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70.ジェラシーⅠ
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「にしても、でっかくなったよなぁ」
「それ何回言うの。ショウくんこそすっかりおじさんになったよ」
「お前もそれ十三回目だぞ」
全国のおじさん達はおじさんと呼ばれることに敏感だ。
ショウくんに連れられてやってきた中華店は広すぎず狭すぎず。夜はコース料理が中心らしいが、昼時はランチ限定の定食メニューが人気だそう。
まだ十一時になったばかりだから大混雑というほどではない。しかしすでに盛況ではあった。周りのテーブルに運ばれてくる大皿の上の料理はどれも美味そう。
「あームリ、この匂いだけで腹減ってくる。朝メシ食ったのに」
「食ったのかよ。すっからかんにしてこいよ」
「大丈夫。激烈に腹減ってる」
「朝メシ食ってそれは燃費悪すぎんだろ」
朝ごはんは瀬名さんが作ったミニオムレツもどきの炒り卵だった。瀬名さんはちょいちょいオムレツを練習しているがなかなか炒り卵から抜け出せずにいる。
ショウくんは基本的に自炊しているそうだ。得意料理はレンジで作るパスタとお湯をぶっかけるだけのお茶漬け。それらを料理と言うのか疑問を呈したら魚も焼けると胸を張られた。
長いこと会っていなかったのに不思議な程ぎこちなさがない。地元の人間と話すこと自体が俺にとっては久々だった。
「本当のこと言うとさ、俺この前駅でショウくんに声かけられるまでショウくんの存在自体完全に忘れてたんだよね」
「ひでぇ」
「だって最後に会ったの小五だよ? 先に地元捨てたのはショウくんじゃん」
「捨ててねえよ、盆か正月には帰省してる。お前こそさっそく帰ってねえんだろ?」
「なんだかんだで。バイトもあるし」
「ガーくんに存在忘れられてるかもな」
「うわ、それはヤダ」
庭に足を踏み入れた途端に威嚇されたら立ち直れない。くちばしで攻撃されたらどうしよう。
「今年の夏は?」
「帰ってこいとはずっと言われてるんだけど……免許も取り行くから無理そうかな」
「ああ持ってねえのか」
「うん。来月に合宿教習予約してある」
合宿免許は気合を入れて早めに予約をしておかないとどこも満員で取れなくなると小宮山が春頃に教えてくれた。なので気合を入れて五月末に予約をとった。
日程はマニュアルでも十八日間くらい。時期的に少々料金は高かったものの、最短のスケジュールはやはり有りがたい。三食ごはん付きなのも嬉しい。
「けどその前に大学の試験パスしないと」
「学生はそんな時期だよな。全部通りそうか?」
「たぶん。一個めちゃくちゃ不安なのあるけど」
「なに」
「フランス文学」
「フランス文学? お前が?」
「俺の周りみんなその反応する」
人をなんだと思っているのか。どいつもこいつもとことん失礼。
「必修単位?」
「ううん、俺の学部だと自由選択。履修科目決める時にコマ余ったから入れただけ」
「じゃあ自分で選んだのか……」
「うん。教養として面白そうかなって」
「じいちゃんの軽トラから降りた瞬間に駆けだしてたあの遥希がなぁ……」
「随所でしみじみするのやめてよ」
九年もあれば田舎のクソガキもちょっとくらいは成長する。
「ばあちゃんは。元気か?」
「元気だよ。じいちゃんのことはあと二十年待たせるっていつも言ってる」
「仲良かったからなあの二人も」
ウチのじいちゃんとばあちゃんは大恋愛の末に結婚したらしいがこういう話が普通にできるのも地元の古い友人ならではだ。
じいちゃんばあちゃんのおしどりっぷりはご近所でも有名だった。ばあちゃん曰く若い頃のじいちゃんは目の覚めるようなイケメンだったらしい。
店内を覆っている豆板醤やらごま油やらの匂いが食欲を刺激してくる。空腹を抱えつつも昔話を交えながら、グラスに伸びたショウくんの手をつられるようにして目で追いかけた。
半袖の黒いシャツから覗くその腕。この前会った時のショウくんは仕事帰りで長袖のシャツだったから服越しには気づかなかったが、瀬名さんと同じくらいしっかりしている。
「……ショウくん何かスポーツやってる?」
