貢がせて、ハニー!

わこ

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154.ウェルカムスイーツⅠ

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「すっげえ……!」
「気に入りそうか」
「うんッ、高そう!」
「ガキこら。情緒」

 二月二十一日。二人でお出かけ。いつものデートよりもちょっと遠出だ。それにいつもよりちょっと荷物が多い。
 予定は二泊。二十三日まで。真ん中に俺の誕生日を挟み、瀬名さんが旅行のプレゼントをくれた。

 丁寧なスタッフさんに案内されてきたのは上品な和洋折衷空間。広い玄関から入って最初に目にするのは縁なし畳だ。薄草色からいい匂いがする。床の間まである本格仕様だが和モダンな雰囲気なのでどの年齢層からも気に入られそう。
 和室の隣のこれまた大きな部屋の一角は小上がりになっていて、そこに広々としたベッドが二つ並んで配置されている。和と洋が程好く同居していた。それでいて統一感があるため落ち着く。

「サイトで見たより広い気がします」
「走り回るなよ」
「俺をいくつだと」

 本当は走り回りたいテンションだけど笑われないよう武士っぽく歩いた。
 和室の奥はそれこそ走り回れそうなリビング。窓際にはテーブルを挟むようにして、ゆったりした肘掛椅子が置いてある。旅行好きには結構多いらしい広縁ファンへのお気遣いを思わせるような様相だった。

 磨き上げられた窓の向こうにはテラスが広がり、やわらかい明かりが差し込んでいる。大きな掃き出し窓をサッと開け広げ、二人で外に踏み出てみれば冷たく澄み切った空気に触れた。
 ゆっくりくつろげそうなガーデンチェアが備えてあるその場所のすぐ横。かけ流されている温泉の音がチョロチョロと心地よく響いていた。透き通ったお湯が行き着く先の、四角い露天風呂が豪華だ。

「高級!!」
「もっと他に言いようあるだろ」
「……ヒノキ!! たぶん!!」
「ヒノキで合ってる」

 合ってた。

 宿は一緒に選んだから露天風呂が付いているのはもちろん分かっていた。でも実物はもっと雰囲気がある。なにしろ目の前に広がっているのは人の気配のない大自然。森だ。冬の木々と広い空だ。今日は雲ひとつない空だけれど、降り積もったままの雪がまだあちこちに残っていた。
 休眠中の落葉樹がほとんどであるが稼働中の奴らもそこここに交じっている。灰褐色に紛れる常緑の木々はその分色合いも濃いように思えた。姿は見えないがピチピチ鳴いているのは小さめの鳥たちだろう。

 夏の時期の一面緑とは違うが、不思議ともの寂しさは感じない。高低差のある木々の間からはタヌキやなんかがひょっこり現れそう。リスなどの小動物は間違いなくいる。さすがにキツネはいないだろうか。
 もしも冬に出会えたとするなら、森の仲間たちはきっとモッフリしている。

「ここにリス来ないかな」
「小さな仲間たちと遊ぶよりも俺とイチャイチャした方が楽しいと思う」
「どんぐり持ってくればよかった」
「無視するな」

 愉快な仲間たちとの触れ合い体験がなくともここでは存分に満足できるはず。綺麗なお湯に満たされている、ヒノキ風呂の前で腰をかがめた。
 指先だけをチャポッと触れさせる。熱すぎない。ぬるくもない。こういうところで触れるお湯というのはなぜか柔らかく感じるようだ。

「あったかい」
「イチャイチャするのに最適な温度だ」
「この位置からの景色も最高」
「無視するな」

 サイドと上部の半面は頑丈な板壁と屋根で覆われているので完璧なプライベート空間が出来上がっている。圧迫感のない手すりを越えた向こうに広がっているのは森林だから、人の目を気にすることなく抜群の解放感を味わえる。
 最高。これがリッチな気分ってやつか。少なくとも小中高の修学旅行で泊まってきたどの部屋とも様子は異なる。

 立ち上がって手すりに乗っけた両腕。前に寄りかかる。聞こえてくるのは森の音だ。隣からは優しい声も。

「長旅だったから疲れたか?」
「いいえ、全然。駅弁も美味かったし」
「お前には食いもん与えときゃ万事解決だな」
「失礼な」
「帰りは特別に新幹線の形した弁当買ってやる」
「だから俺をいくつだと」

 お子様弁当ちょっと気になっていたけど。笑ってやがるってことはどうせバレている。

 隣からそっと腰を押されて一旦戻った部屋の中。チェックインの時間が十五時だったから、ついさっきまではフロントに荷物を預けて辺りをフラフラ散策していた。俺の地元とも瀬名さんの地元とも同じ国なのに雰囲気は違う。途中で見つけた足湯には、二人で両足を突っ込んできた。

 始まったばかりだがすでに楽しい。泊まる場所もこんなに素晴らしい。そわそわと室内を観察していたら瀬名さんが俺の肩に触れた。

「とりあえず上着脱いだらどうだ」
「あ、うん。あ、どうも」

 コートを脱ごうとゴソゴソ動きだせば当たり前のように手伝ってくれる。この男はどこにいようと基本的にこうだが旅行中でもやっぱりブレない。瀬名さんの手に移った重みのあるコートは、和室のクローゼットに丁寧に掛けられた。

