貢がせて、ハニー!

わこ

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36.男同士のセンシティブな問題Ⅲ

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 お泊まりは思わせ振りだと知ってもなお一緒に寝ている。
 後ろから抱っこされて眠りに就くのももうお決まりだ。おかげさまでベッドの中はぬくぬくとあったかい。

 右側は壁。左側に瀬名さん。だから毎晩右を向いて寝る。目の前にはクマとカワウソ。抱き着かないけどこいつらも一緒だ。
 カワウソの方はあれからずっとこの部屋に居候させている。くったりしたカワウソのことを瀬名さんは相変わらずウソ子と呼んでいた。
 日中の自分の部屋には留守番のためにクマを置いておく。大学から帰って自宅のドアを開けてこいつがいるとちょっと落ち着く。
 自宅からこっちへ移動する時にクマも一緒に連れて行くから、この二匹は毎日ここで感動の再会を果たしている。俺と瀬名さんと同じように、こいつらも寝る時は隣同士。

 仲良くちょこんと並んでいるファンシーなクマと癒し系のカワウソ。こう並べたのは俺だけど、イチャイチャ振りを見せつけてくるモフモフズに、なんかイラっと来た。

「…………」

 舌打ちを寸前で堪えた。くっつきすぎだろ。人目をはばかれよ。
 じっと見ているとイライラしてくるから今夜はぬいぐるみから目を背けた。ついでに瀬名さんの腕の中でごそごそと動き出す。俺を抱きしめるこの人の力は、それに合わせて少しだけ緩んだ。
 いつもなら背中を向けて眠るが、今日は瀬名さんの方に向いて寝る。やや視線を上げるとそこでパチッと目が合った。すぐに逸らして、控えめにくっつく。

「どういうつもりだ」
「別に。寒いだけです」
「エアコンの設定温度上げるか?」
「上げたら八つ裂きにしてやります」
「難しいよな、お前はまったく」

 半笑いで抱きしめてくる。寒いと言ったせいか、やわらかく抱かれた。

「こういうのなんて言うか知ってるか」
「……知らない」
「生殺しだ」
「じゃあいいですよ向こう向くから」

 右側に向き直る前にガシッと腰を抱きとめられた。クマとカワウソにも負けないくらいに、顔の距離は近い。今さら悔やむ。
 元々そういう習慣なのか、お化け恐怖症のガキが一緒だからあえてこうしてくれているのか、どっちなのかは知らないけれども常夜灯は毎晩つけっぱなしだ。ぬいぐるみ二匹のイチャイチャ加減がはっきり目に見えるのだから当然、ちょっとでも視線を上げてしまえば瀬名さんの顔も良く見える。

 極力見ないようにした。俯きがちに抱きついてみる。モフモフカップルに距離感で勝利して謎の優越感に浸っていたら、ポンポンと軽く撫でられた背中。
 ガキ扱い。仕方ないか。実際ガキだし。付き合い方もガキだし。

「まだ寒いか」
「……うん」

 全然寒くない。適温だ。

「できれば真夏も寒がりでいろ」
「…………そうします」

 どちらかというと暑がりなのだが夏はエアコンに頼ろうと決めた。
 俺が全然寒くないのも、室温上げたら八つ裂き予告も、それらの真意をしっかり受け止めて瀬名さんはこの体を抱きしめる。
 どういうつもりで、こうするんだろう。こんなのを抱きしめて楽しいのかな。男に生まれて後悔したことなんて今も昔も一度もないけど、もしも俺が女だったら、状況は何かが違っただろうか。
 瀬名さんが普段俺を見る時、その視線はやや下がる。この人が高身長なだけで俺だって別に小さい訳じゃない。背の高さだけで比べるならば、瀬名さんより十センチくらい低い程度だ。
 デカい男を毎晩二人も乗っけている憐れなシングルベッドが、小さくキシッと音を鳴らせた。そこそこ目立つサイズのクマとカワウソも一緒にいるから定員はオーバー気味だろう。

「……瀬名さん」
「ああ」
「…………ヤレないのってダルいですか」
「ああ?」

 満員のベッドで一人グチグチ考えているのも滑稽だ。朝まで悩み抜いたところでどうせ答えなんか出ねえんだから、いっそ聞いちまった方が早い。
 問いかけたのは半ばヤケだった。すると当然と言うべきか、怪訝そうな声を返された。

「どうした……お前今日ずっと変だぞ」

 普通にしていたつもりだったのに。この人には隠し事もできない。

「ヤレないのがなんだっつった」
「……拒否ばっかしてくる奴はダルいって友達が今日言ってたんです」
「友達は選んだ方がいいんじゃねえのか」
「……バッグもらうのはカモってる感じになるそうです」
「なんの話だよ。ほんとにどうした」

