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163.にゃーにゃーにゃー!! Ⅶ
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謎の行列から無事に生還して旅館に戻って露天風呂に浸かり、瀬名さんがクマ雄で練習したという帯の貝の口をまたやってもらった。
そこからすぐ部屋に運ばれてきた夕食。絶好のタイミングでありつけたご飯を、昨夜に引き続きバクバク食べ進める。刺身にカニにと目移りしながらひたすら咀嚼筋を鍛えていたら、四十分くらいした頃に再び仲居さんがやって来た。
愛想の良い振る舞いで焦げ茶色のお盆を持ってきたその人に、それはここにそれはこっちにと瀬名さんが丁寧にお願いしていく。
お盆はテーブルの近くに置かれた。テーブルの上にはケーキが出された。可愛いサイズのホールケーキだ。色違いのベリーが沢山乗っかっている。
「おぉ……」
「折角だからな」
誕生日ケーキだ。お祝いされた。ケーキの真ん中のチョコプレートにはハピバって英字で書いてある。
長居も余計なお喋りもしない丁寧な仲居さんはこれまた愛想よく失礼いたしますと言って去っていった。二人しかいない空間に戻り、なのでとりあえず叫びたくなる。
「ケーキ!」
「そうだな」
「ありがとう美味そう!」
思いっきりシャキンッとフォークを握った。一人で食いきれそうなサイズ感だが上に散りばめられたベリーはキラキラしている。真っ白い生クリームは濃厚に違いない。
顔面から突っ込みたいのは我慢した。どの角度から食うか見極めながらギリっとフォークに力を込めると、向かいから瀬名さんが冷静な眼差しで見てくる。
「文明人が使う道具の一つにナイフっていうのがあるんだが知ってるか」
「俺の辞書にその文字ないんでこのままいきます」
「そうか」
瀬名さんが諦めたのでフォークを構える。まず攻めるべきはやっぱり目の前。ハピバプレートの真正面。
モフッとフォークを突っ込んで、生クリームとスポンジを大振りに掬い上げた。なんてやわらかい感触だろう。それをパクリと、口に放り込む。
「……っんまー!」
ふわっと広がったなめらかなクリーム。思ったとおり濃密で濃厚。体温でとろりと溶けていく。
「クリームこっくりしてんのに柔らかい。スポンジなんかふっかふかですよ。ここの料理人さんはなんでも作れるんですね」
「言っただろ。俺たち庶民にも優しい」
ケーキが出てくるのは聞いていなかった。あるだろうとも思っていなかった。でも瀬名さんだ。抜かりない男だ。三種類のベリーをふんだんに使ったお菓子くらい普通に用意する人だ。
ふっくらしたブルーベリーだけ一粒食ってみると甘みはしっかりしている。完熟だ。クリームごとフォークが到達した赤っぽい実はラズベリー。ほのかな酸味が加わって爽やか。もう一つのラズベリーの親戚みたいなこいつはブラックベリーとかいうやつだろう。ラズベリーよりももうちょっと甘い。スポンジごとモッフリ食った。
濃厚なクリームは意外にも甘すぎない。上品な砂糖の風味を感じる。瀬名さんの口も開けさせて、テーブル越しにフォークを突っ込んだ。
「ヤバくないすか?」
「ああ。美味いな」
「永遠に食える」
「そのサイズにして良かった」
なるほどだからちょっと小さめなのか。去年のホワイトエンジェルをその場で食いつくしそうになった俺に、そういえば瀬名さんは引いていた。
一切れ分くらいのスペースをフォーク一つで虫食いにさせたところで、俺の辞書にもナイフが加わったので文明化を推し進めることにした。
瀬名さんがナイフで綺麗に切り分けるのをおとなしく待つ。ベリーがたくさん乗っているところをリクエストした。小皿に盛られた。
