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41.にゃーにゃーにゃー前夜Ⅰ
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「お帰りダーリーン! ずーっと会えなくて淋しかったよーッ。きゃぁっ」
「…………」
明るくお出迎えをした二条さん。忌々しそうな顔をする瀬名さん。
二条さんの一歩後ろにいる俺に、瀬名さんはジトッと目を向けてくる。
「……なぜこいつを部屋に上げた」
「クッキーくれたので」
「餌付けされてんじゃねえ」
お菓子の箱をどうぞと渡されたらお通しするのが日本人の礼儀だ。手土産付きのお客さんを追い返すような教育は受けていない。
ここは俺の家じゃないけど。好きに過ごせと言ったのは瀬名さんだし。
訪ねて来てくれた二条さんを人んちにどうぞと招き入れ、少し前まではタラタラペラペラと世間話に花を咲かせていた。
二条さんがやって来たのはかれこれ四時間ほど前のこと。瀬名さんの部屋のベッドの上でゴロゴロとスマホをいじっていたら、たくさんの食材とクッキーを持った二条さんがインターフォンを鳴らした。
水曜日は二条さんのお店の定休日だ。良かったらそのうち食べに来てと、前々からそうとも言われているから近いうちに行けたらいい。
七時を過ぎた辺りで一緒に晩飯を作り始め、あとは皿に盛るだけの状態になって少しした頃に瀬名さんも帰ってきた。そして二条さんが出迎えた。
その後の瀬名さんはずっと機嫌が悪い。ジャケットとネクタイだけ適当に放り投げてダイニングに戻ってきたこの大人は、監視でもするかのように二条さんの一挙一動を見ている。
「え、食べていかないんですか?」
「うん。そろそろ帰らないと陽子ちゃんに蹴られるから」
「そっか、ごめんなさい引き止めちゃってて」
「いやいや、ハルくんと話してんの楽しいから俺もつい長居しちゃったよ」
レストラン風の綺麗な盛り付けをしながら二条さんはニコニコと言った。それをぽつんとテーブルに座って眺めているのは不機嫌な瀬名さん。
「……お前らいつの間に仲良くなった」
声まで不機嫌。大人げないんだから本当にもう。
一度だけチラリとその不機嫌顔を振り返り、すぐに手元の皿に視線を戻した。後ろには素っ気なく一言だけ投げておく。
「あなたには教えません」
「そうだよ、俺とハルくんの秘密なんだから恭吾が割り込む隙間はないよ」
「お前は帰れ」
イライラしている瀬名さんは貴重だ。
お恥ずかしいところを二条さんにお見せしてしまったあの一件のすぐあとだった。瀬名さんがまだ繁忙期で帰りが遅かった頃でもある。
この前色々と騒がせたお詫びにと、わざわざ俺の部屋を訪ねてくれた。その時も菓子折り付きだったからお通しするのは当然だった。
その時ついでに時短料理の作り方もいくつか教わり、時々連絡を取り合うようになったのはその日から。二条さんのおかげでメシを作る時の効率がちょっと良くなった気もする。
そうやって育まれた友情だけれど瀬名さんは気に入らないようだ。行儀悪くテーブルに頬杖をつき、二条さんをずっと睨みつけている。
「さっさと帰ったらどうだ。蹴られるんだろ」
なんとしても追い出したいようだ。露骨に帰れと言う瀬名さんを、二条さんは一度くるっと振り返った。けれどすぐにまた前に向き直り、何も言わずに盛りつけ再開。
「そうだハルくん、今度来るときアジ持ってくるよ。三枚おろしの練習したいって言ってたよね?」
「あ、そうなんですよありがとうどざいます。自分でやるとどうしてもぐっちゃぐちゃになっちゃうんで」
「大丈夫。俺に任せて。絶対に誰でもできるようになるから」
「すげえ頼もしい。助かります」
瀬名さんをガン無視して二人だけで盛り上がる。大人げない大人がそんな状況に耐えきれるはずもなく、テーブルから俺に呼び掛けてきた。
「……遥希」
「なんです」
「お前、俺との練習は嫌がるよな」
「あんたのは練習とかじゃないんですよ。今やめてその話」
