしお礼にお茶でも奢らせてくださいって展開がなくもない」
「…………多分だけど知り合いなんだと思う。親しげだったし」
「んー、じゃあ……両手で大荷物抱えながらフラフラしてる奴がいたんだけどお決まりっぽく道にぶちまけちゃってて、咄嗟に声かけたら知り合いだったから部屋まで運ぶの手伝ってやったとか。で、お礼にお茶でも展開な。ダチだからこその気安さで」
「……あるか?」
「宇宙人に連れ去られる確率よりは高いと思うよ」
「お前面白がってるだろ」
「いやいや、まさかそんな」
「…………」
「まあそこまでピンポイントな状況があったとは言わねえけどさ、可能性だけで言ったらそれこそもう無限だからね。どんな事情だったかなんて見てなかったら知りようがねえって。だったら考えててもキリがないだろ。そんな顔して悩むくらいなら本人に聞いちゃった方がいい」

 正論だ。全くもってその通り。情報が不足しすぎているから、というより俺はこの件に関してなんの情報も持っていないのだから、どの出来事は起こり得ないなどという断言だけは絶対にできない。

 子犬を届けたかもしれないし、荷物運びを手伝ったかもしれない。宇宙人との遭遇はほぼ百パーしていないだろうが、仕事かどうかを言わなかった事に、大した意味なんてなかったかもしれない。
 けれど俺の中の想像と、浩太の適当な想像とでは、どちらの確率が高いだろう。

「てかなに。ハルくんはそれでずっと心配しちゃってんの?」
「だからたとえば……」
「はいはいはい、了解了解」
「…………」

 子犬を送り届けた相手から、お礼のお茶に誘われたかもしれない。荷物運びを手伝った知人とは、見ただけで親しげな雰囲気が分かる程度の友情を築いているのかもしれない。
 どれもこれも考え得る限り可能性がないとは言い切れない。でも。

「……マンションの前、腕組んで歩いてたんだよ」
「腕?」
「ピッタリ……こう、仲良さそうにって言うか……」
「あぁ……おぉ。なるほど。それでか」
「どう思う」
「どう思うっつってもなあ……それも微妙じゃねえ? 腕組んでたくらいでって言うのもアレだけど」
「……それは俺も思う」

 心が狭い。俺が一番そう思っている。女とたかが腕を組んで歩いていたくらいの事で、こんなにも責め立てるかのように。

「友達相手なら男でも女でもそういう態度とる子もいるからな」
「……友達相手にそういうのしない人の場合は?」
「…………うーん」

 腕を組んでマンションから出てきた。密着されるのを、触られるのを、当然のように許していた。
 その程度の事ではあるが、そんな程度の事であっても俺の知っている瀬名さんならしない。

 たとえばなんらかの人助けをした。それでお礼にお茶でもと言われた。俺の知っている瀬名さんならば、断る。用があるとでも言って丁重に辞退し、その場から立ち去るだろう。腕を組ませるなどもってのほかだ。
 知り合いだったとしても同じ。可能性ならいくらでもあるが、その可能性を潰すための想像がまたいくらでもできてしまう。
 なぜならそれが瀬名さんだから。瀬名さんという人を、知っているから。

 ケージの中ではカサコソと音が立った。目を向ければ巣箱の中でハムちゃんがモゾモゾ動いている。
 寒いのだろうか。もっふりハミ出ていたケツが中にのそっと入っていく。そこからさらにガサゴソ動いて、出入り口が巣材で塞がれてしまうと外からは見えなくなった。

 俺が見たのは起こった出来事の中のほんの一部分で、一面にすぎない。それをあの場から見ただけだ。
 しかし目にしたその状況以外で、何が起きていたのかなんて見えない。知りようもない。

「ただの友達って感じには、思えなくて……」

 女と腕を組んでマンションから出てきた。腕を組んで歩くような女とその前まで、何をしていた。その後は、何をしてきた。

「……なあ。そもそもハルの彼女さんってほんとどういう感じなの。浮気とか平気でできちゃうタイプ?」
「いや、だから例えば……」
「これはもう例えてる場合じゃないから」

 お茶のボトルをいくらか握りしめた。例えばの話なんてしている余裕が、本当だったら俺にはもうない。

 疑いたくないのに不可解な点が多い。俺に対してどことなく、気まずそうにしている雰囲気もある。
 けれど瀬名さんという人のことを思えば疑惑と性格が全く一致しない。だって瀬名さんは。

「……そういうのは……できる人じゃないと思う」
「うん。そっか」
「でも最近はなんか、行動もちょっとおかしくて……」
「どんなふうに?」
「いや……何かを、隠してる感じがする」
「何を?」
「それが分かったら苦労しねえよ……」

 明け透けなくらいの人だ。たしかに自分の話はあまりしないが、俺が聞けば包み隠さずなんでも話してくれていた。俺が聞きたいような素振りを見せれば、それだけで気づいて教えてくれた。
 今はそうじゃない。何も言わなくなった。どこに行くとも何をしてきたとも、黙ったままで話さない。瀬名さんは嘘つきではないけれど、今の瀬名さんは隠し事がない人とは違う。

「この前はその人とたぶん……ホテル行ってたっぽい」
「えっ?」
「あ、いや変な所じゃなくて……普通の」
「ああ、なんだ」
「でもそこがなんかだいぶ、ランク高い所っていうか……」
「……二人で?」
「たぶん……」

 ハイランクなシティホテルだ。そんな場所に女の人と二人きりで行っていた。かもしれない。
 確定じゃないが、もしもそうなら、そんな場所に行くような女とは。どういう相手か。

「…………単なる仕事相手じゃなくて?」
「分からない……」
「……つーかなんでそこ行ったって知ってるの?」
「ホテルに入ってる店のおみやげ持って帰ってきたから……」
「え、おみやげ? じゃあやっぱ違くねえか? 浮気してたらそんなもん渡してこねえだろ」
「俺もそう思ったけど……逆になんか……」

 つまらない小細工をするような人とも思えないが、かえってあからさまだった。申し訳なさそうにケーキをくれた。
 詫びにもならねえって、言っていた。詫びなきゃならないような事をあの夜、俺に隠れてしてきたのだろうか。

「……もう分かんねえや」

 助けてくれないと知りながら、クリアケージに目を向けた。ハムちゃんはもう物音を立ててくれない。安心できる巣箱の奥で、ぐっすり眠ってしまったのだろう。
 そこにいるのにここからは見えない。見えなくてもカサコソ音がするだけで、そこに可愛いのがいると分かるのに。

 角度を変えて見ることすら困難になっている俺に、物事の奥なんて見えるはずがない。
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