小さくなっても美味そうなケーキだ。まだ切っていない部分には、チョコプレートが刺さっている。洗練された英語の筆記体でお祝いの言葉を示しながら。祝われているのは、俺だ。
「チョコプレートは俺のです」
「とらねえよ」
「これ絶対パパ活中って思われた」
「知ったことか、好きに思わせとけ。こっちは去年からプラン練ってる」
そう言って瀬名さんは腰を上げた。ベッドルームから何かを取ってくると、またすぐに戻ってくる。
テーブル越しに差し出されたのは、リボンのかかった長細い箱。
「なんです?」
「開けてみろ」
受け取ったそれのリボンを引いた。薄黄色の包装紙を剥がし、箱をパカッと開けると丸っこいお菓子が五つ並んでいる。
「これ……」
見覚えがあった。透明のフィルムが被さっているそれ。パステルカラーの可愛いマカロン。
「お前から初めて好きですという言葉を引き出した伝説のスイーツだ」
「勝手に伝説にすんな」
「好きじゃねえのか?」
「好きですよッ」
こういうのさえなければちゃんと感動するのに。
あれをきっかけに貢ぎ物の中には時折マカロンが挟まれるようになったが、今俺がもらったこれは、あの日初めて受け取ったマカロンだった。
透明のフィルムをペリッと剥がし、薄ピンク色の一個を手に取る。男の武骨な手なんかには相変わらず似合わなユルフワ加減。それの上半分にパクリとかぶりつき、口の中に広がる甘味。
あの時と全く同じだ。これを覚えていたのか。どこまでもマメな男だ。
「好きか」
「…………好き」
悔しいが好きなのでもう半分にも食いつく。サクサクなのにふんわりとしたお菓子を、今夜もまた貢がれた。
そうしてケーキとマカロンに俺がパクついている間、瀬名さんは手元で何かを用意しはじめた。
仲居さんが持っていたお盆にはケーキと一緒にいくつかの瓶が乗っていたのを俺も見た。そこから移された丸っこいグラスがテーブルの上で準備されていく。
水とソーダらしき透明の瓶に、深緑色のやや大きめな瓶に。そんなに大きくないミルクピッチャーに。それから氷がたっぷり入った入れ物も、瀬名さんは自分の近くに置いた。
それ知ってる。刑事ドラマで見たことある。酒飲むときに使うやつだ。たしかアイスペールとか言ったか。大抵は殺される金持ちがそれを使ってウイスキー飲んでる。
俺の目の前にウイスキーはないから殺される心配はないだろう。最後に濃いピンク色の液体が入った瓶が、コトッと置かれた。ラベルを凝視。苺の絵柄が入っている。
「お前のハタチ記念を祝して酒を用意してみた」
「酒……」
「最初はどうやって飲む?」
「どうやって……?」
「まあいい。試してみれば好みが分かる」
テーブルに揃えられた一式は、グラスに氷に色んな液体に、イチゴのラベルが貼ってある細長い瓶に。瀬名さんが言う通り、どう見てもお酒セットだ。
「……これもプラン?」
「ああ。惚れ直しただろ」
「えっと……いいえ。特には」
「無理すんなよ」
「してませんよ」
瀬名恭吾は普通にサラッとこれくらいやる男だから今さら惚れ直すポイントがない。
濃い赤色の液体でたっぷりと満たされている瓶は、ラベルが可愛いから不信感は皆無。酒と言うよりもむしろジュースに見える。
「イチゴの酒なんですか?」
「この宿で女子人気ナンバーワンのリキュールだ」
「女子人気ナンバーワンをなぜ俺に」
「似合う」
「どういう意味」
「口には合うと思う」
似合うかどうかはともかくとして、口には合う。いや、どうだろう。合わない気がする。ジュースっぽくても酒は酒だ。
大学に入ってさっそく法律を犯すことになった大人数の飲み会の席では、ビールなんかひとつも美味しくなかった。なぜ皆あれが好きなのかが分からない。喉越しとか言うなら炭酸水でいいじゃん。苦いだけで後味も悪かった。二年経った程度で不味かったものが美味いと感じるようにはならない。