二条さん横にいるんだから。
「俺には懐かねえくせしてなんで隆仁には懐くんだ」
「二条さんはためになることたくさん教えてくれます」
「俺だってお前の役に立てる」
「じゃあ俺にアジの三枚おろしのやり方実践付きで教えられますか?」
「…………」
それなりの打撃になったよだ。瀬名さんは黙り込んだ。
魚をさばいたこともない男が偉そうな口を叩くな。
「それと言ってなかったんですけど、あなたが前にベタ褒めしながら綺麗に食い切ったタラのクリーム煮は二条さんが作ってくれたやつです」
「……あ?」
「あの日も来てくれてたんですよ。瀬名さんが帰ってくる前に」
先々週の水曜だった。俺が試験期間中だと知ると、大変でしょと言って駆けつけてくれた。その翌日の木曜日にはちょっと心配な科目が控えていたから、二条さんが調理をしている間に対策できたのはありがたかった。
そうして作ってもらったタラのクリーム煮。とても美味かった。絶品だった。それは瀬名さんも同じだったようで、間違いなく普段よりも食いっぷりが良くなっていた。
二週間越しの暴露を受けて瀬名さんが怪訝に睨む相手は、俺ではなくて二条さん。後ろに顔を向けた二条さんは、その視線をにこやかに受け止めている。
「いやあ、嬉しいよ恭吾。俺が愛情込めて作ったゴハンをそんなに気に入ってくれるなんて」
「…………」
「何も言わずに食わせてやってってハルくんに頼んで正解だった。ほら、俺が作ったって言うとお前さ。食わないから」
アハハとおちょくる態で笑う二条さんは、実際におちょくっているのだろう。めちゃくちゃおちょくられている瀬名さんは俺にじっとり視線を移した。
「……遥希……前に言ったよな。こいつには関わるなと。思いっきり関わってる上に結託してどうする」
「いいじゃないですか、美味いメシ作ってくれたんですし」
「タラのクリーム煮食ってる俺をお前はどういう気持ちで見てたんだ」
「瀬名さんは二条さんの作る料理が大好きなんだなって思いながら見てました」
「…………」
苛立ちをぶつけるべき対象を確定するのに瀬名さんは忙しそう。最終的には二条さんを睨んだ。
「俺の遥希をそそのかすな」
「思い通りにいかない事を人のせいにするのは良くないよ」
ド正論。
「だいたい懐くとかそういう言い方もさぁ、ハルくんは犬猫じゃないんだから。もっと恋人を大事にしなきゃ」
「うるせえ、帰れ。もう二度と来るな」
「そうやって照れちゃって。俺のこと大好きなくせに」
「ブチ殺すぞテメエこのクズ」
瀬名さんがスゲエ口悪い。
という出来事が三日前にあったものだから、昨日も一昨日も帰宅直後の瀬名さんは警戒心バリバリだった。そしてそれは土曜日になった今日もまだ続いているようで、バイトから帰ってきた俺が飯の用意をしている最中に外出先から戻ったこの人は、玄関から室内を慎重に窺って危険がないか確認していた。
自分の家の中に入っても、しばらくはピリピリしている。瀬名さんがようやく肩の力を抜くことができるのは、ダイニングと寝室とトイレと風呂場を隅々まで調査したあと。
人間不信の猫みたいだ。いくらなんでもゴミ箱の中に二条さんは隠れていない。
今日はとうとうベランダまで確認してからようやく満足したらしきこの人。こっちもちょうどメシが出来上がるところだからタイミング的には悪くない。
少しして一緒についた食卓には代わり映えのないメニューを並べてある。今後アジの三枚おろしを使ったフライとか蒲焼きとかを並べた時には、二条さんを思い出した瀬名さんが顔をしかめるのを想像できる。忘れた頃に出してやろう。
「……自宅なのに落ち着かない。隆仁除けの護符でも貼ればいいのか」
「二条さんは怨霊じゃないんですから」
「似たようなもんだ。あいつが現れるとロクな目に遭わねえ」
「最近は奥さんとも喧嘩してないって言ってましたよ」
十五万円の鍋の件も三十万円のブランドバッグの購入と引き換えに許されたらしい。おかげで二条さんのお小遣いは月々一万五千円になったそうだ。以前は二万円だったそうだ。
