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173.疑惑Ⅲ
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戸建ての多いエリアを抜けて道を一本逸れてみると今度はマンションも目立ってきた。新しい建物がほとんどだ。
田舎でよく見かける古めかしいモルタル外壁の平屋建て貸家みたいな安物件は、ひとまずここら辺にはないと思われる。
休日なのに、いや休日だからか、周辺は静かに落ち着いている。ファミリー世帯が多いエリアだとすれば皆お出かけ中だろうか。
民度が高そう。平和で暮らしやすそう。そんな住宅地を歩いているうちにコンビニに行きついた。そういえば喉乾いたな。入るかどうか迷って結局スルー。
直後に見つけたのは庶民的なスーパーで、五百ミリ四十五円のお茶がダン箱ごと積まれていたのでレジに持っていった。ちょっと得した。店の前で十五円分くらい給水し、そうやってまた歩きだす。
たまには近所以外を散歩するのも楽しい。よさげな住宅地域を散歩しながら小さな公園に差し掛かった。
折角だから足を踏み入れてみるも、鉄棒とブランコとベンチくらいしかない。木も植わっているけど桜ではなさそうだ。
静かなその場所をテクテクと突っ切り、出口から真っ直ぐ続いている小道は今度は少しばかり長い。
突き当りのT字路に近づくにつれ、これまたよさげなマンションが見えてきた。右方向を見上げれば目に入ってくる堂々たる風格。
道路に面したマンションの全形が少しずつ見えてくる。何気なく階数を数えた。十四階だ。
十四階建てと十五階建ての些細ではあるが住んでみると意外にも大きい差について、同期の建築オタクの奴が以前に熱く語っていたことがある。なんと言っていたか詳細は覚えていない。いろいろ聞かされた記憶はあるのだが、十四がいいと言っていたか、それとも十五がいいと言っていたのだったか。
はて。どっちだっけ。思い出せない。まあいか。うちは五階だし。
遠目だけれどもマンション前の通りは広く整備されているのが分かる。敷地が程好く緑に囲まれているその建物は南向き。手入れされた庭木は暮らしやすそうな物件にピッタリだ。
貧乏臭さとは無縁だろうけど、超高層ビルみたいな気取った雰囲気はそこにない。堅実な成功者達が好みそうな外観って感じの。
小道の曲がり角が死角になって正面玄関の造りは分からずにいたが、歩を進めるごとに見えてくる。十段もないくらくのオシャレな階段があった。エントランスから出てきた誰かがちょうどその階段に差し掛かる。住人かな。いい暮らししてんだろうな。
一目見て男女の二人組と分かった。女性がピタリとくっつくように、男性と腕を組んでいた。
その男性の顔を見て、前に進めていた足が止まった。
「……え」
はっと、目を見開く。だから良く見えているのに、一瞬、理解が追い付かない。
それでも視覚の機能は正常で、途端に胸の奥が、ザワッと。
血の流れが分かるみたいだった。ドクドクと脈打っている。
視線の先の二人は並びながら階段を降りてくる。頭で考えるよりも早く、小道の曲がり角の白い外壁にサッと引っ込み身を隠していた。そこから慎重に覗き込む。この目は再び、それを捉えた。
エントランスから出てきた男女二人組。男の方は、瀬名さんだった。
「…………」
心臓の音が今にも聞こえてきそうなくらいバクバクしていた。なのに手足の指先だけは、急激に冷たくなっていく。
歩道に立った二人はそこで足を止めた。階段を降りてきたそのままの方向を向いていて、顔はもう正面から見えなかった。そのため一瞬だったし、遠目だったが、俺があの人を見間違えるはずはない。
あれは確かに瀬名さんだった。声は聞こえなくても親密そうに何かを話していたのも分かった。隣の女と、腕を組みながら。そうやって一緒にマンションから出てきた。
「…………」