 どうもしない。非道な自分に気づかされただけだ。そこまで言えずに溜め息で応えたら、背中をまたポンポンされた。

「バッグが欲しいのか?」
「そういう話じゃない」
「今度の土曜は買い物に行こう」
「いらないですからね。やめてくださいよ」
「今の学生にはどういうのが人気なんだ」

 人の話全然聞いてない。真面目に言ってくるのも怖い。
 極悪人にはなりたくないから本人に直球な質問をしたら、どういう訳かバッグを買いに行く流れになってしまっている。
 なんでだ。どうしてこの人わざわざ自分からカモられに来ちゃうんだ。無駄な投資をさせないために恥を忍んで言っているのに、瀬名さんは斜め上を行く。

「他に欲しいものがあるなら先に教えろ。店探しとく」
「いえ、あのですね……」
「昼メシのリクエストもできるだけ早いうちに出せ。予約する」
「ですから……」
「そういやこの前観たい映画があるって言ってたよな。せっかくだからそれも行くか。メシ食う前と後どっちがいい」
「…………」

 こんなフルコースの甘やかされ体験をこれまでの人生でしたことがない。瀬名さんに会わなかったら一生経験しないで済んだはず。貢ぐために猛プッシュしてくる人間は世の中にそれ程いない。
 この人は誰にでもこうなのか。貢ぐのが生き甲斐か何かなのか。こうも全力で投資されても、俺は何も返せないのに。

「こんなに色々されちゃうと困るんですよ……」
「俺がやりたくてやってる」
「……ずいぶん前にも言いましたけど、行き過ぎた親切って絶対に良くない」

 付き合う前と何も変わっていない。俺達はずっと同じことをしている。
 言われている事にも言っている事にも成長らしきものは見当たらず、それには瀬名さんも同意だったようで、ふふっと面白そうに笑った。

「俺もその時言ったと思うが、親切なんて小綺麗なもんじゃねえよ。これはただの下心だ」
「下心しか持ってない男は即刻見返り求めてきますよ」
「本心では死ぬほどヤリたいと思ってるから安心しろ」

 一瞬で安心できなくなった。

「俺は健全な男だ。何も心配ない」
「心配してたのはそこじゃないんですが……」
「それよりもお前は俺の理性にもっと感謝するべきだと思う」
「聞いてよ」
「もしも俺が万年発情期みてえなクソ低俗サル野郎だったら、お前は今頃ボロ雑巾より酷い状態になってるぞ」
「…………」

 突然の脅しがえげつない。そしてやっぱり話聞いてくれない。
 いいや。違うか。この人はいつもちゃんと聞いている。瀬名さん以上に人の話を上手に聞く男はいないだろう。
 真っ当な大人とは言い難いけど、必ず耳を傾けてくれる。俺の言いたい事を言ったこと以上に汲み取って、言葉か、態度か、あるいはその両方を使って返してくれる。
 今は、両方のときだった。俺の額に唇で触れてから、至近距離で目を合わせてくる。

「十代のガキどもと一緒にすんじゃねえ。貢ぐ根拠は下心でもな、その前提はもっと他にある」

 背中に回された腕でぎゅっとされた。今度はこの目元に軽く口づけ、囁くように低い声で一言。

「お前が大事だ」

 大事って。言われてから最初の三秒くらいは、それをうまく呑み込めない。四秒かその程度経過した頃になって徐々に目を見開いていく。瀬名さんの腕の中で、ポカンと間抜けに固まった。

 大事にされているのは知ってる。大事にされた事しかなかった。
 だけどそれをそっくりそのままはっきり言葉にされてしまうと、動揺しかやって来ない。近くからブン投げられたレンガが顔面に直撃したくらいのショックだ。なかなかの衝撃を食らってしまってそこからすぐには立ち直れない。

「誰がダルいなんて思うかよ。上等じゃねえか、落とし甲斐がある」

 レンガの次は鉄球ぶん投げられた。ダルくはなくて、オトすつもりだそうだ。可愛くないし女子ですらなくても、瀬名さんは受けて立つっぽい。
 よく、分かった。再認識した。学食で毎日女子の話をしているような男子学生が、こんなのに敵うはずがない。この男はガツガツしているなんて生易しいもんじゃなかった。