二条さんの状況にはさして興味がないようで、学校のダチの話だろうとバイト先の変な客の話だろうと、いつもならちゃんと聞いてくれる人が今はとても素っ気ない。残っていたキャベツと白菜と玉ねぎを適当にぶった切って煮込んだ何かを、文句も言わずに黙々と食っていた。
「あんな野郎が作ったもんよりお前のメシのが断然美味い」
「この前はクリーム煮食いながらこの世で一番うまいとか言って褒め称えてたじゃないですか」
「あの日は味覚がどうかしていた」
「はいはい」
「本当だ。舌が狂ってた。たぶん四十度くらい熱があった」
子供の言い訳か。
十時から十六時まで花屋で重労働をしてきて、それなりに疲れが残っているからつっこんでやるのも煩わしい。買い物には寄らず家に帰って来て、それからすぐに冷蔵庫を開けて、ある物だけで適当に作り始めたから今日はいつもより早めの夕食だ。
「俺にはこういう庶民の食い物しか作れないですけど」
「お前の料理最高だろ。あり合わせでパパッと作れる奴が一番すごい」
「二条さんのは?」
「あいつの作るメシは気取ってる」
どういうことだか分からないけど瀬名さんが素直じゃないのは分かる。この前のタラのクリーム煮だって普段よりも気持ち高級な家庭料理って感じだった。二条さんが作ってくれるものは決して気取ったゴハンではない。
しかし俺のメシとは格が違う。プロなのだから当然だろうけど。いま瀬名さんが食っているのは料理名すら存在しないような、ぶつ切りぶっ込み煮込み野菜だ。
「これの味付けは?」
「みそと豆乳です」
「良妻かよ」
「違いますよ」
豆乳の賞味期限もヤバそうだったから一緒にぶっ込んでみただけだ。
「あなたのそれは贔屓目って言うんです。学生の手抜き料理がコックさんに敵うはずないじゃないですか」
「贔屓目なんかじゃねえ。俺は公平に事実を言ってる」
「タラのクリーム煮の時の方が明らかに食いっぷり良かったですよ」
「それこそお前の幻覚だ」
強気の断言。別にいいんだけど。作ったメシにケチ付けられるよりは。
食いっぷりをひけらかすみたいに野菜のごった煮を口に運び、それでいて所作は綺麗で丁寧。コックさんの料理だろうと庶民が作ったもんだろうと、この人が食っているとなんでも上等そうに見えてくる。
上等な男の口に合う料理を作るための第一歩として、俺も魚くらいはさばけないと。
この前もクリーム煮を満足そうに平らげた瀬名さんを見て、二条さんの料理が大好きなんだなと思いつつもいささか複雑ではあった。もうちょっとくらいは、頑張らねえとなって。
などと健気ぶって反省しつつも、今日作ったのは粗雑極まりないこのごった煮なんだが。小皿に出してあるひじきの煮物なんか思いっきり昨日の余り物だ。
こんな奴のメシによくもこの人は最高なんて評価を平気で出せる。本当に美味いと思ってんのか疑わしくその顔を見ていたら、瀬名さんが不意に顔を上げた。
「どうした」
「いえ……。別に」
「お前が俺の顔を好きだってことはちゃんと知ってるからそんな見つめるな。さすがに食いづらい」
「バカじゃねえの」
メンタル弱かったり自信過剰だったりこの人も忙しい。
その顔が好きなのは確かに間違ってはいないから、それとなく目を逸らした。
「……それよりさっきどこ行ってたんですか」
「うん?」
「帰ったらいなかったから」
「誕生日前日の恋人がバイトなんか行っちまって残された俺はとても寂しかったから仕方なく一人で買い物してた」
「そんなネチネチした言い方する必要ありますか」
余計なこと聞くんじゃなかった。
「明日はマコトくんの家から寄り道せずに帰ってこいよ」
「今日も花屋からまっすぐ帰って来ましたよ」
「中学生相手にエロいバイトしやがって」
「エロくないってば。明日は理科と数学のおさらいするんです」
「くそエロい」
「どこが。え、どこが?」
ふんっと不機嫌そうに横を向いた。感じ悪い。大人げない。
「お前は俺には懐かねえのに隆仁の野郎には尻尾まで振る。俺には家庭教師してくれないのにマコトくんには家庭教師する」