実家ではじいちゃんが酒豪だった。その娘の母さんもザルだ。意外とばあちゃんも酒飲みで、じいちゃん以上のワクである事でご近所に知られている。飲み比べで負けた事はないらしい。
唯一親父だけが飲めないけれど、俺はその血を引いたのだろう。
なんの集まりかもよく分からないまま浩太に誘われてついていった二年前の四月のあの飲み会で、俺はきっと生贄みたいな立ち位置にあったはずだ。
なぜならウーロン茶とかコーラとかリンゴジュースとかを飲んでいる男は俺の他にもいたから。飲み会でソフトドリンクを頼んだからといって肩身の狭い思いをする奴はいない。体育会系の嫌な雰囲気ではなく、最低限の倫理感もあっただろう。
ハタチ前の女の子なんかには、ノンアルコールの可愛らしいカクテルがおすすめされていた。十代女子に飲酒させるのは厳禁。そこだけは謎の徹底ぶりだった。
女子に無理やり飲ませるようなクズ野郎は存在していなかったが、十代の男子新入生に飲ませて面白がるバカ野郎はいっぱいいた。男なら許されるなんて時代でもないけど実際その対象として俺はきっとちょうど良かった。女子の代わりに体を張らされたのだと、今振り返れば理解できる。
ウーロン茶をお供にひたすらポテトと枝豆を食い続けていたら知らない年上にコップを渡され、さらに別の知らない人からトプトプとビールを注がれ、十代ですけどと断ったらまあまあまあと肩を叩かれた。名前も顔も覚えていないが浩太みたいな陽キャだったのは覚えている。
断固として拒否すればおそらくは解放されたと思う。場が盛り下がりはしただろうが。興味のない飲み会だとしても、楽しそうなあの雰囲気をぶち壊せるほどの度胸はなかった。
苦い思い出になったビールのせいで、酒に良いイメージはない。
目の前にあるのは赤いリキュール。酒だ。いちごのラベルが可愛いけど、酒だ。
しかし折角用意してくれたならちょっとくらいは飲んでみた方がいい。というかすでに瀬名さんが注いでいる。オシャレなグラスに少量だけ。氷も水も何も入れない。
それをスッと差し出され、受け取った。見た目はジュースだ。匂いも甘い。いくらか試すだけのつもりで軽く口につけた瞬間、広がったのはイチゴの香り。
「…………うっま……ッ」
「ほらな。似合ってる」
「あなたの余計な一言どうにかならないんですか」
余計な一言を気にしなければ、イチゴのリキュールは抜群に美味かった。
割らなくても普通に飲める。意外だ。ウマい。なんで皆ビールなんか飲むんだ。こっちの方が俺は断然好きだ。
「リキュールってこういう感じなんですね。ほとんどジュースっぽい」
「それは特に甘いからな」
「酒くさくないし。わぁ、うまー」
「おい、あんま一気に飲むと…」
言われている途中でクイッと、仰いだ。
味も香りも甘いけれど、喉を落ちていく感覚はジュースとは違った。胃に浸る。それを自覚できるかのよう。しかし美味しいということは分かる。
元々グラスの中に少量注がれただけだったイチゴを飲み干し、コトッとテーブルに置く。瀬名さんが見てくる。様子を窺うような目で。
「大丈夫か……?」
「うん。美味いです」
「度数低めなのから一応選んだがそれでもそれ十五度あるぞ」
「へえ」
「……前に酒は無理みたいなこと言ってなかったか」
「言いました」
「…………」
甘い果実系のリキュールは酒ではなくジュースであると俺の辞書に加わった。
美味しいと分かれば堪能するのみ。ケーキとマカロンとまだ残っている料理を合間にちょいちょい挟みながら用意されたお酒セットを楽しむ。
お前はなんか危険そうだと言われて瓶を持たせてはもらえないから瀬名さんが全部用意してくれた。少量ずつチビチビと。