「うん? ああ、たまにな。自宅の近くにボルダリングジムがあるから」
ここにもそういう人がいた。
「昔も木登り得意だったもんね」
「お前も常に動き回ってたろ。今なんかやってねえのか?」
「花屋でプランター持ち運んだりしてる」
「それはスポーツとは言わねえよ」
足腰が鍛えられるのは確かだ。トータルの運動量も多いからうっかりしていると筋肉をつけるどころか体重がちょっと減る。
自分の二の腕をチラリと見てから、ショウくんの腕に目を向けた。引き締まった上腕二頭筋に、前腕の筋とか、血管の出方とか。
見ているうちについつい誘われヒタッと手のひらで触れていた。馴染みのある弾力感。日常的に鍛えている人の腕だ。
「すげえ……いいなぁ、カッケー」
「…………」
スポーツをしていることが一発で分かる。そんな腕にペタペタ触れた。
最近の三十代はすごい。一昔前のおじさんと言えば本当におじさんだったイメージがある。瀬名さんと言いショウくんと言い、若々しい見た目を裏切らず完璧なアスリート体型だ。
「……合コン中の思わせ振りな女子かよ」
「え? あ、ごめん」
あんまりペタペタしていたらショウくんから呆れたような一言。瀬名さんはいつも腕とか腹とか触らせてくれるからつい。
「俺もこれくらいになりたい」
「花屋でプランター持ち上げるだけじゃたいして筋肉はつかねえって」
「部屋でできるような筋トレくらいはしてるもん」
「んー、じゃあ……体質?」
「体質……」
絶望的な一言だ。ベッドの下の瀬名さんのダンベルを時々こっそり拝借していた俺の努力はなんだったんだ。
「まあでもいいじゃんかよ、健康ならそれで。ガリガリって訳じゃねえんだし」
「バキバキの方がカッコイイ」
「お前は昔からアメコミヒーローとか好きだったもんな」
戦隊モノも好きだった。男の子の憧れはいつの世も赤色。必殺技を真似しながらあぜ道だろうと庭だろうと所かまわず駆け回っていたらショウくんがダンボールの武器を作ってくれた。
当時はやっていたのは勇者系で、修練を積んでヒーローパワーがついに頂点を超えたその時、手の中にピカッと光って現れるという設定のなんかスゴイ武器。真のヒーローだけが使うことのできる超カッコイイ伝説の剣だ。
人間の記憶は不思議で都合がいい。つい先日まではショウくんという地元の兄ちゃんを忘れていたのに、再会してあれこれ話してみると次々に思い出が溢れ出す。戦友にでも会った気分だ。実際ショウくんは剣と一緒に大きめの盾も作って俺の必殺技を受け止めてくれた。
筋肉談義と思い出話をしているうちにランチメニューのセットか運ばれてきた。
俺はガッツリいきたかったから大盛の麻婆豆腐セット。ショウくんはエビチリセットだ。麻婆豆腐かエビチリかどっちにしようか迷っていたらショウくんがエビチリにしてくれた。
食欲を誘う香りと見栄えを前にしてパンッと合わせたこの手。
「いただきますっ、めちゃくちゃいい匂い!」
「ここの麻婆豆腐は見た目よりもちょっと辛くて見た目よりも五倍は熱いから気を付けろ。いったん様子見た方がいい」
「う、ウッス」
躊躇。見た目よりも五倍熱いってなに。そこまで慎重になるほど凄いのか。
見るからに刺激的な色と香りでユラユラ湯気の立っている麻婆豆腐を軽くレンゲで掻き混ぜてから、忠告に従い一旦は引いてみて割り箸をパキッと割った。ひとまずスープで敵情視察。美味い。かき卵もふわふわだ。
お預け中の麻婆豆腐の湯気は数秒程度じゃ消えそうにない。
「ウチのお隣さんがさ」
「お隣さん?」
「すっげえいい筋肉してんだよ」
「へえ」
「ゴリゴリじゃないんだけど綺麗に締まってて腹筋もヤバいし。それがほんと羨ましくて」
「うん。分かる」
「元水泳部で今はほぼ週五でジム通ってる人なんだけどね」
「それはな、たぶん比較する対象を間違ってる」
だよな。
「気にすることねえって。お前くらいのスラッとした感じが女からは一番好かれる」
「バキバキを目指してる男にスラッとしてるは侮辱だよ」
「でもモテるだろ。その顔だし」
「モテないよ」
「ふーん。彼女は?」
「…………」
「必殺技叫びながら飛び跳ねてたあの遥希がなぁ……」
「ショウくんはもうしみじみするの禁止」