「どっからツッコめばいいの」
「なんで恋人の俺に構わないんだ」
「あんたに構ってない時ないですよ」
これ以上どう構えと言うのか。
「…………」
明るくお出迎えをした二条さん。忌々しそうな顔をする瀬名さん。
二条さんの一歩後ろにいる俺に、瀬名さんはジトッと目を向けてくる。
「……なぜこいつを部屋に上げた」
「クッキーくれたので」
「餌付けされてんじゃねえ」
お菓子の箱をどうぞと渡されたらお通しするのが日本人の礼儀だ。手土産付きのお客さんを追い返すような教育は受けていない。
ここは俺の家じゃないけど。好きに過ごせと言ったのは瀬名さんだし。
訪ねて来てくれた二条さんを人んちにどうぞと招き入れ、少し前まではタラタラペラペラと世間話に花を咲かせていた。
二条さんがやって来たのはかれこれ四時間ほど前のこと。瀬名さんの部屋のベッドの上でゴロゴロとスマホをいじっていたら、たくさんの食材とクッキーを持った二条さんがインターフォンを鳴らした。
水曜日は二条さんのお店の定休日だ。良かったらそのうち食べに来てと、前々からそうとも言われているから近いうちに行けたらいい。
七時を過ぎた辺りで一緒に晩飯を作り始め、あとは皿に盛るだけの状態になって少しした頃に瀬名さんも帰ってきた。そして二条さんが出迎えた。
その後の瀬名さんはずっと機嫌が悪い。ジャケットとネクタイだけ適当に放り投げてダイニングに戻ってきたこの大人は、監視でもするかのように二条さんの一挙一動を見ている。
「え、食べていかないんですか?」
「うん。そろそろ帰らないと陽子ちゃんに蹴られるから」
「そっか、ごめんなさい引き止めちゃってて」
「いやいや、ハルくんと話してんの楽しいから俺もつい長居しちゃったよ」
レストラン風の綺麗な盛り付けをしながら二条さんはニコニコと言った。それをぽつんとテーブルに座って眺めているのは不機嫌な瀬名さん。
「……お前らいつの間に仲良くなった」
声まで不機嫌。大人げないんだから本当にもう。
一度だけチラリとその不機嫌顔を振り返り、すぐに手元の皿に視線を戻した。後ろには素っ気なく一言だけ投げておく。
「あなたには教えません」
「そうだよ、俺とハルくんの秘密なんだから恭吾が割り込む隙間はないよ」
「お前は帰れ」
イライラしている瀬名さんは貴重だ。
お恥ずかしいところを二条さんにお見せしてしまったあの一件のすぐあとだった。瀬名さんがまだ繁忙期で帰りが遅かった頃でもある。
この前色々と騒がせたお詫びにと、わざわざ俺の部屋を訪ねてくれた。その時も菓子折り付きだったからお通しするのは当然だった。
その時ついでに時短料理の作り方もいくつか教わり、時々連絡を取り合うようになったのはその日から。二条さんのおかげでメシを作る時の効率がちょっと良くなった気もする。
そうやって育まれた友情だけれど瀬名さんは気に入らないようだ。行儀悪くテーブルに頬杖をつき、二条さんをずっと睨みつけている。
「さっさと帰ったらどうだ。蹴られるんだろ」
なんとしても追い出したいようだ。露骨に帰れと言う瀬名さんを、二条さんは一度くるっと振り返った。けれどすぐにまた前に向き直り、何も言わずに盛りつけ再開。
「そうだハルくん、今度来るときアジ持ってくるよ。三枚おろしの練習したいって言ってたよね?」
「あ、そうなんですよありがとうどざいます。自分でやるとどうしてもぐっちゃぐちゃになっちゃうんで」
「大丈夫。俺に任せて。絶対に誰でもできるようになるから」
「すげえ頼もしい。助かります」
瀬名さんをガン無視して二人だけで盛り上がる。大人げない大人がそんな状況に耐えきれるはずもなく、テーブルから俺に呼び掛けてきた。
「……遥希」
「なんです」
「お前、俺との練習は嫌がるよな」
「あんたのは練習とかじゃないんですよ。今やめてその話」
二条さん横にいるんだから。
「俺には懐かねえくせしてなんで隆仁には懐くんだ」
「二条さんはためになることたくさん教えてくれます」