マンションからはまた一人誰かが出てきた。スーツを着た人影が視界に入ったその間にも、瀬名さんは俺の知らない女に馴れ馴れしく腕を組まれている。ぎゅっと抱きつかれるのを当たり前のように許し、ぴったりと密着していた。
なんで。何を。なんでこんな所に。
だって仕事って、言っていたのに。そのせいで約束が急遽ダメになった。仕事が入った。そう、瀬名さんが。
「…………」
そうだっただろうか。そんな事を言われたか。いや。いや、違う。言われていない。瀬名さんはそんなことを一言も、言っていない。
俺が勝手に仕事だと思った。決めつけたそれを事実だと思い込み、なんの疑いもなく、仕事なのだろうと聞いて、それであの人は、なんと答えたか。
すまん。そうだ。そう。それだけ。それ以上は何も言っていない。イエスともノーとも瀬名さんは答えなかった。申し訳ない。ただそれだけだ。
埋め合わせをすると言っていた。埋め合わせをしなければならない理由が、なんなのかは言わなかった。
嘘はなかった。その通りだ。ひとつも嘘を言わない代わりに、何も言わなかった。黙っていた。
瀬名さんがどこに何をしに行ったのか、俺は一切知らされていない。
どうして急に約束が駄目になったのか。俺の視線の先に、その答えがあった。あの女の人と会うためだ。このマンションに来るためだ。
一瞬見ただけでもはっきり分かった。とても綺麗な女性だった。肩の位置よりも少し長い髪をそのまま下ろしている。落ち着いた焦げ茶色。派手さはない。けれど雰囲気は自信に満ち溢れていて、それが全く嫌味じゃない。
完璧な美人がそこにいた。その人が瀬名さんと腕を組んで歩いていく。
何よりもその光景には、違和感が欠片もない。
「…………」
来た道を、こそこそと逃げるように戻った。ここから飛び出していく勇気はなかった。
朝と晩を一緒に過ごしているだけで、それ以外のことはお互いに知らない。四六時中そばにいるわけではない。付き合っているからと言って全ては共有できない。束縛もできない。
それぞれの時間がある。俺には俺の。瀬名さんには瀬名さんの。社会人なら、なおのこと。
俺の隣にいない時のあの人が、何をしているか知るすべなんてない。
田舎でよく見かける古めかしいモルタル外壁の平屋建て貸家みたいな安物件は、ひとまずここら辺にはないと思われる。
休日なのに、いや休日だからか、周辺は静かに落ち着いている。ファミリー世帯が多いエリアだとすれば皆お出かけ中だろうか。
民度が高そう。平和で暮らしやすそう。そんな住宅地を歩いているうちにコンビニに行きついた。そういえば喉乾いたな。入るかどうか迷って結局スルー。
直後に見つけたのは庶民的なスーパーで、五百ミリ四十五円のお茶がダン箱ごと積まれていたのでレジに持っていった。ちょっと得した。店の前で十五円分くらい給水し、そうやってまた歩きだす。
たまには近所以外を散歩するのも楽しい。よさげな住宅地域を散歩しながら小さな公園に差し掛かった。
折角だから足を踏み入れてみるも、鉄棒とブランコとベンチくらいしかない。木も植わっているけど桜ではなさそうだ。
静かなその場所をテクテクと突っ切り、出口から真っ直ぐ続いている小道は今度は少しばかり長い。
突き当りのT字路に近づくにつれ、これまたよさげなマンションが見えてきた。右方向を見上げれば目に入ってくる堂々たる風格。
道路に面したマンションの全形が少しずつ見えてくる。何気なく階数を数えた。十四階だ。
十四階建てと十五階建ての些細ではあるが住んでみると意外にも大きい差について、同期の建築オタクの奴が以前に熱く語っていたことがある。なんと言っていたか詳細は覚えていない。いろいろ聞かされた記憶はあるのだが、十四がいいと言っていたか、それとも十五がいいと言っていたのだったか。
はて。どっちだっけ。思い出せない。まあいか。うちは五階だし。
遠目だけれどもマンション前の通りは広く整備されているのが分かる。敷地が程好く緑に囲まれているその建物は南向き。手入れされた庭木は暮らしやすそうな物件にピッタリだ。