「ならあと一つだけ懐かしんどきたい。カエル追いかけてて田んぼに顔面から派手に突っ込んだあの遥希がな」
「やめて」
事実だ。今思い出した。泥まみれの状態で家に帰ったら母さんにめちゃくちゃ怒られたけれどショウくんが庇ってくれたおかげでおやつ抜きにはならなかった。
ここまで何かと世話になっていた地元の兄ちゃんを忘れていたとは。ピヨちゃん誕生の瞬間でさえ記憶から抜け落ちるようなクソガキの頭の容量は小さめだった。
物凄く熱いらしい麻婆豆腐の湯気の立ち具合を観察しながらパリパリの春巻きにかぶりつく。熱い。こっちも想定より熱かった。けれどもそれ以上に美味い。中身は具沢山で食感もいい。
皿に二本乗っかっているうちの一本をぺろっと食い切り、一瞬ご飯に浮気してからとうとうレンゲを手に取った。目の前にこんないい匂いのするメシがあったらお預けも続かない。犬よりも脆弱な忍耐力で最初のひと口をレンゲに乗せた。
「……あッつ…………うっまッッ!」
「だろ? ここは何頼んでもウマいの出てくる」
「こんなとこあるの知らなかった。え、やっば。うま」
忠告通りかなり熱いけど、辛味のバランスが最高だ。山椒の効き具合も絶妙。大盛りで頼んだから見た目は非常にどっしりしているがこれなら食欲も止まらない。事実モリモリかっ込んだ。
ショウくんがお裾分けしてくれたエビチリにも合間に食いつく。単品で頼んだ小籠包とシュウマイと餃子もテーブルに運ばれてきた。一つ食べたらパクパク止まらない。
「小籠包ヤバ。めっちゃスープ」
「語彙力死んでるぞ大丈夫か」
大丈夫じゃないけど美味いから問題ない。そのうち瀬名さんも連れてこよう。
そういえば昔もおやつ中の俺をショウくんはこうやって見守っていた。夏の縁側でスイカとかキュウリとか焼きとうもろこしとかをガツガツ食って、俺が地面にボロボロこぼしたのをガーくんがグワグワ言いながらつついて。ショウくんは俺とガーくんに向かってそんな慌てんなと言いながら笑う。今もまた懐かしそうに笑った。
「食いっぷりの良さは変わんねえな」
「とりあえず毎日メシだけ食えてればなんとかなるような気がする」
「違いねえ」
何歳になってもどこにいようとも毎日のごはんは重要だ。
「それ何回言うの。ショウくんこそすっかりおじさんになったよ」
「お前もそれ十三回目だぞ」
全国のおじさん達はおじさんと呼ばれることに敏感だ。
ショウくんに連れられてやってきた中華店は広すぎず狭すぎず。夜はコース料理が中心らしいが、昼時はランチ限定の定食メニューが人気だそう。
まだ十一時になったばかりだから大混雑というほどではない。しかしすでに盛況ではあった。周りのテーブルに運ばれてくる大皿の上の料理はどれも美味そう。
「あームリ、この匂いだけで腹減ってくる。朝メシ食ったのに」
「食ったのかよ。すっからかんにしてこいよ」
「大丈夫。激烈に腹減ってる」
「朝メシ食ってそれは燃費悪すぎんだろ」
朝ごはんは瀬名さんが作ったミニオムレツもどきの炒り卵だった。瀬名さんはちょいちょいオムレツを練習しているがなかなか炒り卵から抜け出せずにいる。
ショウくんは基本的に自炊しているそうだ。得意料理はレンジで作るパスタとお湯をぶっかけるだけのお茶漬け。それらを料理と言うのか疑問を呈したら魚も焼けると胸を張られた。
長いこと会っていなかったのに不思議な程ぎこちなさがない。地元の人間と話すこと自体が俺にとっては久々だった。
「本当のこと言うとさ、俺この前駅でショウくんに声かけられるまでショウくんの存在自体完全に忘れてたんだよね」
「ひでぇ」
「だって最後に会ったの小五だよ? 先に地元捨てたのはショウくんじゃん」
「捨ててねえよ、盆か正月には帰省してる。お前こそさっそく帰ってねえんだろ?」
「なんだかんだで。バイトもあるし」
「ガーくんに存在忘れられてるかもな」
「うわ、それはヤダ」
庭に足を踏み入れた途端に威嚇されたら立ち直れない。くちばしで攻撃されたらどうしよう。
「今年の夏は?」
「帰ってこいとはずっと言われてるんだけど……免許も取り行くから無理そうかな」
「ああ持ってねえのか」
「うん。来月に合宿教習予約してある」