「おい、聞いてんのか。たった今お前の恋人がステキな発言かましたんだぞ」
「……きいてます」
「そうか。ならついでにもう一ついいこと教えてやる」

 ショックでツッコミもままならない。この男がいい事と言うからにはほぼ間違いなくいい事ではない。
 言わなくていいと拒否する前に、瀬名さんは喋り出していた。

「道義とか人間性を抜きにして男って奴を語るならな、下心全開で貢ぎまくった末に結局逃げられてヤレねえのは三流、無理に押し進めてヤルのが二流だ」
「……一流は?」
「恋人と愛を育んだうえで円滑に事を運ぶ」

 くいっと、顎に手を添えられた。顔と視線を固定される。

「そうなったら了承を得るまでもねえ。相手の方からねだってくる」

 小さなキスを再度、目元に。唇が触れるのに合わせて素直にまぶたを下げていた。それでまたゆっくり目を開いたら、しっかり捉えられている。

「お前がそうなるのは割とすぐ先の未来だ」

 自信満々の予言とともに、最後は口にキスされた。この人が俺に教えたキスのやり方は色々あるけど、こうやって喋りながらする軽いキスも嫌いじゃない。掠めるように重なった時には、大抵しっとり合わさるキスをその後にもう一度されるから。思った通り今も、そうなった。
 形をなぞるようにしながら、唇がゆっくり離れていった。瀬名さんが言うところの愛を育む行為の中に、このキスも、入るのだろうか。

「俺とシたくてたまらねえと思わずにはいられねえようにさせてやる。せいぜい覚悟しておくんだな」
「……それはつまり自分が男として一流だって言ってます?」
「人がカッコつけてる時になんでそういうこと聞いてくんだよ。カッコつくもんも付かなくなるだろ」

 激烈にカッコ悪くなった。

「お前のせいでムードがぶち壊しだ」
「だってなんかスゴイこと言ってくるから」
「もっとスゴイこと聞かされたくなかったら今後は俺の愛を第一に信じろ」

 それを言われたらぐうの音も出ない。男友達の些細な一言で半日をすっかり無駄にした。
 今まで俺がしてもらった事は、瀬名さんにとっては投資じゃなかった。ダルいなんて欠片も思われていない。何せこの人は一流の男だ。相手の方からねだってくるのを目論むようなヤリ手の大人だ。

「遥希はもっとスレた性格してるだろうと思ってた」
「どういう意味ですか……」
「周りのダチの戯言ごときに惑わされるとは意外だってことだ。同期が横で何言っててもお前は適当に聞き流しそうだろ」
「それは……」

 確かに、そう。普段だったら聞き流したはず。あんなに根暗に考え込んだのは、悩みごとの対象になったのが他の誰かじゃなく、瀬名さんだったから。それ以外の何かだったならおそらくこうはならなかった。
 この人と出会うまでの俺は、決してこんな愚図じゃなかった。つまらない事でしょっちゅう悩んで、些細な出来事ですぐ心配になる。
 原因は何か。考えるまでもない。この男だ。瀬名さんだ。

「……全部あんたのせいですよ」
「お前のそういう所も嫌いじゃねえよ」

 何やったって勝てないし。腹は立つのに、嫌な気はしないし。
 全部お見通しのこの大人に、俺が勝てる日なんてくるのか。そのうちギャフンと言わせてやりたいが今のところはまだまだ無理そう。

 もぞっとイモムシみたいに動いて近い距離を更にくっつけた。ベッドがまた少し微かに軋む。
 もし壊れたらちゃんと弁償するから、壊れないうちに抱きついた。

「今度はどうした」
「……キスしたいなと思って」
「俺を惑わせる作戦か」
「違います」

 この人もすぐムードぶち壊す。

「そんな作戦立てなくたってだいぶ前からメロメロだ」
「メロメロって言う人久々に見ましたよ」
「なんとしてもカッコつけさせねえ気だな」

 黙ってりゃいい男だから喋ると結局カッコ良くない。なんでもかんでも瀬名さんのせいにする俺をこの人が嫌いじゃないように、この人のカッコ良くない所が残念ながら俺も嫌いじゃない。
 クマとカワウソに負けないくらい布団の下でくっついて、甘やかされるだけ甘やかされる。ベッドの中で年上の男に抱っこされながら撫でられているのに、嫌だとは一ミリも思えないのだからこれもメロメロってやつなのかもしれない。

「なあ。ついでだから最後に重要な忠告だけしておいてもいいか」
「だめです。その前置きからしてもう聞きたくない」
「まあ聞け」
「やだ」
「たまには黙って聞いとけよ。お前がいいと言うまでは俺も待つ気でいるけどな、そのあとは本気で覚悟決めろ」

 さっきまではガキ扱いで背中をポンポンしていたその手が、突然下の方に向かってゆっくりとまさぐるように動いた。薄いシャツの上から腰骨の辺りを、スルッと、思わせ振りに撫でてくる。