「俺だってお前の役に立てる」
「じゃあ俺にアジの三枚おろしのやり方実践付きで教えられますか?」
「…………」
それなりの打撃になったよだ。瀬名さんは黙り込んだ。
魚をさばいたこともない男が偉そうな口を叩くな。
「それと言ってなかったんですけど、あなたが前にベタ褒めしながら綺麗に食い切ったタラのクリーム煮は二条さんが作ってくれたやつです」
「……あ?」
「あの日も来てくれてたんですよ。瀬名さんが帰ってくる前に」
先々週の水曜だった。俺が試験期間中だと知ると、大変でしょと言って駆けつけてくれた。その翌日の木曜日にはちょっと心配な科目が控えていたから、二条さんが調理をしている間に対策できたのはありがたかった。
そうして作ってもらったタラのクリーム煮。とても美味かった。絶品だった。それは瀬名さんも同じだったようで、間違いなく普段よりも食いっぷりが良くなっていた。
二週間越しの暴露を受けて瀬名さんが怪訝に睨む相手は、俺ではなくて二条さん。後ろに顔を向けた二条さんは、その視線をにこやかに受け止めている。
「いやあ、嬉しいよ恭吾。俺が愛情込めて作ったゴハンをそんなに気に入ってくれるなんて」
「…………」
「何も言わずに食わせてやってってハルくんに頼んで正解だった。ほら、俺が作ったって言うとお前さ。食わないから」
アハハとおちょくる態で笑う二条さんは、実際におちょくっているのだろう。めちゃくちゃおちょくられている瀬名さんは俺にじっとり視線を移した。
「……遥希……前に言ったよな。こいつには関わるなと。思いっきり関わってる上に結託してどうする」
「いいじゃないですか、美味いメシ作ってくれたんですし」
「タラのクリーム煮食ってる俺をお前はどういう気持ちで見てたんだ」
「瀬名さんは二条さんの作る料理が大好きなんだなって思いながら見てました」
「…………」
苛立ちをぶつけるべき対象を確定するのに瀬名さんは忙しそう。最終的には二条さんを睨んだ。
「俺の遥希をそそのかすな」
「思い通りにいかない事を人のせいにするのは良くないよ」
ド正論。
「だいたい懐くとかそういう言い方もさぁ、ハルくんは犬猫じゃないんだから。もっと恋人を大事にしなきゃ」
「うるせえ、帰れ。もう二度と来るな」
「そうやって照れちゃって。俺のこと大好きなくせに」
「ブチ殺すぞテメエこのクズ」
瀬名さんがスゲエ口悪い。
という出来事が三日前にあったものだから、昨日も一昨日も帰宅直後の瀬名さんは警戒心バリバリだった。そしてそれは土曜日になった今日もまだ続いているようで、バイトから帰ってきた俺が飯の用意をしている最中に外出先から戻ったこの人は、玄関から室内を慎重に窺って危険がないか確認していた。
自分の家の中に入っても、しばらくはピリピリしている。瀬名さんがようやく肩の力を抜くことができるのは、ダイニングと寝室とトイレと風呂場を隅々まで調査したあと。
人間不信の猫みたいだ。いくらなんでもゴミ箱の中に二条さんは隠れていない。
今日はとうとうベランダまで確認してからようやく満足したらしきこの人。こっちもちょうどメシが出来上がるところだからタイミング的には悪くない。
少しして一緒についた食卓には代わり映えのないメニューを並べてある。今後アジの三枚おろしを使ったフライとか蒲焼きとかを並べた時には、二条さんを思い出した瀬名さんが顔をしかめるのを想像できる。忘れた頃に出してやろう。
「……自宅なのに落ち着かない。隆仁除けの護符でも貼ればいいのか」
「二条さんは怨霊じゃないんですから」
「似たようなもんだ。あいつが現れるとロクな目に遭わねえ」
「最近は奥さんとも喧嘩してないって言ってましたよ」
十五万円の鍋の件も三十万円のブランドバッグの購入と引き換えに許されたらしい。おかげで二条さんのお小遣いは月々一万五千円になったそうだ。以前は二万円だったそうだ。