合宿免許は気合を入れて早めに予約をしておかないとどこも満員で取れなくなると小宮山が春頃に教えてくれた。なので気合を入れて五月末に予約をとった。
日程はマニュアルでも十八日間くらい。時期的に少々料金は高かったものの、最短のスケジュールはやはり有りがたい。三食ごはん付きなのも嬉しい。
「けどその前に大学の試験パスしないと」
「学生はそんな時期だよな。全部通りそうか?」
「たぶん。一個めちゃくちゃ不安なのあるけど」
「なに」
「フランス文学」
「フランス文学? お前が?」
「俺の周りみんなその反応する」
人をなんだと思っているのか。どいつもこいつもとことん失礼。
「必修単位?」
「ううん、俺の学部だと自由選択。履修科目決める時にコマ余ったから入れただけ」
「じゃあ自分で選んだのか……」
「うん。教養として面白そうかなって」
「じいちゃんの軽トラから降りた瞬間に駆けだしてたあの遥希がなぁ……」
「随所でしみじみするのやめてよ」
九年もあれば田舎のクソガキもちょっとくらいは成長する。
「ばあちゃんは。元気か?」
「元気だよ。じいちゃんのことはあと二十年待たせるっていつも言ってる」
「仲良かったからなあの二人も」
ウチのじいちゃんとばあちゃんは大恋愛の末に結婚したらしいがこういう話が普通にできるのも地元の古い友人ならではだ。
じいちゃんばあちゃんのおしどりっぷりはご近所でも有名だった。ばあちゃん曰く若い頃のじいちゃんは目の覚めるようなイケメンだったらしい。
店内を覆っている豆板醤やらごま油やらの匂いが食欲を刺激してくる。空腹を抱えつつも昔話を交えながら、グラスに伸びたショウくんの手をつられるようにして目で追いかけた。
半袖の黒いシャツから覗くその腕。この前会った時のショウくんは仕事帰りで長袖のシャツだったから服越しには気づかなかったが、瀬名さんと同じくらいしっかりしている。
「……ショウくん何かスポーツやってる?」
「うん? ああ、たまにな。自宅の近くにボルダリングジムがあるから」
ここにもそういう人がいた。
「昔も木登り得意だったもんね」
「お前も常に動き回ってたろ。今なんかやってねえのか?」
「花屋でプランター持ち運んだりしてる」
「それはスポーツとは言わねえよ」
足腰が鍛えられるのは確かだ。トータルの運動量も多いからうっかりしていると筋肉をつけるどころか体重がちょっと減る。
自分の二の腕をチラリと見てから、ショウくんの腕に目を向けた。引き締まった上腕二頭筋に、前腕の筋とか、血管の出方とか。
見ているうちについつい誘われヒタッと手のひらで触れていた。馴染みのある弾力感。日常的に鍛えている人の腕だ。
「すげえ……いいなぁ、カッケー」
「…………」
スポーツをしていることが一発で分かる。そんな腕にペタペタ触れた。
最近の三十代はすごい。一昔前のおじさんと言えば本当におじさんだったイメージがある。瀬名さんと言いショウくんと言い、若々しい見た目を裏切らず完璧なアスリート体型だ。
「……合コン中の思わせ振りな女子かよ」
「え? あ、ごめん」
あんまりペタペタしていたらショウくんから呆れたような一言。瀬名さんはいつも腕とか腹とか触らせてくれるからつい。
「俺もこれくらいになりたい」
「花屋でプランター持ち上げるだけじゃたいして筋肉はつかねえって」
「部屋でできるような筋トレくらいはしてるもん」
「んー、じゃあ……体質?」
「体質……」
絶望的な一言だ。ベッドの下の瀬名さんのダンベルを時々こっそり拝借していた俺の努力はなんだったんだ。
「まあでもいいじゃんかよ、健康ならそれで。ガリガリって訳じゃねえんだし」
「バキバキの方がカッコイイ」
「お前は昔からアメコミヒーローとか好きだったもんな」
戦隊モノも好きだった。男の子の憧れはいつの世も赤色。必殺技を真似しながらあぜ道だろうと庭だろうと所かまわず駆け回っていたらショウくんがダンボールの武器を作ってくれた。
当時はやっていたのは勇者系で、修練を積んでヒーローパワーがついに頂点を超えたその時、手の中にピカッと光って現れるという設定のなんかスゴイ武器。真のヒーローだけが使うことのできる超カッコイイ伝説の剣だ。