ロックも水割りもソーダ割りもいい。さすがイチゴなだけあってミルクと合わせると完全なるイチゴミルクジュースだ。学校の自販機の紙パックより美味い。俺の好みはきっとこれだ。
途中でそそっと瀬名さんが引っ込めようとしたのを止めさせた深緑色の瓶はスパークリングワインだそう。割ってもらった。ソーダとはまた違った感覚。最高だ。万能すぎやしないかイチゴリキュール。
しかもこのワインならばこれだけでも普通に飲める。大発見だ。ビールとは味が全然違った。
どうやらスパークリングワインは美味いらしい。料理と合わせるならこれがいい。肉にも合う。和食にも合う。すげえ。
「瀬名さんもワイン飲んだらどうです?」
「俺は遠慮しとく」
「まだ禁酒してんの?」
「禁止しなきゃならねえほど元からそんな酒は飲まない」
「ふーん」
いつだっけかの泥酔事件をいまだに引きずっているようだ。意志が強いのかメンタルが弱いのか。
俺のイチゴはいくら飲んでも酔わないようにできてるっぽいから、アルコールの入った炭酸割りもクイクイッとすぐ飲み干した。
お代わりを期待してグラスをテーブルに。数秒間を置き、瀬名さんが言った。
「……そろそろやめとくか」
「やめません。イチゴミルクが美味い」
「…………」
渋々といった様子で差し出された追加のイチゴミルクは心なしかミルクの割合が多くなった気がする。イチゴ風味のミルクという感じだが、どちらにしても好みだった。
飲んで食ってと続けていたらテーブルの皿の上はいつの間にか綺麗になっている。お盆の上にはお酒セットの他にティーセットも乗っていたようで、最後に温かい紅茶でイチゴを割ってくれた。
紅茶とリキュール。どうなんだ。半信半疑で飲んでみれば、物凄く合う。フルーツティーみたい。
苦い酒は好きじゃないけど、甘い酒なら美味しく飲めると知った。
「美味かったぁ。満足です」
「そりゃあれだけ飲めばな」
「ケーキも最高でした」
「そりゃ丸ごと食い尽くせばな」
残しておいたチョコレート製のハピバプレートは、最後の最後でパキッと味わった。
そこからすぐ部屋に運ばれてきた夕食。絶好のタイミングでありつけたご飯を、昨夜に引き続きバクバク食べ進める。刺身にカニにと目移りしながらひたすら咀嚼筋を鍛えていたら、四十分くらいした頃に再び仲居さんがやって来た。
愛想の良い振る舞いで焦げ茶色のお盆を持ってきたその人に、それはここにそれはこっちにと瀬名さんが丁寧にお願いしていく。
お盆はテーブルの近くに置かれた。テーブルの上にはケーキが出された。可愛いサイズのホールケーキだ。色違いのベリーが沢山乗っかっている。
「おぉ……」
「折角だからな」
誕生日ケーキだ。お祝いされた。ケーキの真ん中のチョコプレートにはハピバって英字で書いてある。
長居も余計なお喋りもしない丁寧な仲居さんはこれまた愛想よく失礼いたしますと言って去っていった。二人しかいない空間に戻り、なのでとりあえず叫びたくなる。
「ケーキ!」
「そうだな」
「ありがとう美味そう!」
思いっきりシャキンッとフォークを握った。一人で食いきれそうなサイズ感だが上に散りばめられたベリーはキラキラしている。真っ白い生クリームは濃厚に違いない。
顔面から突っ込みたいのは我慢した。どの角度から食うか見極めながらギリっとフォークに力を込めると、向かいから瀬名さんが冷静な眼差しで見てくる。
「文明人が使う道具の一つにナイフっていうのがあるんだが知ってるか」
「俺の辞書にその文字ないんでこのままいきます」
「そうか」
瀬名さんが諦めたのでフォークを構える。まず攻めるべきはやっぱり目の前。ハピバプレートの真正面。