 瀬名さんは旅館に慣れているのだろうか。俺はというと不慣れな初心者だ。
 学校行事以外の旅館宿泊は初めてのことであって、泊まりがけで家族旅行に出かけたことですら一度もない。家の中に入れたガーくんの様子を午後にでも見に来てもらうよう仲のいいご近所さんに頼み、日帰りの外出であれば稀に全員でしていたけれど。

 なもんで旅館にはほぼ馴染みがない。大学受験の時の前泊経験によってホテル探しならば得意になったが、安さが売りのビジネスホテルに風情なんてものがあるはずもなく。
 広縁がない温泉宿は許せねえ派だったりするか。瀬名さんが真剣にそう聞いてきたときも、俺は最初ピンとこなかった。

 広縁の良さを理解するにはまだまだ殻付きのヒヨッコだけれど、大きな和室の座卓の上に置いてある丸っこい箱の中身がお茶菓子セットなのは分かる。目敏く発見するなりビシッと注意が向いた。

「なんかある。あれ食いましょう」
「十分前くらいに饅頭食ってきただろそこで」

 足湯があった場所の程近くにはいろんなお店が並んでいた。そのうちの一つの和菓子屋さんにあったバラ売りの揚げまんじゅうを五秒見ていたら瀬名さんが買ってくれた。外側がカリカリでとても美味かった。

 揚げまんじゅうを俺に与えたばかりの大人は、難色を示すような口振りとは裏腹にすでにお茶の用意を始めている。
 手厚いし手早い。テキパキともてなされている。やはり瀬名さんは慣れているようだ。
 お着き菓子は失神しないよう風呂に入るちょっと前くらいに食うのがいいとか聞いたことあるけど知ったことか。俺はすぐ食う。風呂に入るのはもう少々後にするけれども今食う。焦げ茶色の座卓の前の、ふかっとした座布団に上がった。

 湯呑にトポトポとお茶を注がれ、細い湯気がゆらゆら立ちのぼる。お茶っぱの香りと畳の匂いは最高に合っていた。素晴らしい。これぞ旅館だ。修学旅行でしか泊まったことないけど。
 小さな饅頭の袋をカサカサ開けて、さっそく上半分にパクリと食いつく。薄皮のこしあん。黒糖風味。

「んまい」
「そうか」
「食わないの?」
「俺はいい。あとでお前が食え」

 こしあんでも粒あんでも俺は好きだがこのモチッとした触感にはなるほどこしあんが合っている。薄皮もふっくら皮も俺は好きだがこの味には薄皮が抜群に合う。

「これと同じの売店にあるかな」
「多分ある。帰る時買ってやるから今は一個だけにしとけよ」
「…………」
「知らんふりするな。おいこら手を伸ばすんじゃねえ、後にしなさい」

 お預け食らった。お菓子が乗っかっている皿ごと瀬名さんの手が俺から遠ざけていく。短時間でまんじゅう三つも食うのは許してもらえない。
 三口で食い終わってしまったまんじゅうの片一方は仕方ないので後にする。淹れてもらったばかりの熱いお茶を代わりに手に取って口につけた。

「お、うまい。このお茶っ葉も帰り買ってこ」
「自らカモになることの何が楽しいんだ」
「カモられおじさんがそれ言うんですか」
「俺はカモられてるわけじゃねえ。精一杯の愛を示してるだけだ」
「金で?」
「愛だ」

 手段は金だ。
 この宿代だけでも俺の一ヶ月分のバイト代は軽く吹っ飛ぶ。それどころかマイナスは免れない。野暮なこと聞くんじゃねえと言われてしまったから正確な宿泊費を俺は知らないが、これはまさに懐に余裕のある社会人のなせる業だろう。

 お茶をもうひと口クイッと飲んでから落ち着きなく立ち上がった。せっかく金で愛を示してくれたのだから二泊を満喫し倒したい。

「リスが偵察に来てないか見てきますねカモさん」
「誰がカモさんだ」

 磨き上げられた窓をカラカラと開け、綺麗なテラスに再び踏み出た。木材に包まれていることに加えて日差しもあるからそう寒くはない。
 少し遅れて瀬名さんも出てきた。腹の前にはその両腕が、やわらかい力加減でスルッと回される。

「残念だがリスは来ないと思う」
「クルミ並べとけば来るかも」
「クルミもないから諦めろ。小動物なんかやめて俺にしとけよ」
「リスのがいいです」
「一生歯が伸び続ける哺乳類の何がいいんだ」
「げっ歯類をバカにしないでください」