「ボロ雑巾に成り果てるまで執拗に抱いてやる」

 ピシッと硬直。当然だ。こっちはそういうのに耐性がないんだ。
 行動はセイフティーだが発言は時々危うい男から脅迫でしかない宣言を受けた。全部のワードが全部怖い。ボロ雑巾って。執拗にって。一流の男はたぶん言わないやつ。
 怖いことは苦手だからソソッとぎこちなく視線を逸らした。瀬名さんの胸板に軽く手をついてさり気なく腰を引いて逃げる。
 グイッと抱き直された。怖い。

「あの……大丈夫です俺、何も聞いてません」
「俺は言った。そしてお前は聞いた」
「や……ちょっとよく分かんない」
「すっとぼけてんじゃねえよガキ」

 何この人。

「……放してもらえると嬉しいです」
「寒いんだろ。おとなしくしてろ。なんもしねえから。今は」

 今は。

「……いつかは抱くんですか」
「そりゃあな」
「……執拗に抱くんですか」
「もちろん」
「……俺を?」
「あ?」
「俺を抱くんですか」
「お前の他に誰がいるんだ」
「…………」

 そうか。俺を抱くのか。ということは瀬名さん、そっちか。そうか。上か。そうか。正直ちょっとホッとした。
 ボロ雑巾なんて言われちゃったのにホッとするのも変なんだけど。ボロ雑巾じゃなかったとしてもホッとするのは問題なんだが。それとこの人、今も物理的にグイグイ来ている。

「紳士的な手順を踏みつつグチャグチャのボロ雑巾にしてやる。任せとけ」
「あなたには何も任せたくない」

 エセ紳士に任せておいたらグチャグチャのボロ雑巾にされる。すでにもう若干危機を感じる。
 それとなく押さえるに留めておいた手で胸板をぐいっと突っぱねた。ついでに背を向けようと思ったがホールドされているせいでできない。仕方がないので布団の中に頭までボスっともぐり込んだ。
 身を守るのに必死。なぜならば脅威は真隣。
 外敵に狙われてしまったときの、ヤドカリとかカメとかアルマジロなんかはこういう気持ちだと思う。

「おい。キスは」

 捕食者側に立っている男が掛け布団越しに呼び掛けてきた。
 獲物の体を囲っている殻とか、甲羅とか硬質のウロコなんかを破りたくてウズウズしている肉食獣はきっとこんな感じだ。頭を出したらバリバリ食われそう。

「遥希。なあ」
「…………」

 俺は今後海でヤドカリを見つけたとしても殻をつついて脅かしたりしない。カメの頭を引っ込めさせて遊んだりも絶対にしない。アルマジロが丸まっていたら可哀想にと同情する。

「キスしたいんじゃなかったのか」
「自分をボロ雑巾にしようとしてる人にそんなことできると思いますか」
「分かった。ボロ雑巾は取り消す」
「グチャグチャは」
「それも取り消す」
「執拗には」
「取り消す訳がない」
「おやすみなさい」

 身を守ることが決定した。この人本当にねちっこそうだ。
 俺の背中の撫で方をポンポンに戻しながら、ねちっこそうな自称一流は深々と溜め息をついた。

「恋人が無情極まりねえ」
「大事なんでしょ、俺のこと。それが愛なら示してください」
「言質まで取られた」
「自分から言ったんだろ」

 勝手にペラペラと喋ったのはこの人だ。俺は衝撃を受けて動揺しただけだ。
 腹の立つ溜め息をさらに長ったらしく聞かせてきたから、しぶしぶちょっとだけ顔を出す。警戒しつつ偵察してみると、今すぐ食われそうな様子ではなかった。

 頭からバリバリやられないならあったかくして眠れる方がいい。瀬名さんの首元に顔を埋め、落ち着く位置に収まった。
 体温がちょうどいい。良く知った、いい匂いもする。だから懐っこい猫を真似して、顔を擦り付けた。首元に、スリッと。

「……俺は何かを試されてんのか」

 うるさいからもう一度だけ顔を上げた。瀬名さんの頬に手を伸ばし、それでガシッと固定する。動かないようにさせたのは、そうした方が俺がキスしやすいため。

 むにっと重ねた。唇同士を。色気もクソもないようなキスだ。
 触れるだけのそれをしている間、瀬名さんの動作は停止していた。動かなくなった男から目を逸らし、再びその首元に埋まる。

「黙って寝ましょう。おやすみなさい」
「…………おやすみ」

 一流の男も案外チョロい。こっちから急にキスすると、瀬名さんがおとなしくなることを学んだ。
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