モフッとフォークを突っ込んで、生クリームとスポンジを大振りに掬い上げた。なんてやわらかい感触だろう。それをパクリと、口に放り込む。
「……っんまー!」
ふわっと広がったなめらかなクリーム。思ったとおり濃密で濃厚。体温でとろりと溶けていく。
「クリームこっくりしてんのに柔らかい。スポンジなんかふっかふかですよ。ここの料理人さんはなんでも作れるんですね」
「言っただろ。俺たち庶民にも優しい」
ケーキが出てくるのは聞いていなかった。あるだろうとも思っていなかった。でも瀬名さんだ。抜かりない男だ。三種類のベリーをふんだんに使ったお菓子くらい普通に用意する人だ。
ふっくらしたブルーベリーだけ一粒食ってみると甘みはしっかりしている。完熟だ。クリームごとフォークが到達した赤っぽい実はラズベリー。ほのかな酸味が加わって爽やか。もう一つのラズベリーの親戚みたいなこいつはブラックベリーとかいうやつだろう。ラズベリーよりももうちょっと甘い。スポンジごとモッフリ食った。
濃厚なクリームは意外にも甘すぎない。上品な砂糖の風味を感じる。瀬名さんの口も開けさせて、テーブル越しにフォークを突っ込んだ。
「ヤバくないすか?」
「ああ。美味いな」
「永遠に食える」
「そのサイズにして良かった」
なるほどだからちょっと小さめなのか。去年のホワイトエンジェルをその場で食いつくしそうになった俺に、そういえば瀬名さんは引いていた。
一切れ分くらいのスペースをフォーク一つで虫食いにさせたところで、俺の辞書にもナイフが加わったので文明化を推し進めることにした。
瀬名さんがナイフで綺麗に切り分けるのをおとなしく待つ。ベリーがたくさん乗っているところをリクエストした。小皿に盛られた。
小さくなっても美味そうなケーキだ。まだ切っていない部分には、チョコプレートが刺さっている。洗練された英語の筆記体でお祝いの言葉を示しながら。祝われているのは、俺だ。
「チョコプレートは俺のです」
「とらねえよ」
「これ絶対パパ活中って思われた」
「知ったことか、好きに思わせとけ。こっちは去年からプラン練ってる」
そう言って瀬名さんは腰を上げた。ベッドルームから何かを取ってくると、またすぐに戻ってくる。
テーブル越しに差し出されたのは、リボンのかかった長細い箱。
「なんです?」
「開けてみろ」
受け取ったそれのリボンを引いた。薄黄色の包装紙を剥がし、箱をパカッと開けると丸っこいお菓子が五つ並んでいる。
「これ……」
見覚えがあった。透明のフィルムが被さっているそれ。パステルカラーの可愛いマカロン。
「お前から初めて好きですという言葉を引き出した伝説のスイーツだ」
「勝手に伝説にすんな」
「好きじゃねえのか?」
「好きですよッ」
こういうのさえなければちゃんと感動するのに。
あれをきっかけに貢ぎ物の中には時折マカロンが挟まれるようになったが、今俺がもらったこれは、あの日初めて受け取ったマカロンだった。
透明のフィルムをペリッと剥がし、薄ピンク色の一個を手に取る。男の武骨な手なんかには相変わらず似合わなユルフワ加減。それの上半分にパクリとかぶりつき、口の中に広がる甘味。
あの時と全く同じだ。これを覚えていたのか。どこまでもマメな男だ。
「好きか」
「…………好き」
悔しいが好きなのでもう半分にも食いつく。サクサクなのにふんわりとしたお菓子を、今夜もまた貢がれた。
そうしてケーキとマカロンに俺がパクついている間、瀬名さんは手元で何かを用意しはじめた。
仲居さんが持っていたお盆にはケーキと一緒にいくつかの瓶が乗っていたのを俺も見た。そこから移された丸っこいグラスがテーブルの上で準備されていく。
水とソーダらしき透明の瓶に、深緑色のやや大きめな瓶に。そんなに大きくないミルクピッチャーに。それから氷がたっぷり入った入れ物も、瀬名さんは自分の近くに置いた。