 浩太のところのハムちゃんを抱っこしてから俺もすっかりげっ歯類ファンだ。

「リスは見てるだけで癒されます」
「俺は持ち前の包容力でお前を癒せる」
「自分で言うんだ」
「あいつらはちょこまか動きまわって頬袋膨らませるだけの生き物だぞ。奴らにふかふかのオムレツを焼きあげるだけのスキルがあると思うのか」
「知らないんですか。リスは松ぼっくりをエビフライにできるんですよ」
「なんだと」
「あなたはオムレツを習得するのにかなりの時間を要しましたがリスが松ぼっくりを上手にかじるのは生まれ持った才能です。あなたのふかふかオムレツは食ったらそれで終わりですがリスの芸術的なエビフライは現物保存が可能なので半永久的に楽しめます」
「…………帰ったらエビフライの特訓をする」
「あなたに揚げ物はまだ無理ですよ」

 台所をめちゃめちゃにされるのがオチだろう。しょぼくれた瀬名さんが後始末するのを手伝う未来なんて絶対に嫌だから心を鬼にして断言したところ腹に回っていた両腕がはがれた。
 心なしかよろよろしながら、俺の横で手すりに手をついたこの人。ガックリと項垂れ、絶望したように、それでいて悔しそうに呟いた。

「……クソが。リスめ」

 大げさだし大人げないし。この人の場合はこれがガチだからなおのこと怖い。

「こうなったら打倒リスだ。俺にできることの全てを駆使してお前を振り向かせてみせる」
「いいよそういうのメンドくせえから」
「俺を面倒くさがるな。ひとまず誕生日プレゼントは何がいい」
「は?」
「プレゼント」
「……リスにムカつきすぎてボケました?」
「ボケてねえ」
「もうこの旅行もらってるんですよ」
「今なら特別サービス実施中だから他に欲しいもの言ってみろ」

 誕プレリクエストの強制をされたのなんて生まれて初めてだ。しかし急に言われてもな。

「……びっくりするくらい思いつきません」
「初対面の頃からそいとこだけは変わらねえ。食い意地は張ってるくせになんとも欲のねえガキだ」
「人並みに欲はありますってば」
「じゃあ言え。なんかあるだろ一個くらい」
「欲しいと思う前にいつもあなたがくれちゃってるので候補すらすでに搾り取られてます」
「遥希に一個貢ぐと俺の寿命が一日延びるシステムだからな」

 初耳だ。

「そのシステムはちょっと考え直すべきかと」
「大事な恋人を長生きさせたけりゃつべこべ言わずに付き合えよ」

 打倒リスはどこに行ったのだろう。

 イチ貢ぎにつき一日長生きなら瀬名さんの寿命は最終的にすごいことになりそうな気がするが、改めて欲しいものを聞かれるとこれが案外思い浮かばない。だって他に何が必要か。俺は十分に満たされている。なんて恵まれた人生だろう。
 自分の境遇をしみじみ有難がっていると、瀬名さんが付け足すように言った。

「物じゃなくてもいい」
「と言うと……?」
「やりたいことでもなんでも」
「えぇ……あー、うーん、じゃあ…………あ」
「あ?」
「そうだ。あります」
「なんだ」
「一個だけ昔からどうしてもやりたいことがあったんですよ」
「よしきた。言ってみろ」
「ネッシー見たい」
「とんでもねえスケールで来やがった」

 ネッシー見たい。

「ネッシー乗りこなして世界を旅するのが俺の小一の時の夢でした」
「小一の男の夢っつったらプロ野球選手かサッカー選手だろ。そんなファンタジーな夢持ってる奴いるのか」
「ここにいましたね。作文にも書いた記憶があります」
「担任の先生はコメントに困っただろうな。つーかお前ネッシー信じてんのか?」
「信じることを人間が知らなかったら科学は発展してません」
「もっともだ」

 ネッシーどころかここはネス湖ですらなくそもそもここらに湖はない。
 それでもなおネッシー以外の選択肢を寄越さない俺を前にしてしばし考えこんだ瀬名さんは、一つの解決策を編み出したようだ。うかがうようにこっちを見てくる。

「ネッシーのぬいぐるみなんかじゃ……」
「ダメ」
「デカいの。乗れるくらいのやつ」
「いらない」
「世界に一つだけのオーダーメイドでもか」
「俺は別にぬいぐるみ収集家とかではないですよ」

 これからハタチになるって男にぬいぐるみをプレゼントしてこようとすんな。だいたいあのベッドはすでにクマ雄とウソ子で定員オーバーだ。
 さすがの瀬名さんでもネッシー見物は叶えられない。ツチノコと遊びたいと言っても架空の生き物のぬいぐるみオーダーメイドを提案されるだけだろう。

 旅行中のプランは立てたけれどもスケジュールにはかなりの余裕を持たせてある。隙間なく詰め込んだわけじゃないから自由度の高い旅だ。
 ホテルからちょっとのところには海がある。トレッキングにちょうどいい山もある。少々行けば飲食店街やお土産街も賑わっていて、遊ぶ場所には事欠かない。三日間で目いっぱい楽しめる。
 だったらまずはやっぱり、これしかない。

「じゃあ分かりました。ネッシーの代わりに明日は一緒にヤドカリ探してください」
「あ? ヤドカリ?」
「二匹捕まえて相撲取らせるんです」
「やめてやれ」

 硬そうな生き物を二匹捕まえて相撲取らせるのは定番だ。
 十代最後で二十代最初のプレゼントはヤドカリ探索に決まった。
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