貧乏臭さとは無縁だろうけど、超高層ビルみたいな気取った雰囲気はそこにない。堅実な成功者達が好みそうな外観って感じの。
小道の曲がり角が死角になって正面玄関の造りは分からずにいたが、歩を進めるごとに見えてくる。十段もないくらくのオシャレな階段があった。エントランスから出てきた誰かがちょうどその階段に差し掛かる。住人かな。いい暮らししてんだろうな。
一目見て男女の二人組と分かった。女性がピタリとくっつくように、男性と腕を組んでいた。
その男性の顔を見て、前に進めていた足が止まった。
「……え」
はっと、目を見開く。だから良く見えているのに、一瞬、理解が追い付かない。
それでも視覚の機能は正常で、途端に胸の奥が、ザワッと。
血の流れが分かるみたいだった。ドクドクと脈打っている。
視線の先の二人は並びながら階段を降りてくる。頭で考えるよりも早く、小道の曲がり角の白い外壁にサッと引っ込み身を隠していた。そこから慎重に覗き込む。この目は再び、それを捉えた。
エントランスから出てきた男女二人組。男の方は、瀬名さんだった。
「…………」
心臓の音が今にも聞こえてきそうなくらいバクバクしていた。なのに手足の指先だけは、急激に冷たくなっていく。
歩道に立った二人はそこで足を止めた。階段を降りてきたそのままの方向を向いていて、顔はもう正面から見えなかった。そのため一瞬だったし、遠目だったが、俺があの人を見間違えるはずはない。
あれは確かに瀬名さんだった。声は聞こえなくても親密そうに何かを話していたのも分かった。隣の女と、腕を組みながら。そうやって一緒にマンションから出てきた。
「…………」
マンションからはまた一人誰かが出てきた。スーツを着た人影が視界に入ったその間にも、瀬名さんは俺の知らない女に馴れ馴れしく腕を組まれている。ぎゅっと抱きつかれるのを当たり前のように許し、ぴったりと密着していた。
なんで。何を。なんでこんな所に。
だって仕事って、言っていたのに。そのせいで約束が急遽ダメになった。仕事が入った。そう、瀬名さんが。
「…………」
そうだっただろうか。そんな事を言われたか。いや。いや、違う。言われていない。瀬名さんはそんなことを一言も、言っていない。
俺が勝手に仕事だと思った。決めつけたそれを事実だと思い込み、なんの疑いもなく、仕事なのだろうと聞いて、それであの人は、なんと答えたか。
すまん。そうだ。そう。それだけ。それ以上は何も言っていない。イエスともノーとも瀬名さんは答えなかった。申し訳ない。ただそれだけだ。
埋め合わせをすると言っていた。埋め合わせをしなければならない理由が、なんなのかは言わなかった。
嘘はなかった。その通りだ。ひとつも嘘を言わない代わりに、何も言わなかった。黙っていた。
瀬名さんがどこに何をしに行ったのか、俺は一切知らされていない。
どうして急に約束が駄目になったのか。俺の視線の先に、その答えがあった。あの女の人と会うためだ。このマンションに来るためだ。
一瞬見ただけでもはっきり分かった。とても綺麗な女性だった。肩の位置よりも少し長い髪をそのまま下ろしている。落ち着いた焦げ茶色。派手さはない。けれど雰囲気は自信に満ち溢れていて、それが全く嫌味じゃない。
完璧な美人がそこにいた。その人が瀬名さんと腕を組んで歩いていく。
何よりもその光景には、違和感が欠片もない。
「…………」
来た道を、こそこそと逃げるように戻った。ここから飛び出していく勇気はなかった。
朝と晩を一緒に過ごしているだけで、それ以外のことはお互いに知らない。四六時中そばにいるわけではない。付き合っているからと言って全ては共有できない。束縛もできない。
それぞれの時間がある。俺には俺の。瀬名さんには瀬名さんの。社会人なら、なおのこと。
俺の隣にいない時のあの人が、何をしているか知るすべなんてない。
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