それ知ってる。刑事ドラマで見たことある。酒飲むときに使うやつだ。たしかアイスペールとか言ったか。大抵は殺される金持ちがそれを使ってウイスキー飲んでる。
俺の目の前にウイスキーはないから殺される心配はないだろう。最後に濃いピンク色の液体が入った瓶が、コトッと置かれた。ラベルを凝視。苺の絵柄が入っている。
「お前のハタチ記念を祝して酒を用意してみた」
「酒……」
「最初はどうやって飲む?」
「どうやって……?」
「まあいい。試してみれば好みが分かる」
テーブルに揃えられた一式は、グラスに氷に色んな液体に、イチゴのラベルが貼ってある細長い瓶に。瀬名さんが言う通り、どう見てもお酒セットだ。
「……これもプラン?」
「ああ。惚れ直しただろ」
「えっと……いいえ。特には」
「無理すんなよ」
「してませんよ」
瀬名恭吾は普通にサラッとこれくらいやる男だから今さら惚れ直すポイントがない。
濃い赤色の液体でたっぷりと満たされている瓶は、ラベルが可愛いから不信感は皆無。酒と言うよりもむしろジュースに見える。
「イチゴの酒なんですか?」
「この宿で女子人気ナンバーワンのリキュールだ」
「女子人気ナンバーワンをなぜ俺に」
「似合う」
「どういう意味」
「口には合うと思う」
似合うかどうかはともかくとして、口には合う。いや、どうだろう。合わない気がする。ジュースっぽくても酒は酒だ。
大学に入ってさっそく法律を犯すことになった大人数の飲み会の席では、ビールなんかひとつも美味しくなかった。なぜ皆あれが好きなのかが分からない。喉越しとか言うなら炭酸水でいいじゃん。苦いだけで後味も悪かった。二年経った程度で不味かったものが美味いと感じるようにはならない。
実家ではじいちゃんが酒豪だった。その娘の母さんもザルだ。意外とばあちゃんも酒飲みで、じいちゃん以上のワクである事でご近所に知られている。飲み比べで負けた事はないらしい。
唯一親父だけが飲めないけれど、俺はその血を引いたのだろう。
なんの集まりかもよく分からないまま浩太に誘われてついていった二年前の四月のあの飲み会で、俺はきっと生贄みたいな立ち位置にあったはずだ。
なぜならウーロン茶とかコーラとかリンゴジュースとかを飲んでいる男は俺の他にもいたから。飲み会でソフトドリンクを頼んだからといって肩身の狭い思いをする奴はいない。体育会系の嫌な雰囲気ではなく、最低限の倫理感もあっただろう。
ハタチ前の女の子なんかには、ノンアルコールの可愛らしいカクテルがおすすめされていた。十代女子に飲酒させるのは厳禁。そこだけは謎の徹底ぶりだった。
女子に無理やり飲ませるようなクズ野郎は存在していなかったが、十代の男子新入生に飲ませて面白がるバカ野郎はいっぱいいた。男なら許されるなんて時代でもないけど実際その対象として俺はきっとちょうど良かった。女子の代わりに体を張らされたのだと、今振り返れば理解できる。
ウーロン茶をお供にひたすらポテトと枝豆を食い続けていたら知らない年上にコップを渡され、さらに別の知らない人からトプトプとビールを注がれ、十代ですけどと断ったらまあまあまあと肩を叩かれた。名前も顔も覚えていないが浩太みたいな陽キャだったのは覚えている。
断固として拒否すればおそらくは解放されたと思う。場が盛り下がりはしただろうが。興味のない飲み会だとしても、楽しそうなあの雰囲気をぶち壊せるほどの度胸はなかった。
苦い思い出になったビールのせいで、酒に良いイメージはない。
目の前にあるのは赤いリキュール。酒だ。いちごのラベルが可愛いけど、酒だ。
しかし折角用意してくれたならちょっとくらいは飲んでみた方がいい。というかすでに瀬名さんが注いでいる。オシャレなグラスに少量だけ。氷も水も何も入れない。