二条さんの状況にはさして興味がないようで、学校のダチの話だろうとバイト先の変な客の話だろうと、いつもならちゃんと聞いてくれる人が今はとても素っ気ない。残っていたキャベツと白菜と玉ねぎを適当にぶった切って煮込んだ何かを、文句も言わずに黙々と食っていた。
「あんな野郎が作ったもんよりお前のメシのが断然美味い」
「この前はクリーム煮食いながらこの世で一番うまいとか言って褒め称えてたじゃないですか」
「あの日は味覚がどうかしていた」
「はいはい」
「本当だ。舌が狂ってた。たぶん四十度くらい熱があった」
子供の言い訳か。
十時から十六時まで花屋で重労働をしてきて、それなりに疲れが残っているからつっこんでやるのも煩わしい。買い物には寄らず家に帰って来て、それからすぐに冷蔵庫を開けて、ある物だけで適当に作り始めたから今日はいつもより早めの夕食だ。
「俺にはこういう庶民の食い物しか作れないですけど」
「お前の料理最高だろ。あり合わせでパパッと作れる奴が一番すごい」
「二条さんのは?」
「あいつの作るメシは気取ってる」
どういうことだか分からないけど瀬名さんが素直じゃないのは分かる。この前のタラのクリーム煮だって普段よりも気持ち高級な家庭料理って感じだった。二条さんが作ってくれるものは決して気取ったゴハンではない。
しかし俺のメシとは格が違う。プロなのだから当然だろうけど。いま瀬名さんが食っているのは料理名すら存在しないような、ぶつ切りぶっ込み煮込み野菜だ。
「これの味付けは?」
「みそと豆乳です」
「良妻かよ」
「違いますよ」
豆乳の賞味期限もヤバそうだったから一緒にぶっ込んでみただけだ。
「あなたのそれは贔屓目って言うんです。学生の手抜き料理がコックさんに敵うはずないじゃないですか」
「贔屓目なんかじゃねえ。俺は公平に事実を言ってる」
「タラのクリーム煮の時の方が明らかに食いっぷり良かったですよ」
「それこそお前の幻覚だ」
強気の断言。別にいいんだけど。作ったメシにケチ付けられるよりは。
食いっぷりをひけらかすみたいに野菜のごった煮を口に運び、それでいて所作は綺麗で丁寧。コックさんの料理だろうと庶民が作ったもんだろうと、この人が食っているとなんでも上等そうに見えてくる。
上等な男の口に合う料理を作るための第一歩として、俺も魚くらいはさばけないと。
この前もクリーム煮を満足そうに平らげた瀬名さんを見て、二条さんの料理が大好きなんだなと思いつつもいささか複雑ではあった。もうちょっとくらいは、頑張らねえとなって。
などと健気ぶって反省しつつも、今日作ったのは粗雑極まりないこのごった煮なんだが。小皿に出してあるひじきの煮物なんか思いっきり昨日の余り物だ。
こんな奴のメシによくもこの人は最高なんて評価を平気で出せる。本当に美味いと思ってんのか疑わしくその顔を見ていたら、瀬名さんが不意に顔を上げた。
「どうした」
「いえ……。別に」
「お前が俺の顔を好きだってことはちゃんと知ってるからそんな見つめるな。さすがに食いづらい」
「バカじゃねえの」
メンタル弱かったり自信過剰だったりこの人も忙しい。
その顔が好きなのは確かに間違ってはいないから、それとなく目を逸らした。
「……それよりさっきどこ行ってたんですか」
「うん?」
「帰ったらいなかったから」
「誕生日前日の恋人がバイトなんか行っちまって残された俺はとても寂しかったから仕方なく一人で買い物してた」
「そんなネチネチした言い方する必要ありますか」
余計なこと聞くんじゃなかった。
「明日はマコトくんの家から寄り道せずに帰ってこいよ」
「今日も花屋からまっすぐ帰って来ましたよ」
「中学生相手にエロいバイトしやがって」
「エロくないってば。明日は理科と数学のおさらいするんです」
「くそエロい」
「どこが。え、どこが?」
ふんっと不機嫌そうに横を向いた。感じ悪い。大人げない。
「お前は俺には懐かねえのに隆仁の野郎には尻尾まで振る。俺には家庭教師してくれないのにマコトくんには家庭教師する」
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