人間の記憶は不思議で都合がいい。つい先日まではショウくんという地元の兄ちゃんを忘れていたのに、再会してあれこれ話してみると次々に思い出が溢れ出す。戦友にでも会った気分だ。実際ショウくんは剣と一緒に大きめの盾も作って俺の必殺技を受け止めてくれた。
筋肉談義と思い出話をしているうちにランチメニューのセットか運ばれてきた。
俺はガッツリいきたかったから大盛の麻婆豆腐セット。ショウくんはエビチリセットだ。麻婆豆腐かエビチリかどっちにしようか迷っていたらショウくんがエビチリにしてくれた。
食欲を誘う香りと見栄えを前にしてパンッと合わせたこの手。
「いただきますっ、めちゃくちゃいい匂い!」
「ここの麻婆豆腐は見た目よりもちょっと辛くて見た目よりも五倍は熱いから気を付けろ。いったん様子見た方がいい」
「う、ウッス」
躊躇。見た目よりも五倍熱いってなに。そこまで慎重になるほど凄いのか。
見るからに刺激的な色と香りでユラユラ湯気の立っている麻婆豆腐を軽くレンゲで掻き混ぜてから、忠告に従い一旦は引いてみて割り箸をパキッと割った。ひとまずスープで敵情視察。美味い。かき卵もふわふわだ。
お預け中の麻婆豆腐の湯気は数秒程度じゃ消えそうにない。
「ウチのお隣さんがさ」
「お隣さん?」
「すっげえいい筋肉してんだよ」
「へえ」
「ゴリゴリじゃないんだけど綺麗に締まってて腹筋もヤバいし。それがほんと羨ましくて」
「うん。分かる」
「元水泳部で今はほぼ週五でジム通ってる人なんだけどね」
「それはな、たぶん比較する対象を間違ってる」
だよな。
「気にすることねえって。お前くらいのスラッとした感じが女からは一番好かれる」
「バキバキを目指してる男にスラッとしてるは侮辱だよ」
「でもモテるだろ。その顔だし」
「モテないよ」
「ふーん。彼女は?」
「…………」
「必殺技叫びながら飛び跳ねてたあの遥希がなぁ……」
「ショウくんはもうしみじみするの禁止」
「ならあと一つだけ懐かしんどきたい。カエル追いかけてて田んぼに顔面から派手に突っ込んだあの遥希がな」
「やめて」
事実だ。今思い出した。泥まみれの状態で家に帰ったら母さんにめちゃくちゃ怒られたけれどショウくんが庇ってくれたおかげでおやつ抜きにはならなかった。
ここまで何かと世話になっていた地元の兄ちゃんを忘れていたとは。ピヨちゃん誕生の瞬間でさえ記憶から抜け落ちるようなクソガキの頭の容量は小さめだった。
物凄く熱いらしい麻婆豆腐の湯気の立ち具合を観察しながらパリパリの春巻きにかぶりつく。熱い。こっちも想定より熱かった。けれどもそれ以上に美味い。中身は具沢山で食感もいい。
皿に二本乗っかっているうちの一本をぺろっと食い切り、一瞬ご飯に浮気してからとうとうレンゲを手に取った。目の前にこんないい匂いのするメシがあったらお預けも続かない。犬よりも脆弱な忍耐力で最初のひと口をレンゲに乗せた。
「……あッつ…………うっまッッ!」
「だろ? ここは何頼んでもウマいの出てくる」
「こんなとこあるの知らなかった。え、やっば。うま」
忠告通りかなり熱いけど、辛味のバランスが最高だ。山椒の効き具合も絶妙。大盛りで頼んだから見た目は非常にどっしりしているがこれなら食欲も止まらない。事実モリモリかっ込んだ。
ショウくんがお裾分けしてくれたエビチリにも合間に食いつく。単品で頼んだ小籠包とシュウマイと餃子もテーブルに運ばれてきた。一つ食べたらパクパク止まらない。
「小籠包ヤバ。めっちゃスープ」
「語彙力死んでるぞ大丈夫か」
大丈夫じゃないけど美味いから問題ない。そのうち瀬名さんも連れてこよう。
そういえば昔もおやつ中の俺をショウくんはこうやって見守っていた。夏の縁側でスイカとかキュウリとか焼きとうもろこしとかをガツガツ食って、俺が地面にボロボロこぼしたのをガーくんがグワグワ言いながらつついて。ショウくんは俺とガーくんに向かってそんな慌てんなと言いながら笑う。今もまた懐かしそうに笑った。
「食いっぷりの良さは変わんねえな」
「とりあえず毎日メシだけ食えてればなんとかなるような気がする」
「違いねえ」
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