それをスッと差し出され、受け取った。見た目はジュースだ。匂いも甘い。いくらか試すだけのつもりで軽く口につけた瞬間、広がったのはイチゴの香り。
「…………うっま……ッ」
「ほらな。似合ってる」
「あなたの余計な一言どうにかならないんですか」
余計な一言を気にしなければ、イチゴのリキュールは抜群に美味かった。
割らなくても普通に飲める。意外だ。ウマい。なんで皆ビールなんか飲むんだ。こっちの方が俺は断然好きだ。
「リキュールってこういう感じなんですね。ほとんどジュースっぽい」
「それは特に甘いからな」
「酒くさくないし。わぁ、うまー」
「おい、あんま一気に飲むと…」
言われている途中でクイッと、仰いだ。
味も香りも甘いけれど、喉を落ちていく感覚はジュースとは違った。胃に浸る。それを自覚できるかのよう。しかし美味しいということは分かる。
元々グラスの中に少量注がれただけだったイチゴを飲み干し、コトッとテーブルに置く。瀬名さんが見てくる。様子を窺うような目で。
「大丈夫か……?」
「うん。美味いです」
「度数低めなのから一応選んだがそれでもそれ十五度あるぞ」
「へえ」
「……前に酒は無理みたいなこと言ってなかったか」
「言いました」
「…………」
甘い果実系のリキュールは酒ではなくジュースであると俺の辞書に加わった。
美味しいと分かれば堪能するのみ。ケーキとマカロンとまだ残っている料理を合間にちょいちょい挟みながら用意されたお酒セットを楽しむ。
お前はなんか危険そうだと言われて瓶を持たせてはもらえないから瀬名さんが全部用意してくれた。少量ずつチビチビと。
ロックも水割りもソーダ割りもいい。さすがイチゴなだけあってミルクと合わせると完全なるイチゴミルクジュースだ。学校の自販機の紙パックより美味い。俺の好みはきっとこれだ。
途中でそそっと瀬名さんが引っ込めようとしたのを止めさせた深緑色の瓶はスパークリングワインだそう。割ってもらった。ソーダとはまた違った感覚。最高だ。万能すぎやしないかイチゴリキュール。
しかもこのワインならばこれだけでも普通に飲める。大発見だ。ビールとは味が全然違った。
どうやらスパークリングワインは美味いらしい。料理と合わせるならこれがいい。肉にも合う。和食にも合う。すげえ。
「瀬名さんもワイン飲んだらどうです?」
「俺は遠慮しとく」
「まだ禁酒してんの?」
「禁止しなきゃならねえほど元からそんな酒は飲まない」
「ふーん」
いつだっけかの泥酔事件をいまだに引きずっているようだ。意志が強いのかメンタルが弱いのか。
俺のイチゴはいくら飲んでも酔わないようにできてるっぽいから、アルコールの入った炭酸割りもクイクイッとすぐ飲み干した。
お代わりを期待してグラスをテーブルに。数秒間を置き、瀬名さんが言った。
「……そろそろやめとくか」
「やめません。イチゴミルクが美味い」
「…………」
渋々といった様子で差し出された追加のイチゴミルクは心なしかミルクの割合が多くなった気がする。イチゴ風味のミルクという感じだが、どちらにしても好みだった。
飲んで食ってと続けていたらテーブルの皿の上はいつの間にか綺麗になっている。お盆の上にはお酒セットの他にティーセットも乗っていたようで、最後に温かい紅茶でイチゴを割ってくれた。
紅茶とリキュール。どうなんだ。半信半疑で飲んでみれば、物凄く合う。フルーツティーみたい。
苦い酒は好きじゃないけど、甘い酒なら美味しく飲めると知った。
「美味かったぁ。満足です」
「そりゃあれだけ飲めばな」
「ケーキも最高でした」
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